1978.09.22 祝福を迎える一日 埼玉・神川村にて 真のお父様のみ言
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ですから、今まで宗教の道を歩む者はみんな出家して、
社会に奉仕して犠牲になり、
理想の極楽に行くというようにしてきましたね。
あなたたちも出家してやってきたのでしょう。
先生もそうです。
原理は貴く素晴らしいということを知っていますから、
自分の両親、兄弟に一番先に聞かせたいのです。
しかし、神の摂理は、アベルを救うための摂理ではありません。
アベルを祭物として、カインを救う摂理ですから、
尊いものをカインに向けるのであって、
アベルに向ける原則ではありません。
ですから先生のお母さんに対しては
一着の着物も買ってあげたこともなく、
一生涯を犠牲にしました。
万民に対してはいろいろなことをやりながら、
子供に対しては何もやりませんでした。
それを個人から氏族、民族、国家、世界までやって条件を立たせて、
それから自分の故郷に帰るようになっています。
今から帰るのです。
今年になって先生は、お母様や子供たちに、
着物やおもちゃを買ってあげました。
買ってあげても先生は条件に引っかかりません。
そういう原理原則があります。
日本の責任者たちは、
「教会長だからアベルであり、君たちはカインだから、
カインはアベルに屈服するのが原理だから従え」
と先生が教えない原理の教えをしているのではありませんか?
そういう原理はありません。
愛の力でもって、自動的に自然に頭を下げるような、
そういう使命を果たさない者はアベルではありません。
アベルの立つ基盤がありません。
勝利し得なかったのですから、神は認めません。
それは個人的、家庭的、氏族的、民族的においても同じことです。
ですから統一教会が世界的なアベルの教会であるとするならば、
世界的に血を流して蕩減条件を勝利して、
勝利の領収書にサインをサタンにしてもらって、
そこで初めて世界的なアベルになれるのです。
そのようになっています。