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79.12.30 摂理から見たアベルの正道 真のお父様のみ言

※み言『摂理から見たアベルの正道』より
ここでご紹介しているのはごく一部です。


「アベルが責任を果たせば、カインはアベルを保護する」

七年たって、信義の人になったのですか、
心情の人になったのですか? 
天の国の理想をもった人になったのですか? 

知ろうと知るまいと、伝道の志を立てたならば、
対象者が従順屈服するようにもっていかなくてはならないのです。

このように、アベルの伝統歴史が
いかに難しいか知らなければなりません。


仮に、先知者たちが地上に送られる時、
世の人々から歓迎されることが約束されていたとしましょう。

先知者は王の座で、
あるいは出世の道で称賛を受けるものと喜んだのですが、
実際は違う結果となり、
考えもしなかった厳しい現実に直面した時に神様が信じられなくなり、
「本然の愛も天の理想もみな疑わしい」と言うような先知者は、
本物の先知者でしょうか? (いいえ)。


アベルは、そのサタン世界の底辺に住む
僕のような人たちに仕えるようにして、
感化させなくてはならないのですから、
僕の歴史にいま一つの僕の歴史を
積み重ねなくてはならないのです。

しかしその場合、サタン世界の僕たちと、
天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、
アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。

その時にサタン世界の僕たちは、
「何の希望ももてないどん底の中にあっても、
あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた」と認めるのです。


アベルは「いかに耐え難い時も、
信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、
最後まであなたを信じて尽くすことができました」と、言えるのです。

そこで「地上で自分の生命も惜しまず、
愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。
私は誰よりもあなたを信じ、
国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と、なるのです。

その認められた事実でもって、
初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」
と言うことができるのです。

アベル・カインの関係はその時から始まるのです。

アベルにはカインがいなくてはならないのです。
カインは兄さんです。


そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、
「あなたは私の後ろに立ってください。
サタン世界のみ旨は私が引き受けます」と言って、
先頭に立って戦うようになるのです。

その時点からカイン・アベルが成立するのです。

そして、「私のすべての財産と、
すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。
私の体が犠牲になっても構いません。
私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのが、カインです。

そうすることで天の国に行くことができるというのです。


カインはアベルの面倒をみなくてはなりません。
兄さんが弟をみてあげるのが天のカインの道理ですから、
弟を保護する運動が起きてくるのです。

エデンの園では、カインがアベルを保護しないで殺してしまったのです。
反対になってしまったのです。

このような原則があるにもかかわらず、
今日の統一教会の信者の中には、
自分は不信仰であろうと、不心情であろうと、不天国であろうとどうでもよく、

「ただ先に入ってきたからアベルであり、お前はカインだから屈服しなさい」
と言う者がいます。


そんな法がどこにありますか!


アベルが寝る時間が短いと
不満をもらしたり、仕事もこなせず、実績も上がらず、
全体の犠牲にもなれないとすれば、いったいどうなるでしょうか、
皆さんもそのようなまねをするのですか?


次の問題は、天国に入る時にはカインが、
「私が先に入ることはできません。あなたが先に入ってください」
と言わなくてはなりません。

天の父の前に進む時には、弟が兄さんの位置に立たなくてはなりません。

では、それを誰が決定するのかというと、
アベルが決定するのではないのです。

カインが決定しなくてはならないのです。


「統一教会で、自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。
それでは、「自分は統一教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。
それならば弟のいないカインがいるのですか? (笑)

アベルがいなければカインもいないのです。
カインとアベルの決定は、
「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、
互いに約束すればいいのです。

「私が兄であり、私は弟になる」。
こういうふうにです。


では、アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか? 
不動の中心がなくてはならないのです。

それが何かというと、信義と心情と理想です。
信義は動くことができず、心情も動くことができず、
理想も動くことのできない存在になっているのです。


さて、次にもう一つの問題があります。
理想に到達し、理想がかなえられると、
理想に酔ってしまって二人が行くべき道を歩めなくなるということです。

皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? 
カインとアベルはなぜ必要なのですか?
「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何だ」。(笑)
どうして笑うのですか、本当のことでしょう。


カインなんか煩わしい、
みんな蹴ってしまえばいいじゃありませんか? (いいえ)。

なぜ「いいえ」ですか、
カインがいかに煩わしい者か知っているのですか? 


カインはこう言うのです。
「統一教会はいいのだが、アベルというのは嫌いだ。
天才主義ではないか。
アベルは勉強もしていないし、あのような者が何だ。
あれがアベルなのか」と。



「カインのメシヤはアベル、アベルのメシヤはカインである」

皆さんは、皆さん自身がメシヤであることを知っているのですか?

カインのメシヤはアベルであり、
アベルのメシヤはカインであるということを知らなくてはなりません。

それを知らなくてはならないのです。
今まで説明したそのような関係を結ばずしては、
それを経ずしては駄目です。


では、なぜそうしなくてはならないのでしょうか? 
この原因はエバにあります。

エバは堕落して誰を生んだかというと、
カインを生み、アベルを生んだのです。

これが兄であり、これが弟です。
堕落ののち、誰が先に生まれ兄になったかというと、
カインが先に生まれて兄となり、
アベルはついていったのです。

これは何かというと、
後ろからついていく根拠になるのです。


そのために、
カインがサタン世界の相続権をもっているのです。

サタン世界のすべてのものの相続権はカインにあるのです。
サタン世界はカイン世界ですから、カインのものになるというのです。


もし堕落しなかったならば、長子も天の側であり、
次子も天の側になったはずです。

これを知らなくてはなりません。

そして、その国の相続は長子が受けたのです。
長子が引き継ぐようになっていたのです。


神様の原理法度は、
先に生まれた人が父のすべてのものを管理し、
責任を負うようになっていたのです。

そして堕落した世界も、
原理法度に従って規範どおりに運営していくというのです。


長子がサタン圏のものとなったのですから、
二番目の息子はどのようにしてこの、
長子の位置を越えていくのでしょうか? 
それは屈服させることです。

長子の権限をどのようにして引き継ぐか、
これが問題なのです。


どのように迎え入れるかということです。
争って越えるのではありません。

不信から信義へ、
不心情から心情圏へ、
不理想から理想圏へと、
兄さんは弟についていかなくてはならないのです。

そうすることによって、
昔カインがアベルを殺したことを償えるのです。

従順にアベルについていくことによって
復帰されるというのです。

カインは自分のほうから先にアベルを殺したのです。
何の話か分かりますか?


このようないきさつに基づいて、
二〇〇〇年前に国家的アベルとして来られたのがイエス様であり、
国家的カインはイスラエル民族でした。

イスラエル民族は国家的カインの立場から、
国家的アベルであるメシヤに絶対服従してついていくべきでした。

イスラエル民族は自らが滅びたとしても、
アベルであるメシヤを生かすべきでした。


そうできたならば、イエス様は死んだでしょうか? 

イエス様は十字架で死んではならないという話は
ここから出たのです。

死を決して守ったならば、
カインはアベルを殺さずに生かしたはずです。

イスラエル民族が二〇〇〇年間メシヤの出現を待望したのは、
この蕩減法からきたものです。



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