文鮮明先生の心に残る言葉と行動
http://web.archive.org/web/20101207224020/http://truth-moon.info:80/
文鮮明先生の自然環境保護運動
『私はパンタナールの400ヘクタールの土地に木を植えました。私たちが植えた木々によってパンタナールがより一層美しくなり、そこで作られた豊富な酸素が私たちの人生を潤沢にしてくれるのです』パンタナールとアマゾンは地球の肺と呼ばれていますが、森林の伐採は深刻な状況です。
パンタナールで活動をしていた頃、文先生は私たちに直接指導して下さり、植林活動の重要性を訴えておられました。
『1年に1本は各家庭が植林をしないといけない。』
このみ言葉を最近思い出しました。
我々がこの通り実践していけば、地球の環境保護、温暖化防止に大きく貢献できると思います。
環境立国日本は植林運動の先頭に立つべきだ最近特に考えており、植林活動を始めています。
『自然を救うことにまず宗教者が立ち上がらなければなりません。』
『自然を大切にして保護する近道は、自然を愛する心を持つ事です。』
『自然を大切にすることは、神様を愛することと同じです。』
『道端に咲く一輪のタンポポが新羅の金の冠よりも貴いのです。』
自叙伝の中の『一輪のタンポポが黄金よりも尊い』 p311
の内容は個人的にとても好きな言葉が多くあります。
一読をお勧めします。
パンタナールでの植林の様子
愛の本質
愛の本質とは何でしょうか。愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体の為に先に与えて、為に生きることです。
与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。
それは喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。
父母は愛する子供のために骨身を削って苦労しながらも、疲れを知りません。
それくらい子供を愛するからです。
本当の愛は神様から始まり、また愛は父母から来るのです。
【自叙伝 p220】
接する一人一人にこのような愛を投入される方が文鮮明先生です。
私も何度かお会いして、実際接してみるとこの愛を感じるので文先生を尊敬しています。
このような愛で周りの人を愛していきたいと統一教会の信徒は思っています。
信徒のための祈り
文鮮明先生は信徒の為に絶えず祈り続けてきたことが自叙伝を読んでみると理解できます。文先生が統一教会を韓国で創立された頃の話です。
『青玻洞の教会に移っていった後、私はほとんど眠りませでした。
奥の間に身をかがめて座り、明け方の3時か4時になるまでお祈りをして、服を着たまましばらく背中を丸めて寝ると5時にはもう起きる生活を7年間続けました。
毎日1,2時間しか寝なくても、うとうとすることなく明けの明星のように目を輝かせて、疲れを知りませんでした。
1年も経つと信徒数は400人を超えました。
400人の信徒の名前を1人1人呼び上げて祈っていると、名前を呼ぶ前から彼らの顔が頭の中をしきりに行き交いました。
彼らの顔が泣いたり笑ったりします。その人が今どういう状態にあるのか、病気なのか元気なのかを祈りの中で知るようになりました。
一人一人の名前をずっと呼んでいるうちに「今日はこの人が教会に来る」と思えば、その人は連絡もなしに教会に来ました。
苦しむ姿が浮かんだ人を訪ねて、「どこどこが痛くないか」と聞いてみると、「そうだ」と答えます。
「先生は私が苦しんでいるとどうしてお分かりになったのですが、本当に不思議です。」と言って彼らが驚くたびに、私はにっこり笑いました。』
文先生の信徒を愛する基準はここまでなのかと思い、反省させられました。
統一教会の中でお互いが祈りあい、兄弟姉妹一人一人を大切にする文化がもっと浸透すれば初期教会の時のように発展すると思います。
文先生の信徒をここまで心配し、愛する基準を我々も相続していく必要があると感じました。
グローバルリーダーは世界を懐に抱く人
最近流行している言葉の中に『グローバルリーダー』という言葉があります。英語を流暢に話してグローバルリーダーになりたいと言いますが、実際にグローバルリーダーになる道は、英語の実力にかかっているのではありません。
英語は意思疎通の道具に過ぎず、本当のグローバルリーダーは世界を自分の懐に抱く人でなければなりません。世界の問題に全く関心がないのに、英語で意思疎通ができるからといってグローバルリーダーになることはできないのです。
グローバルリーダーは、地球上のあらゆる問題を自分の問題として考え、それを解決しようとする開拓者の精神を持たなければなりません。
安定的で固定的な所有に執着したり、退職後の年金と平安な家庭生活を夢見たりする人は、グローバルリーダーになることができません。
未来に何が待っているかよく分からなくても、世界が全て自分の国であり、全世界の人類が全て自分の兄弟だという意識があってこそ、グローバルリーダーになることができるのです。
たとえじぶんが空腹でも、兄弟のためにご飯を残す事のできる愛が兄弟愛です。グローバルリーダーは、まさに人類を相手に兄弟愛を施す人です。
(自叙伝p333-334)
アメリカでの文先生の歴史的なメッセージ
『神は宗派主義者でも教派主義者でもありません。教理の枝葉末節にもとらわれる神ではないのです。
神の父母としての心情、そして大いなる愛の心の中には、民族と人種の区分がありません。
国家や文化伝統の壁もありません。
神はきょうも、万民を同じ息子、娘として抱くために努力しておられます。』
『人間が人格完成しようと思えば、30歳になるまでは苦労してみなければならないと考えます。』
『人格者は、一度上がって急降下する人生にも慣れていなければなりません。』
『世の中のあらゆることを経験してみなさい。』
『私自身も、東京で労働者と寝食を共にしながら、また乞食と食うや食わずの悲哀を分かち合いながら、苦労の王様、苦労の哲学博士になってみて、初めて人類を救おうとする神のみ旨を知ることができました。それゆえ、30歳までは苦労の王様になることです。 苦労の王様、苦労の哲学博士になること、それが天国の栄光に至る道です。』 自叙伝p85~86
早稲田大学付属早稲田高等工学校留学時代
後列真ん中の青年が文鮮明先生
愛によって生まれたのですから、愛の道を求めて生きていかなければなりません。父母の果てしなく深い愛を受けて生まれた命なので、生涯その愛を返して生きなければならないのです。
最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。
良心に引っかかることをすれば、必ず心に影が残るのです。
その次に大切な事は、人よりももっと多くの仕事をすることです。自分よりも人のために、自分の家庭よりも隣人のために、自分の国よりも世界のために生きなければなりません。
人生の最後に残るのは死だけです。人が死ねば墓だけが残ります。その墓の中に何を入れれば価値のある人生を生きたと言えるのでしょうか。
愛の中に生まれ、愛の人生を生きてきたのですから、生を終える墓の中に残るものも愛だけです。
愛によって生まれた命が、愛を分かち合って生き、愛の中に帰っていくの私たちの人生なので、私たちは皆、愛の墓を残して旅立つ人生を生きなければなりません。
【自叙伝p237~239】
文鮮明先生自叙伝の中の家庭に関しての名言
文鮮明先生の家庭に関してメッセージを自叙伝から抜粋しました。
真の家庭は、夫と妻、父母と子女、兄弟姉妹がお互いに為に生きて愛する所です。さらには、夫は妻を神様のように愛し、妻は夫を神様のように尊敬する所です。
このようにお互いを絶対的な存在として暮らす所が、真実の愛にあふれた真の家庭です。
家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出て行けば、家で学んだとおり、困っている人を愛の心で助けるでしょう。愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。
家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は家族を囲む囲いであって、愛を閉じ込める所ではありません。かえって、家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れ出ていかなければなりません。
(自叙伝 真の愛は真の家庭から p232-233)
宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ
『宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ』これは、その頃(18歳ー30歳)の私の座右の銘です。
先に身心を鍛錬してこそ、次には国を救い、世の中を救う力も持てる、という意味です。
私は、食欲はもちろん、一切の完成と欲望に振り回されないで、体と心を自分の意思どおりにコントロールできるところまで、祈りと瞑想、運動と修練によって、自分を鍛錬しました。
そこで、ご飯を一食食べる時も「ご飯よ、私が取組む仕事の肥やしにしてほしい」と念じて食べ、そういう心がけでボクシングもし、サッカーもし護身術も習いました。
おかげで、若い頃よりもかなり太りましたが、今でも相変わらず体の動きは青年のように身軽です。
(自叙伝 p70)
真の愛とは
文鮮明先生自叙伝 「平和を愛する世界人として」 が再びアマゾンで1位になりました。(11月1日)一気に読み終わり、今2回目をゆっくり読んでいますが、その中で感動的な言葉がありますので、これから紹介していきます。
日本の植民地統治時代と北朝鮮の共産政権、大韓民国の李承晩政権、そしてアメリカで、生涯に6度も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。
しかし今、私の心の中には小さな傷一つも残っていません。真の愛の前にあっては、怨讐(深い怨みのあるかたき、敵)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです。
真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です、真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。 私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。
愛以外には、他のどのようなものも望んだ事はなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことに全て捧げてきました。
愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げた心は幸福でした。
(序文 P5)
アメリカのダンベリー刑務所から解放された時の文先生
愛天・愛人・愛国の精神
鮮文大学校本館奉献式における設立者文鮮明先生の式辞(2002年4月14日)
「愛天 愛人 愛国」という建学理念において、すでに標榜されているように、私が、この大学を設立するようになった動機は、神様を愛する“愛天理念” から出発しています。
“愛天”において意味する神様は、特定の宗教や宗派の教理の中に閉じ込められた神様を意味するものではありません。生きていらっしゃる、根源者であられる神様は、真の愛の 本体であられ、人類にとっては、“無形の真の父母”であられ、天道と、すべての教えの根源であられます。
私は、いち早く、生きていらっしゃる神様を知った後、いっときも、神様のその願いを忘れたことはありませんでした。 神様の真の愛の理想である平和世界を成すために、一生を 献身してきた私は、未来を導いていくビジョンある人材の養成を、重要な宿願事業の一つと思ってまいりました。
迫り来る地球村時代、人類大家族社会を導いていく人材は、まず、天と人類と、国と世界と万象を愛する人でなければなりません。“真の父母”、“真の師”、“真の主人”の三 主体人格は、神様に似た愛の実践の中で、形づくられるからです。
もちろん大学は、創意力の啓発を通した専門人を養成する教育機関です。しかし、普遍真理の根源であられる神様と連係した人性教育を通して、三主体人格者である健全 な指導者を養成する普遍教育は、何よりも絶対的に優先されるものです。
一人ひとりにふさわしい個性と幸せ
神様は、一人ひとりに
その人にふさわしい
個性と幸せを与えておられます。
ですから、どう生きることが
私たちの幸せに通じる道なのか
それを捜し求めていかなければなりません。
そして、私たちが幸せだと感じる時、
神様もその姿を見て
喜んでくださるのです。
(こころの四季2 より)
ダンベリー刑務所での奇跡
1984年7月20日、アメリカ政府は人種差別と宗教偏見から、脱税容疑を理由に無実の文先生をダンベリー連邦刑務所に収監しました。 その時、文先生は韓国に戻れば刑務所に入る必要はなかったのですが、アメリカからご自分が離れれば、アメリカを神様の願う方向へと導くことができないと判断され、刑務所に自ら入っていかれました。刑務所の中で文先生は、誰もがいやがる皿洗いや、台所、便所の掃除を率先して行われ、周りの囚人たちにも優しい言葉をかけ、 いつも笑顔で接していかれました。囚人たちは最初、文先生を「ヘイ、ムーン」と呼び捨てていましたが、文先生の誠実な行動と人格に感動し、レバレンド・ムーン(文牧師) と呼ぶようになり、そしてファーザー・ムーンと呼ぶ囚人たちも出てきました。
ダンベリー刑務所での文先生(左)
また、それまで統一教会を異端視してきた、多くのアメリカのキリスト教牧師達が、この判決は宗教迫害であり不当な判決であると立ち上がり、宗派を超えて文先生を支持しました。 文先生とともに一週間入獄を決意し、署名した牧師や聖職者が1万2千人に達しました。
1085年8月20日に釈放された後、約2000人の牧師達が「神と自由のバンケット」を開催して、文先生を歓迎しました。 その時に代表的に支持をされた牧師 ジョセフローリーは今年のオバマ大統領の就任式で代表で祈祷をされた方です。
釈放後の神と自由のバンケットでの文先生(中央)と牧師達
文先生は常に愛すること、許すことを実践されてきました。
このダンベリー刑務所には私もアメリカにいた時に尋ねたことがありますが、刑務所の前でお祈りしたことを忘れることができません。
牢獄の中からアメリカを許し愛されながら祈られ、また周りの囚人たちに仕えていかれた文先生。
いつか、文先生の真実の姿をアメリカの国民、そして全世界の人たちが理解される日が来ることを願ってやみません。
親なる神様を慰めてこられた生涯
文先生はいつも親なる神様を慰めながら歩んでいます。
興南の強制労働所において囚人の死亡率が1年間で50%の状況下にある中で、文先生は以下のような思いで過ごされました。
「天の父は既にこの息子の苦痛を知っておられるのに、その父に向かって、
どうして助けてくれと祈祷することができるでしょうか。
私は興南監獄期間中、神様を慰労するのに忙しかったのです。
神様を安心させてあげるのに余念がありませんでした。」
「天のお父様、この息子を心配されないでください。
この息子は絶対敗北しません。
これよりもさらに大きな試練を下さっても、私は必ず勝利していきます。」
「世の中が嫌う仕事は、全部私が引き受けます。
私に耐えられないことがあろうか。
天の父は、この私よりももっと困難な立場におられることを私は知っています。」
家族として見つめ、愛する生き方
家庭は天国をつくるための教材です。 天がつくっておいた教材です。 世界のどこに行っても、おじいさんの年齢の人に会う時に、その人を自分のおじいさんのように愛する人は、 天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人に会って、その人を自分の父母のように愛せる人は、どこに行っても通じます。 (天国を開く門 真の家庭)
家族として見つめ、愛する生き方
家庭は天国をつくるための教材です。 天がつくっておいた教材です。 世界のどこに行っても、おじいさんの年齢の人に会う時に、その人を自分のおじいさんのように愛する人は、 天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人に会って、その人を自分の父母のように愛せる人は、どこに行っても通じます。 (天国を開く門 真の家庭)
エルサレムでユダヤ教とイスラム教の指導者が和解した時の写真
真の愛の力
真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛である。
人間がつくった国境の壁、人種の壁、宗教の壁までも永遠に終わらせる力が真の愛である。
(平和のメッセージより)
自然は神様からの贈り物
「この宇宙は神様が私のためにつくってくださったのだという、この上ない感謝の心を持って丘を歩き、草木や花を眺め、鳥を見て鳴き声を聞いては感動し、 水が流れて風が吹く、そのようなすべてのものを見る時、それはどれほど素晴らしい見事なものでしょうか。」 (天運を呼ぶ生活 神様の贈り物)文鮮明先生 自叙伝の序文
平和を愛する世界人として真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。
真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。
私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。
愛以外には、他のどのようなものも望んだことはなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことに全てをささげてきました。
愛の道が難しく、涙があふれ、ひざをへし折られても、人類に向かう愛にささげたその心は幸福でした。
今も、わたしの中には、いまだ与えきれない愛だけが満ちています。
その愛が、干からびた地を潤す平和の川となって、世界の果てまで流れることを祈りながら、この本を発表します。
最近になって、わたしが何者かを尋ねる人がぐっと増えました。
そのかたがたの少しでも助けとなるように、これまでの生涯を振り返り、この本に率直な話を詰め込みました。
一食ぬく生活
私は学生の時に昼食を食べずに暮らしました。お金がなくてそのようにしたのではありません。
お金がない人に私の学費を削って、学資金を援助してあげたのです。
(天運を呼ぶ生活)
人間は何のために生きるのか?
人間は何のために生きるのでしょうか? 愛のために生きるというなら、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は愛の結実として生まれ、愛しながら生き、 永遠なる神様の愛の懐の中に帰るようになっているのが創造本然の生なのです。 (天国開く門 真の家庭)
文鮮明先生16歳の時の詩
栄光の王冠私が人を疑う時 私は苦痛を感じます
私が人を審判する時 私は耐えられなくなります
私が人を憎む時 私は存在価値を失ってしまいます
しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます
今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています
私が間違っているのでしょうか
そうです 私が間違っているのです
たとえ だまされたとしても 信じなければなりません
たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません
憎む者までも ことごとく愛してください
涙を拭いて 微笑で迎えてください
人をだますことしか知らない者たちを
裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも
おお主よ! 愛するという痛みよ!
私のこの苦痛を御覧ください!
熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!
私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです
しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました
もし あなたも 私のように愛するならば
私はあなたに栄光の冠をお捧げします
いつも笑顔での生活
”いつも笑顔でいなさい。笑顔は心の花です。いつでも花を咲かせて香りを漂わせえるのです。” (天運を呼ぶ生活)