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み旨の道

一 み旨


□ み旨は私がいる前からあった。
   神がみ旨の始まりであり、み旨の内容であり、み旨の目的である。

□ 先生はみ旨に対しては、一歩も譲らない。
   み旨一つをなすためには、いかなる犠牲があってもそこには避ける道がない。

□ 我々は、行くべき道を残しておいて、今日に満足する者とならずに、この世の未練を断ち切ることのできる、
   より大きいみ旨をもって新しい歴史を開拓していこう。

□ 天国に行ける人は、この世の最高の栄光の位置を与えられても、み旨を捨てることはできない、
   という一片丹心の心情を所有した者である。

□ 神の苦しみを避けて自己の安楽を求める者は必要ない。必要のない数千人よりも、
   必要な一人がもっと大切である。

□ 天の摂理的な「プログラム」は、根源と上から合わせてくるのである。
   それゆえに知らない道を行く我々は、命令する方に従って従順になるのが近道である。

□ 先生は神と一体化し、サタンと三十億人類を相手として綱引きをする深刻な感じでみ旨の生活をしている。

□ 先生は皆さんよりも一段階前に立って仕事をやっていくので、先生のやることに関心をもちなさい。
   それは皆さんの次の生活の目標であるからである。

□ 神が自ら僕の立場で涙を流し、神が自ら子女の立場で涙を流し、神が自ら父母の立場で
   涙を流しておられる事情を知って、その恨みを解くために至誠を尽くしなさい。

□ 神は天理原則しか知らないし、先生はみ旨しか知らない人である。

□ 古い衣を脱がずして新しい衣を着ることができないように、
   古い観念で新しい世界を見つめることはできない。

□ 自分を中心としてまき、自分を中心として実を結ぼうとするな。
   動機と結果を神に帰しなさい。

□ 我々のみ旨が事実なのか。
   事実だとしたら、今自分が生きていく状態がみ旨に合うかどうか反省しなければならない。

□ 人間には情的分野(愛-家庭)と使命分野(仕事)とがある。
   この二つともないときには、彼は存在世界で死んだ人である。

□ 「絶対に天を裏切ってはならない!」これが統一精神である。


□ 神は精誠を尽くさないところにおいては働かれない。

□ み旨のためにあなたは今、何をしているか。
   先生も常に自問自答する。

□ 我々は、神と神の目的と私の目的との三点において、直線を維持することができなければならない。

□ 個人の使命が、自分で終わってはならない。
   神の全体目的と一致しなければならない。

□ 父子の関係こそが宇宙の根本的な場である。


□ 思いもしないところに因縁が結ばれるということはあり得ない。

□ 神と一つになりみ旨と一つになってこそ、第二の主体となる。

 善と悪


□ 善は自己を中心としたものではない。人のために自己を犠牲にすることである。
   悪は自己を中心としたものであり、自己のために人を犠牲にすることである。

□ 善なる人は食べ物に対しても、まず天、次に地、その次に人類を考えてから食べる。

□ 善はアルパとオメガが同じである。
   ゆえに人も、始めと終わりが同じ人が最後の勝利者であり、善人である。

□ 悪を分別することのできる指針として与えてくださったのが良心である。

□ 善は、自分より家庭をより愛すること、家庭より国家をより愛すること、
   国家よりも世界人類をより愛することである。

□ 善なる人にも、悪なる人にも、全部に友達となってあげなさい。
   しかし悪人と和することなく彼らを善に向けるコンパスの中心とならなければならない。

□ 「怨讐を愛せよ」という言葉は怨讐の中にある罪まで、あるいは悪まで許せということではない。
   悪に取り付かれているその人をかわいそうに思えということである。

□ 私たちをつくれられた神様を父と呼ばなければならないのに、
   反対に、サタンを父と呼ぶようになったのが堕落である。

□ 生きるということは、悪の要素を除いて善の要素の本質へ接ぎ木することである。

□ 率直に語り、真実に行動するとき、善は決定される。

□ 善と悪は未来において決定されるものではなく、現在の一日一日の時間において決定される。

□ 私が、見ることも話すことも、すべてを相対のためにするときは善である。

復帰・復帰の心情


□ 先生は監獄で拷問を受けるときも、神がこのような道に送ってくださるとき、
   行けという神よりも行かせねばならない事情をもっていた神を先に考えた。

□ 先生は統一をいかにするか心配せず、蕩減条件をいかに立てるかを心配してきた。

□ 歴史は神の全体を御父母様に相続してあげるための復帰歴史であり、
   我々人類は真の御父母様と一体となって、神のものを相続しなければならない。

□ 神は人間を試練の中において打つが、これは悪を断ち切って、私の心を神の心と一つとなるようにさせ、
   私の心情を神の心情と一つになるようにする基準にまで到達させるためである。

□ 我々は我々の立場を離れ、神の立場になって考えてみよう。
   土台と人材が必要なのに、それがなされていないために、いかに切なく歯がゆい思いがするだろうか。

□ 神の摂理の方向と個人や国家の方向が一致すれば、その個人や国家は栄える。

□ 時が貴重である。春に種をまかなければならないのに、
   秋まけば冬が過ぎるまでの苦痛を受けねばならない。

□ 先生は今まで針先に立ったのと同じような、そのような霊的雰囲気の中で過ごしてきた。

□ 勝敗の決定の場は現在にある。

□ すべての人は、自分の行動と自分の生命と自分の心情とに責任をもってくれる人を探し求めている。

□ 神様が、歴史的な公売場に皆さんを連れていって公売に出そうとするとき、
   皆さんはどれぐらいの価値になるだろう。

□ 復帰していく原理は教えてあげることができない。
   それゆえ、自分が尋ね求めていかなければならない。

□ 霊的な流れと社会的な流れが一つになれば、世界に平和がもたらされる。

□ サタンが口をあけ、サタン自らが敗北したことを告白するときまで、我々は闘わねばならない。

□ 時を知ろう!
   時が来てから見れば、その時は、既に過ぎているのである。

□ 神は今も叫んでおられる。
   「人類の代わりに、神の代わりに闘う勇士はいないか」と。

□ 神のために忠誠することを誓ったならば、彼は、たとえ今日生きている人であっても
   この時代のみの人ではなく、歴史的な存在であり、彼がなすべきことは歴史的な使命である。

□ 一日は八万六千四百秒である。
   この時間の中でみ旨を守り抜くために動員されたと自覚する人がいるか。
   その中の一秒でも私が責任をもつと思わなければならない。

□ メシヤ一人を探し求めるのにも無限な歴史的な苦労があった。
   その神において、家庭、氏族を立てていくこと以上に喜ばしいことはない。

□ 戦争の起こる動機は男、女、私、君がいるためだ。夫婦、兄弟に戦いがある。
   しかし父母の心には敵がない。ゆえに神様の本質は愛である。

□ 皆様は歴史的な実であり、時代的な中心であり、未来的な祖先である。

□ 歴史は軸を中心に回っている。一つの軸は神がもち、もう一つの軸は人間がもつ。


実践


□ 正しいと思われたら、無条件に着手し、果敢に推し進めていけ。必ず神が共に働くことであろう。

□ 自分が計画することは何でも果たすことができる。
   しかし、三つの峠を越えることのできる決死的な努力が必要なのである。

□ 神は人間が願いもせず、思いもしないことに対しては干渉なさらない。

□ 我々は理念に燃えているし、神の理念に向かっているし、
   天運が共にありさえすれば世界を動かすことは問題ではない。

□ 目標がはっきりしなければ、生活が明確になり得ない。

□ 士気を失うな。自信のないところに前進があるはずがない。
   自ら士気を呼び起こして、ことをなしていきなさい。
   神は意欲がないところには協助なさらない。

□ 一から全体までサタンより以上にやらなければならない。
   このような生活に徹しよう。そうしたら感動して従ってくるようになる。

□ 大きいことをなすためには冒険が必要である。
   そうするためにはまず体を鍛練させなさい。いくら貧しい食事をしたとしても、朝運動をしなさい。

□ 我々は神のための闘いをしよう。絶対に滅びない。
   イスラエル民族が荒野で倒れたのは、勝利しなければならないという信念がなかったためである。

□ 愚かな者とは、時を知りながらも実践しない者である。

□ 生きている者は発展するのが当然だ。
   生きた死体となってはいけない。

□ 正しい考えを多くし、実践を多くなせば、人より先に進むようになる。
   考えてばかりいて滅びた人は多いが、実践をしていて滅びた人はいない。

□ 運命を怖がる人は運命に食われてしまう。
   しかしその運命にぶつかっていく人には運命が道を避けてくれるのである。

□ 批判する人は革命的なことを行えない。

□ 道の世界での約束は絶対に守らなければならない。

□ 後退することも前進することも、自分自身が母体である。
   後退する人は人も嫌うが神も嫌うのである。

伝統


□ 万民がひざまずいて痛哭しながら仰ぎ見ることのできる、生きた歴史の伝統を成し遂げよう。

□ 天倫の方向を知らねばならない。あなたの指向する目的が
   神の願いと時代と歴史の目的の前に一致しなければ、無慈悲に清算してしまいなさい。

□ 花盛りの青春が過ぎ去る前に、天地が公認することのできる忠孝の立て札を立てておこう。

□ 我々は歴史の運勢を引っ張っていく機関車となろう。

□ 千秋万代に公認されて誇ることができる伝統を立てよう。

□ 根が深ければ大木が育つ。

□ 皆さんは死ぬとき、どこで死ぬんですか。
   どの分野において条件を立てて死ぬつもりですか。

□ すべてを捧げて喜びなさい。
   空いている所は必ず満ちるようになっている。これが創造原理である。
   あなたが体まで捧げたその空所に何が来るのか考えてみたことがあるか。

□ 神の願いの扉を開く者はだれか。神はその人を探しておられる。
   語る言葉があり、見せてあげるものがあり、残してあげるものがある者を。

□ 伝統的な思想を受け継がなければならない。

□ 神の内情を相続せずには伝統が相続されない。

□ 主流思想の伝統を立てなさい。その根源は父母の愛である。

□ 皆様は統一教会を代表した展示品のような人とならなければならない。

□ 今日の私は過去の延長であり、現在の集約体であり、未来の出発体である。

公義


□ 自分には損害になっても公的なことにプラスにさせなさい。

□ 公的――天的な恵みの土台となるものである。

□ 恵みは行くべき道をすべて歩み、戦いを終えたのちに訪れる。

□ 公的本位に一貫して生きていく人が一番強く、恐ろしく、知恵のある人である。

□ 歴史以来、人類は公的な使命を完遂できなかったので、
   この人たちに代わって歴史的な公的使命者だという信念をもって戦いなさい。

□ 公的な私を認識してみなさい。
   公的なものは上下、前後、左右の中央に位置しているために責任ある立場だ。
   その位置が変われば全体が崩れる。
   良心が正しいというのは、天と地とを結ぶ直線上にいるという意味である。
   ゆえに公的な存在は自分の思いによって動いてはいけない。

□ 国を愛することのできない者は決して神様を愛することができない。

□ 神が一番悲しいときは、祝福を与えようとしても眠っているために、
   彼らを目覚めさせて与えなければならないときである。

□ 公的というのは、歴史が保証し、時代が保証し、
   未来が自証し得る歴史性と時代性と未来性を帯びているのである。

□ 百人の人が自分を中心として思うなら、公的な思いが百以上なければならない。

□ み旨を先に立てて私的なすべてを超越して動けば神が協助する。
   体の願うままに動いてはならない。

□ より大きな中心に相対的基準を立てることが公的問題である。

□ 誓いの条件は大きい。
   生命を懸けて誓い立ち上がるとき、神は対さざるを得ない。

責任感


□ 我々に任せられた責任が重いと思うな。
   我々が五パーセントの責任分担をなすためにも神は九十五パーセント以上の苦労を
   既になさったということを知らなければならない。

□ アベルは誤ったことに対する責任の追及は先に受けなければならないし、
   良くやったことは全体に帰さなければならない。

□ 責任をすべて果たせなければ、死後、その後孫たちが墓を掘り返すであろう。
   神様の栄光の園にサタンの前に倒れた者を置いておけるか。

□ 勝利は戦わずにあり得ない。死ぬか生きるかという闘いの末に勝利は決定されるのである。

□ 我々に与えられた使命が大きいほど、その使命に比例し試練と闘争も大きいだろう。
   試練と闘争を恐れる者には使命を授けることができない。

□ 神は我々が担当しきれないほどの大きな責任を追及している。
   ゆえに我々は常に足りなさを感じ大きな力を与えてくださることを祈らなければならない。

□ 六千年の歴史を蕩減しようとするからには、
   すべての分野においてなくてはならない第一人者が必要である。
   ゆえにいかなる分野においても、自分がなくてはならない責任分野を見つけなさい。
   そのような責任をもった者なら、神は憎らしくともかわいくとも捨てることができない。
   その理由は、その人のみが担当し得るその分野の使命をほかのだれもできないからである。

□ 神様の前で「父よ、このみ旨のために私に責任を与えてください」
   と言える皆さんとならなければならない。

□ 我々は絶対者の代わりに、真の父母の代わりに、真の主人の代わりに責任をもち、
   勝利の勇士とならなければならない。

□ 仕事が小さいと言っておろそかにしてはならない。
   目は小さいけれど一番重要なものではないか。

□ 名だけ先生の代わりにならずに、責任、心情において先生の代わりにならなければならない。


苦労


□ 楽な立場においてはだれもが歩むことができる。
   一番困難なときにいかにして歩むかという哲学が確立しているか。

□ 当然受けるべきことを受けるのではなく、
   忍び難きことを受けるを受ける者は必ず勝利するときが来る。

□ 苦労した様子を表すな。
   そして隠れた宝を多く積みなさい。

□ 闘いの中で環境に押され倒れる群れとならずに、
   前進する心をもって残れる群れとならねばならない。

□ 誠を尽くして築いた塔がたやすく崩れることはない。
   それは神も奪うことができず、サタンも奪うことができないだろう。

□ 多く苦労をし、多く涙を流し、悔しいことを多く受けるほど、天のものとして残されるであろう。

□ 神を迎え入れて涙しなさい。
   自分のためには、絶対に涙を流すな。

□ 悲惨な事情があったら他人のことと思うな。
   そして嬉しいことがあっても自分だけのものと思うな。

□ 分かってくれることを望むな。
   苦労を密室に貯蔵しておきなさい。見えないことを見て喜びなさい。

□ 神が我々に言い表せない苦労をさせるのは、復帰の道が難しいということを痛感させ、
   再び堕落を繰り返さないようにさせるためである。

□ 先生は監獄に入っていくとき、苦労をしに行くと思うより、
   実力を現せるのは今からだという信念をもって入っていった。

□ 我々の道は神のため、天宙と全人類のために歩む道であるため、
   その苦難の期間は人類歴史の全体の期間に匹敵する。

□ サタンも行けないという道を行かなければならない。
   サタンを追い払うためである。

□ 苦難を避けていく者とならずに向かえていく者が神の道を行く者である。

□ 勝利者の気持ちは闘ったことのない人は感ずることができない。

□ 現実の苦しみを無視し、未来の幸福のために絶えず進むところに発展は訪れる。


祭物


□ 不平を言うな。蕩減は従順を通してなされていくのである。

□ 蕩減路程は祭物の期間であるため、存在することは存在するが、
   存在意識をもってはならない期間である。

□ 「私の力でやれることはすべてなしました」という基準を立てるのが一番重要である。

□ み旨の責任を受けた者は、初めから楽をしたいと思うな。
   神様はサタンよりもっと大きい力で締めつけ、サタンが侵入できないように鍛錬なさる。

□ 朝の初めの気持ちが一日を決定する。
   ゆえに、朝最初の祭物として神様が喜ばれることを見るように努めなさい。

□ 神様の胸を感動で締めつけるようにしなさい。
   神様が同情してくださる立場に立てばいつも解けていく。

□ 無条件に天の前に捧げ、み意のままに任せる心が必要である。
   神様は私の父であるので私がいなければならない所を一番よく知って、
   私が一番幸福になり、満足を感じ得る場所に私を導かれる。

□ 統一勇士は生活意識(生活観)を捨てなさい。
   ぶち当たるのがすなわち私の生活であると思いなさい。

□ 神は個人が祭物となるよりは、全体が祭物となることを願われる。
   祭物になろうとすれば、全体的な生活、行動、理念統一が必要である。

□ 険しい道であればあるほど神が一番信じる人を送ってくださった。
   これが神の愛する人がたくさん犠牲になった理由である。

□ 世界のため蕩減を受ける者は、
   世界が受ける恵みと自分が受ける恵みを合わせたものを受けるようになる。

□ 祭物は平和的な立場において捧げるのではなく、常に第一線において捧げるのが原則である。

□ 物質をもって祭物を捧げることが旧約時代を蕩減するのであり、
   肉身をもって犠牲となることが新約時代を蕩減するのであり、
   心情をもって涙でみ旨を支えていくことが成約時代を蕩減するのである。


















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