霊界のメッセージ

霊界に関して、なじみのない方が多いと思いますので、霊界に関する文鮮明師の説明を一つ紹介しておきます。

文鮮明師は、空前絶後の霊通者でありますが、あまり詳しいところはお語りになられません。それは信じない人が多いからだと思われます。しかし、人間にとって、霊界について知ることは、極めて大切なことであるので、霊界におられる弟子の一人李相軒先生を通して、霊界の実相と霊界の聖賢からのメッセージを地上に送るように命じられ、私たちが、霊界の驚くべき内容をつぶさに知ることが出来るようにして下さいました。

ここに光言社と成和出版社から発行された単行本から、メッセージのいくつかを抜粋させていただき、紹介することをお許し下さい。

なお、李相軒先生は、韓国の儒学者の家系に生まれ、医者となられ、統一教会に入教されました。文鮮明先生のみ言を研究されて、勝共理論と統一思想を学問的に大系ずけられた偉大な学者であり、世界の著名な科学者達に知られています。この先生が、1997年3月23日に霊界に行かれ、霊界の実相と諸聖賢からのメッセージを地上のリポーター金英順女史を通して送って下さったのであります。

 皆さん、人生について一度考えてみてください。私たちは全員、母親の腹中で最初の生涯を送ります。胎児の状態で腹中で過ごす十か月間は、羊水に囲まれたままで過ごす水中生活です。

 話すことができず、思いどおりに動くことができないからといって、腹中の命は命ではないと言うことができるでしょうか? 厳然と天が下さった命を持って、次の段階である地上界での人生を準備する段階としての生を営むのです。

 鼻で息をしないからといって、生命力がないのではありません。腹中の胎児としての人間は、次の段階の人生である地上界での生涯は想像もできないでしょう。

 母親の腹中を抜け出した世界を、夢にも見ることができません。へその緒を通して、母体からすべての栄養素を供給されて生きる生活以外には、何も想像することができないのです。

 しかし、人間は、時になればだれでも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生を始めるようになっているのです。自分が願おうと願うまいと、宇宙の法則がそのように運行しているのです。

 想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が広がるのです。水中生活の一生が終わり、地上生活の一生が展開するのです。

 腹中生活の十か月が、地上生活の百年に変化して発展するのです。そして人間は、色とりどりの変化無双な人生を生きながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界を準備するための生活を送るようになるのです。

 腹中生活の期間中には、地上界の人生は想像もすることができなかったように、肉身を持って暮らす人間としては想像もできない永遠無窮な、また別の世界が私たちを待っています。

 限定された地上界においての百年の生が、時間と空間を超越した永遠の世界へと変貌するのです。

 腹中では、へその緒を通して母体から栄養を供給されて生き、地上生活の期間は、宇宙の水と空気、そして光の三大基本要素と栄養素を中心として生を営むのですが、いったん霊界に入っていけば、物質的栄養素はそれ以上必要とせずに、愛を呼吸しながら永生するのです。

 このように人間は、だれかれを問わず、水中生活十か月、地上生活百年、そして霊界においての永生、このように三段階の生涯を生きるようになっているのです。これは、私たちが選択したことではなく、天が私たちに下さった祝福であり恩賜です。これより大きな祝福と恩賜が、どこにあるでしょうか?

 したがって、霊界をよく知らなければならないという話は、霊界の実存だけを漠然と信じて生きるようにという意味ではなく、好むと好まざるとにかかわらず永遠に生きなければならない霊界における生のために、私たちが地上界でどのような準備をすべきなのかを知って、徹底して準備しなければならないということです。

 腹中で問題がある子供は、生まれても間違えば一生を病身で生きなければならないように、私たちが短い地上界の人生の中で、天のみ旨を正しく知らずに罪を犯したり悪を行えば、結局、因果応報の宇宙法則により、霊界に行ってその代価を払うようになるのです。霊界に入っていった霊人体が、言葉では言い表せない苦痛と蕩減を払わなければならないという意味です。

 いったん、肉身を脱げばもう遅いのです。肉身は、死ねば一握りの土に戻ってしまいますが、私たちの生命、私たちの心、私たちの心情、そして私たちの希望までも埋められてしまうのでしょうか? 絶対にそうではありません。

 私たちの百年の一生は、神様が設置しておいた「霊人体」というスーパーコンピューターに、間違いなく記録され、撮影されて、自動的に評価されるのです。

 それで、だれでも地上界で生を営む間、行く歩みを捕らえ、動く心と傾く心情を鼓舞して、「あなたはどこへ行くのか。」と、数えきれないほど自問自答してみるのです。このような問題を解決するために、生涯を苦悩して闘っていったかたたちが、聖人、賢哲たちであり、道主たちです。

「神の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」(2004年5月1日)より抜粋