イエスの生涯と再臨

イエスはなぜ十字架の道をゆかれたのか
そしていつどこにどのように再臨されるのか

はじめに

 映画「ベン・ハー」のラストシーンは、らい病に冒された母と妹を連れたベン・ハーがイエスに救いを求めにくる場面です。しかしイエスは十字架を背負い、ゴルゴダの丘を登るのでした。「これが結末なのか」とベン・ハーがつぶやくと、イエスの誕生の時に拝みにきた東方の博士らしい人物が、「これが初めから、神の予定なのだ」と言うのです。
 イエスが息をひきとられるや、稲妻がはしり、雨が降ってきて、その血は洗い流されました。すると母と妹のらい病が、一瞬にして癒されるという奇跡が起きるのです。愛は勝利して、ベン・ハーの積年の恨みは解けるという、感動的な幕切れでした。
 神の独り子イエスが、人間の罪の償いのために、十字架にかかられて血を流された、これがキリスト教の教えです。映画のラストシーンはそれを象徴するものだったのです。
 しかし本当に神は初めから、イエスを死なせるために地上に送られたのだろうか、という疑問はどうしても残るのです。ではどうして神は、イスラエル民族を選民として立て、ユダヤ教のラビ、先生としてイエスを送ったのでしょうか。彼らはなぜ、十字架につけてしまったのでしょうか。ユダヤ教ではイエスはメシヤではなく、彼らは今もメシヤの降臨を待ち望んでいるのです。
 イエスは復活して、ユダヤ教の根からキリスト教が誕生しました。さらにはマホメットを教祖とする、イスラム教が生まれました。いずれも旧約聖書を原典としながら、三つの宗教は互いに対立して、凄惨な戦争まで起こりました。
 またキリスト教も、多くの教派に分裂しています。同じ新約聖書を原典としながら、その教理はさまざまです。聖書は謎に満ちた書物、ということができるのです。
 キリスト教には終末思想があり、再臨思想があります。世の終わりがきて、イエス・キリストが再臨するというのです。彼は雲に乗って天から降りて来るのか、それとも人の子として地上に生まれるのか。教派によって考えが分かれるのです。あるいは十字架の死によって救いが完了しているなら、再臨する必要もないわけです。
 旧約、新約の聖書に、共通して登場するものがあります。サタンという存在です。エデンの園でエバを誘惑したへびが、サタンであることは間違いありません。「ヨブ記」にもサタンは登場します。サタンはヨブを試みて、ひどい目にあわせるのですが、ヨブは神への信仰を失わなかったので、神はヨブをとることができました。人間は神とサタンの中間にあって、どちらにも行く存在だということです。
 イエスが荒野で40日間の断食を終えた時、サタンが現れてイエスを試みます。イエスは勝利してサタンは去りますが、ルカは「一時イエスを離れた」と記しています。条件があれば再び現れるということです。十字架でイエスを殺すことは、サタンの勝利ではないでしょうか。しかしまた、イエスの復活は神の勝利です。勝敗の決着はついていません。すなわち、神が願う本然のエデンの園、地上天国はまだできていないということです。
 イエスは再臨しなければならないのです。ではどこに、いつ、どのようなかたちで再臨するのでしょうか。そのような観点から、イエスの生涯を回顧してみたいと思うのです。

  参考文献

 聖書(日本聖書協会)
 原理講論(光言社)
 文鮮明先生み言選集(成和社)
 聖地定州(武田吉郎著・光言社)
 イエスの福音とパウロの福音(野村健二著・光言社)
 霊界の実相と地上生活(光言社)
 人類の犯罪者ルーシェル(光言社)
 統一教会の正統性(大田朝久著・光言社)

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