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天聖経4-10


・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  ある家庭に息子・娘が多く、財物が豊かなら、福を受けた家庭だというでしょう。このように福を 受けて、天国に入ろうとすれば、個人が一人で行くのではなく、家庭的に入らなければなりません。 天の国には絶対に個人では入れません。先生が探ってみると、天国は今までキリスト教徒たちが信じ ている、そのような妄想的な所ではありませんでした。  本来、天国は家庭単位で行くようになっている所です。家庭が行くようになっているのです。家庭 が行くのです。お父さんとお母さんと息子・娘が共に行って、神様を中心として共に暮らすことので きる所が、理想的な世界なのです。ところで、お父さんは地獄に行き、お母さんは天国に行き、兄姉 は地獄に行き、弟妹は天国に行く、そのようになれば、自分は天国に行ったとしても、うれしいで しょうか。天国は家庭として行くのです。家庭が行くのです。(祝福家庭と理想天国I-九四八)  天国とは、人間が堕落しないでこの地上で神様の愛の懐において聖婚をして、神様が好まれる息 子・娘、神様が喜び得る孫たちを迎え、神様の愛を受けてその家庭がみんな一緒に入る所です。子供 が入ることができなくても、自分だけ入れば天国ですか。しかし、楽園はいくらむつまじい夫婦や父 母、子供でも、別れて入る所です。家庭とは何ら関係がありません。そのような所が天堂ですか。  父母に侍り、全家族すべてが入り、神様を中心として授け受けることのできるその世界が天国です。 息子が地獄で死ぬと騒いでいるのに、父母は天国で満足に生きればいいのですか。そのような所が天 国ですか。  統一教会でいう天国は、一人で入る天国ではなく、家族が一緒に入る天国です。神様の創造理想を 見るとき、男性と女性が別れて入る所が天国でしょうか。違います。二人で入る所が天国です。お父 さんが入ればお母さんも入り、父母が入れば子供も共に行く所が天国だというのです。お父さんとお 母さんが一緒に行ってこそ天国であり、お父さんは天国に行くのにお母さんが地獄に行けば、天国に なるでしょうか。(祝福家庭と理想天国I-九四九)  本来、創造原則による天国は、家庭を中心として入る所です。父母が入り、子供が入り、自分の一 家全体、一族が入ってこそ幸福なのであり、父母は地獄に行き、子供だけが天国に行くなら、それが 何の天国でしょうか。ですから、統一教会がこれから天国に行くことのできる道を立てるためには、 家庭的な基準を立てなければなりません。そうでなくては、天国に行くことはできません。家庭を中 心として、サタンが讒訴できる基準から脱しなければなりません。歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴 基準から脱しなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-九五〇)  本来神様は、夫が天国に入り、妻が地獄に入るように創造なさったのではありません。創造当時の 理想の主人公たち、すなわち、父母と息子と娘が、氏族を成し、民族を成し、国を成そうというもの でした。それでこそ、いいのではないでしょうか。ところが、人間が堕落したために地獄が生じたの です。(祝福家庭と理想天国I-九四九) ◆六 愛する人が死ぬとなぜ悲しいのか  愛する人が死ぬと、なぜ悲しいのでしょうか。愛する人が死ぬと、それを即時に感じますが、それ はこの宇宙に満ちている超人的な力の作用によってです。人は自分にこの力が入ってくれば入ってく るほど、神様との縦的関係を中心として、宇宙的な力を感じるようになるのです。ところで、愛する 人が死ぬと、その力が自分から離れるようになります。そして、離れた結果を即時に感じるようにな るのです。  これは悲痛なことです。自分が完全な合格品にならなければならないのに、それによって不合格品 として決められるのです。私たちの人生は、完成を追求します。ところが、それと反対の不合格の要 素をもつときは、そこに比例する要件を宇宙の力が追い出すのです。そうなれば、それが苦痛として 現れるのです。皆さんはこれをはっきりと知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-九〇 一)  愛する父母を失ってしまえば、言葉にできない悲痛さを感じてこそ孝子です。父母も子供を失って しまえば、悲痛さを感じます。夫婦同士も、同様です。私たちの後孫たちも、同様です。これは千年 万年変わらないのです。  皆さんの夫や妻が死ぬと悲しいでしょう。なぜなら、宇宙の原則は父母と夫婦と子女・・。三段階 が一つとなって、神様を中心として四位基台を形成するようになっています。この宇宙の原則によっ て、不合格者は合格圏内から追放されるので、苦痛と悲しみを感じるようになるのです。 67
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  皆さん、妻が死ねば、夫がなぜ涙を流すのでしょうか。第三目的である、息子・娘を得ることので きる道がふさがれたからです。それを成すことができなければ、倒れるしかありません。死ぬしかあ りません。ですから、泣くしかないのです。電気を見れば、陽(十)電気と陰こ)電気がありますが、 この二つのうち一つがなくなれば、残りのものも何の作用もできないのです。人が行く道もそれと同 様です。(祝福家庭と理想天国I-九〇三)  自分の息子・娘がいなければ、不幸を感じるのです。「息子・娘がいなければ、夫婦だけで仲良く 過ごせばいいだろう」と考えるかもしれませんが、そうではありません。天理法度が四位基台原則に なっているために、男性と女性が出会って一つとなったなら、必ず息子・娘を生んで、四基位台を成 さなければなりません。これが宇宙の公法です。四位基台を成すことができなければ、合格できない のです。  また、息子だけいてもいけません。息子だけいれば、息子に対する愛の味は分かりますが、娘に対 する愛の味は分からないからです。皆さん、蜜の味がどうだと、誰かが説明して分かりますか。それ は、説明だけではだめなのです。説明する前に、直接口を開けて食べさせてあげてから、これが蜜の 味だと教えてあげなければならないのです。  それでは、息子がいなければなぜ寂しく不幸だというのでしょうか。娘だけをもった人は、息子を もった人を見れば、この世でそれ以上望むものはないといいます。西洋の人々は、そのような面で少 し鈍いです。彼らは個人主義思想を強調して、そのような感情はすべて失ってしまったのです。失っ てしまったために、再び探さなければなりません。ですから、今それを再び探すために、東洋思想に 帰ってくるようになるのです。  ですから、夫がいて、妻がいて、息子・娘がいる家庭にならなければならないというのです。そう して、彼らが完全に一つとなって、初めから目的地点まで天運と歩調を合わせていけば、この家庭は 永生するのであって、一人では永生できないのです。たとえ永生するとしても、永遠の世界で苦労と いうふろしきを包んで、行き来するようになります。幸福という要件を受けることができません。 (祝福家庭と理想天国I-九〇四) ◆七 家庭を通して人間が行くべき天道  人間は自分の父母を愛するかのように隣り村の父母を愛し、自分のおじいさんを愛するかのように 隣り村のおじいさんを愛さなければならないし、自分の息子・娘を愛するかのように隣り村の息子・ 娘を愛さなければなりません。そうすれば上下関係が広がり、左右が広がり、前後関係が広がるので す。それが繰り広げられ、この縦的な心情の基準が築かれ、天道が生じるのです。ですから、それを 実践しようというのです。私たち統一教会はそれを実践するために理想的な家庭を建設するのです。 そのようになるのです。教会という所は、その縦的な基盤を横的に四方化させることができる所です。 その数が多くなるほどいいのです。  なぜ多いといいのですか。家庭時代から氏族圏を越えて、氏族圏から民族圏を越えていくからです。 それゆえ、伝道をたくさんするほど天的な基盤が自分を通して繰り広げられるので、神様の前に人格 的価値基準が前進するのです。それで、私たちは、この縦的中心で何をしなければなりませんか。こ れを横的に再現させようというのです。(七〇-一五二)  お父さんとお母さんが一つとなる日には、その家庭は発展し、子供と父母が一つとなる日には、よ り次元の高い家庭に発展することを知らなければなりません。それでは、家庭と親戚間において一つ となる日には、どのようになるでしょうか。そこには新しい民族の正気が起こるでしょう。それがよ り高い次元に向かっていこうというときには、環境的に全部結束し、国家基準まで忠臣の血族として 残されるようになるということを忘れてはなりません。(祝福家庭と理想天国I-九二一)  もう先生は、遠からずおじいさんになります。皆さんも年を取ると、おばあさんやおじいさんにな ります。同じです。息子・娘に生まれ、結婚してお母さんやお父さんになり、おばあさんやおじいさ んになっていくのが一生です。それゆえ、おばあさんやおじいさん、次にお母さんやお父さん、その 次に自分たち夫婦、その次に息子・娘、これが人生の公式的路程なのに、それを愛さなければ天道に はずれるのです。これを根本的にまとめておかなければ世界を収拾する道がありません。  西洋のような所を見ると、おばあさんやおじいさんがかわいそうです。彼らは東洋の風習がどれだ けうらやましいか分かりません。「ああ! 東洋思想は、おばあさんやおじいさんたちに神様のよう に作り、七十、八十歳の老人のすべての世話を息子がするのだから、それがどれだけいいだろうか」 68
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 そう思っているのです。  それゆえ、おばあさんやおじいさんを愛することが分からない人は、神様を愛することができない のです。一番、年を取ったおじいさんは誰でしょうか。そのお方は神様だというのです。おじいさん よりも、お年寄りの方が神様であり、子供よりも若い方が神様なので、すべての人を愛さなければ神 様を愛することができないのです。  それゆえ神様が年を取っておられるとすれば、一番、年を取っておられる方ですし、未来に対する 青春ならば、誰よりも青春です。その方を私が愛するために、その中にいるどんな人類も私が愛さな ければならないし、歴史の時代に霊界に行った方たちも、その圏内で今、希望を求めて生きようとし ているので、その方たちまでも愛すべきであり、神様に従って愛することのできる道を求めていくと いうのが理論的です。(七〇-一五二) ◆八 統一教会は家庭天国を築こうとするもの  私が今、教会をつくらないのは、すべて考えがあってのことです。教会にたくさんの人が必要なの ではないからです。天国は教会から成されるのではなく、家庭から始まるのです。家庭、すなわち新 郎・新婦から始まるのです。女性は男性に巡り会うために生まれ、男性は女性に巡り会うために生ま れました。  赤ん坊が眠りから覚め、初めて目を開けながら呼ぶのが、「お母さん」です。赤ん坊がお母さんを 呼ぶ以上に、夫は妻を呼ばなければなりません。このように呼んでみなかった人は、かわいそうな人 です。また、妻も夫以上にそう呼ばなければなりません。互いがそうできる夫婦として対さなければ ならないのです。  琴瑟之楽(=夫婦仲がとてもよいこと)の夫婦として、互いにそのように呼び合いながら暮らさな ければならないというのです。そのように千年万年暮らせば、老いても青春がうらやましくないとい うのです。(祝福家庭と理想天国I-九四四)  男性と女性はみ言の時代を経て、実体の時代を経たのちに初めて、相逢うひと日が成されるのです。 そして、相逢うひと日が成されたのちに初めて、天国生活をすることができるのです。相逢うひと日 には、彼の心が「私」の心であり、彼の心情が「私」の心情であり、彼の姿が「私」の姿であり、彼 の困難が「私」の困難であり、彼の傷が「私」の傷として感じられ得る境地にまで入らなければなり ません。  そのような境地に入って、彼の心情も「私」の心情となってこそ、天国家庭が成されるのです。こ れがこの地上で完結されてこそ、天国家庭が生まれるのです。  真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は互いが犠牲になる伝統を備え なければ、長くは持続できず、壊れる定めです。父母が子供のために犠牲になるがゆえに、父母が子 供を愛する因縁は壊れないのです。そして、真なる父母の愛を受けて育った息子・娘なら、自分の父 母に絶対に不孝をすることができないのです。  また、夫は妻に、妻は夫に対して「あなたは私のために生きた」という立場で、互いが与え合い、 一層犠牲になる立場が広がるようになるとき、その家庭には福が訪ねてくるのです。そのような家庭 が、神様が訪ねてこられる福地なのです。  天国生活はどこから始まるでしょうか。家庭からです。ほかの所から始まるのではありません。天 国は家庭を立体的に拡大させただけであり、家庭圏を外れたものではないのです。それゆえ、皆さん が自分の妻や夫を抱くときに、これは世界の男性と女性が一つとなるのだという考えをもたなければ なりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることのできる場が、まさにこの家庭で す。  今、先生は家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければな らないということを感じています。わが統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を主とするのです。 これからは、わが統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりませ ん。報告の内容は、その家庭が誇ることのできるものでなければなりません。  ですから、家庭全体が来て、礼拝を捧げなければならないのです。そうしながら、立派な家庭を見 ては倣い、劣った家庭を見たならば、うまくいくように導いてあげなければならないのです。そうし 69
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 て、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先に成せなければ、地上天国は成されないとい うことを、はっきりと知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-九四五) 第十二章 真の家庭を求めて ◆一 自己のために生じたものは一つもない  どこに個人主義がありますか。自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が 父母の愛によって母親のおなかの中で、卵子から育って生まれるとき、九九・九九九パーセントは母 親の骨と血と肉です。そして○・○○一パーセントの一つの父親の精子が合わさって生まれるのです。 そこには自己という概念はあり得ません。  誰でも生まれるとき、自分自身だけという概念はなかったのです。いかに立派な人であっても、自 分一人で立派に生まれついたといえる人は一人もいません。骨や血や肉もすべて母親のおなかの中で 譲り受けたものです。この体の重要な部分は、母親の体の延長という事実を認めなければなりません。 私たちの体のあらゆる要素は、卵子と精子に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個 人主義というものが存在する根拠がないのです。  上という言葉が成り立つときは、下を認めたうえでいう言葉です。上ということだけで、個人主義 が成り立つでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。右というのは、左というものをあらか じめ前提としたうえでいう言葉です。前後について見ても、前というのは後ろを前もって認定してい う言葉です。男性という言葉も、男性一人を念頭に置いていう言葉ではありません。女性を前提条件 にしていう言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。  男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性たちは自分一人で生きていけるので、そのようなことに関 心がないなどとよく言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必 要ありません。絶対的に必要ないのです。結局、自分のために生まれたものは、一つもないのです。  私たちの五官を見てください。自分の目が、自分の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、 口、手もすべて相対のために生まれました。五宮を総動員して、集中させることのできるその力が何 かといえば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。自分 のために生まれたものは一つもありません。  反面、人のものを自分のものにする人を泥棒といいます。人のものを持ってきて、自分のものとし て使う人は泥棒ではないでしょうか。ですから女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に 使う人は泥棒なのです。  男性と女性は、何が互いに異なるのでしょうか。生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生 殖器は、誰にとって絶対に必要なのでしょうか。男性の生殖器は、女性のためにあるのです。人間の 生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになったのでしょうか。二つとも、とがら せるとか、二つとも平べったくすることができるのに、なぜそのように異なって生まれたのでしょう か。すべて、相対のためです。  男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは、男性が絶対に願います。女性のものは、絶対に 男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領 することによって、愛を完全に知るのです。  二つが一つになるような経験を通してのみ、最高の高い境地の愛を知ることができるのです。どこ の誰であれ、このような事実を絶対に否定することはできません。誰でもみな、認定しなければなら ないのです。二つが完全に一つになるその場で、理想的な夫婦が生まれます。まさに、その場に絶対 愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。(祝福家 庭と理想天国I-六二) ◆二 神様が臨在できる至聖所  神様の属性とは何ですか。神様は絶対的であり、唯一であられる方であり、永遠不変な方です。で 70
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 は愛の主人は誰でしょか。男性でもなく女性でもありません。そのお方が、まさに神様であります。 愛を中心として愛を通してのみ、神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様でも人間でも愛が 絶対に必要だからです。  神様が必要とする愛はどのような愛でしょうか。神様は絶対的な愛を願われます。皆さんはどうで すか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とされるように、 私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。みな、神様に似なければならないの です。  神様の至聖所はどこでしょうか。愛が宿る堕落以前の男女の性です。ここが天の至聖所です。愛と は何でしょうか。愛とは神様が臨在できる至聖所です。愛を通して、堕落した世の中をきれいに掃除 しなければなりません。堕落とは、人間が思春期を正しく送らなければならないのにその時期を正し く過ごせず、脱線したことを意味するということを既に明らかにしました。  人間始祖エバがまず天使長と霊的に不倫の関係を結ぶことによって堕落し、それからエバがアダム と肉的な関係を結んで肉的に堕落したのです。それゆえ、彼らの罪の血統が後世の人間たちにまで遺 伝してきているのです。  サタンの痕跡が残っている所には、神様が絶対に臨在され得ないという事実を知らなければなりま せん。人間が神様の愛を受けるためには、死んでも再び生きなければなりません。人間社会でも、二 度目に結婚した時、前の夫が忘れられない妻を、新しい夫が好きになれるはずがないではないですか。 それゆえに神様も蕩減復帰を通して人間たちが罪を清算するようにさせながら、救援摂理をしてこら れたのです。  愛の色はどんな色だと思いますか。夜には黒く、昼には白く、夕方ごろならば黄色だと思いますか。 愛の色はどんな色だと思いますか。愛の中心の色には、平和と統一そして人類の平等思想を成就でき る力があります。ですから愛の至聖所にむやみに入っていこうとすれば焼け死んでしまうのです。統 一教会の愛の理念は素晴らしいと思いませんか。  今日の米国社会における愛の色は、一言で言えばおぞましい死の色です。男女間の愛を通して永遠 なる創造理想の世界を築くのではなく、死のどん底に落ちています。祝福を受けるまで、男女は愛の 至聖所を清潔に守らなければならないし、一度愛すれば守り続けていかなければならないのに、米国 人たちは愛の至聖所を侵犯する悪党たちであり、悪女たちなのです。  結婚を祝福として受け入れない米国の男女は、愛の目が遠くて、前を見ることができない患者たち ばかりです。米国社会がこのまま行けば、明日に対する希望もなく絶望が満ちているばかりです。結 局は神様の審判によってではなく、人間性を失った人間たちによって自滅してしまうのが、火を見る よりも明らかなのです。(祝福家庭と理想天国I-三四七)  統一教会は六千年間秘められてきた愛の摂理を知って、神様の愛を中心にして創造理想の完成を成 すために、祝福の足場を広げてきたのです。祝福を通して愛の至聖所をつくってきたのです。ここか ら生命が新しく生まれ出ることを知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-三四六) ◆三 男性の主人は女性であり、女性の主人は男性  主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キ スすることによってでしょうか。愛は概念であって実在ではありません。愛が定着することのできる 実在は何でしょうか。男性が男性になり、女性が女性になるようにするものが何であるかを知らな かったというのです。それがまさしく生殖器です。  それを卑しく思う人かいますか。貴く思うとすれば、どのくらい貴く思うでしょうか。今までは、 それが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。  未来の世界はどのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるなら、その世界が 善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談で いっているのではありません。神様が人間を創造なさる時、最も重要視して、精魂を込めてお造りに なった所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか、心臓ですか。そうでなければ頭脳でしょうか。 これらは全部、死んでなくなってしまうのです。実際、そうではないでしょうか。  「世界平和統一家庭連合」の目的とは何でしょうか。道徳と宗教、すべての分野を完全に超越し、 71
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 生殖器が一つとなって、神様までも拍手で歓迎することのできる人が暮らす世界があるなら、どのよ うな世の中になるでしょうか。男性と女性として生まれるのですが、彼らの生殖器の主人は誰なので しょうか。  夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられてい ることを知りませんでした。これは明快な真理です。これを否定できないというのです。千年、万年、 歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちは、それが自分のものだと考え、 またあらゆる女性たちも、それが自分たちの所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあ るのです。互いが主人を間違えているという話です。  すべての人々は、愛は絶対的であり、永遠なるものだといいながら、夢のようなものだけ考えてい ますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っているということをはっきりと知るなら、世の中がこれ ほどまでにはならなかったはずです。  博士や学者は数多くいますが、これ一つ考え抜いた人かいないのです。さあ、皆さんはこの真理を 否定できますか。皆さんの父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖たるお方と、さらには宇宙の 根本であられる神様に尋ねても、すべてこれに同意するようになっているのです。これが鉄則です。  この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理・原則として残る鉄則です。そして、神様の前に出てい けば、この鉄則によって、正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然です。アダムと エバの堕落を知ってみれば、まさにこの鉄則に背いたところに由来しているのです。  アダムとエバは、自分たちの生殖器が自分たちの所有だと錯覚したのです。問題を誤って、宇宙の どこからも公認を受けられなくなったので、追放されてしまったのです。  鉱物界や植物界や動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管しているという ことを、アダムとエバが知らなかったのです。  では、生殖器は何のために存在するのでしょうか。それは愛のためです。愛を探すためにそのよう に男性と女性として生まれたというのです。  すべての男女が自分たちに所属した生殖器が、実は、自分のものではなく、主人が自分の相対だと いうことを認定するようになれば、私たちすべては頭を下げ、謙虚な姿勢で愛を受け入れるようにな ることでしょう。  愛は相対なしには来ないのです。相対から来るということを知らなければなりません。ために生き ないところには、愛があり得ないのです。絶対に為に生きるところで、絶対愛を見いだせるというこ とを肝に銘じてください。(祝福家庭と理想天国I-五三) ◆四 愛には発展も革命もない  愛には発展もなく、どんな革命もあり得ません。愛は原型そのままで完全なものであり、不変で永 遠で絶対的なものです。  愛は発展もなく革命もないのです。愛が永遠で完全なことは、永久不変の真理です。ところで愛が 発展すると考えて試験してみようと思えば、それは間違った考えです。愛を生活の手段として考える 米国は、そのような意味から滅亡するしかないのです。  神様はそのような米国の未来を祝福してくださるはずがなく、米国自らが滅びなければ先生が愛の 爆弾を爆発させてでも滅ぼすのです。はっきりしていることは、愛が生活の一つの方便や手段に利用 されては絶対にだめだということです。(祝福家庭と理想天国I-三五一)  夫は妻に対して、初めて愛した姿から、どんな革命や発展も望みません。それは女性が夫に対して 願う望みでもあるのです。初めて愛を出発させたその純粋な姿を保つよう願うのは、夫や妻、みんな の願いであることをはっきりと知らなければなりません。純粋な愛に、ある色が加味されることを願 わなければ、革命を必要としないのです。純粋な愛、それ自体が永遠に保存されるのを願うというこ とを知ってください。  愛する人の間になぜ離婚という問題が生じるのでしょうか。離婚した人や、離婚をしようとする人 たちすべてが、最初は生死をかけた愛の関係だったことを考えてみると、何かが間違っているのです。 72
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 離婚をするようになった理由はいろいろありますが、結局何かが変わってしまい、二人の間が変化し たことを意味するのです。彼らは愛を守り、育てることができなかったので、そのようになったので す。愛それ自体は変わりませんが、人の心は変わるのです。(祝福家庭と理想天国I-三五二)  ある男女が夫婦となれば、「お前と私」の間に不変的な統一をどのようにして築くかが重要です。 そのように一つになった立場で幸福をうたうようになるとき、それは永遠なる幸福といえるのです。 理想的な愛情も、やはり変化しない主体的な何かをもっている所にだけ、そのような基準が設定され るのです。  結婚するときはその男性が美男子だといって愛していたのに、一週間過ぎたのちに事故が起こり、 体が不自由になった場合、離婚しようとなっては真の愛とはいえません。偽物の愛です。 今日、先進国家の白人たちは世界を主導して動かす高い地位にあり、黒人たちは大部分が被支配者と して低い地位にあります。しかし父母が子供を愛する場合は、その濃度において白人と黒人の差はな いのです。誰かが誰かの支配を受けることはないのです。またそれは、永遠に変わることがありませ ん。  父母が子供を愛する心、妻が夫を愛する心、夫が妻を愛する心、真に愛し合う人たち同士の愛する 心は、歴史がいくら変動し、発展し、革命の過程を経ていったとしても変わり得ないのです。(祝福 家庭と理想天国I-三五一) ◆五 女性は貞節、男性は志操  皆さんは今、思いのままに愛することができるようになっていますか、なっていませんか。道で男 性からふいに声をかけられて、ついて行くようになっていますか、なっていませんか。(ついて行き ません)。皆さんは、ついて行くようになっているでしょう。そのような素質をもっていてはいけま せん。  皆さんは時が来るまで、自分の体をよく守らなければなりません。純情を化け物のような男性にゆ だねてはいけません。街頭で威張りちらして、ぶらぶらして役に立たずにいる男性たちは、全部化け 物たちです。自分の運命をそのような男性にゆだねますか。これは簡単な問題ではありません。一生 に一度しかないので、一歩踏み違えた場合には自分の人生が狂ってくるのです。そうでしょう。これ は男性にもいえるのです。  それゆえに、今までは女性に貞操を守りなさいといいましたが、これからは男性も貞節を守らなけ ればなりません。そうしてこそ復帰されるのではないでしょうか。いくら世の中が悪く、いくら世の 中がせち辛くても、皆さんは行くべき正道からはずれる行動をしてはなりません。  青春時代に純情を失ってしまったアダムとエバの恨みを踏み越えて蕩減できる貴い時期である思春 期に、純情を汚してはならないのです。その純情をきれいに貴く保存して「千年、万年一人で行って も、愛が蹂躙されることは絶対にあってはならない」という志操と決意をもたなければならないので す。  ある男性たちは自分の妻がいてもきれいな女性を見れば、自分の妻だったらいいのにと思うのです。 このように二つの心をもった男性を指して、泥棒の心をもった人と言います。二つの心から始まった ものがサタンなので、二つの心をもった男性を指して、サタンだといっても間違いありません。その ような人々がいるならば、その人はサタンにほかなりません。(祝福家庭と理想天国I-三四九)  男性も貞節を守らなければならない時が来ています。男性が貞節を守ることができなければ、その 一門がみ旨の前に重罪を犯すようになるのです。大臣だといっても、浮気をしてもいいようになって はいないのです。男性が間違えれば、その一門は滅びるのです。そのような時が来ています。統一思 想を知るようになれば、そのようなことはできません。  これからは、男性も貞節を守らなければならない時代です。男性も貞節を守って歴史的な純潔の伝 統を残さなければなりません。イエス様の血と肉を食べる儀式は、イエス様の純潔なる血と肉の伝統 を立てるためのものです。  女性は貞節、男性は志操(意志)という言葉があります。この言葉はどういう言葉かといえば、み 旨(愛)を成就するための貞節であり、目的を果たすための志操なのです。ですから女性は貞節とい うからには、一つの愛のほかは知らないでこそ成され、男性は志操というからには、一つの目的だけ のために精進してこそ成されるのです。 73
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  アダムとエバを中心にして見るとき、自分が行く道を知り、志操と貞節を守らなければならなかっ たのに、守ることができなかったので堕落したのです。男性は神様の愛を中心として女性を愛すると きに、「完全に愛した。初めから終わりまで永遠に変わらず愛した」と言うことのできる立場に立た なければなりません。また女性はそのような立場に立つために、自分の身を固く封じなければなりま せん。  数多くの花びらが幾重にも重なり合っている芍薬の花のように、固く埋めておかなければなりませ ん。そして春という天地の調和に合わせ、そこに和合して新しい人生を出発しなければなりません。 これを正しくしなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-三五〇) ◆六 堕落はフリーセックスの根であり個人主義の祖先  神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されました が、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくださるで しょうか、させてくださらないでしょうか。問題は彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が変わっ たのです。  それゆえ、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと、 神様の婦人格に立つべきエバが堕落することによって、神様ご自身の体と理想を病気にかからせ、怨 讐になったので、それをご覧になった神様のご心情がどれほど大変だったでしょうか。堕落は自らを 埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根に なり、個人主義の先祖になりました。  今日、アメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、分に過ぎる私生活の追求、フリーセック ス、このようなことを神様が好まれると思いますか。  極度の個人主義を追求すればどうなるでしょうか。彼らの言うとおりにすれば、天と地、世界、国 家、社会、家庭そのうえ、おじいさんやおばあさんまでも、すべてを放り投げてしまい、父母と兄弟 までも失ったまま、ジプシーやヒッピーになって好きなようにさすらいながら雨が降り、雪が降れば、 行く所がないので、自殺して一生を終えようという話ではありませんか。  しかし、人間の本心は極度の個人主義やあきれるほどの私生活の保障を願っていません。宇宙と国 家、町と村、そして父母の愛を受けながら暮らしたいのが私たちの本心の願いなのです。しかし、そ うできない反対の道を行くので良心に火がついて本心との葛藤を感じるようになり、簡単に薬を飲ん で自殺することがよいと判断し、自ら首を締める現象がだんだんと増えつつあるのです。「蒔いたと おりに刈り入れる」という真理がとてもよく合うのを目撃するのです。  アダムとエバがエデンの園にどのような種を蒔いたでしょうか。フリーセックスの種、すなわち、 節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。そうしたために、彼らは下半身を覆っ たのです。幼子たちも父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば手や口を隠すの が本性の作用ではないでしょうか。  もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を 覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することができませ ん。  では、どこで天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。まさに 皆さんの生殖器です! 深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。この事実を誰が否定で きますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に、説明がなされています。疑問に思う ならば神様に尋ねてごらんなさい。  皆さんとしては夢にも想像できない内容と理論をもって、体系立てておいたレバレンド・ムーンの 原理の本に、誰も反対することはできないのです。生殖器を目がつぶれた盲人のように、方向を失っ たまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国の高い 所に行くのです。これは明白な結論です。(祝福家庭と理想天国I-四九)  ですから、絶対純潔(絶対性)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを 中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックス を刺激することが多くありました。ですから、今から私たちはみな、政治家や経済人、文人、作家と 74
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 言論人たちと一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックス は、完全になくならなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-六三) ◆七 絶対純潔と真の家庭運動を通した平和世界実現  今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰のもとで淫乱 によって堕落して、フリーセックスの種を蒔いたので、取り入れの時期である終わりの日には、必ず 世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。  終わりの日に神様はサタンが何を願うかをご存じなのです。サタンはフリーセックスを通して、た だの一人も神様の前に帰ることができないように、言い換えれば、全人類を完全にだめにしてしまい 地上地獄をつくろうとするのです。  今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。した がって、このように地上地獄になったこの世界と一八○度異なる、正反対の道を求めていけば、天国 に行く道があるのです。再臨主が来られて、この世の中を救ってくださるのも、まさにこのような一 八○度反対の道を教えてくれて、天国に導くということなのです。  それでは、フリーセックスの道と一八○度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽り の父母が現れて、つくっておいた道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った 道を正してあげなければならないのです。神様はそれに干渉なさることはできません。この地の主権 や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。  偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して 人類は救われる道がないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければならないのです。間違った 結婚で家庭を築いて、血統が一八○度ねじれてしまったので、真の父母が来られて、結婚させてあげ、 一八○度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるので す。  人間の堕落が愛によって起こったので、人類は真の愛を失ってしまいました。それゆえ、この真の 愛をどのようにして取り戻すのかという問題が提起されます。真の愛を失ってしまったというのは、 淫乱によって堕落したという意味です。  すなわち、生殖器を中心として過ったので、これを取り戻そうとすれば、その反対に正しく使わな ければならないのです。そのように過った愛がエデンの園でなされ、終わりの日にその結果として現 れる現象が青少年問題です。それで性の混乱時代が来るのです。  それを清算するためには、絶対純潔でなければだめなのです。このセックスの概念だけが、家庭崩 壊を廃止し、青少年の倫落を防ぐことができるのです。  神様がアダムとエバに期待したものとは何だったのでしょうか。絶対純潔愛を期待したのです。絶 対純潔愛が存在する所には絶対純潔夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レ ズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔愛を探す運動を世界的に広げる ためにレバレンド・ムーンは一生を捧げて、受難の道を克服してきましたし、今は勝利のファン ファーレを響かせ、世界に号令をかけ得る時が来たので、天の前に感謝をするのです。  世界平和に向かっていくことのできる礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊し得るの も家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊された所がアダム家庭でした。したがって、きょう、こ のように世界平和家庭連合を創設し、皆さんの家庭も、今からはサタン世界と一八○度異なる方向に 行くことのできる道を開くようになったことを、天の前に感謝せざるを得ません。この道でなくては、 自由も幸福も理想もありません。  皆さんは今、絶対純潔、唯二不変、永遠の生殖器を中心として、これを基盤にして、神様を求めて いかれるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、真の良心 の基盤にならなければならず、ここから真の家庭が、真の国家が、真の世界に連結することによって、 平和世界、理想世界が形成されるでしょう。  どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてくだ さい。そうすれば絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることがで きるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠の基準に立って、生きていかなくては 75
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。(祝福家庭と理想天国I-五 一) 76




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