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天聖経4-4




・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  大統領といえば蘇生、長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用を して分かれます。分かれてここで統合され花が咲き実を結ぶのです。ですから学校も国のための貴重 な棟梁、人材を養成し国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強とは何でしょう か。訓練です。ですから学校は訓練場所、実験場です。訓練は実戦ではなく準備段階です。準備を 誤ってはなりません。  家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場所です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。です から情をもって兄弟のように学校で生きなければならないし、情をもって国でも兄弟のように生きな ければならないのです。父母のこのような教育は学校のための教育であり、社会のための教育であり、 国のための教育になるのです。  父母は情緒的なすべてのことを子供たちに伝授してあげなければならないのです。父母が生きたの と同じように家庭ではこのように生きなければならないし、社会ではこのように生きなければならな いし、国のためにはこのように生きなければならないという情緒的なパターンを築いてあげなければ ならないのです。(一八〇-一三〇)  皆さんが家庭のことを見るとき、家がよく、その周りの環境がいいからといっていいのではありま せん。反対にいくら環境が悪く、家がみすぼらしくてもそれを安息所として、そこに自分の事情と生 涯と生活のすべての基準を因縁づけようとする家庭がいい家庭なのです。そこには親と子の間に、互 いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になる ので私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。(二九-一七) ◆七 人間の永遠の本郷は家庭  家庭、家庭はいいところです。どうしていいのでしょうか。お母さんとお父さんがいるからいいと ころであり、お姉さんとお兄さんがいるからいいところであり、弟妹がいるからいいところであり、 親戚がいるからいいところなのです。ですから人間なら誰でも本郷の地、故郷を懐しがる郷愁の心情 をもっているのです。国よりも故郷にもっと想いを馳せます。大韓民国で暮らしながらも懐しがると ころが故郷です。大韓民国が好きで大韓民国に住みたく思いながら、また大韓民国で暮らしながらも 懐かしいところはどこでしょうか。故郷です。故郷。故郷なのです。  故郷はどのようなところでしょうか。私の心情を四方に、立体的に全部引き上げるところです。そ の心情とは何でしょうか。愛で結びつけるものです。上には父母が結びつけられ、左右には夫婦の因 縁が結びつけられ、下には子女、親戚が立体的な愛で堅く結びつけられているところが本郷です。人 は愛を中心とした幸福の基点を最高に望むので本郷を慕わざるをえないのです。  では神様の本郷はどこなのでしょうか。この地球星において神様の本郷の地はどこなのでしょうか。 これは考えなければならない問題です。愛の神様ならこの地上で生きていける基点を必ず準備された はずですがその基点はどこでしょうか。それを知るためには神様がその基点を準備するためにどのよ うにしてこられたのかを知らなければなりません。  神様の家庭を準備することのできる本郷の基点になりうるところはどこなのでしょうか。他のとこ ろではありません。神様を本当の父だと思う息子がいるところです。すなわち、神様の愛を独占する ことのできる息子、ひとり子がいるところです。またそのような娘がいるところです。そうしてその 息子・娘が結婚して完全な家庭を築くところです。(二三-一五一)  ではその本郷の地には誰がいなければなりませんか。見たい人たちがいなければなりません。父母 がいなければならないし、兄弟がいなければなりません。また会いたい方がいなければなりません。 またそこにはいっしょに住みたいしいっしょに住みたいのに一瞬会うだけでいいでしょうか。ちょっ とだけ会って済むでしょうか。彼らに会って彼らと共に住むにおいては永遠に永遠にいっしょに住ん でも嫌になってはいけません。そのようなところを探していかなければなりません。そこが今日、宗 教で目指す天国なのです。(二三-八一)  今日私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にはどこの誰よりも近い父母がいるし、兄弟がおり、 親戚がいていつも私を導いてくれ、また私がいついかなる時に訪ねていっても私を昔のように迎えて くれ、私に困難なことがあればその大変な事情に同情し慰労してくれ私を喜んで迎えてくれるからで す。もしそれがなければ本郷が懐かしく好きで訪ねていっても切実に慕っていた当時の心情はなくな りかえって嘆息の条件をもって帰ることになることを知らなければなりません。本郷の地には必ず迎 えてくれる人がいなければなりません。(二三-八〇) 19
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 ◆八 家庭は天宙主義を完結させる最終基準  すべてのものは一つから多くのものに分かれて結局一つの大きなものに統合されます。すなわち一 つからいくつかに分かれてから一つに統合されるのです。ここでまた分かれてより大きなものになる のです。そこには家庭がありますが形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦を成したところであ り、その夫婦を一つにするところです。氏族は家庭を一つにするところであり、民族は氏族を一つに するところです。民族が集まって一つの国家の前に全部入ります。ここにおいてはどこまでも家庭が 中心になります。この家庭を展開させれば横的な世界になるのです。ですからどのような社会であっ たとしても家庭を除くことはできないのです。  家庭を復帰することができなければ世界を復帰することができません。その次にはその家庭を中心 として天宙主義を成就しなければなりません。天宙は天と地を総合したものです。天と地は人間にお いて心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。一つの主体があれば一つの 相対が必要なように一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つになるのが家庭で す。この一つの家庭を中心にしなければ神様の愛の基盤が定まりません。  天宙主義というのは心と体を合わせたのち、神様の愛の本体となる家庭を築いてその理念を霊界と 肉界に連結させる主義です。天宙の宙という字は家を意味する字です。家を表す宙です。ですから天 宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとど のような関係があるのでしょうか。私たちは家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれなければ天 宙主義とは関係がないのです。家庭が天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌 を歌うことができず幸福をたたえられない人はこの地上でも霊界に行っても不幸な人になるのです。 (二六-一八九)  天国はどこから成されるのでしょうか。私たちの家庭から成されます。では私たちは何主義でしょ うか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は天の字に家を意味する宙の字、すなわち天の家主 義だというのです。このようになってこそ天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十 六巻はすべて理想的な家庭を願ったみ言です。  また万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻をみな迎えることです。また女性として生まれて 最も願うことは理想的な夫に出会うことです。女がいくら学士博士になって世界に大言壮語するとし てもその願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会って恵まれ た子女を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は他のところにあるのではありません。 出発も家庭であり、結論も家庭です。(二六-一〇三)  では天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は父母の主 義です。これはわが家の主義であり、わが国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しな かったならば世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるのです。そのアダム主義がまさ に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の他の主義はありえないのです。ですから 統一教会は心情的な問題をこの本然の理想的な家庭の範囲の中で真の父母という理念を中心として天 主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り統 一教会は滅びません。(祝福家庭と理想天国I-五〇二) 第四章 愛を中心とした人生行路 ◆一 人間はなぜ生まれたのか  生命が先か、愛が先かというとき、互いに先だということができますが、果たしてどちらが先で しょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在起源に先立って愛の流通がなくては、存在価値が出てく ることができません。(祝福家庭と理想天国I-一〇六二)  私たちの生命の起源がどこなのかを見るとき、生命が先か、愛が先かが問題です。今までこれを見 分けられませんでした。生命が先ではなく、愛が先です。先どなったものの前に、次となったものは 順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当たり前なのです。このように、これ は収拾しておかなければなりません。そうすれば、人生を真に生きる道はどこなのかという結論が出 てきます。  生命が愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないとい 20
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 う結論が出てきます。小宇宙ではなく大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公 認し、万物が、ひいてはわが父母が公認できる大宇宙愛の中に現れ、その中で愛し、死んでいくのが 人間が生まれた目的だと見るのです。  人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それなら、お父さんとお母さんの希望に よって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の身 代わりである父母の愛を通して生まれたのです。神様の身代わりである父母の愛を通して、新しい生 命体として生まれたのが「私」です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛のす べてを受けて、全天宙の中心的な存在として生まれたのがまさに「私」です。  愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生において最高の 目的です。自分の家庭で、天宙の中心である愛の使命を果たすことが最も価値あることです。人がな ぜ生まれたかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありま せん。人は、愛のために生まれました。また、愛から生まれました。それでは、愛は何ゆえにそのよ うに偉大なのでしょうか。それは生命の源泉であるからです。  皆さんは父母の愛の中から生まれたのです。お金を数えたり、知識をたたえる所から生まれたので はありません。このように愛の中で生まれたので、愛によって結実しなければならないのです。です から、子供が必要なのです。夫婦が一つとなり、息子・娘という相対がいるとき、完全なのです。  人間自身も愛を離れては存在することができないのです。ですから、「私」の存在は、愛を元とし て生きていくといえます。すべての万物も、その存在の始まりが神様の愛から出発しています。万物 の存在が愛を元として始まったとするなら、彼造世界の中心存在である人間は、より一層愛によって 出発した存在だということを否認することはできないのです。人間は愛から出発し、愛によって円熟 するため、愛の基準を離れては生きることができない存在なのです。(祝福家庭と理想天国I-一〇 六二) ◆二 愛を中心とした創造本然の人生  人間というものが存在するようになった原因は何でしょうか。人間は愛から始まったのです。それ では、人間存在の目的はどこにあると考えますか。人間という存在の目的は愛の理想を完成すること です。人間が愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を成して、拡張させ、連結して完 成することが目的となるのです。  すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そうしなが ら、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後・左右・上下に連結させること ができなければなりません。  私たちがいくら絶対的な存在を確定し、いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしく なければ何の役にも立ちません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活するのは目 的のためにするのです。その目的を成就したとき、そこには存在、それ自体以上の新しい何かがある ことでしょう。それは何でしょうか。  男性なら男性、女性なら女性を中心として見るときに、彼らに何よりも最も貴いものは何でしょう か。愛です。愛だけがこれと連結させることのできる幸福の要因となるのです。人が目的をいくらよ く立てたとしても、その目的を主管すべき主体的な愛の権威を立てられないようになるときには、再 び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が愛より上にはなり得ないのです。  皆さんは何ゆえに生きていますか。食べるためにと答える人もいるでしょうし、あるいは仕事をす るために、または何の目的もない生を生きているという人もいるでしょう。人間は何のために生きる のでしょうか。愛のために生きるというなら、どれほどすてきな答えかというのです。人間は愛の結 実として生まれ、愛し合いながら生き、永遠なる愛の神様の懐に帰るようになっているのが、創造本 然の生なのです。(祝福家庭と理想天国I-一〇六四)  愛によって生まれ、愛の中で成長し、さらに異なる次元の愛に連結されるのは、父母の愛を離れ、 相対の愛を求めていくことなのです。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛と いうことができます。夫婦同士がいくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはでき ません。それゆえ、子女を願うのです。これが完成的愛です。ですから父母の愛、夫婦の愛、子女の 愛を経る過程が生涯の根本であり、神様の創造的愛の理想の根本の道です。(四八-二) 21
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長して、愛する妻に出 会ってまた愛し合い、その愛の中に死んでいきますが、これが人生だというのです。ですから、悲し みと苦痛があり得ないのが本来の人生だというのです。  本来の宇宙の根本位置は、愛を中心として総合的に縦横に同時に結合することのできる基準となる ことによって、父母の愛と夫婦の愛、子女の愛が結合することのできる根本位置となります。その位 置は全宇宙が集中する位置となり、全宇宙細胞の方向が集中する位置となります。霊界のすべての善 霊たちが全部ここに集中します。  それだけでなく、この位置を誰も侵犯できないよう、保護するようになっているというのです。で すから、この位置が破壊されるなら、大変なことが起こるようになります。ですから、完全に保護さ れるためにはある形態が必要なのですが、その形態を統一教会の用語で四位基台というのです。(祝 福家庭と理想天国I-一〇六六) ◆三 人間の永遠なる生命の要素は愛  人間は胎児でいる時、お母さんから供給される栄養を受けただけでなく、愛を供給されたことを忘 れてはならないでしょう。それと同じように、地上で暮らしている人間たちも、宇宙(自然)から物 質的な栄養を供給されているだけでなく、生命の本質的要素である愛を神様から供給されているので す。  すべての植物が太陽の光を生命の要素として吸収するのと同様に、人間たちには愛が生命の要素と なるのです。私たちの希望は、永遠に愛と共に欽慕しながら暮らすことのできる地上天国や天上天国 が建設されることです。  人間は生まれる時、愛によって生まれ、生まれてからは愛を受けながら成長するようになります。 しかし、ある程度まで成長すると、父母の愛だけでは不足になり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心とし て、横的な愛を広げ始めるのです。すなわち、天地間のすべての愛を受けながら、成熟していくので す。特に思春期に近づくと、異性間の愛を求めるようになりますが、異性間の愛によって総合的な愛 の圏内に進入するようになり、初めて愛の中心を求めていくことができるようになるのです。  男性や女性が行く道は、愛ゆえにあるのであり、愛のためにあります。「私」の道は愛の道です。 愛を得るために、愛を守るために、愛の環境圏を成すために行くのです。  女性が化粧をしたり、マッサージをするのも愛のためです。何かを願うのも、仕事をするのも、す べて愛のためなのです。高貴な愛を得るために苦難を勝ち抜いていくのです。(祝福家庭と理想天国 I-一〇六六)  私たちは生まれる時から父母の愛を受けるのであり、父母が生存している限り、少年時代、青年時 代、壮年時代、どの時代を問わず愛するのです。父母の愛を受けて成長するようになれば、横的な夫 婦の愛が各自に生じるようになっています。  結婚とは何でしょうか。男性は女性について知らなかったことを学ぶために、女性は男性について 知らなかったことを学ぶために家庭という学校に入学するのです。すべての履修単位がAプラスに なってこそ、夫も喜び、妻も喜ぶことでしょう。息子・娘を産むのは、世界を愛する方法を学ぶため なのです。息子・娘がいなければ未来と連結されません。未来の世界と連結することのできる教育の 材料として息子・娘を与えたのです。  そして、先祖たちやおじいさん、おばあさんの前に孝道するのは、霊界からの教育を受けるためで あることを知らなければなりません。このすべてのものが、愛を中心として連結されます。おじいさ んとおばあさん、夫と妻、息子・娘が一つの愛を中心として全部連結されているのです。  この愛をもてば霊界の千万代の先祖までも上がっていき、降りてくることができ、遠い後孫までも 通じることができるのです。つまり、これが霊界の組織であり、宇宙の組織だということを知らなけ ればなりません。愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だということができます。(祝福家 庭と理想天国I-一〇六六) ◆四 神様の愛はどのようなものか 22
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  皆さんが神様の愛を一度探ってみてください。神様の愛を何と表現することができるでしょうか。 それは、さながら暖かい春の日和に、空には白い雲がふわりと浮かんでいて、地にはかげろうがぼん やりと立ちのぼり、虫が出てき、アリたちも世の中を見物しようとちょろちょろと出たり入ったりし、 さらさらと流れる小川のほとりにはコウライ柳がもえいで、蛙は春の日和の新しい歌を歌い、群れに なって飛んでくる蜂、蝶が喜ぶ、そのような環境と同じです。そのような環境に酔って眠り込むよう ですが、眠り込まず、気分がよくて永遠にいいということのできるそのような味だというのです。  神様が探される理想相対を中心として感じる気分は、蝶が飛び、蜂が飛んでくる花の園のようなも のです。これは考えただけでも気分がいいですか、悪いですか。この鈍い男性たちはそれを知らない でしょう。それは気分がいいというのです。  懐かしい人に会えば、手をぎゅっと握って握手をします。握手するとき、懐かしくて「ああ、これ は久しぶりだね」と言いながら手をぎゅっとつかめば、気分がいいですか、悪いですか。気分が悪い という人がいたなら「えい、こいつめ」と言って、足でけってしまいなさいというのです。  懐かしければ、手をぎゅっと握りますか、握りませんか。皆さんはそうすれば喜びますか。(喜び ます)。喜びたいのであれば、どうすればうれしいのでしょうか。知ってこそうれしいのであって、 分からずにどうしてうれしいのですか。そのようにうれしくてつかめば、手をほどくことができない というのです。  ここにいる女の子たち、お嫁に行って夫が自分を愛してくれれば気分がいいでしょうか、悪いで しょうか。一度考えてごらんなさい。いいでしょうか、悪いでしょうか。人は率直でなければなりま せん。愛してくれるなら、この世の中にそれほどうらやましいことはないのです。初めから夫の横に ぴったりくっついて暮らすのです。  男性が牛の前足のような手で、女性の手をぎゅっと握ってあげることはいいことです。映画を見て も、そのような映画を見たくなります。女性が男性に「まあ、あなたの手は本当にきれいね」と言え ば、気分が悪いというのです。そのようになっているのです。  愛は永遠です。愛は二つでなく一つです。一つになるということです。男性と女性がカップルを成 して愛し合えば、ぴったりくっついてしまうのです。そこまではいかなくても、これ以上の心情まで 行くというのです。それがまさに神様の愛だというのです。そのような愛をもって暮らすなら、一つ になるでしょうか、ならないでしょうか。考えてごらんなさい。全部一つになるようになっているの です。  男女の間で愛し合うようになれば、ありとあらゆることが起こります。そうでしょう。しかし、神 様を尋ねていく道を知り、神様の愛を本当に味わうなら・・その神様の愛はこの世のどのようなもの とも比べられないのです。  そのような愛を味わった人がいるなら、どのような苦難も彼を占領することはできないし、どのよ うな悲しみも彼を占領することはできないでしょう。そのような絶対的な解放の圏があるのではない でしょうか。これを探すことが問題となるのです。(祝福家庭と理想天国I-一〇六八)  神様の愛は大きく、三代の愛に現れます。それは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三代の 愛が一つに一致する中心は神様の愛です。 ◆五 愛と喜びの相続のための神様の祝福  神様において、一番の栄光の時は、肉(体)を使うことのできる時です。その次には、愛すること のできる人(夫婦)をもつ時であり、その次には、孫を愛することのできる時です。息子・娘より孫 を愛することのできる時が、一層栄光の時だと見ます。  ところで、神様がアダムを造っておいて、どんなによかったかということを、どのように教えてあ げたでしょうか。「やあ! 私はお前を造って、こんなによかった」ということを教えてあげなけれ ばなりませんでした。それは、息子・娘を生むことによって教えてあげることができます。分かりま すか。  人は幼い時、父母の愛がどういうものかを知りませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができるよう になれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるというのです。自分の父母が私を育てると 23
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 きこのように愛してくれたなと、知るようになっています。  それゆえ、子女が相対を得る日が栄光の日であり、その次には、その息子が子女を得る日が栄光の 日です。(祝福家庭と理想天国I-九三六)  神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ろうとしなければならず、夫の愛 を知り、夫に侍ろうとしなければなりません。子供の愛を知り、子供に侍ろうとしなければなりませ ん。子供に命令をするだけではなく、侍ってみようともしなければなりません。理解しようともしな ければなりません。そうしてこそ、神様の愛が理解できます。  子供がいなくては、未完成状態です。神様の愛を知ることができません。神様が子供としての人間 を、どれほど愛したのか分かりません。また、夫になってみなくては妻が分からず、妻になってみな くては夫が分かりません。子供も、父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分かりません。 ですから、息子・娘がいなければ、真なる夫婦となれません。(祝福家庭と理想天国I-九三七)  父母が子供の結婚を願うのは、子供たちに父母の愛をすべて相続させてあげたいし、伝授してあげ たいからです。父母は死んでいきながら、後孫にその実体を残しておきます。ですから、後孫が必要 なのです。  愛は永遠に続くのです。愛は人間の最高の願望なので、万民が両手を挙げ、相続しようとします。 その愛を残しておくことによって、霊界でも堂々と神様の前に出ていくことができます。そのような 愛を完遂できる所が家庭です。家庭を通して天国に行くということは、すなわち、そこにおいて愛の 一休園が成されるということです。  人間は原理・原則に従っていかなければなりません。春になれば種をまき、夏になれば生い茂り、 秋になれば実を結び、冬になれば全部整理して、新しい生命の根源を自分の内心に備えなければなり ません。そうしてこそ、再び春を迎えるようになれば、またこれが植えられ得る種になるのです。  これは何の話かといえば、これから皆さんは父母となり、皆さんのような息子・娘を生まなければ ならないということです。皆さんの息子・娘を、皆さんのように育てなければならないというのです。  皆さんは、息子・娘がいなければなぜ寂しいですか。それはサークルラインを形成できないからで す。鳥たちがひなにえさを食べさせてあげるのを見たとき、母のこの上ない愛を知るようになります。  西洋の人たちは知りませんが、東洋では大人より子供たちを好みます。大人たちに向かっては礼儀 正しく敬いますが、息子・娘たちにはこの上ない愛を惜しみません。息子・娘を生み育ててみること によって、父母が子供をどれほど愛したのかを悟るようになります。  人間は誰でも、結婚をしたのちに子女を生み育ててみなければなりません。そうしてこそ、子供の 愛と父母の愛を所有することができます。しかし、西洋の人々はそうではないようです。息子・娘を 生み育てることを、忌避しています。息子・娘が、結婚して離婚するのに妨害になるという考えゆえ に、自分の子供をもつことをはばかっています。  しかし、人間は生まれて四位基台を成せなければ、神様が人間を愛する心情を知ることができない ので、天国に行けないということを知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-九三七) ◆六 愛の中心を求めていく人生行路  人間は愛によって生まれ、父母の愛の中で大きくなり、横的に愛を広めながら成熟するようになり ます。横的な愛は異性の相対に出会うと、一段階愛を完成するようになり、天地の愛を代表すること のできる基準に人れば、その実を結んで子供を身ごもるようになるのです。子供は、核心的な心情の 立場から生じた愛の結果として生まれるようになります。  男性と女性が心情的に愛し合って生まれた息子は、愛の核心に通じる道をつくってくれ、その中心 を通過すれば、まさに神様と出会うようになるのです。人間は愛の実として子供を身ごもることに よって、神様が万物を創造し、人間を創造されたときの愛を体恤するようになるのです。  また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子供を愛してみることによって、父母の心情を体恤 するようになるのです。父母が子供に注いできた愛は物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が 変わっても、歴史時代が変わっても変わらないのは、父母が子供に与える愛です。父母になって子供 24

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