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天聖経



・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 ことができないなら、神様と人類を愛することはできません。  結婚は誰のためにするのかといえば、人類のためにするのです。人類の共同利益のためなのです。 世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性は世界を代表した女性です。 (祝福家庭と理想天国I-三六三) ◆四 思春期とはどのような時か  皆さん、思春期の時は、天下の王子になる気分なのです。すべてのことを自分を中心としてひっく り返して考える時期です。このように思春期は反駁する時代なので、自分を分かってくれなければ、 いくらでも危険な道へ行く可能性があります。それゆえに今日、青少年たちの問題が世界的な問題に なったのです。  思春期の時代はどんなことでも自分を中心としなければ気に入らないのです。しかし自分と関係を 結んだときは、それがいくら微々たるものであっても得意になるのです。二十歳前後の女性たちをよ く見ていると、訳もなく「ふふふふふ・・」と笑います。秋に葉のすべて落ちた柿の木から、熟した 柿がぽとんと落ちるのを見ても、「はほほ」と笑います。  それは何か分からなくとも通じるというのです。すべてのものが、全部自分と関係を結んでいるの で最高の感情が誘発されるのです。ですから、思春期というのはすべてのものに接して因縁を結ぶこ とのできる転換点なのです。それはなぜでしょうか。神様の愛を中心として男性と女性を完全に百 八ーセント一つにするための神様の創造本性が基盤となっているからです。  いくらきれいな娘でも思春期はただ一時しかありません。その時は一番の花の時であり、一生で一 番貴い時なのです。それにもかかわらず、「私一人で生きよう」という女性がいるでしょうか。それ は女性ではありません。また、男性たちの中にも格幅のよい十六歳前後の青春期に、自分一人で生き ようという者がいますか。そのような時には必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなので すか。神様に似て、そうなのです。  神様がそうでないのに、そのような人間ができるでしょうか。神様がそうなのです。一生のうちで 一番貴い時である青春時代に、相対を探していくのは男性でも女性でも同じです。  最も美しい花のような時期、花がぱっと開いた青春時代がいつかといえば、思春期の時代です。そ の時期がまさに十八歳から二十四歳までの七年間です。この七年間は一生に二度とない愛の花が咲く 時期です。一度しかない花のようなこの時代がどれほど貴いでしょうか。  皆さん、芍薬の花を知っているでしょう。その花のつぼみに色の違う黄色の花房があるでしょう。 それは何枚から成っているでしょうか。花に全部しっかりと取り巻いているのです。それを押し開く ことができますか。たやすく押し開けないようにしっかりと取り巻いているのです。男性や女性もこ れと同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみ、その愛のつぼみをいつ、ぱっと 咲かせるのですか。  天地の調和の中で美しさが最もよく現れる時がその時期です。人間として見ても最高の時です。神 様の傑作品になり、最も中心の、絶頂としてきらめく期間です。大きくなりながら最もきれいな花の ような時代、一番美しい時代が青春時代です。  その青春期の姿は最高の花のつぼみです。それを十分に愛することのできる人がいるなら、その人 は神様の部屋に招待を受けることができます。そのように愛することのできる男性と女性は、神様の 恵みを受けることができ、神様の部屋に招待を受けることができるというのです。それを知ったなら 皆さんは、男性なら男性としてそのような準備をしなければなりません。(祝福家庭と理想天国I- 三六七) ◆五 思春期に起こる身体的変化は何のためか  少年期には漠然とした夢の中で健康に育つことだけを望みますが、思春期になり身体的、生理的変 化が生じるようになれば、異性に対する関心が高まり、瞳は好奇心と美しさできらきら光るようにな ります。体もおしゃれをするため、着物の身だしなみを整えるようになるし、顔もよりきれいにする ために、整えることに余念がなくなるのです。そのような時に唇を見れば彼が思春期にさしかかって いるのか、そうでないのかを知ることができます。 34
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  女性たちにおいても、思春期にさしかかれば月経が始まり、身体的に多くの変化が起こるよう になります。お尻が大きくなり、胸がふくらみ、唇は赤くなり、瞳は神秘的に輝いたりします。その ような女性の変化は、どうして、誰のために起こるのでしょうか。女性の身体的変化は、直行してい た道をくるくる回るための変化なのです。くるくる回っていくことのできる運動を始めるための変化 だというのです。  直行する道には何の調和もありません。直行する道は二回行ったり来たりすればすべてのものが消 耗され、何も残るものがないのです。直行する道を行ったり来たりすれば環境を破壊するだけで、環 境の調和は起こりません。環境の調和と保存のためには回っていかなければなりません。それゆえ、 すべてが回っていくべきです。回っていく場合は、自分を中心にしては回っていくことができないの で相対を中心として回っていかなければなりません。  回っていく場合は相対とぶつかってこそ、回っていくことができます。相対者とぶつかれば自動的 に反作用が起こり、回る運動が始まります。これは天地の道理です。それゆえ、女性に身体的な変化 が起こるのは相対者と出会い、回っていくためです。ぶつかれば回っていくための力が生じるように なります。女性が化粧をしてきれいに飾るのは、自分のためというより相対のためであるといえます。  美しく身なりを整えた女性を見ると、その女性が男性を見る目はひときわ輝きます。自分の相対を 見つけるため、自らをきれいに装うのは自然の現象といえるでしょう。しゃれた男性に出会うため、 理想的男性に出会うため、心を焦がしながら歩き回るようになります。  皆さんのような思春期の独身男女がともに会って話をする時は胸がはずむのです。はずむでしょう。 はずみますか、はずまないですか。分からないのですか。はずみますか、はずみませんか。(はずみ ます)。それみなさい。興奮するでしょう。そして興奮するようになれば心のうちに変化が生じます。 ところが、その心が神様を中心とせず、反対の立場に立てば悪になるのです。心は誰を中心とするの でしょうか。神様です。その神様を中心とした心と心情が、一つになることのできる所に上がれるよ うにするのが愛です。何の話か分かりますか。  このような立場で一つの生涯を送らなければならない人間であるために、人間は愛を中心とした理 想と希望をもたなければならないのです。そして、最後の場で輝くことのできるのが愛なのです。 (祝福家庭と理想天国I-三五七) ◆六 思春期の初恋  思春期には愛を探して心と体が衝動を起こすようになります。父母の言葉を聞かず、自分勝手に歩 き回ります。心の目と体の目が一つになって動きます。また、愛の鼻をもてば、ふだん嫌いだったに おいまで好きになります。愛の口をもてば、ふだん嫌いだった味までも好きになります。夜を徹しな がらでも愛の話を間きたがります。愛する対象は、触れば触るほど、もっと触りたいというのです。 このように思春期になり、愛の感情に襲われるときは、目がおかしくなり、すべてのものを良く見よ うとします。  心と体が一つになり、愛の銃を撃てば、愛という弾丸が相手の心臓に打ちこまれるようになるので す。男性のそのような愛、女性のそのような愛を願う人は手を挙げてみなさい。愛は消化できないも のがありません。すべてのものをおいしく食べることができ、すべてのものをみな消化することがで きるのです。真実の愛をもったなら、いくらぶ男であっても美男に見えるようになります。愛は驚く べきものです。ですから、良くても悪くても思春期時代に結んだ初恋は、男性でも女性でも永遠に忘 れることができません。  死ぬほど好きな恋人のいる女性が、父母の反対で別の男性に嫁いだとしたら、その女性は一生の間 幸福でしょうか、不幸でしょうか。その女性は、自分が初めて愛した男性がたとえ鼻がつぶれ、目が 不格好だとしても、花のように良く見えるのです。父母が決めてくれた男性は外見からしても学閥か らしても、千人なら千人がみないいと言える人であり、昔自分が心の中でささやき、愛した男性は 至って不出来なのにもかかわらず、その初恋の男性のほうが良いというのです。初恋はすべてを占領 するのです。  愛の主体は誰ですか。神様です。愛の主体が神様であるために、愛することができるのも神様お一 人しかいないのです。元来、初恋は神様とするようになっていました。ところがそのようにできな かったことが堕落です。エバは誰と愛し合いましたか。(天使長と愛し合いました)。ところが喜び ながら愛さなければならないのに、顔をしかめて泣きながら愛し合ったのです。 35
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  皆さん、堕落するときエバが「あかいいわ! 善悪を知る木の果を取って食べると本当においしい、 おいしいわ」と言ったでしょうか。エバが天使長に強姦されたとき、その心はどうだったのでしょう か。良心の呵責を受け、嫌がりながら天使長の誘惑に引かれていったのです。すべての細胞がうれし くて花が早春を望むように愛し合うべきであったにもかかわらず、細胞が朽ち果て、心情が朽ち果て た場で顔をしかめながら愛し合ったのです。  もし堕落しなかったなら、誰と初恋をしたのでしょうか。神様としたはずです。アダムとエバの神 様を中心とした初恋には、すべてがつまっているのです。初恋を中心とした父母の愛、初恋を中心と した夫婦の愛、初恋を中心とした子女の愛、すべてに神様の愛と根がしっかりとくっついているので す。皆さんのように何千年の歴史的距離をおいて、個人復帰や家庭復帰という段階を経なければなら ない愛ではありません。一遍にぱっとくっつく愛です。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛がひとまとめ に全部くっつく愛なのです。(祝福家庭と理想天国I-三七四) ◆七 結婚の適齢期-愛はいつから連結されるのか  全知全能の神様は、人間において華やかに花開くことのできる時を造られました。その時期が青春 時代だといえます。神様は愛の青春時代を中心として、自ら幸福を培っていくように造られたのです。 それゆえ、神様が存在する同一の理想的な人間世界にあって、男女が華やかな青春の時期に幸福にな ることができる関門として、結婚という祝福をしました。この世に存在するすべてのものは、相対的 理想を経なければ存在価値がなくなるのです。ですから人間が成長したのちに祝福を受けて結婚をす るのは至極自然の摂理なのです。(祝福家庭と理想天国I-二七こ  愛はいつから連結されるのでしょうか。愛の力はいつから押し出してくれるのでしょうか。男女も 思春期を迎え、すべての器官が百パーセント完成圏に到達するようになるとき、停止状態へ入ってい くのです。すべてのものが飽和状態になります。運動というのは必ず飽和線を経ます。それで、いっ たん停止して、また回るようになります。そのような飽和状態に入っていって停止します。そのよう な飽和状態に入っていく前段階が何かといえば思春期です。思春期というのは「私」の肉体の発育に おいて、すべての器官が完成した時期をいいます。気球でいえば空気がなくてぺちやんこの状態から、 空気を入れてぱんぱんになり、破裂する直前になったということです。もう少し入れば破裂します。  その破裂するとはどういうことでしょうか。それが愛が完成して破裂するのならどれほどいいこと でしょうか。同じく人間も十八歳ぐらいになればゴム風船のように張り詰めてきます。そして破裂直 前の立場まで行き、そこから見事に永遠に転がっていくことができます。  霊肉が完全に一体となるときは、本然の愛が私たちの中に訪れてくるときです。堕落した世界の人 間たちの場合も、思春期とは霊と肉体の細胞が和合する平行線上に立つこのとできる時期であるとい うのです。思春期のときの霊と肉体の細胞は、すべての門を開き喜んで迎えるのです。神様を中心と した思春期時代に人間世界を眺めるとき、喜びと幸福のみが満ちるようになるのです。  愛するようになれば幸せになり、愛に酔って感じる感情は、実に、のぞきめがねのようだといって、 早く経験してみようと飛びつけば、それは大変なことだと言わざるを得ません。愛の門は時になれば 開くのであり、門が開く時を待って入らなければなりません。自分が愛の主体になったと思った時、 堂々と開かなければならないのです。  結婚適齢期はいつごろだと思いますか。心と体が最も完成した力をもつときが結婚することのでき る最適齢期であるといえます。青年期を越えればだんだんと気力が衰えていくために、いくら純情を 保ったといっても相対者を求めるのが難しくなるのです。(祝福家庭と理想天国I-三六九)  それでは完成した人、すなわち完成した男性と女性が住むようになる場とはどのような場でしょう か。天の公的なみ旨を中心として神様の愛を受けることができ、心と体が完全に一つになり、神様を 主体として侍ることのできる場です。このような場に住むようになるとき、完成したアダムとエバの 立場に立つようになります。このような人々が家庭を築いて出発するのが歴史的な出発なのです。こ れが歴史的な人生行路の第一歩です。(祝福家庭と理想天国I-三七八) ◆八 心と体が一致した愛  皆さん、三点が分かりますか。三点。この三点が一つになれる点は、神様とアダムとエバが一つに なれる場です。神様がアダムとエバと一つになれる場は、彼らの心と体が一致する場です。 36
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  男性は、心と体が主体と対象の関係になっていますが、心と体は縦と横の作用を継続することに よって存在の力を発生させます。女性もやはり心と体が縦と横の関係をなしており、存在の力が起 こってくるのです。男性でも女性でもすべて縦横の相対的関係をもっていますが、その力は愛なので す。愛だけが心と体の理想的関係を永遠に成すことができます。  貧しい農夫として田舎で草を取り、農作業をする場にいたとしても、その農夫の心と体に愛の情熱 が燃えあがれば、心の五宮と肉の五官が完全に合わさって、これ以上にない喜びを味わうようになる のです。このように神様の愛が皆さんに臨むことのできる安着点を皆さんがもっているなら、時計の 振り子の振動のように、神様の心が一度揺れれば皆さんの心が一度揺れ、それゆえに皆さんと神様が 一緒に回っていくというのです。  一度回り始めればどんどん回っていきます。行けば行くほど加重された力、遠心力が作用して、家 庭を愛しなさい、社会を愛しなさい、国家を愛しなさい、世界を愛しなさいと要求するようになるの です。  皆さん自身の心と体が一つになる中で愛の門が開かれる時が近づけば、皆さん自身の心が宇宙に共 鳴して小説家や詩人になったりするのです。愛を主題として詩や小説を書くことができるのは愛を美 しく幸せに結んでゆく資質を発揮するようになるからです。人間が愛の目を開けるようになれば、自 分の心と体は宇宙の中で立体的な関係を結びたくなります。そして秋風に舞う落ち葉を見て自然の道 理を悟りほほえむようになり、春の園に咲く花の中に美しさを見詰めたくなって、自分が一輪の花に なったりするのです。  男性も女性もどうして愛を好むのでしょうか。人間の身体はおよそ一億兆にもなる細胞から構成さ れていますが、その細胞全体がいつ作動するかといえば愛する時なのです。人体のすべての細胞を動 かすことのできる時が、まさに男女が愛し合う時であることを知らなければなりません。心と体が一 つになって恋しい涙を流すようになれば、骨が鳴り騒ぎます。動物の場合においても同じです。皆さ んも知っていると思いますが、雌牛が発情すると、どうなりますか。食べることさえ忘れてしまいま す。  その時、すべての神経がそのことだけを願うようになります。それと同じで、心と体が一つになっ た場所で愛し、互いに恋しがるようになれば、体の中で動かない細胞はありません。細胞の一切が本 来の方向感覚を忘れてしまい一つに集中されます。こうして相対に出会うようになれば爆発するよう になります。その爆発力はものすごい力になります。そのように愛して何をしようというのでしょう か。神様に似ようというのです。神様が喜ばれることに同参することのできる場に出ていこうとする のです。言い換えれば、神様が喜ばれることをともに感じようとするのです。(祝福家庭と理想天国 I-三七八) 第七章 真なる夫婦の愛 ◆一 創造本然の夫婦関係  神様はプラスとマイナスの二性性相であられます。これをプラスに分立させたのが男性のアダムで あり、マイナスに分立させたのが女性のエバです。一男と一女は、無形であられる神様の実体対象と して現れた息子・娘です。男性は神様のプラス(十)の性稟を、女性は神様のマイナス(この性稟を 代表した実体対象です。  創造理念は、両性の中和体としておられる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿 に合性一体化するものです。一人の男性と一人の女性は、おのおの神様の一性に似て現れました。し たがって、彼ら一男一女の結合は、神様のプラス(+)性稟とマイナス(この性稟が一つになること です。すなわち、神様に似た中和体となるのです。それゆえ、人間の二人、すなわち夫婦は神様の全 体を表象する結合体です。  男性は神様のプラス(+)の性稟を代表することによって真の父の分身となり、女性は神様のマイ ナス(この性稟を代表することによって真の母の分身となるのです。彼らはおのおの神様の身代わり でもあります。夫婦が愛で一つになることは、天宙を抱くことと同じです。これは宇宙的な出会いで す。  夫は多くの男性を代表して現れた存在なので、夫であると同時にお父さんの身代わりでありお兄さ 37
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 んの身代わりであって、妻は多くの女性を代表した存在なので、夫人であると同時にまたお母さんを 身代わりし、同時にお姉さんを身代わりしているので、互いに愛し合い尊重しないようにしようとし ても、せざるを得ないのです。  男性は神様の陽性的形状であり、女性は神様の陰性的形状です。夫婦は天下を一枚のふろしきに包 んだのと同じです。ゆえに夫婦は、神様の理想的な愛の心情を感じることができます。男性は天を象 徴し、女性は地を象徴します。二人が一つとなって調和を成し、平衡線を成さなければなりません。 (祝福家庭と理想天国I-八六八)  夫婦というのは自分一人に限った夫婦ではありません。天地を代表した夫婦だということを知らな ければなりません。男性と女性の愛の完成が宇宙の完成です。この愛が壊れる日には宇宙の秩序が破 壊され、縦的な世界がすべて台無しになります。男性と女性が互いに好きで抱擁すること自体が、宇 宙が一体を成す場となります。神様の理想の中で成される創造本然の姿がそうなのです。  人間が男性と女性として生まれたのは愛のためです。愛は夫婦となって一つとなることにより、実 を結ぶことができます。男性と女性は神様の愛が二性性相によって分立した実体なので、分立した実 体が合性一体化するために、神様の愛を尋ねていかなければなりません。  神様の愛に出合おうとするなら、男性と女性が愛で一つとならなければなりません。男性と女性が 一つにならなくては、神様の愛に出合うことはできません。神様の愛に出合うことによって、私たち は神様の同位圏にとどまるようになるのです。  同位圏とは、神様の横に立つことのできる位置をいいます。夫婦が完全に神様の愛を中心として一 つとなるようになれば、その夫婦は神様の位置まで出ていくことができるということを知らなければ なりません。神様の位置に上がっていくことができるだけでなく、神様がもっているすべてのものが 自分の所有圏内に入ってくるようになるのです。愛の力はこのように驚くべきものです。  神様が皆さんに同参的権威を許されると同時に、皆さんは神様がもっておられる所有権限全体を伝 授されるようになるのです。アダムの願いは天宙を治めることでした。アダムが愛した夫婦の価値は、 世界の中心的価値を代表したものです。堕落しないで神様が立てる本然の人、すなわち本然の男性と 女性を中心としたその愛はどのくらい貴い価値があるのかをはっきりと知らなければなりません。 (祝福家庭と理想天国I-九六九) ◆二 夫婦の愛が必要な理由  皆さんは、天国がどのような所だとお思いになりますか。天国は一言で言って、完成した人が入り、 暮らす所だということができます。天国が真なる愛を備えた完成した人が入る所であるとするならば、 その真の愛を備えた人とは、どのような人でしょうか。  人間は男性と女性で成り立っています。神様の理想的愛の完成が、地上でどのように成り立ち得る かを見るとき、男性と女性を離れては成り立ち得ないという結論に至るのです。完成した愛の主体性 を備えた男性と女性でなくては、神様の愛が完成されません。(祝福家庭と理想天国I-九五一)  真の家庭は家庭天国を築かなければなりません。家庭天国を築くようになれば、間違いなく地上天 国が築かれます。なぜ、そうでしょうか。未来の天国に対する実感を現在の立場で刺激しようとする ので、不可避的に相対が必要ですが、家庭において相対からその刺激を受けることで、未来の天国理 念を今日の生活感情から体得することができるからです。それを体得するために、夫婦が必要なので す。その刺激によって、夫婦は永生することができます。発展は刺激がなくてはできないのです。  夫婦の愛は、理想天国を建設することのできる刺激を与えるのです。言い換えれば、未来の喜びを 現在圏内に引き込み、刺激を与えて推進力を補給させ、その場まで行くようにするのが夫婦の愛です。 その愛の中には、国の愛も入っており、世界の愛も入っており、神様の愛も入っています。したがっ て、その愛はどこでも無事通過です。  結局、天国には互いに愛し合う夫婦だけが入ることができます。それゆえ、この地上でそのような 思想をもって互いに愛し合う夫婦は、いつも天国生活をしているのです。イエス様は「天国はあなた の心の中にある」と言われたでしょう。けれども今日、統一教会では、「あなたの家庭に天国があ る」と言うのです。  家庭で天国を築くことができないというときには、統一教会のみ旨が成されないのです。けれども、 38
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 築くことができるというときには、そのみ旨が成されます。このような観点から、皆さんは原理を中 心として正道の道を選んでいかなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-八七五)  今後、天国を築こうとするなら、夫婦同士が愛し合うのと同じように、結婚した男性は世界のすべ ての女性たちを自分の妻を愛する心で愛そうと思わなければなりません。「世界のすべての女性の中 から代表的な伴侶として私は妻を選んだのです」。このように考えなさいというのです。  また女性たちは、自分の夫なら夫に対して、ただ一人の夫としてではなく、全世界の男性の中から 代表として選ばれた人が夫だと考えなさいというのです。女性の皆さんがどうしなければならないか と言えば、一人の男性を愛しますが、その男性一人としてだけ愛するのではなく、世界の男性を代表 した男性として愛さなければなりません。その男性はお父さんを代表し、お兄さんを代表し、夫を代 表するのです。  それはどういう意味でしょうか。夫をお父さんのように思い、おじいさんのように思い、その次に はお兄さんのように思い、弟のように思わなければならないということです。このような縁を通して お父さんを愛し、おじいさんを愛し、お兄さんを好きになり、弟を好きになることのできる、そのよ うな女性こそ相対を迎えることができるのであり、「お父さんも嫌い、お兄さんも嫌い、おじいさん も嫌い、弟も嫌い、みんな嫌い、ただ自分の夫だけ好きだ」、それは神様の公約を外れた立場です。  だから、どうしなければならないかと言えば、全世界の男性すべてをも愛することのできる心を内 包し、その結実のような男性を「私」が抱いて愛するのは、全世界のすべての男性を代表して愛する のだという観念をもたなければなりません。「私」のお父さんのように、「私」のお兄さんのように、 「私」の弟のように万国を超越して、国境を超越して愛し得る心をもつようになれば、その人は神様 の息子だということができ、娘だということができます。これが統一教会の思想です。(祝福家庭と 理想天国I-八七五) ◆三 理想的な夫婦の関係  真の夫とは「私が生まれたのはあなたのためですから、あなたのために生き、あなたのために死ぬ でしょう」と言う人です。真の妻も同様です。このように相応しながら、自らを越えて相対のために 生きる原則をもつことのできる家庭なら、この家庭こそ理想的な家庭であり、幸福の家庭であり、平 和の家庭であらざるを得ません。  男性がいくら優れているとしても、男性が生まれるようになった動機は、男性自身にあるのではあ りません。女性のために生まれたというのです。女性がいなければ男性がこのように生まれることが できますか。その反対に、女性はいくら美しい化粧をし、「私」がアメリカのある俳優だと誇っても、 その女性は女性のために生まれたのではありません。  ですから男性は肩が大きく、女性はおしりが大きくて、それを合わせれば、よく合うようになって います。それゆえ真なる愛の妻、真の理想的な、幸福な妻と夫はどこに存在するのでしょうか。 「私」のためにではなく、互いのために生き、またそのような心が一致するとき、理想的な夫婦が現 れます。それは間違いない事実です。  このような原則から見るとき、理想的な愛や、また幸福で善なる人をどこで探すことができるかと いえば、自分のために生きようとするところでは探すことができず、人のために生きようというとこ ろに根拠を置けば探すことができるのです。夫は妻のために、妻は夫のために生命を捧げることがで きなければなりません。その夫婦は神様の愛の圏内に連結され、直接的な保護を受けるので、堕落は あり得ません。(祝福家庭と理想天国I-八八二)  男性が自分の妻を愛することにおいては、世の中のどの男性が自分の妻を愛するのよりも愛さなけ ればなりません。女性も自分の夫を愛することにおいては、世の中のどの女性が自分の夫を愛するの よりも愛さなければなりません。それが真の家庭を築いた夫婦が守るべき愛の倫理なのです。  真なる父母は、子供のために生きて死にます。そこには愛が成り立っているからです。同様に、真 なる愛の妻と夫、幸福な妻と夫とは、互いのために生き、愛で一つとなるときに現れ得るのであり、 また、それが理想的な夫婦です。  新郎・新婦はお金や権力、名誉を中心として一つとなるのではなく、神様の本然の愛を中心として 一体とならなければなりません。この世の夫婦関係においては、夫がお金を稼いでくるときに力が生 じます。妻は夫が稼いできたお金を見て力が出るし、その妻の姿を見て夫も力が出るようになってい 39
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 ます。  ですから、彼らはお金を稼ぐことができなければ、不安で夫婦関係が壊れたりもします。真なる夫 婦は、神様を中心として愛の一体を成し、愛を中心として前進的発展を成していかなければなりませ ん。妻は夫のために生き、夫は妻を愛する中で、一級の夫婦が神様を愛する家庭をつくり上げていか なければならないのです。  夫と妻が互いに愛し合うことにおいても、神様の身代わりとして夫なら夫、妻なら妻を愛さなけれ ばなりません。人間的な立場で愛するようになれば、互いに足らない面が現れるようになって、結局 は離婚する事態まで起こるようになります。  最近、済州道の娘が嫁ぐとき、田畑を与えれば登記するのに娘自身の名前でするというでしょう。 いつでも夫と別れれば自分の主張をするために、そうするのです。それは本当に理想的な夫婦でしょ うか。お金を使っても、これは夫のお金、これは自分のお金、お金を持っても、つるつるしたのは自 分のお金、しわが寄ったお金は男性のお金・・。それは愛ではありません。  お金の包みを広げて使っても「どうなった?」「私が使った」「そう? いい時に使ったわね・・。 もっと使って・・。」これでこそいいのです。口をぶるぶる震わせ「ああ、また使ったわね・・!」 これでは落第者です。ですから、いつも与えても、無限に与えることができ、いつも思いのままに、 深い所でも低い所でも、夜でも昼でも授け受けることができるようになるときに、幸福なのです。  それゆえ、与えようとしても与えることができないときは不幸なのであり、受けようとしても受け ることができないときも不幸なのです。(祝福家庭と理想天国I-八八二) ◆四 神様も酔うことのできる真の夫婦の愛  私たち個々人は心と体が相反しているので、心を中心として体を一つにし、心の中に神様が臨在で きる相対的基盤を造成しなければなりません。このような男性と女性が祝福を受けて、完全な愛を授 け受けながら喜びを享受するとき、神様がご覧になると、地上に咲いた花のようだというのです。  また、彼らの愛によって築かれたすべての調和的万象は、神様には香りのようなものです。このよ うな美しい花と香りの中に神様は暮らしたくて、訪ねてこられるのです。神様の愛が訪ねてくること のできる土台が、すなわち夫婦愛の場だというのです。その場は、すべての万物と宇宙が調和する場 となることでしょう。このような内容と道を教えてくれるのが統一教会であり、統一教会の原理です。 (祝福家庭と理想天国I-八八九)  神様が最高に喜ばれるメロディーが何かといえば、男性と女性が互いに好き合って喜ぶ永遠なる夫 婦の笑い声なのです。そのような夫婦が世の中を理解して抱くことができ、宇宙全体を受容できる心 で生を営むとき、笑いは自然発生的となりまず。そのような男女の美しい姿が、神様の前に一輪の花 でなくて何でしょうか。これは単純な理想でも抽象でもありません。本然の世界を語っているだけで す。  夫婦同士、家の前にある山を眺めながら、あの山が生まれたのは誰のためかを尋ねてみて、全宇宙 を考えながら、この宇宙が生まれたのは誰のためかを尋ねてみます。そうすれば、自分のためである と同時にあなたのために生まれたのだと答えるのです。夫婦とはまさにこのようなものです。この宇 宙の存在価値を重要視することが、夫婦が一つとなる道です。夫婦は心を中心として、人格を中心と して、愛を中心として話をするのです。夫婦は同じ道に行くのです。  田舎者の娘だといっても、大臣と結婚すればどうなりますか。同じ道に行くのです。その田舎者の 女性が小学校も出ていないといっても、すべての人が大臣の奥様だといいながら、頭を下げなければ ならないのです。このように夫婦は共に行くのです。夫婦に「あなた」の愛が別にあり、「私」の愛 が別にありますか。「あなた」の愛であるとともに「私」の愛なのです。「お前」の愛であるととも に「私」の愛なのです。心情と血統がすべて一つになって愛するのです。  このように愛し合うことができる人は誰ですか。夫婦です。夫婦なき世の中ならば生きる味わいが ありますか。愛し合う夫婦が対話する姿を見れば世の中のどんな詩や絵よりも美しいのです。また 「愛し合う者同士、私たちだけ、私たち二人で」という言葉がどれくらい美しく素晴らしい言葉です か。  良いには良いのですが、その中で最も良いものは何でしょうか。相対者しかいません。私が「あな 40

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