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天聖経4-9


・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 統を否定し、真の父母に出会わなければなりません。  堕落人間の願いは、神様の息子に出会うことです。カインの息子として生まれた無念さをもって嘆 息し、神様の真の息子を探し、さまよっています。私たちは、神様の息子を探し出さなければなりせ ん。しかし、個人的な神様の息子、家庭的な神様の息子を探し出そうとするなら、人類はどれほど苦 労することでしょうか。そこで神様は、国家的基準の息子圏を代表したメシヤを送られたのです。  ですから、人間たちがこのメシヤを迎える日には、個人的な神様の息子、家庭、氏族、民族、国家 的な神様の息子まで探し出すことができるのです。このように、神様の国家的な息子まで探し出すこ とができるという喜ばしい知らせを伝えてあげるのが、メシヤの降臨だということを、皆さんは知ら なければならないのです。  堕落の因縁をもって生まれた私たちは、サタンの讒訴条件を超越することができる、神様の息子に 出会わなければならないのです。神様の息子に出会ったのちは、父母に出会わなければなりませんっ 皆さんは、堕落した父母はもちましたが、堕落していない真なる父母はもつことができませんでした。 それで、神様が愛することのできる真なる父母を探し出さなければなりません。次に父母の家庭を探 さなければなりません。  父母の家庭を探し出したのちに、神様の愛を探さなければならないのです。そして、神様の愛を探 し出したのちには、神様に出会うのです。このように、堕落人間は、神様を中心として兄弟を探さな ければならず、父を探さなければならず、母を探さなければならず、私の家、私の故郷を探さなけれ ばなりません。このような道を歩いていかなければならなかったのが、この地上の人類だったという 事実を皆さんは知らなければなりません。  それで、神様の愛を受けられる父母と、神様の愛を受けられる息子・娘が、神様の愛を中心に互い に愛し合う家庭を築くようになれば、「家和萬事成(家和して万事成る)」と言うことのできる環境 において、愛の歌を歌いながら、自動的に栄えることができるというのです。そうなれば、自動的に 神様の愛を中心とした民族が形成されるのです。  ところが、アダムがそのような家庭を失ってしまったので、宗教を通じてそのような家庭の基準を 探さなければならないのです。家庭を探し出さなければ氏族や民族、国家、世界は探し出すことがで きないのです。  人間の理想、願い、希望は何かというと、次のように結論づけることができるでしょう。第一に、 神様を私の父として侍ることが最大の希望であるというのです。第二に、神様の愛を受ける息子・娘 になることであり、第三に、神様が所有しておられるものすべてを相続することです。それ以上大き な人間の願いはあり得ないのです。(祝福家庭と理想天国I-四八〇) ◆四 復帰の最終目的はアダム家庭を復帰すること  復帰の目標は、アダム家庭復帰にあります。神様は、アダムとエバが堕落するとすぐに救援摂理を 始められました。しかし、カインがアベルを殺害し、アダム家庭を中心とした救援摂理は、ノア家庭 に移されました。神様は、ノア家庭を中心として、世界のすべての人々を洪水審判で滅亡させ、サタ ンの侵犯条件を越えた家庭を立て、地上摂理の基盤を構築しようとされました。それが、再びアブラ ハム、イサク、ヤコブを経て、モーセの時代に移り、イエス様につながれ、私たちの時代まで来たの です。ですから、復帰摂理の最終目的は、失ったアダム家庭を捜し立てることです。  今まで、神様は何を捜してこられたのでしょうか。主体を捜してこられたのではありません。理想 的な対象を捜してこられたのです。神様を模範として、造られた世界の内外の内容を備えているもの を捜してこられたのです。このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭よりも宇 宙を代表できるものはないのです。  歴史全体が何で帰結されるのかといえば、物質と子女と父母、さらに家庭を基準として帰結される のです。これが宇宙の根本です。父母がいなくては子女が生まれることができません。父母から生ま れた子女が父母を中心として万物を主管しなければなりません。これがすべて一遍に作用されるので す。  結局、神様が六千年の間復帰摂理をされたのは、何を捜し出すためだったのでしょうか。一つの国 を捜し出す前に、あるいは民族と教会を捜し出す前に、何を捜し出さなければならないのでしょうか。 家庭です。つまり、ご自分の相対を捜し出し、家庭を捜し出すことでした。一つの国が形成されるた 59
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 めには、家庭がなくてはならないのです。ゆえに、全体の根本が何かといえば家庭です。  人類の祖先であるアダムの家庭が破壊されたので、これを復帰しなければなりません。イエス様は 堕落しなかったアダムとして来られなければなりません。ですから、イエス様は第二のアダムとして 来られた方です。人類の最初の祖先であるアダムは堕落した祖先となったので、神様は本然のみ旨を 立てるために、堕落していない真の祖先としてイエス様を送られたのです。そういう真の祖先を中心 に、アダム家庭を捜し出さなければなりません。聖書を見れば、人類始祖が堕落したとなっています。  では、その始祖が堕落する時、一人だけで堕落しましたか、二人が堕落しましたか。(二人とも堕 落しました)。それが問題です。堕落したとしても、一人だけで堕落したというなら問題は簡単です。 一人だけで堕落したとすれば、神様は創造の神様でいらっしゃるので、もう一度造ることができるの です。  なぜ家庭から出発するのですか。すべての事件が家庭から広がったからです。つまり、アダムとエ バの家庭から始まったのです。神様を失ったのも、天使世界を追放したのも、万物世界を失い、人間 の価値を失い、人間の愛を失ったのも、すべてアダム家庭で男性と女性が過って出会ったからです。  今日まで宗教団体、特にキリスト教が目標とし、信仰してきた個人の救いは、完成ではなく、第一 段階の始まりにすぎない原初的な救いなのです。救いの目標は、家庭の救いを単位とするのですが、 その家庭の救いの基盤というのは、世界を指導でき、世界の救いまで責任を負える家庭のことをいう のです。そのような心情圏が確立された家庭を築くことが、信仰生活の最高の理想にならなければな りません。(祝福家庭と理想天国I-四八四) ◆五 イエス様がなさるべき家庭の復帰  イエス様は、何をしに来られたのでしょうか。家庭を探しにこられました。救いの歴史は、復帰歴 史です。病気になれば治さなければならないのです。イエス様は、堕落した人間を救うために来られ ました。では、救いとは何でしょうか。家庭を失ったので、それをもう一度探し出すことです。もう 一度探し出そうとすれば、どうすべきでしょうか。失った本来の場所に帰らなければ探し出すことは できません。  では、どうして人間が家庭を探し出さなければならないのでしょうか。イエス様は、どうして家庭 を探しにこなければならないのでしょうか。それは本来の家庭を失ってしまったからです。病気に なったので、病気を治さなければなりません。つまり、堕落したので、復帰しなければならないので す。(祝福家庭と理想天国I-四八四)  神様は、原理・原則に従って運行される方であられるということを知らなければなりません。 アダムを失ったため、サタン世界からもう一度捜してこなければなりません。アダムが過って、夫の 役割を遂行できなかったため、アダムはエバを支配し、治めることのできる位置にいたにもかかわら ず、エバをサタン世界に奪われました。それで、サタン世界からもう一度捜してこなければならない のです。  ですから、エバを再び捜してくるなら、闘わないですむでしょうか。国の基盤から教会の基盤、氏 族の基盤、家庭の基盤を神様は準備されました。そうしてヨセフ家庭を立てられ、ザカリヤ家庭を立 てられました。それゆえ、ヨセフ家庭のイエス様と、ザカリヤ家庭の洗礼ヨハネが一つになったなら ば、短い期間に神様のみ旨が成されたはずです。  洗礼ヨハネがイエス様を信じたならば、どうなったでしょうか。また、洗礼ヨハネの妹を、イエス 様が新婦に迎えていたならば、どうなっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。こう言えば、 キリスト教徒たちは、すぐさま反対するでしょう? 大変なことになったと大騒ぎすることでしょう。 しかし、いくら反対してみても・・。皆さんが、今反対していますが、霊界に行ってみれば、レバレ ンド・ムーンがうそを言わなかったことが分かるはずです。  元来、アダムとエバが、実体の父母として一体となり、神様の創造理想である家庭の完成、すなわ ち愛の家庭理想を完成しなければなりませんでした。ところが、これができなかったので、それを完 成させるために、イエス様が来られなければならなかったのです。そして、イエス様が来られ、新郎 の位置で新婦を迎えなければならなかったのです。そうして、神様の愛と一つとなり、エデンの園で 堕落せず完成できた本然のアダムの位置を復帰し、その愛で結ばれれば、誰も二度とは堕落させるこ とができないのです。 60
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  神様のみ旨が何かと言えば、男性完成の基準と女性完成の基準を立てておき、アダムとエバが神様 の愛を中心として、神様の家庭を築くことでした。ところが、神様の家庭は築かれましたか。神様の 家庭は築かれませんでした。イエス様はこのような神様のみ旨を知っておられたし、また信じました。 しかし、ユダヤ民族の不信で、イエス様のためのイスラエル民族の四千年歴史の基盤とユダヤ教が崩 れ、イエス様は十字架で惨めに亡くなられました。  このような胸が詰まるイエス様の事情を今まで誰が知っていましたか。誰も知りませんでした。今 日、この文という人が、このような話をしてあげるので皆さんが知るようになったのです。これが事 実ならば、イエス様がどれほど喜んでおられるでしょうか。新郎になられたイエス様が、新婦になら れる真の母を探し立てなければ、神様の家庭完成は不可能です。イエス様の家庭が築かれない限り、 神様のみ旨は永遠に成されないのです。  神様を中心とした家庭を復帰できなければ、国も探し出せないし、世界も探し出せないので、イエ ス様も、この地に来て、神様が愛する家庭を築こうとされました。ですから、一人の新郎として、新 婦を探し出さなければなりません。一人の男性を中心として、真の父母も現れ、真の夫婦も現れ、真 の兄弟も現れることができるので、これを決定的に成すと預言したのが、小羊の婚宴の時に新郎・新 婦を迎えようというのです。(祝福家庭と理想天国I-四九〇) ◆六 再臨主を中心とした家庭の復帰  復帰の家庭とはどのような家庭でしょうか。歴史的な願いの実体です。神様は、今まで六千年の間、 この一つの家庭を探し出すために摂理されました。この歴史的な願いの実体は、どこで築かれなけれ ばならないでしょうか。とりもなおさず、この現世の、現実社会で築かれなければなりません。未来 に築かれてはなりません。これが歴史的な願いの基準であり、現世万民の願いの基準です。人類の過 去、現在、未来の願いの基準です。人間として生まれ、行き来した数多くの聖人、賢哲たちも、この 家庭を慕いました。  再び来られる主が、新婦を迎えることによって、初めて復帰の家庭という言葉が現れます。再び探 し出さなければならない復帰の家庭、それは人類が願う家庭です。六千年の歴史の中で、信じて現れ た数多くの宗教指導者たちが、数多い怨讐の執権者たちや為政者たちに犠牲にされながらも、懇切に 願ったのは、主が来られ、自分たちの恨みと怨讐に報いてもらうことでした。  しかし、彼らの怨讐を討つにしても、主お一人ではできません。一人でできるのであれば、既に やったでしょう。ですから、天の家庭が現れなければなりません。天の家庭が編成され、地上に新し い足場を築くのです。そうして、心情のダイナマイトをもって、サタン世界を爆破しなければなりま せん。(祝福家庭と理想天国I-四九四)  復帰の家庭といいますが、その復帰された家庭の中心に誰がなるのでしょうか。神様がお捜しにな る真なる息子・娘によって築かれた一つの家庭が、神様の創造目的ですから、その家庭の中心は、神 様の本当の息子・娘でなければなりません。では誰でしょうか。この宇宙を相続できる全権をもって こられるお方です。その方が再臨主です。その再臨主が来られて、家庭を築かなければならないので す。今日、私たちの恨みは何でしょうか。アダムとエバがエデンの園で真の父母として真の家庭を築 き、歴史を出発できなかったことです。  これは人類の恨みである前に神様の恨みです。神様が人間をお造りになった目的は、そのような家 庭を立て、この地上に平和の王国を創建することでした。それにもかかわらず、その家庭が壊れるこ とによって、神様は六千年という長い歳月の間、恨みを抱き、復帰の歴史を繰り返してこられたので す。その過程で、数多くの恨みの峠を限りなく踏み越え、今までの歴史を築いてこられたのを、皆さ んは知らなければなりません。そのような歴史に責任を負い、解決するために来られる方が、再臨主 です。では再臨主は何をしなければならないのでしょうか。家庭を築かなければなりません。家庭を 築くのも、空中でではなく、地上で築かなければなりません。そうしてこそ、そこから氏族が現れ、 民族が現れ、国家が現れ、世界が現れるのです。  来られるイエス様は、必ず神様が願われる家庭を立てなければなりませんが、その家庭は真の家庭 でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにせよ偽りの愛の形態は、 家庭や社会をだめにするのです。ですから、万民が共有できる神様の愛を中心とした、人類全体が願 う最大の愛を中心とした、一つの真の家庭が出現しなければなりません。  そのような家庭が現れなければ、氏族を編成することができないのであり、そのような民族が現れ なければ、国家や世界を築くことはできないのです。それゆえ、神様が人類の前に提示された救いの 61
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 摂理で、人間が対し得る最高の基準と、神様として願われる最高の理想的基準点は、家庭にあると見 るのです。(祝福家庭と理想天国I-四九四) ◆七 統一教会は本然の真の家庭を探すためにある  歴史時代のすべての宗教は、今まで何をしてきたのでしょうか。今まで、男性一人を再び探してき たのです。今までの宗教は、相対の因縁を許しませんでした。新しいものを許しませんでした。その ように進んでいけば滅びるようになります。けれども、一人を探してくる歴史時代において、男性を 見つけ出したということのできる基準まで行くようになれば、そのあとには女性を探し出さなければ なりません。ゆえに統一教会は何をする所かと言えば、家庭を探し出す教会です。  今までの宗教の目的は、個人を教うことでした。しかし統一教会は、個人の救いよりも家庭の救い を目的としているのです。救うのも家庭を救い、天国に行くのも、一人では行かないというのです。 統一教会の救援観は、夫は天国に送り、妻は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国 に行こうというのです。また、お母さんお父さんを地獄に送るのではなく、お母さんお父さんに侍り、 また息子・娘も連れて天国に行こうというのです。統一教会は、自分が愛する家庭、自分が愛する氏 族までみんな連れて天国に行くことのできる道理を教えてくれる宗教なので、他の宗教とは次元が違 うのです。  ですから、今までの宗教は、独身生活を強調しましたが、統一教会は家庭を重要視するのです。家 庭を中心として行くのです。その家庭は世界のための家庭であり、神様のための家庭です。これが、 統一教会の信徒たちが行くべき道であり、今後、皆さんが生活していくべき道であることをはっきり と知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-四八五)  法を超越し、制度を超越し、環境のすべての背景を超越し、自分も超越し、永遠に共にいたい因縁 を結ぼうというのが父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛なのです。  これを無視した社会制度はあり得ないし、これを無視した国家は形成され得ないのです。ですから、 統一教会は個人教会を願うのではなく、家庭教会を願うのです。統一教会は、個人の救いを願うので はなく、家庭の救いを成就しようというのです。統一教会はこの点が違います。  すべての人間たちが、最後にもつべき共同的な目標であり、行くべき共同的な関門は何でしょうか。 国でもないし、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主 義世界がある前に、本然の家庭がなければなりません。また、民主主義世界がある前に、民主主義世 界を創建できる、本然の家庭がなければなりません。それでは、今までここに対する秩序がどこにあ り、ここに対する教育がどこにあり、ここに対する目的、基準がどこにあったでしょうか。このよう な決定的基準が、この地上に現れなかったというのです。これが現れる前には、平和の王国、平和の 理想国家、平和の国はあり得ないのです。  ですから、私たちが願うのは、このような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき 家庭、探し出すべき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と共に、運命を共にできる一時が来る ことです。そうしてこそ、地上に対する神様の摂理が成就されるのであり、安息の福地、安息の巣が 出発するというのです。(祝福家庭と理想天国I-四八八)  私たち統一食口の願いは何でしょうか。復帰の家庭になることです。私たちの願いもここにあり、 アメリカの平和の起源もここにあり、天上天下の幸福の基点もここにあり、一つの摂理の基点もここ にあります。天と地がひっくり返る天地開闢の基点もここにあり、すべての人生の価値の根源もここ にあり、願いの出発もここにあります。すべてここです。では、復帰家庭の中心は誰でしょうか。真 の祖先です。真の祖先は、真の父母です。(祝福家庭と理想天国I-四九六) ◆八 真の家庭主義と真の父母宗教  堕落した父母の因縁で、神様から離脱した伝統を受け、この世界がこのありさまになりました。で すから、真の父母が来られて、新しい主義を立てなければなりません。それはどのような主義でしょ うか。世界主義でしょうか。天宙主義でしょうか。真の家庭主義です。真の家庭主義が現れなければ、 世界主義が現れ得ません。  この真の家庭主義の代表者は、神様の真の息子でなければなりません。彼は、神様の心情的なすべ てのことを相続する内情的相続者であり、外形的相続者、そして万物所有権の相続者にならなければ 62
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 なりません。言い換えれば、神様の心を相続できるお方であり、体を相続できるお方であり、万物を 相続できるお方でなければならないのです。そのような息子であってこそ、神様の代身者になれるの です。  その息子が来られてこそ、初めて天国が築かれるようになります。真の家庭主義とは、どのような 主義ですか。真の家庭主義とは、神様の愛の主義です。筒単でしょう。愛がなければ、いくら世界一 だと腹を出して歩いても、その人は不幸な人です。そうですか、そうではないですか。真の家庭主義 は、父母が行けば、息子・娘は父母の後を永遠についていく主義、また、兄さんが行けば、弟が永遠 についていく主義、弟が行けば、兄さんが永遠についていき、兄さんの国があれば弟の国もついて行 こうというのです。(祝福家庭と理想天国I-五〇一)  神様の愛の主義は、どのような主義でしょうか。国境を超越し、このすべての平面的な世界を超越 し、互いに授け受ける場合において、互いがまず与えよう、受けることは後にしようとする主義です。 そのような主義の世界が、今後来る理想世界です。  理想世界は何か大きな権勢をもって「この野郎」と怒鳴りつける世界ではありません。理想世界と いうのは、自動的に心が動いて神様の愛に和することができる、万民兄弟主義の世界です。今後、そ のような世界になるでしょう。これからは家庭救世主の宗教が現れなければなりません。それが真の 父母主義です。真の父母の宗教です。  真の父母の宗教というのは、四位基台を成す真の父母の生活宗教です。そうなれば、お父さん、お 母さんがその家庭の息子・娘の救世主になるのです。  皆さんが、黙示録の一番後ろを見れば、復帰歴史が出ています。ですから聖書は偉大だというので す。このような復帰の原則があったので、聖書の終章に復帰の内容を入れるようになったのです。ヨ ハネの黙示録第二十二章十七節を見ると、「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く 者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、 価なしにそれを受けるがよい」と記録されていますが、花嫁、御霊が何であるか分かりますか。  花嫁は、主の妻になるのであり、御霊は霊的なものなので、ここから霊肉が合わさった母が現れな ければならないのです。イエス様は人類の父として、男性なので女性の中から母を探し出し、新しい 世界へと救わなければなりません。これを、キリスト教徒たちは知りません。教えてあげるといって も嫌だといい、かえって異端だというのだからあきれるでしょう。(祝福家庭と理想天国I-五〇 二)  天宙主義とは何でしょうか。家庭についていえば、「私」が住んでいる家庭に、金銀財宝が天下を ぎっしり埋めても余るほどあるといっても、そこに酔って生きるのではなく、それを忘れ、いつでも 神様の愛に酔って生きられる、そのような家庭です。  息子のものは父母のものであり、父母のものは神様のものとして、そっくりつなぐことができなけ ればなりません。天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの 主義は父母の主義です。これはわが家主義であり、わが国主義であり、皆さん個人の主義です。(祝 福家庭と理想天国I-五〇三) 第十一章 家庭は永遠の幸福の土台 ◆一 家庭はなぜいいのか  家庭はなぜいいのですか。家庭では、愛を互いに授けて受けることが自然にできる基盤になってお り、栄えることができるからです。それゆえ、人は自分の故郷がなつかしく、父母と兄弟がいる所を 恋しがるのです。(三八-二三八)  家庭はいい所です。なぜいいのでしょうか。お母さんとお父さんがいていい所であり、お姉さんと お兄さんがいていい所であり、弟と妹がいていい所であり、親戚がいていい所です。ですから人間な ら誰でも本郷の地、故郷に対してなつかしい郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷をもっと 考えます。大韓民国に住みながらも懐かしい所は故郷です。(二三-一五一)  皆さん! 家庭がなぜいいのですか。それは父母の愛を中心として自由運動の価値になるからです。 63
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 同じように神様が自由に活動できなければなりません。どんなに見た目にはみすぼらしくても、光る 愛の核をもった内的な人間が成し遂げた社会になれば、神様は自由です。皆さん、そうではありませ んか。どの家でもお客様として行けばお金持ちのようでしょう。なぜそうですか。それは愛の因縁が ないからです。愛の因縁が四方性を備えられないので、ぎごちないのです。ですから、私たちが行く べき道は人格の道です。  一つの家庭を中心として、一番いいものは何かというとき、一番いいものは皆さん自身で決定する ことではないのです。それでは、家庭の最上の価値は何でしょうか。父母です。皆さん一個人を見て も、皆さんにとってあらゆる権力や知識、または名誉やお金が貴重なものになるかもしれませんが、 そのあらゆるものよりも、もっとも大切なものは「父母」以外にはないのです。次には、皆さんの妻 や夫になるでしょうし、また次には、皆さんの子女になるでしょう。  事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりもさらに大切にしているものがあり ますか。ないのです。では、なぜ父母がいいのでしょうか。そして、また夫と妻、そして子女がなぜ いいものになるのでしょうか。「愛」があるからです。父母の愛、これは子供にとって絶対に必要な ものです。そして兄弟間の友愛などや、子女が父母に対してもつ真心も一つの家庭に絶対的に必要な のです。(二二-二九〇)  皆さん、家で一番いい人は誰ですか。父母でしょう? なぜ父母が一番いいのですか。愛を中心と して、一生涯関係を結ぶことのできる最も近い立場にいるからです。その次は、愛する夫と妻になる でしょう。その夫と妻の愛は、ある条件的な愛ではなく無条件的な愛、この愛は、たとえ絶対的に天 が下さった永遠の愛と密接な関係ではなくとも、夫婦間の相対的関係から結ばれる愛になるならば、 その愛がその家庭に幸福と和睦をもってくる最も、よいものではないだろうかとみるのです。  その次は、父母に対する子供の愛、父母のための子供の愛です。絶望ではなく、あすの望みとして 芽生えることのできる理想的な環境を慕いながら、肯定的な姿勢で子供が父母のために犠牲になり、 愛することができるなら、その子供の愛は、その家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての愛と なるでしょう。  このように父母の真の愛と夫婦の真の愛、そして子女の真の愛が完璧に具備された家庭があるなら、 その家庭は私たち人間世界の中で、最も理想的な家庭だと言わざるを得ないでしょう。(祝福家庭と 理想天国I-九一四) ◆二 家庭は永遠なる幸福の基盤  人間の生活で、ある人を幸せな人だというとき、何を基準として幸福といいますか。外的にある能 力、権勢、権威を備えたなら、幸福な人だということができますか。そういうことはあり得ません。 また、他人がうらやましいくらいお金があったとすれば幸福な人ですか。そうではありません。また 世界的な知識をもっていて、世界を思うがままにできる位置にいるとして、彼が幸福な人になること ができますか。決してそれだけで人が幸福なのではありません。(二三-一一)  ある人がこれくらいなら天上天下にうらやむものはないといって、幸福をうたうとしても、そのよ うな外的なものは幸福になり得ません。幸福を見いだす条件にはなり得ますが、幸福それ自体にはな り得ないのです。それでは何が決定すれば、幸福を感じることができるでしょうか。愛する父母がい て、夫婦がいて、子女がいなければなりません。これはどこの誰も否定できません。ここにその一つ だけでもなければそこに該当する比例的な悲しみを感じるでしょうし、比例的な不満がその胸の中に 残されざるを得ないでしょう。(祝福家庭と理想天国I-九一三)  この地のすべての人間が、幸福の基盤は家庭だと一般的に感じています。家庭には父母がいなけれ ばなりません。世の中では父母かいない子供は孤児と呼ばれ、その孤児はかわいそうな人として扱わ れます。家庭には父母がいると同時に夫婦の因縁があります。父母がいないのもかわいそうなことで すが、夫婦で片方がいないのもかわいそうなことです。どんなに愛おしく暮らした夫婦だといっても、 愛する配偶者を失うときは、この上なく悲惨で不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女を身 ごもることができなければ、それもやはり不幸でないわけがありません。三三-一一)  家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうしてこそ、その家庭が幸福の土台と なるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様ご自身の幸福を模索するためであることに間 違いありません。それゆえ、神様ご自身が幸福の土台を探し求めるには、人間を離れた場では、その ような理想があり得ないというのです。 64
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭  人間とともに関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭で、情 緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同様に、神様もやはりそのような立場で幸福を 感じられるのです。  幸福はどこから来るのでしょうか。鼻歌を歌いながら迎えることのできる、そのような環境はどこ から来るのでしょうか。家庭から来るのです。家庭の幸福は、情緒的に問題があれば成され得ません。 また心情、愛がなくても、成され得ないのです。父母の前に子女がいないときには、その父母の幸福 はあり得ません。子女に父母かいなくても、子女の喜びはないのです。あるいはある男性がいれば、 相対たる女性がいなくてはならないでしょう。女性も同様です。  ある夫婦がいれば、その夫婦の願いは、彼らの主体と対象の関係をおいて、より高い次元で愛を維 持することです。そして、夫婦の前には必ず子女がいなければなりません。そうしてこそ一つの家庭 が築かれますが、上には父母がいて、下には子女がいなければならず、また夫婦がいなければなりま せん。このようにして、一つの家庭は縦と横に一つとならなければならないのです。それでは、誰を 中心として一つとなるのでしょうか。  人間だけでは不可能です。人間だけでは、より高い価値を追求することができないので、絶対的な 愛の主体がいるなら、その主体を中心として、父母は一つとなることを願うでしょう。そこで、夫婦 と子女がその主体を中心として愛で一体となった場が、幸福の場であり、望みの場となるでしょう。 すべてのことを一つに帰結させ、より価値的で、刺激的な面で統括させなければなりませんが、それ は、私たち人間の愛だけではいけないのであり、絶対的な立場でこそ可能なのです。(祝福家庭と理 想天国I-九一三) ◆三 家庭は天国完成の基本単位  私たちの家庭と天国は、類型のようなものです。私たちの家には父母がおり、夫婦がおり、子女が おり、兄弟がいます。私たちの家は愛で一つにすることができます。ここでは統一が成され、生命が 連結され、理想を実現させることができます。ですから皆さんは、夫婦の愛を尊重でき、父母の愛を 尊重できてこそ、天国に行くことのできる資格者となり得ます。  祖父母は父母の前に愛を相続させてあげています。ここでどの愛を否定しても天国は成されません。 自分たち夫婦同士が愛し合う以上にお母さんとお父さんを愛し、自分のお母さんとお父さんを愛する 以上におじいさんとおばあさんを愛さなければならないという結論です。これがすべての天国の核心 となり、理想的モットーとなるのです。(祝福家庭と理想天国I-九四六)  天国の起点は個人でもなく、国家でもありません。家庭なのです。それゆえ、イエス様は新郎・新 婦の因縁を尋ね、この地上に来られるのです。個人が天国の起点ですか。家庭が天国の起点だという のです。家庭は天国完成の基本単位です。天国は一度行ってみれば帰りたくないし、十遍、百遍会っ ても、また会いたいその方がおられる所です。  万民共通にそこに行きたがり、その方に会いたがり、その方と共に暮らしたがるなら、世界は統一 されるでしょう。しかし、それは一度に成されるのではありません。まず個人の基台が立ち、その次 に家庭の基台が立ち、その次に民族、国家、世界に伸びていかなければならないのです。(祝福家庭 と理想天国I-九四二)  天国はどこにあるのでしょうか。空中からどさっと落ちてくるのではなく、お父さんとお母さん、 そして子供の間に授け受ける、その生活的な舞台を育て、またその中にあるすべての被造物を私たち の生活に利用し、私たちの理想の条件に利用する面白み、その面白みを一〇〇パーセント享受するこ とのできる所が天国です。(祝福家庭と理想天国I-九四五)  皆さんの家庭は、天の国の主権を代身した立場であることを知らなければなりません。父母は主権 を代身するものであり、子女は国民を代身するものであり、物質はその国の地を代身するものである ため、父母に孝を尽くすことが国に忠を尽くすことであり、父母に孝を尽くすことが聖人の道理を果 たす道と通じるのです。今、家庭があらゆる醜態に満ちたものの起源となっていますが、神様は家庭 が聖なる土台となることを望んでこられたのです。  人間たちは、必ず家庭をもたなければなりません。家庭を中心として見れば、家庭には父母がおり、 子供かおり、物質があります。それでは、旧約時代、新約時代、成約時代においての縦的な歴史全体 を、横的に展開させて代身することのできる実体とは何でしょうか。万物と子女と父母です。すなわ 65
・ 『天聖経』 第四章 真の家庭 ち、父母と子供と彼らの所有物です。これらは家庭の一つの囲いの中で必要なものです。(祝福家庭 と理想天国I-九四三)  神様の愛を中心として二人が一つとなる所でのみ、夫婦天国は成されます。一つとなったものを、 その誰も引き離すことができないし、別れたり離れたりする心配がありません。皆さんはどのような 愛を求めましたか。神様の愛を求めたなら、皆さんの心と体が完全に一つとなって、神様の愛が臨む ことができなければなりません。  ですから、夫婦天国が生まれ、家庭天国を成さなければなりません。お母さんとお父さんが完全に 一つとなって愛し合うようになり、その息子・娘もお母さんとお父さんのような対象を得てこそ、家 庭天国が実現されるのです。父母がプラスとなり、息子・娘がマイナスとなれば、家庭天国となるの です。(祝福家庭と理想天国I-九四三) ◆四 愛の理想実現は家庭から  愛の理想実現はどこからしなければなりませんか。私たち統一教会からですか。国からですか。世 界からですか。世界をどんなに統一したとしても、自分の家庭を統一できない人は不幸な人です。愛 の理想実現は家庭からしなければなりません。家庭は幸福のすみかです。それゆえ、天国は家庭から 始まるのです。この地上に天国を築こうとして来られたイエス様が「私は新郎であり、あなたがたは 新婦である」と語ったのも家庭を標準としたことです。  家庭には誰がいますか。第一に父母がいて、第二には子女がいて、第三には夫婦がいて、その次に は兄弟姉妹がいます。では家庭は何で絡み合っていますか。愛によって絡み合っています。ゆえに、 家庭は何によって一つにできますか。愛で一つになります。愛は変わらないので、祖父母の愛が一つ になり、父母の愛が一つになり、夫婦の愛が一つになれるのです。愛には統一性が介在されるので、 おじいさんとおばあさんの生命が連結できるのです。そして、理想がここに連結できるのです。  祖父母は父母に相続してあげるのです。すなわち、子女に相続してあげるのです。祖父母の子女は 父母であり、父母の子女は私たちです。このように、愛を中心とした所が天国です。そこであること を否定すれば天国は成されません。神様は愛の主体であられ、過去、現在、未来を統合できるお方な ので、自分たち夫婦同士が愛し合う以上に、お母さんとお父さんを愛さなければならないし、自分の お母さんとお父さんを愛する以上に、おばあさんとおじいさんを愛さなければなりません。  男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。男性は主体なので、誰かの干渉を受けることを嫌いま す。女性は愛するよりも、愛されることを好みます。男性は天を象徴し、女性は地を象徴するので、 男性と女性が一つになることは宇宙が一つになることです。愛することによってのみ宇宙を主管でき るので、愛することによってのみ宇宙の主体になれるのであり、自分の相対を宇宙よりもっと大きい と考えなければなりません。天と地、この二つの世界を連結できるのは変わらない愛です。地上で愛 によって育まれた人生を生きた人は天国に行くことができます。愛を中心とした世界を霊界というの です。  神様と人間の個人個人が完全に一つになれば、自動的に男性と女性が一つになるようになり、完全 な夫婦が生まれれば天地は統一されるようになっています。神様はどこにいることを願われるのかと いうと、愛は男性と女性の二人の中から生じるので、真の男性と真の女性が愛し合う所にいることを 願われるのです。神様がおられるので、その愛が永遠であり得るし、その愛が永遠の統一を成し得る し、その愛が永遠の生命をもつことができるし、その愛が永遠の理想をもつことができます。  それゆえ、その愛をつかむ者は、すべてのものを占領できます。真の愛を中心として成された家庭 の目的は、家庭だけのためではなく、天国を築くためのものです。宇宙が一つになるために、このよ うな目的が一致するよう標準を合わせて、家庭から民族、国家、世界、天宙まで拡大していくのです。 そして、世界まで行ったなら再び、帰ってこなければなりません。(四八-一〇) ◆五 天国は家庭単位で入る所  天国とは何でしょうか。極楽または天堂に行くといいますが、自分一人で行く所ではありません。 自分の父母と兄弟が一緒に行かなければならない所が天国です。天国に行く秘訣は何でしょうか。天 国は個人だけが入るのではありません。家庭的に入らなければなりません。家庭的に入らなければな らないだけではなく、血族を率いて入らなければなりません。この地上で神様の前に多くの血族を もったということは、福を受けるということです。 66


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