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天聖経9-3



・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 ②重生しようとすれば  新郎のイエス様の愛と新婦の聖霊の愛が一体となったその愛が、私の骨肉と一つにならなければな りません。すなわち、「私があなた方の中にあり、あなた方が私の中にあって」というイエス様のみ 言のように、愛の心情基盤が成される前には、キリスト教でいう永生はあり得ないということです。  皆さんは重生されなければならないといいますが、重生されるには、イエス様を誰よりも愛さなけ ればなりません。堕落圏内で、すなわちサタンの愛圏内でなされるそのいかなる愛よりも、神様を中 心としてなされる愛が、より次元が高くない限り、神様と連結することができる道がないということ を知るべきです。これが受難の道であり、宗教人たちが行くべき険しい道だというのです。  キリスト教徒たちもイエス様を日ごとに思慕しており、イエス様が再臨されることを首を長くして 待っており、無心になって「新郎イエス様、いらしてください」と二千年間叫んできませんでしたか。 しかし、体がばらばらになり、胸が裂けて、骨髄が溶ける立場、体の中にあるのか体の外にあるのか 分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通じることができる境地に入るとき、初めて聖霊が臨む のです。聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が起こ るというのです。  皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子、娘だ ということです。まだサタンの讒訴を受けざるを得ない人だということを皆さんは知らなければなり ません。そのような人は、天国に行くことはできません。  イエス様はニコデモに対して、「あなたが生まれ変わらなければ、天国に入ることができない」と 言われました。今まで生きてきた私は、いずれにせよ歴史的に否定されなければなりません。どんな に良くやったと弁解して自ら立てた何かがあるとしても、私自体は否定されなければなりません。堕 落人間であるがゆえに、そのような圏内を抜け出すことができないのです。否定されるべき生涯であ り、否定されるべき生活であり、否定されるべきしかばねの人生であったというのです。  血統を転換するのはメシヤがするかもしれませんが、転換できるように行動するのは自分自身でな ければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。 それは決して容易に成されるものではなく、生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。四 十日断食祈祷であるとか、血を吐く死の境地に行ってこそ、血統転換が可能です。  世界の万民は真の母が現れる前に生まれたので、意味もなく生まれたことになります。それでイエ ス様と接ぎ木した立場でイエス様の腹の中に入っていって、イエス様が夫婦になったとき、聖霊を通 じて再び生まれなければなりません。偽りの愛によって生まれたので、真の愛を通じて再び生まれな ければならないということです。キリスト教で愛を強調する理由もそこにあるというのです。  イエス様と一体になるには、愛以外にはありません。真理でも正義でもありません。生命があるの に先立って、愛が必要です。愛は歴史も跳び越えることができるし、距離や空間の支配を受けないと いうのです。 3.真の父母の中心思想は血統転換  血統的転換は誰がするのでしょうか。それは誰でもできることではありません。先生がこのことを するために、涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。こういう基準が あるので、皆さんは何の功労もなく祝福という新しい伝統を受け継ぐようになりました。転換の勝利 圏を立てるには、数千年に及ぶ神様の労苦と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。こ れを土台として立った所が、正に皆さんが立っている所です。祝福とは、接ぎ木することであり、接 ぎ木することによって血統が変わることです。  血統の同一性が必要なので、神様の心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうなのかといえば、 根が違います。幹が違います。しかし、根が同じでなければならず、幹が同じでなければならず、芽 が同じでなければなりません。そこには絶対的に血統転換という、とてつもない問題が起こるのです。 それは、一人ではすることができません。真の父母がいなければなりません。  神側では、サタンの偽りの愛圏にいる人間をより大きな神様の愛によって奪ってきて重生させるの です。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたがゆえに、真の愛 の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通じて再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になるので す。イエス様の聖血が貴いのも、聖餐の儀式もみな、血統転換を通じて神様の子女になる摂理を形状 的、象徴的に表すものです。 19
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭  皆さんは血統転換、これの実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。先生 がアベルになるとき、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので皆さんが 先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きな問題が起こるというのです。  神様の心情は、どこで連結されるのでしょうか。理論では連結されません。血統を通じてのみ連結 されるのです。皆さんは、神様の心情の血統を受けました。今までは知らなかったというのです。そ れで皆さんが祝福を受ける前に、血統転換式があります。その時は、私は何もないという無の境地に 入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が、 私から始まるという信念をもたなければなりません。  皆さん、祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは何も知らずに先生がさせるまま 従ってやっただけですが、それがそんなに簡単なものではありません。イエス様が夫婦関係を成すこ とができなかったために、歴史がこのように混乱してきたということを考えて、その目的に合う一双 を立てるという心情的基準から見るとき、祝福で血統を汚すような何かがある場合には、大変なこと になります。これは刑罰が問題ではありません。  エデンの園では未完成期に堕落した者も追い出しましたから、完成の心情的基準で罪を犯したとす れば、言うまでもありません。そのような者は、後ろ姿も見たくない神様であられます。先生もやは りそうです。  祝福を受けるとき、皆さんは血統転換式をしたでしょう。その次からは完全に変わらなければなり ません。真の父母が出てこなければ、このことが可能ですか。創世以後、どんなに険しい道を歩んで きましたか。真の父母が現れたことだけでも有り難いのに、真の父母から祝福を受けたということは、 もっと驚くべきことです。こうした伝統、その伝統とは、血統の伝統です。真の愛と、真の生命と、 真の血統を植えた伝統ができているのです。これを、いつも考えなければなりません。  祝福家庭は、どんな意味をもっているのでしょうか。祝福家庭を中心として見るとき、サタンは祝 福家庭を支配できないというのです。どんな国においても先生を完全に信じて真の父母に属したとい う信念をもって立つようになるとき、サタンはそれを侵犯できないのです。なぜそうなのでしょうか。 父母様の心情を中心として血統転換した心情圈に連結されているからです。それで、ここからはサタ ンが手をつけられないのです。  復帰途上で僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がらなければなりませ ん。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系の時代と因縁が結ばれ るでしょうか。  直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結ばれません。必ず原理によって、信仰の基台を経、 実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。すなわち、メシヤを迎えなければな らないということです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子では、血統的な関係が違いま す。それで血統転換が必要だというのです。  堕落人間は、血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。神様と人間との関係は 父子の関係ですが、このようなすべてのものが未知の事実として残っていたがゆえに、歴史が解けず、 今までも神様の摂理を知らなかったのです。血統転換も個人圏、家庭圈、民族圏、国家圏、世界圈、 みなしなければなりません。  これをするには、メシヤにならなければなりません。父母が出てくることによって、父母から血統 が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。このようなすべての問題に 個人が責任をもたなければなりません。個人がみなこういうことをして、越えていかなければなりま せん。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにやってあげるのです。  堕落人間は、出発が間違ったというのです。ですから、また帰らなければなりません。帰ることは 帰るのですが、どこに戻るのでしょうか。原点へ戻らなければならないのです。偽りの父母によって 始まったので、原点へ帰って真の父母によって再び始めなければなりません。ですから、どれほど深 刻ですか。  私が神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが 祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。それを自分の生命よりも信じなければなりません。 統一教会の一つの儀式ですが、ただ一般の宗教儀式だと思ってはならないのです。これは死んだ人を 回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。  聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになって父を欺いて祝福を受け、タマルの歴史を中 心としてもこのような非人間的行為をしたのに、ユダ支派を通じてイエス様が来るとはどういうこと ですか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。キリスト教だけが血 統を重要視して、血統転換を主要思想とみなしてきました。他の宗教にはこういう歴史がないので、 ここに従わなければならないという結論が出てくるのです。 20
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭  ですから血統転換というものを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を外すことができません でした。選民思想を受け継いだキリスト教を外せなかったというのです。(世界基督教統一ではな く)「万教統一」と言っていれば、どうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。 骨髄思想がこのようになっているためです。はっきり知らなければなりません。 4.血統転換の三段階過程 ①聖酒式  統一教会の祝福を受けるとき、血統転換式があります。皆さんは血統転換式をしたでしょう。蕩減 棒行事とか三日行事とか、どんなに複雑ですか。そこには、サタンは入ることができません。それは 真の父母と神様によって天国の門を開き、解放を宣言して立ったものであるがゆえに、長成期完成級 で活動していたサタンは関係をもつことができないのです。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたこ とを知っていますか。それを経なければならないのです。  皆さんが婚約式をしたあとには聖酒式があり、その次に結婚式があります。それでは、この婚約式 と聖酒式、そして結婚式はいったい何でしょうか。これは、ある前例に従って行う式ではありません。 堕落したすべての内容をもう一度、象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避な行事な のです。  堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定して、新たに神 様の愛を中心として真の父母の愛を再現させることができる復活的な実体を備えずしては、祝福の場 に行くことができません。したがって聖酒式は、まさしく真の父母の愛の関門を通じて、新しい生命 の基準を成すことを約束する儀式です。  聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として神様の体を自分の体の中に投入させる儀 式です。堕落した体は一つしかないので、神様の愛を中心として取り替えるのです。これが正に聖酒 式だというのです。イエス様が、「パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴す るものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない」と語ったのと同じように、 愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清めることができる 式です。この式を経ずしては、祝福の場に行けないのです。ですからこの式は、血統を転換させる式 です。  「血統転換」という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。 その血統を転換するためには聖酒がなければなりません。そして聖酒という酒が出てくるためには、 二十一種類の選別過程を経なければなりません。それが何か知らないでしょう。それは空中で実を結 ばせるものと、地で実を結ばせるものと、地の下で実を結ばせるものを中心としています。その次に は鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように二十一種類の選別された物を通じて、 その過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴条件に引っ掛かってはいけません。七カ月間、使 わずにおきますが、そこに不祥事が生じてはいけないのです。  聖酒式は蕩減復帰式です。聖酒式は天使長の立場でするのです。ですから血統とすべてを捧げます。 すべて復帰する条件になります。ここでお母さんを通じて先生がするのです。皆さんも全く同じ立場 です。そのような立場で橋を架けるのです。聖酒式をこのように挙行することによって、皆さんが父 母の場と同じ復帰の場に入っていくというのです。それを知らなければなりません。  聖酒は女性が先にもらいます。女性が先に先生に敬拝して聖酒をもらい、半分だけ飲みます。その 次は、夫が敬拝しなければなりません。これは、女性が半分飲む時は、男性は頭を下げているのです。 この時は、女性がお母さんの立場にあります。お母さんの立場と同じです。こうして女性が半分飲ん で残ったものを男性にあげ、男性が飲むことによって因縁が結ばれます。それで男性も対等な場に行 くことができるというのです。  聖酒式は、アダム、エバが堕落したその反対のコースで行うものです。結婚するには、婚約式がな ければなりません。その次は聖酒式です。そうしてこそ結婚式に進むのです。皆さんは堕落したので、 アダム、エバになれなかったのです。婚約式は、息子を取り戻そうという神様の前に、真の父母の前 に、「堕落した息子より立派なアダム、エバになりました」と言うものです。  アダム、エバは婚約段階にあったのです。こうして一つの世界がここから誕生するのです。ですか ら、このようなすべての因縁を連結させる条件を成立させることが聖酒式だ、ということを知らなけ ればなりません。  聖酒を飲むには、天使長からエバ、エバからアダムです。皆さんはどのようにするかといえば、エ 21
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 バが受けます。エバがいなければ、男性は再び生まれることができません。復帰なので、エバに杯を 受けさせ、半分だけ飲んで、その次にエバが夫に与えます。杯をもらう時は、お父様から頂く代わり なので、礼をして、実際には三拝ですが、礼を一回だけでもいいです。三拝するという気持ちをもっ て、それを頂いて半分を飲んで、それを夫に。それを飲んだあとは、返してもらいます。そして反対 にします。  そのようにすれば、心情的に一体化します。実際には、その前に先生が女性たちに手をのせて祈祷 しなければなりません。先生が女性の手にこのように祈祷します。これが一体化の祈祷です。そうい う祈祷をして聖酒を飲めば、堕落の血統をきれいにすることになります。それが条件です。キリスト 教の洗礼式のようなものです。血統転換式! 分かりますか。  天使長を通じてエバが堕落したので、復帰歴史においては、エバがアダムを通じて天の前に立って 天使長復帰をしなければなりません。そのために行うのが聖酒式です。聖酒式をするとき、先生が女 性に先に与えるでしょう。なぜそうなのか知っていますか。それが失ったエバを復帰する式なのです。 聖酒式をすることによって霊的に一つとなり、心情的に一つとなり、肉的に一つになるのです。絶対 的な内約なのです。  聖酒は、ただ作られるのではありません。ただそのままできるのではないということです。サタン と神様の立ち合いのもとに、霊界にいる数多くの天使たちの立ち合いのもとに作られるのです。そし て、そこには皆さんが知らない二十一種類の物が入っています。万物世界と人間の復帰歴史の過程で 形成される、すべての物が入っているのです。  聖酒を作る時は、霊界の霊人たちが来て、「頼むから一杯だけ注いで自分に飲ませてくれ」と強要 します。聖酒を飲めば、復帰されることを知っているからです。それで、こじきが群れになって来て、 しきりに「自分たちにも恵みをくれ」と言います。先生にはそれができるということを知っているの です。しかし、先生は、霊界のための先生ではありません。地上のための先生です。ですから「君た ちは待ちなさい」と言って、苦労した皆さんに与えたのです。  聖酒には、父母の愛を象徴するものが入っています。そして血を象徴するものが入っていなければ なりません。したがってそれを飲めば、父母の愛と一体になり、また血と一体になります。こういう ものが聖酒の内容なのです。  聖酒は、どのように作られるのでしょうか。それは地と海と空を象徴し、全体を象徴するものから 作られた酒です。聖酒には三種類の酒が入っています。それ以外に、すべての万物を象徴するものが 入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。この式 がなければ、原罪を脱ぎ、血統を転換することができません。血統が転換されなければ、完成基準を 通過して神様の愛と一体となることができないのです。したがって聖酒式は、そのすべてのものを蕩 減する式だということを知らなければなりません。  聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原 罪を取り除く式だということです。  聖酒にはサタンの讒訴のない万物の要素がみな入っています。その聖酒をもらって、真の父母と一 つになった自分自身を汚す行為をすれば、サタンよりも恐ろしい立場に立つようになります。サタン は長成期完成級圏を汚して蹂躙しましたが、祝福を受けた者が過ちを犯せば、完成期完成級園で神様 の実体を犯した罪が残るので、永遠に許されません。これは実に恐ろしいことです。  聖酒式をしたその場は、父母様が通過してきたすべての受難の道をみな蕩減してあげるためのもの です。それは天下、宇宙を与えても替えられない貴い立場です。それを汚してはいけません。そうす れば当然、責任追及を受けなければなりません。  祝福家庭の二世たちと新しく入ってくる若い層、祝福対象者たちとは何が違うのかというのです。 皆さんが祝福を受けるときは、聖酒式が必要であり、それ以外に必要なものが多いのです。複雑なの です。しかし祝福家庭の二世は、そのような聖酒式がありません。根が違うというのです。皆さんの 根は堕落世界の根ですが、彼らはそうではありません。もちろん、人はみな同じように見えますが、 歴史が違い、背景が違うというのです。出発が違うので、過程も違い、今現在置かれている立場も違 い、未来において行く目的地も違います。目的地が同じだとしても違うというのです。祝福家庭とし ての立場なので、同じではありません。 ②祝福結婚式  祝福式は、愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が良く生きるように、皆さんも父母の愛を神様 22
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 の愛の代わりに受けて、「このように生きなさい!」という愛の伝授式が祝福式だというのです。神 様の愛を父母から受けるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは、天使長がして くれる結婚です。名のある人が片方だけ来て結婚式をしてくれるのは、みな天使長にしてもらう結婚 式です。  結婚式というものは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を与えられることをいいます。  祝福結婚式は、ただ単に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式 は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを返し得るだけの内容をもって、 歴史を蕩減する条件として、神聖で盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダ ムとエバの堕落で始まった神様の恨を解怨し、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通 過することであると、「原理」は明らかに説明します。  主礼の前に歩いていくのは、六千年の摂理路程を歩むことです。蘇生、長成、完成を意味する路程 に、二十一人、十二人の介添人を立てます。これは三数を代表するものです。七歩歩いて、蘇生を越 える条件として三回、敬拝しなければなりません。この路程は、アダムから今までの歴史路程です。  特にアダム、イエス様、再臨主の三時代の過程ですが、この介添人の中を通過して、真の御父母様 と出会うことを意味します。介添人を立てるのは、十二支派、二十四長老の霊的基準を立てるためで す。敬拝することによって、蕩減条件を立てるのです。真の御父母様は聖水をまきますが、これは蕩 減復帰した立場に立てるためであり、その条件を立てるためです。また霊界の先祖たちの土台を越え る条件を立てるものです。  合同結婚式は、神様の新しい家庭を取り戻し、立てるためのものです。合同結婚式は、神様を何よ りも愛することができるようにするものです。  統一教会の誇りは合同結婚式です。しかも同じ民族同士で結婚することより、東洋、西洋の人が合 わさって結婚式をもつということは、誇り以外の何ものでもありません。そのことは統一教会でなけ れば、誰もできないことです。大統領もできないことです。それは先生が優秀だからそのようなこと ができるのでなく、神様の力が作用しているからです。  先生の聖婚式は、今までのどんな結婚式よりも盛大にしなければならないのに、苦難の中で行った ので盛大にできませんでした。ですから今後、盛大にしなければならない条件が残っています。食口 たちは自分を中心とした三代の中で、外的に最も結婚を素晴らしく行った立場に立たなければなりま せん。そうしてこそサタンの前に条件を立てることができます。それで合同結婚式をするのです。内 的な面でも神様が喜ぶ結婚をするためには、祭物的な条件を立てなければなりません。  神様が催した宴会は、サタン世界のどの宴会よりも壮大でなければなりません。しかし個体として はその基準に立つことができないので、歴史始まって以来、かつてなかった合同結婚式を挙げなけれ ばなりません。  祝福結婚式の目的とは何でしょうか。それは世界を教うためのものです。この結婚式は、国境と人 種と言語と文化、習慣を超越した国際合同結婚式でした。新しい神様の民が編成されるのです。した がってこの結婚式場は、和解の広場でした。  神様を中心として世界民族の編成のために、統一教会で祝福結婚式を行います。  今日のこのような成婚式は、神様の希望であり、理想でした。アダム、エバが成熟すれば、成して あげようとしていた成婚式なのです。創造理想の心情の中にあったもので、これは実に歴史的なこと です。このような式典は創造以後、初めて行われたということを痛感しなければなりません。 ③三日行事 ― 実体復帰式  祝福を受けて四十日が過ぎたのちには、三日間にわたり実体的な復帰式があります。この四十日期 間は、歴史的で総合的な蕩減期間なのです。人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、 蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。  アダムの時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の神様の蘇生的な愛圏を継承で きずに、キリスト教を中心として神様の長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、 長成の愛圏を受け継いだのちにこそ、完成的な成約時代圏に立つことができるようになるのです。そ のような条件を立てることが、三日行事の実体復帰式である蕩減式です。三日行事の実体復帰式の最 23
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。二日目は、新約時代の イエス様の立場を蕩減復帰するのです。三日目は、イエス様の代わりの新郎として新婦を再創造する のです。そこで初めて正式軌道に乗って、出発することができます。このように具体的に蕩減条件を 立てるのは複雑なのです。  三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻です が、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげ なければなりません。結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、 再臨主までは三時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の三代を経て出てくるには、誰が生んであ げるかといえば、女性が生んであげなければなりません。  この地上には今、主が、主人がいないというのです。ですからそれを生んであげる責任を果たさな ければならない立場に立ったのが、女性たちだというのです。エバがアダムを完成させなければなら ないのに、堕落させ、イエス様がその使命を完成できるように、イエス様をよく生んで責任を果たさ なければならないマリヤが、責任を果たせなかったというのです。それを、すべて復帰してあげなけ ればなりません。結局は、アダムとして生んであげなければなりません。完成したアダムでなければ、 結婚することができないということです。再臨時代まで三代かけてきたので、三人、三代にわたるお 産の使命を果たさなければならないのです。  エバがアダムをこれくらい産み育てて、そこにまたイエス様をこれくらい育てたのちに、完成段階 に入って夫を育てます。そののちに、夫としての権限を中心としてエバを愛して、越えていくそのよ うな過程があるというのです。そこにおいて告解がなければなりません。再臨時代になって初めて夫 になります。完成したアダムの立場に立つので、祝福の場、新郎の立場に立つようになるというので す。何のことか分かりますか。  先生を通じて妻は、お母さんの使命を再び与えられるのです。これは、三段階で生んであげる形式 で愛さなければならないということです。愛によって生んであげるので、そのような条件を立てるた めには、愛するときに、今までとは反対にするのです。女性が上になり、男性が下になります。愛す るとき、それを間違えないようにしなければなりません。  三日行事の式を進行するとき、まず女性が祈祷します。蘇生的アダムをお産するのに、祝福がなけ ればなりません。その次には、イエス時代に入ります。「イエス様のような第二次アダムをお産する 祝福をしてください」と同じ式を行います。それで二度生めば、イエス様の立場であると同時に完成 的な立場に育ったという段階へと越えていくのです。そのとき初めて、夫の立場に進みます。主体的 立場へと進むのです。  その次からは、男性が上に復帰されます。それで三度目の愛は、男性が上で行います。二人がその ように愛を終えたのちは、神様の永遠の夫婦として、天の相続を受けた永遠の家庭として、父の眷属 になると祈祷して、その次に夫婦生活に入るのです。そのようになれば、完全に蕩減復帰された家庭 として、天の国に堂々と入るというのです。そのように難しいものです。ですからこういうことを知 らなければ、復帰は不可能なのです。これを知らなければ、復帰できません。今日、既成教会で、信 じて天国へ行こうというのは、でたらめで、こっけいなことです。天国へ行くのではなく、楽園へ行 くのです。楽園は待合室です。  聖酒式は、三人のお母さんから生まれたという条件を立てる式です。聖酒には蕩減の血が入ってい ます。聖酒を飲むことによって、内的に清め、聖巾で体を拭くことによって、外的に清めようとする のです。  これから実体の子女を繁殖しなければなりません。父と心情的な因縁を結ぶことができる子女を生 むようにしてくださいと祈祷しなければなりません。心情的な祭司長になることができる子女を生む ために祈祷しなければなりません。先生は、天地を身代わりすることができる心情的基準の上で子女 を生むことを願います。  先生は、一度祝福すれば責任を負います。私たちは世界の代わりに、もう一度祝福を受けなければ なりません。ですから条件的な結婚です。それまでの四十日間は、四千年を蕩減する期間に該当しま す。事実、結婚生活はきょうからです。今までは蕩減期間でした。 三 祝福家庭の責任 24
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 1.真の父母と一体圏を成さなければ  人間は長成期完成級で堕落したので、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が 長成期完成級で堕落したので、堕落したその線以上に上がってこそ、初めて原罪を脱ぐことができる ようになっているということです。原罪は長成期完成級で脱ぐのではありません。したがって今日、 皆さんが祝福を受けて立ち上がったこの場は、完成期完成級ではなく、長成期完成級だという事実を 知らなければなりません。  堕落したアダム、エバを中心としてカイン、アベル、セツと彼らの対象(相対者)を含んだアダム 家庭の八人がみな落ちていってしまったので、神様の前に蕩減条件を立てて、再び完成級に向かって いかなければなりません。そこでは父母の愛を感じなければなりません。生命の起源は、父母の愛を 通じて生まれるのです。こういう生命の価値を世界の何よりも尊重視できるその場を経てこそ、新し い道を行くことができるというのです。原理がそのようになっています。  今の個性完成は、絶対的な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成 ということを知らなければなりません。それで彼らが父母の立場に立っていますが、神様の心情圏と いうものを知りません。自分の妻は宇宙を与えても替えることができず、夫は宇宙を与えても替える ことができず、二人が愛するそこに天地をつかんでいくことができる偉大な力があるということを体 験できませんでした。  ですから祝福してあげた家庭は、この堕落圏を越える時までは、条件完成圏内に立っているという ことを知らなければなりません。天国完成圏ではありません。条件完成圏です。条件完成圏にあるの で、ここで生きたのち、霊界に行けば手続きを別にしなければなりません。手続きの手順を済ませて、 完成的完成をすれば、パスポートをもらって天国に入るのです。  「私は祝福を受けたからもういいだろう! じっとしていても天国だ」とそのように座っていれば、 めちゃめちゃになるのです。祝福を受けたことが完成段階ではありません。皆さん、七年路程を習っ たでしょう。このような複雑な内容を知って、合わせてくれる人がいないので、全能なる神様も仕方 なく引っ張られてくるのです。皆さんが祝福を受ける時、「私たちは神様の原理原則に従って祝福を 受けた。きょうから一つになった」と言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりま せん。  お互いに再創造しなければなりません。怨恨の夫婦の溝を埋めなければならない道が残っているこ とを、統一教会の祝福を受けた者たちが忘れてしまえば滅びます。私がいくら「滅びない」と言って も、滅びるようになっています。二人の夫婦は、神様が願う理想的復帰完成の夫婦に向かって、再び 再創造の過程をたどらなければならないのです。それで統一教会では、個人復帰完成、その次に家庭 復帰完成をいうのです。  人類が願うこととは何でしょうか。真の父母に侍ることです。六千年前に、アダム、エバの成婚に よって、全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落することによって、 人間たちはサタンの子孫になってしまいました。ですから、これから私たちは、六千年前に失った天 側の真の父母を再びこの地上に探して立てて、その真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなり ません。そうしてこそ天国の民になることができるのです。  すべての始まりは、真の父母からです。すべてのものの出発、初めは皆さんではなく、真の父母で す。生きるのもそうであり、行動するのもそうであり、愛の家庭を連結するのもそうです。初めは真 の父母です。これは先生の話ではなく、私たちの初めの先祖に対する神様の公式的な概念であったと いうのです。どうすれば私たちの家庭を父母様の家庭のようにつくれるか、それを考えなければなり ません。  皆さんはこれから、真の父母と共に生きなければなりません。ですから真の父母は、おじいさんの 立場であり、自分のお母さん、お父さんの立場であり、自分たちは長子の立場だというのです。三代 にわたって共に生きるという結論、これが違うのです。神様が私と共にあり、真の父母が私と共に あって、自分の父母が共にあるのを感じて生きなければなりません。神様がいない、死んだというの は、考えられない時代に入りました。 人間は誰でも、心情的に神様と一つになるようになっています。神様である父と、子である人間は、 正に心情で結ばれています。  神様を信じることができずに堕落したので、メシヤを信じて、ついていかなければなりません。つ いていって何をするのでしょうか。愛の住みかを用意しなければなりません。簡単でしょう。それか ら新郎であるイエス様と実体的に一体化して、心情一体化しなければなりません。それで復帰しなけ ればなりません。そうして神様と真の父母と真の子女が対面する場、すなわち神様が初めに願われた 25
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 その揚が、この天地間に繰り広げられれば、そこから新しい天地が開かれるのです。  皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなけ ればなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木するには、皆さん自体に残っ ている蕩減路程をみな清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通じて清算 されなければなりません。それで真の父母から接ぎ木されなければならないのです。アダムが真の父 母になることができず、偽りの父母になったので、神様は今まで真の父母を探してこられたのです。 再臨時代に新郎新婦とか「小羊の婚宴」とかというものも、みな父母を探すためのものです。  父母の愛を受けるには、何をしなければならないでしょうか。父母様が愛するすべてのものを愛さ なければなりません。そうしてこそ、初めて愛されるのです。家庭でいえば、自分の親に愛されるこ とを願うならば、その息子は親がもっているすべてのものを愛してから、愛されなければならないと いうことを知らなければなりません。これをしないで愛されようという人は、どろぼうです。父母が 貴く思うものをすべて自分勝手に引き継いでは、愛されないのです。  皆さんは、真の父母の本当の息子、娘ですか。真の子女とは、何を中心としていうのですか。真の 血統です。もちろん真の愛を通じて因縁をもちますが、成されるのは真の血統を通じて連結したとい うことです。真の血統を通じて連結されたものは、お母さん、お父さんに似るのです。皆さんは先生 に似ていますか。皆さんの目は青く、私は黒く、髪の毛も違うではありませんか。髪の毛がみな白い ではありませんか。私は東洋人で、顔が平らです。  似るのは、一番の骨子だけが似ます。骨子だけが似ますが、どういうふうに似るかといえば、サタ ンに勝つことと神様を絶対に愛することだけ似ます。それだけ似るというのです。そうしてサタンを 主管して、コントロールするというのです。  皆さんが先生をどれだけ愛さなければならないでしょうか。根本問題に戻ります。サタン世界の愛 の痕跡がある、その愛に染まったところで愛してはいけません。それ以上でなければなりません。皆 さんがサタン世界で生まれたお母さん、お父さんと妻子、その誰よりも愛さなければなりません。  それで聖書で「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむ すこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)と言ったのです。すべてそ のような結論を下したのです。そう言いながら、あとでは「自分の十字架をとってわたしに従ってこ ない者はわたしにふさわしくない」(同一〇・三八)と言いました。十字架を背負わなければならな いと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架でしょう。こ こで、悲痛な涙を流さなければなりません。  今日、堕落した人間はすべてのものを否定して、全体を否定する中で、愛の芽を育てなければなり ません。そのような論理が必要になっています。全体を否定して、ただ主体の愛をもった神様を中心 とした、愛を中心とした絶対基準を発見しなさいというのです。  一切を父母と共にかかわり、父母と共に決定し、父母と共に話し合い、父母と共に解決しなければ なりません。 2.性の絶対的な価値観確立  男性、女性の愛の象徴とは何でしょうか。愛の終着地点とはどこでしょうか。男女を一体とならし める性器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさることができる通路になるのです。  男性と女性は何が互いに違いますか。性器官(Sexual Organ)を含むその体がまず違います。それ では男性の性器官は誰に絶対に必要ですか。男性の性器官は女性のためにあるのです。人間の性器官 が一つは凹で一つは凸ですが、なぜそのようになっていますか。二つともとがるようにするとか、二 つとも平らにすることもできるのに、なぜそのように違うのですか。みな相手のためです。  男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。絶対に女性のものが男性の もので、男性のものが女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、 愛を知るというのです。  生殖器とは、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、永遠に変わらない天の伝統を受 け継ぐ血族を、血統を受け継ぐ王宮です。真の生命の王宮、真の愛の王宮、真の血統の王宮だという のです。その王宮は最も貴いところです。自分勝手にできません。神様の公認がなければ、開けるこ とができません。神様と宇宙の公認を受けた自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。  男性と女性が、凹と凸が一つになるのは、神様が完成し、半分の女性、半分の男性が完成する場で 26



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