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天聖経9-4


・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 す。凹と凸が結婚して初愛の関係を結ぶその場で、神様の愛的理想が完成する定着地が展開するので す。男性と女性の愛を中心とした神様の相対的位置としての完成の位置が決定するのです。これは宇 宙の核です。  これが動けば、すべての宇宙が行ったり来たりします。地上天国の本拠地であり、天上天国の本拠 地なのです。ここは愛の本然地であるので、「愛の本宮」と言います。多くの王宮の中で、中心の宮 を「本宮」と言います。ここが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、その次には、 天上天国と地上天国の出発地であり、人間が願っている自由と幸福と平和がここから始まるのです。  そこは愛、生命、血統、すべてのものの王宮であり、個人、家庭、氏族、民族がそこから連結され ます。天上天国と地上天国の本熱地、出発地だということを知らなければなりません。その次は自由 と幸福と平和の起源地です。女性に男性がいなければ絶対暗黒であり、男性に女性がいなければ絶対 暗黒です。  平和の基地もそうで、地上天国と天上天国、すべてのものが愛から始まります。何の愛ですか。男 性の愛ですか、女性の愛ですか、男性、女性が合わさった愛ですか。合わさった愛です。その男女の 愛はどこで合わせますか。顔で合わせますか、指先で合わせますか。凹凸で合わせるのです。  男性が崇拝できる最高の場所とはどこでしょうか。女性の顔ですか。女性の胸ですか。女性の体で すか。どこですか。凹と凸を合わせることができる所は一つしかありません。そのために、予備的環 境が、社会が連結され、国家が連結され、世界が連結されて、地上・天上天国、宇宙がみな連結され ます。これが存在世界の鉄則であり、公式です。  男性完成、女性完成、神様まで完成させることができるその本拠地とはどこでしょうか。どこで神 様の愛を完成させることができ、どこで男性、女性を完成させることができるのでしょうか。その中 心の定着地とはどこでしょうか。これが問題です。これを知らなければ、地上に愛の理想天国を拡張、 拡大することはできません。それは目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか。どこですか。凹凸で す。  生殖器というものは何ですか。それは真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮 であり、真の血統を中心とした王宮です。一番貴いものです。これがなければ、神様の理想、神様の 家庭、神様のみ旨が成されないのです。これは、全体完成を成し遂げることができる一つの起源です。  女性の生殖器は、宇宙的な本源です。愛の関係を結ぶその場が、愛の本宮になっています。本然の 宮中です。愛はそこから始まるのです。結婚した初夜の愛が、愛の本宮の出発です。女性の生命、男 性の生命が、初めて一つになるのです。ですから理想的な生命の本宮がそこであり、血統がそこから 始まるために、血統の本宮がそこなのです。そして天国がそこから始まるために、そこが地上天国の 本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、神様完成の本宮です。  生殖器は、愛の王宮です。今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命 の王宮であり、血統の王宮であるもの、そのように貴いのが人間の生殖器です。神聖なものです。そ れが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、汚いものではな く、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、血統がここに連結されています。このように神 聖なものをサタンが汚しました。  生殖器を絶対的に貴く思う世界になれば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。 栄える世界でしょうか、減びる世界でしょうか。神様が人間を創造なさるとき、最も大切に精誠を尽 くして創造された箇所とはどこでしょうか。目でしょうか。鼻でしょうか。心臓でしょうか。でなけ れば頭脳でしょうか。これらはすべて、死んでなくなります。事実がそうではありませんか。  私の生殖器は、愛の本宮です。私の生殖器は、生命の本宮であり、王宮だというのです。私の生殖 器は、血統の王宮です。このようになってこそ、神様が臨在できる王宮になることができるのです。 神様は王の王であられ、本宮を訪ねてとどまられるお方なので、神様に仕えるために、愛の本宮にな らなければならず、生命の本宮にならなければならず、血統の本宮にならなければならず、良心の本 宮にならなければなりません。  愛が中心となって、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血、女性の血が一つのるつぼ で一つになる場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫より神様よりも貴いということを知 らなければなりません。子供より貴く、夫より貴く、父母より貴い場だというのです。それがなけれ ば、父母も無価値なものであり、夫婦も無価値なものであり、息子、娘も無価値なものです。  そのように貴いので、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、錠をかけてお くのです。そしてその鍵は、男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、各々一 つしかありません。一つの鍵だけをもたなければなりません。フリーセックスのように十も、二十も もちたいですか。門を開けて主人がいない家のように、過ぎゆく人がみな出たり入ったりする廃虚の 27
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 家のようになりたいですか。  男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮 です。おじいさん、おばあさんもそれをつかんで生き、今後生まれてくる息子、娘もみなそれをつか んで生きるでしょう。それをつかまないで生きる女性、男性がいるでしょうか。ところが、それが何 ゆえ悪いものになりましたか。「下品な言葉」と言うでしょう。何ゆえ下品な言葉ですか。聖なる言 葉です。聖なる言葉として受け入れなければなりません。そこで永遠の愛が連結され、永遠の生命、 永遠の血統が出てきます。最も貴いものです。  女性、男性の貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性、女性の愛 の秩序が、宇宙の根本だからです。  頭よりもそれがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源があり ません。頭には真の血統の起源がありません。その起源はどこにあるでしょうか。生殖器です、それ は間違いないでしょう。生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があ ります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。血統も同じです。人間の体だけでな く、人間世界と人類歴史を通じて、一番貴いところです。それがなければ人類の繁殖は不可能です。  堕落した世界において、愛は最も危険なものになってしまいました。愛をよく管理できなければ、 天下が崩れ、ひっくり返るのは、堕落したからです。愛が何ゆえ偽りで醜くなったのかよく分からな かった人間が、その愛を守り、保護しようとしてきたのは、真の愛が現れてくれることを希望する本 能のためでした。  堕落することによって、男女の生殖器が、この妖邪な死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させ た本宮となり、天道を破綻させた化け物団地になりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。  愛の王宮とはどこですか。こういう話をするからといって、変に考えないでください。それを正す ことができなければ、世の中がみな狂うのです。標準が合わなければ、全天下に妖邪なものが横行し ます。文総裁がこれまで苦心して、人間の根本問題、宇宙の根本を究明してみると、ちょうど到着し たところが生殖器でした。生殖器に到着してよくよく考えてみると、天地の調和がここで渦巻いてい たのです。驚くべき事実です。  真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性がなく、個々人の愛の自由だけを主張して実践す るならば、どんなに大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成す人間の完成は、愛 に対する責任性をもつとき、可能なのです。  人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら自己修養、自己主管によって、自由の主体となる責 任性をもたなければなりません。人において愛の責任性は、法や人目を気にすることによって守られ るのではなく、神様との生命的、縦的関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるのです。  生殖器を目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば、地獄行きであり、反対にこれ を神様の絶対愛の基準に合わせて使えば、天国の高い所に行くのです。明白な結論です。  愛の器官をむやみに扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の 園です。愛は、そこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。 地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源が、そこで形成されるとい うのです。  神様の笑いの土台がそこから出発します。愛を見つけて、神様が踊ることができる場が、その場で す。その場を探していかなければなりません。それは正しいですか、違いますか。このように貴いも のです。  人間が堕落するとき、愛ゆえに堕落したために、この性器が一番恐ろしいのです。宗教では姦淫す ることを一番恐ろしい罪として扱っています。米国のフリーセックスは悪魔の地獄膨脹主義ですか、 天国膨脹主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これはすべて滅亡するのです。  文総裁がすべての真理を探究し、霊界、肉界を探査し、すべての経典を探査しても、これは解決す る道がありません。神様がいるでしょうか、いないでしょうか。神様がいるならば、世界をこのよう につくった神様をそのままにしてはおきません。見極めるための談判闘争をしたのです。人間が生ま れた根本原則とは何であり、何ゆえ生まれたのでしょうか。男性は女性のためです。それが全体の真 理の中の最高の真理です。  女性の前に理想的な男性は最高の真理です。宇宙全体を完成した理想の真理の本体だということを 28
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 知らなければなりません。男性の前にそのような女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的 な真理体です。  祝福を受けた血統を汚してはなりません。それを皆さんは、よく知らなければなりません。天国を 受け継ぐことができる、相続することができる財産です。それは血族の文書、血統の権利証書と同じ です。族譜と同じです。純潔をどのように守るかということです。 3.理想的夫婦生活が重要  男性は、神様の陽性的形状をもった存在であり、女性は、神様の陰性的形状をもった存在です。夫 婦は、天下を一つのふろしきに包んだようなものです。ゆえに夫婦は、神様の理想的な愛の心情を感 じることができます。  夫婦が神様を愛し、人類を愛する心の土台の上で、爆発するように愛し合うならば、その家庭に よって、神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになります。その愛は、神様のための愛であり、 人類のための愛でないはずがありません。その愛の根はどこにあるのでしょうか。自分にあるのでは ありません。神様が愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。  結婚したならば、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いも のと連結されるときは、垂直的概念が生じます。平面的な役事は宇宙や天宙を収拾できません。垂直 と水平が出合って、九〇度の角度を成すとき、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、 後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面に付けてもぴったり合うのです。地上の 完成基準は、霊界のすべての完成へとつながります。  神様の結婚式とはアダム、エバの結婚式です。ですから地上天国と天上天国が同時に生じるのです。 愛の巣から出発するのです。男性、女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地 上天国、天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立しなければならないその基地がそこです。その 場でなければ、愛の巣を成すことができません。  人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分散することを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、 親子間の縦的な愛の関係とは違って、分散すれば既にその完全性が破壊されます。夫婦間には絶対的 な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。人間には、自分の相対に絶対に「ため」に 尽くさなければならない愛の責任性があります。  男性と女性が祝福を受けて完全な愛を分かち合い、喜びを享受するとき、神様の目には、地上に咲 いた花のようだというのです。また彼らの愛によって成されるすべての調和万象は、神様には香気の ようなものです。神様は、このような美しい香りの中で暮らしたくて訪ねてこられるというのです。 神様の愛が訪ねてくることができる根拠地が、まさしく夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が 和動する場となるでしょう。  神様の愛が人間の三大愛を中心として共に花咲くことができる家庭を成すことが世界の願いであり、 人類の願いであり、未来の願いだというのです。これが初めて天地の法度の前に歴史の香りを漂わせ ることができ、新しい花として登場できる貴く美しいものが、夫婦の愛だということを知らなければ なりません。  男性と女性の愛の完成が宇宙の完成です。この愛が壊れる日には、宇宙の秩序が破壊され、縦的な 世界がみなつぶれるようになります。  心情的な愛によって結ばれた夫婦は、その愛情が生活圏に満ちあふれ、生涯を通じて満ちあふれ、 神様の目的と間違いなく一致したという家庭を成さなければなりません。そうでなくては神様がい らっしゃる天国へ帰ることはできません。  愛は永遠です。そのような愛は、二つではなく、一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれ ば、地上で百年偕老(注:夫婦が仲睦まじく年を取ること)し、死んでも永遠に共に生きていくよう になっています。体は二つでも、一つとなって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つ になれば、神様と回るようになって、愛の四位基台を成すので、それが正に理想世界なのです。そこ には偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛のみが臨在するようになるのです。  人には常に刺激が必要です。幸福は、刺激なしには成されません。刺激がなければなりません。  いつも食べる御飯も、食べるたびに、おなかがすいていてこそ味が新しいように、夫婦間の愛も同 29
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 じように、常に新しくなければなりません。妻と夫がお互いに見れば見るほど、より一層共にいたい し、一日中、共に過ごしたいと思わなければなりません。そのために自分に対する研究をしなければ ならず、神様に対する研究をしなければなりません。  理想的夫婦とは、どんな夫婦でしょうか。最高の芸術を実体に展開させることができる夫婦、最高 の文学を展開させることができる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の 愛によって夫婦がやり取りする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活 自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければなりません。  結婚して夫婦が真の愛を行う場は、神様と人間の愛と、生命と、血統の根源の王宮の場であり、理 想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の 愛を中心とした夫婦一体を完成して、神様に仕えて生きる家庭になり、平和と理想の出発基地になる のであり、半分の男性、女性たちは一体となって、神様の相対として神様の理想愛を完成させるよう になるのです。  赤ちゃんを生む場は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の立場に上がることによって、子女 を愛することによって、神様が創造以後、人間をどれくらい愛したのかという内縁を体恤させるので す。  皆さん、愛するのを神様が見るでしょうか、見ないでしょうか。天下時空を超越する神様が、この 世界の五十億人類が愛する夜になると、目をつぶるでしょうか、つぶらないでしょうか。見ているな ら気分はどうでしょうか。  良い妻、良い夫がどれほど多いですか。考えてみてください。ありとあらゆることがみな展開され るでしょう。やむを得ず女性の役割をし、やむを得ず引っ張られていき、やむを得ず機嫌を取って、 そのように生きるのではありません。  それが愛ですか。それが人生ですか。世の中がすべて神様が願っていた創造理想どおり、花の香り が漂うエデンの園のように、ちょうど蜂が思いのままに飛び交い、天地に和動しながら生きることの できる環境となって、神様がそこに酔い、眠ることができるなら、どんなにいいでしょうか。それを 考えたことがありますか。一度そのように生きてみてください。 夫婦の愛を通じて一つになることによって、神様のような立場で、創造の能力を成したのが子女です。 4.祝福は理想家庭完成にある  人間に対する神様のみ旨は、創造目的を完成して創造理想を実現することです。創造理想の実現は、 男女が結婚して愛によって一つになることで終わるのではありません。そのようになったのちは、息 子、娘をもたなければなりません。何ゆえそうなのかといえば、天地の道理は上下、前後の関係が連 結されることだからです。きのうがあればきょうがあり、きょうがあればあすがあるのです。連結さ れなければなりません。ですから夫婦だけでは、きょうはあってもあすはありません。あすがなけれ ば、すべてのものが終わるのです。それで天地の道理は、上下が連なってこそ左右になります。  人間の始祖を通じた神様の理想は、男性と女性が結合して、理想的な家庭を成すことでした。理想 的な家庭の中心は、男性でもなく、女性でもありません。家庭とは、父母と子女、夫婦の結合によっ て成された一つの束なのですが、その結ばれた中心が、正に神様の愛です。神様の愛を中心として、 家庭を完成させることが神様のみ旨だという結論が出てきます。家庭は、神様の理想が顕現すること のできる基点であり、人類の幸福の顕現の基点となるのです。人間としての仕事がみな終わる場であ り、神様もすべての物事の完成を見る場です。家庭がなぜいいのですか。それは父母の愛を中心とし て自由に活動する基地になるからです。  家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうしてこそ、その家庭が幸福の土台に なるのです。神様が人類を訪ねてこられる目的も、神様御自身の幸福を模索するためのものであるに 違いありません。ゆえに神様御自身が幸福の土台を訪ねてこられるのに、人間を離れた所では、その ような理想はあり得ないというのです。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことが できるのです。私たちが家庭で情緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同じように、 神様もやはりそういう立場で幸福を感じようとされるのです。  神様を中心として一つになるとき、千態万状に回るようになるのです。したがって兄弟間で愛する のも、父母が子供を愛するのを見習って、兄は弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元 化した家庭は、家庭愛が花咲くことができます。これがまた社会愛になることができます。さらには、 民族愛になり、世界愛になるのです。ところが今日、これが漠然としているというのです。 30
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭  真の家庭は、自分のお母さんのように妻を愛して「ため」に生き、自分のお父さんのように夫のた めに尽くして愛し、兄妹のように愛し合う所です。その次は、神様のように自分の妻を愛し、神様の ように自分の夫を愛して尊敬する世界が、理想家庭が暮らす天国です。このような伝統がこの地球上 に立てられなければなりません。  神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三種類の愛があるのが 理想的家庭です。  人の一生において、最も重要な時はいつかといえば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それ では生まれる時は、どのように生まれなければならないでしょうか。正しく生まれなければなりませ ん。私たち統一教会でいえば、心情の因縁を中心として生まれなければなりません。  その次は、結婚する時です。結婚とは、生きるためにするものです。すなわち、四位基台を成すた めにするものです。これと同じ宇宙の公法を地球上に立ててこそ、神様のみ旨が成され、人間の願い が成されるというのです。このような宇宙の法度が指向する内容を備え、その形態を備えるためのも のが家庭です。  天国生活はどこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天 国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではありません。ですから皆さん が自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなけ ればなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる場が、正にこの家庭 です。  父子の関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場 として、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後に は前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点にな るのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中 心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり中心になるのです。したがっ て結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は真の子女、兄 弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。  一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは 家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、ま たは名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは父母以外にな いというのです。その次は皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには皆さんの子女になるでしょう。  事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。 ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何 ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的 に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で 絶対的に必要なものです。  神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様の代わ りに生きている神様であり、夫と妻はお互いに片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様 です。このように三代が真の愛を中心として成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤 を成さずしては天国が成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎とな るために、家庭で愛するとともに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は宇 宙全体の父母として、愛の複合的な中心の場にいらっしゃいます。  統一教会の「原理」でいう四位基台は、三大愛圏をいうのです。三代が一つの家で暮らしながら、 愛によってむつまじく幸せなとき、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛し合うことはもち ろんですが、子女たちに愛によって祈祷してあげ、精誠の心で世話をしてこそ、家庭がむつまじく、 幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき、完全な愛が成されます。いとこと、 またいとこの兄弟たちまで愛によって一つになって初めて愛の原形となり、完全になります。  理想的な愛は、家庭で成されます。しかし神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。 真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また父母になることができませんでした。 ゆえにこのようなことを成そうというのが、神様のみ旨です。このようなところでこそ、愛がとどま るのです。このような愛が成されるところには、人々が世の中のすべてのものを捨てて、訪ねてくる のです。  神様は、家庭の中心となるお方として、この世界は神様の国にならなければなりません。祝福家庭 は、神様の国を連結させることができる家庭になるように努力する生活をしなければなりません。神 31
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 様の代わりに、「ため」に生きる生活をするところから、氏族が展開され、民族が展開され、国家が 興って形成され、世界が形成されます。それで家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果た さなければなりません。先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族 のようなものです。五色人種が合わさって単一民族を形成し、世界に誰よりも「ため」に尽くすこと のできる国家を形成することが、統一教会の目的です。それが先生がしようとする目的であり、神様 が先生を通じて成就しようとする目的です。  統一教会では、天国は氏族圏内から成されると見るのです。おじいさんを中心として、父母と兄弟 が一つになり、いとこと、またいとこまで一つに連結されるとき、完全な三代が成されます。このよ うな氏族圏の愛が、地に立てられ、神様と一つになるならば、すべての世界は神様と一致する愛の世 界であり、天国になるのです。  女性が嫁に行っても同じです。夫の祖父や舅は、神様の代わりの立場であり、夫の代わりの立場で すから、愛で侍らなければなりません。また義理の弟や小姑とも愛によってむつまじくなければなり ません。こういう愛の関係が、社会へ拡大して、民族と国家、世界へ拡大するならば、この世界は罪 悪と戦争の代わりに、平和と愛で満ちるでしょう。その世界が正に神様の理想が実現された一つの天 国であり、理想世界です。  この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着できる基地はどこで しょうか。皆さんが生きている皆さんの家庭だというのです。したがって本来の家庭は、宇宙愛を掌 握して宇宙の保護様相を体得しながら、宇宙愛圏を拡大させ、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を 行かなければならず、ひいては民族と国家を越えて、世界を愛する道へと行かなければなりません。 家庭を愛する人を「孝子」または「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を 愛する人は何と言うのでしょうか。その人を正に「聖人」と言うのです。  神様の愛圏の中で理想的な家庭を成し、氏族を成し、民族と国家を形成して、もっと拡大して、ア ダムの理想が実現する一つの理想的世界を成し遂げていたでしょう。木の根、幹、葉が一つの生命で 連結されているように、愛を中心として上には神様を父として侍り、下には万民を兄弟のように、一 つの生命体、愛の生命体に和するようにして、神様を中心とした永遠の理想世界を成さなければなら ないのが、正に神様のみ旨から見た世界観です。このような世界の人間たちには、救いが必要ではな く、メシヤも必要ありません。なぜかといえば、その世界に住む人間は、神様の善の息子、娘だから です。  この地球上に神様のみ旨が成されていたなら、アダムを中心とした単一文化圏が形成されていたこ とでしょう。今日のように数多くの民族がそれぞれ文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを 中心とした単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になっていたはずです。このようになってい たならば、文化、歴史、風習、言語、伝統などがみな統一されていたことでしょう。  家庭とは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる代表的な広場です。そこで 互いに信頼し合い、幸福な生活を営めば、全宇宙の中心が立つようになり、幸福を享受するようにな るというのです。それが理想圏の始まりです。愛なくしては、何の存在の意味もありません。  統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭で、結論も家庭です。まだこのよ うな問題を解決した人がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるので、これ を体系化させ、天宙化させて、無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。した がってこの主義を嫌う人々がなく、みな頭を下げて好きになれば、世界は自動的に統一されるのです。  これから先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなけ ればならないと感じています。しかし、復帰の路程を歩むべき人たちは、「原理」を中心として教え てくれる人がいるので、その人たちを通じて教えを受けなければなりません。先生が直接そのような 問題に責任を負う時代は過ぎました。家庭一つ一つを中心として、再び収拾しなければなりません。 私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を中心にするというのです。個人を中心にしてきたも のを、家庭を中心にするということです。 第二章 真の父母と祝福の歴史 一 真の父母と第三選民圏 1.祝福家庭は真の父母の新しい氏族圏 32
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭  先生の家庭を中心として結合した祝福家庭は、新しい氏族です。これが日に日に発展していくと、 新しい民族になります。そこから少し発展すると、国家・世界圏を成すようになります。すなわち、 新しい民族、第三イスラエル民族が形成されるのです。日本人であっても、今までの日本の歴史過程 に現れた先祖から血統を受け継いだ子女ではなく、新しく神様による血統圏を受けた子女になり得る のが統一教会です。  霊的な第一・第二イスラエルを連結して、第三イスラエル圏を地上に成さなければなりません。そ のために再臨主は、第一イスラエルの代わりの第一家庭(アダム家庭)と、第二イスラエルの代わり の第二家庭(ノア家庭)と、第三家庭(ヤコブ家庭)を探し出して立てなければなりません。それで 三十六家庭は、人類の先祖とならなければなりません。  これから統一教会を中心として第三イスラエルの民になるためには、祝福を受けなければなりませ ん。その昔、アブラハムの時代には、イスラエルの民になるためには割礼をしなければなりませんで した。またイエス様の時代には、洗礼を受けなければなりませんでした。同じなのです。統一教会で は、祝福を受けなければ第三イスラエルの民になることができません。しかし、祝福を受けるための 条件は簡単ではありません。先生もその条件ゆえに、今までの四十年の生涯を捧げてきました。それ ゆえに、一生をみな捧げてきたのです。  祝福家庭の版図が広がるというのはどういうことかといえば、神様を中心とした主流の家庭圏が拡 大されたということであり、神様の氏族が形成されたということです。このように真の父母の因縁と 天倫の内的な心情を受けた家庭が生まれて横的に拡大されたのは、神様を中心として氏族が形成され たということであり、民族、国家が形成されたということです。さらに一国家の形成で終わるのでは なく、神様を中心として世界を形成することなのです。  本来、統一教会の祝福家庭は、一国家の形成を目標として始めたものではありません。神様を中心 として善の世界を目標として出発したものです。ですから統一教会の祝福家庭は、全民族的であり、 全国家的なのです。  神様のみ旨を中心として出発したので、皆さんの家庭がたとえたった一つの家庭であり、皆さんが 金なにがし、朴なにがしという個人だとしても、統一教会の祝福家庭は、個人のみを代表とした家庭 ではありません。全世界の人類を代表した家庭です。言い換えれば、国家を超越し、民族を超越し、 氏族を超越し、全体を代表した家庭だというのです。  統一教会は、他人同士が集まって新しい家庭を形成し、今までの氏族観を超越した新しい氏族を形 成しなければなりません。また様々な氏族を合わせて単一民族を形成しなければならず、様々な民族 を合わせて自分の民族を愛する以上に愛することができなければなりません。これが統一教会と統一 教会員が行く道です。  祝福の基点の上に現れた責任者、すなわち中心存在は、その時代という制限された環境のみに処し ている存在ではありません。世界史的な内容をもった中心人物だというのです。ですから祝福は、夫 婦の因縁をもつことだけで終わるのではありません。その祝福によって新しい家庭を形成しなければ ならず、新しい氏族、新しい民族、新しい国家が形成されなければなりません。そのすべてのものが ここから出発しなければならないのです。  このような観点から見る時に、一九六〇年代から新しい歴史時代に入ったということを知らなけれ ばなりません。新しい歴史時代に入ることによって、新しい氏族がここに顕現するでしょうし、新し い国家、新しい世界の形成がここに現れるようになるのです。今まで、このような基点を中心として 統一教会では祝福行事を挙行してきたのです。 2.祝福家庭を通した第三イスラエル圏の編成  神様の側では祝福家庭を誕生させることによって、新しいイスラエル圏を編成しなければなりませ ん。それで一九六〇年からは神様の側の運勢が高まるのです。そこから家庭・氏族・民族時代を経て、 世界時代に向かうのです。ヤコブのような先生が家庭を中心として、エサウのような皆さんと一つに なって氏族と民族を編成しなければなりません。  第三イスラエルの先祖にならなければならない終わりの日に処した皆さんは、最後のみ言は神様の 愛のみ言だということを知らなければなりません。神様の愛に基づいたみ言……。神様のみ言の見え る実体にならなければなりません。神様の内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。 すなわち、本心の実体にならなければなりません。  皆さんは、神様のみ言を繁殖させ得る第二創造主の使命を果たさなければなりません。すなわち、 33
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 み言の繁殖体にならなければならず、生命の繁殖体にならなければなりません。そして愛を中心とし て一つになってこそ、神様に永遠に侍ることができるのです。このような基準が第三イスラエルの基 準です。このようにしてこそみ言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植 えつけることができるのです。  神様に侍り、み言を読んで感じることのできるみ言の実体、生命の実体、六千年の心情に代わった 実体になり、第二イスラエルを再創造する使命を完遂しなければなりません。そうしてこそ神様の内 的な心情が完全に通じた息子、娘になることができ、そのような神様の真の子女になってこそ、神様 の愛を中心とした永遠なる栄光の中に生きることができるということを心に刻まなければなりません。  第三イスラエルは、悲しみから復活した民族です。喜びの場から復活したのではなく、悲しみの場 から復活したのです。悲しみの世界でサタンを屈服したということが違うのです。前にも龍媒島事件 のことを話しましたが、そのようにするのは難しいことなのです。しかし避難の道をたどる時も、こ の三千万の民族の中で最も困難な避難の道をたどろうと心に決めました。そして「死ぬ時までこの道 をたどる! 私の脈拍が止まる時まで行く! まだ息をしているのだから行かなければならない!」 という決心をして行ったのです。  世界が一つの心情によって一つの形態をもち、天の心情とイエス様の悲運な死を通して歴史が流れ てきたのですが、今日この実を結ぶことのできる一つの実体が皆さん自身であることを知らなければ なりません。皆さんがイエス・キリストの悔しい心情と喜びの心情を所有する相対者になってこそ、 第三イスラエルとして残ることができるのです。イエス様がそのような心情を抱いて祭物になられ、 第二イスラエルをつくったので、今日私たちがこのような覚悟をしてこそ、第三イスラエルの先祖に なることができます。また、いわゆる地上天国、すなわちエデンの園の本然の子女になることができ るのです。  統一教会の祝福家庭は、その昔イスラエルを中心としてユダヤ教を通してメシヤを待ち望んだ立場 ではなく、メシヤに出会って新しい氏族編成をした一段階前進した立場に立っているのです。  韓国を見る時に、神様を不信した人たちは第一イスラエルであり、既成教会は第二イスラエル、統 一教会は第三イスラエルに該当します。そしてサタンがこの摂理の中心を攻撃するのです。 3.第三イスラエル入籍は祝福によって  アブラハムは祭物としてイスラエルを形成しましたが、統一教会では祝福によってイスラエルを形 成しました。それで第三イスラエル入籍は、祝福によってのみ可能なのです。  統一教会は、アダムとイエス様がサタンに侵入されて立てることのできなかった、その絶対基準を 立ててきました。聖婚式は一九六〇年、先生の家庭を中心として始まりました。そののちには家庭園 編成を超えて氏族圏を編成しなければなりません。氏族圏を成すためには、イエス様を中心として弟 子たちが一つになった立場に立たなければなりません。イエス様が弟子たちと相対基準を結んで家庭 を築いたなら、その弟子たちも相対基準を結んで家庭を築かなければなりません。そうしてユダヤ教 内で新しい氏族圏を編成するのです。  イエス様が聖婚式を挙げるなら、聖婚式を挙げない立場でまずイエス様の家庭と十二弟子が完全に 一つにならなければなりません。その次に、イエス様の家庭を中心として祝福を受け、霊肉共にサタ ンが侵入できない勝利圏をつくらなければなりません。祝福を受けて新しく編成された氏族というの は、堕落によって復帰された養子圏とは全く違います。それは、初めて神様の息子から始まった氏族 圏が出現することを意味するのです。  キリスト教が霊と肉を中心として完全な立場に立つことができなかったので、すなわち肉的基準を 除いた霊的基準だけを中心として第二イスラエル圏を成したので、私たちが肉的基準までも成さなけ ればならないのです。この肉的基準を成す日が再臨の日なのです。この一日を願ってきたキリスト教 徒たちは、第二イスラエルの霊的基準の上で再び来られる主に出会い、第三イスラエルの世界的な選 民圏を成さなければなりません。  イエス様は霊的には勝利されましたが、地上にイスラエル圏を成すことができなかったので、霊界 のイスラエル圏を立てることも、個人から始まるのです。  今日、全世界を見る時、二千年前の国家のように腐敗しつつあります。このような国の中からイス ラエルの立場の国家として韓国を、またローマの立場の国家としてアメリカを立てて摂理をされてい るのです。この二つの国家さえ一つになれば、世界を一つにし得る基盤が成されるのです。霊的なキ 34
・ 『天聖経』 第九章 祝福家庭 リスト教の世界的基盤の上に、共産世界を吸収して地上天国を完成するのです。ですから再臨主には、 共産世界と民主世界を一つにしなければならない責任があります。  では今、どこまで来たのかといえば、既に世界的基盤を越えたというのです。統一教会は、個人、 家庭、氏族、民族、国家、世界の完成基盤をつくり終えたのです。ですから五色の人種が一つの家族 になっているのです。第三イスラエル民族は、世界的な国の基盤の上に霊界と肉界を中心とした天の 国をもち得る民族なのです。それで私たちは、新しい第三イスラエル民族になることができるのです。  第三イスラエルは、神様の心情を相続した群れです。再臨主によって心情的実体基台が世界的に拡 大されなければならず、その基台を通して蕩減復帰していかなければなりません。そして復帰した家 庭の基準をつくらなければなりません。  イエス様は、人類の真の父母になられるはずのお方でした。それで、真の父母として来られたイエ ス様がサタンに侵害されたことは、真の父母によって生まれ変わらなければならない全人類がサタン に侵害されたことになるのです。父母が侵害されたので、父母から生まれたすべての子孫たちは、そ の父母の基準を凌駕することはできません。それで神様とみ旨のみを思って出発することができなく なった人間は、イエス様の十字架のもとに集まらざるを得なくなり、それが今、世界的に広がって信 仰しているキリスト教徒たちなのです。 二 祝福家庭の歴史 1.三十六、七十二、百二十四家庭の歴史  神様の歴史は氏族での民族編成運動なので、統一教会の先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、 すなわち祝福のあとから本格的な氏族編成が展開するのです。それが三十六家庭から七十二家庭です。 三十六家庭は、イスラエルの民族歴史、ユダヤ教の歴史の中において、先祖たちをもう一度探し出し たものです。先祖の代表を立てたものなのです。そのような蘇生基盤が展開されたその基盤の上に、 七十二家庭があるのです。  それでは七十二家庭とは何でしょうか。三十六家庭の二倍なのですが、祝福家庭があると、いつも カイン家庭とアベル家庭の闘いの問題になるのです。ですから父母の家庭を中心として、息子の家庭 である長子の家庭と次子の家庭が一つになれませんでした。常にカインがアベルを打つ立場にあるの で、一つになれなかったのです。それで象徴的な面で蕩減条件を立て得る家庭として合わせたのが、 七十二家庭だということができます。  横的に見ると七十二家庭は、イエス様の時代の十二使徒の次の立場の七十二門徒を代表とした家庭 なのです。これは今日、私たちの時代においての三十六家庭を中心として見るとき、すべての家庭の 前にアダム家庭のカイン・アベル家庭に該当します。  今まで、その時代に影響を与えてきたすべての先祖たちが摂理の中で、カイン、アベルを一つにす るのに失敗しました。そのカイン、アベルを一つにする基盤を形成し得なかったので、堕落の世界は 延長してきました。そして三十六家庭を中心として七十二家庭型をつくり、カイン家庭とアベル家庭 を連結させて、一つの先祖の家庭をつくるのです。これが八十四家庭になるのです。  百二十門徒とは何でしょうか。イエス様が昇天したのちにできた百二十門徒。十二使徒が一つの氏 族的基準だといえば、七十二門徒は民族的基準であり、百二十門徒は世界的国家に代わった基準です。 このようなすべてのものを再び蕩減復帰して、解怨成就をするのです。それを誰がしなければならな いのでしょうか。来られる主の解怨成就なしには、世界の生きる道はありません。それで三十六家庭 を立てて七十二家庭を立て、これが一つになることによって、民族的中心を確定することができるの です。  三十六家庭は、アダムからアブラハムまで二千年間の先祖たちに代わった家庭です。ですから三十 六家庭の前にはカイン、アベルがなければなりません。この立場に立てられた家庭が七十二家庭です。 また十二数を中心とした、全体数のために立てられた家庭が百二十家庭です。百二十四家庭のうち四 家庭は、この世で既に結婚していた家庭を立てました。これは堕落した人間の立場を復帰することで あり、イエス様の歴史の中で探し出そうとした家庭を復帰することを意味するのです。  先生は、先生の家庭を中心として三家庭を祝福し、三家庭を中心とした十二家庭を中心として三十 六家庭、七十二家庭、百二十家庭を祝福しました。これは、先生が世界史的な闘争を経て祝福したも のです。これは、イエス様を中心とした三弟子と十二弟子、七十門徒、百二十門徒のようなものです。 イエス様が神様の息子の立場で父の代わりに勝利的責任者になったのと同じように、皆さんも息子の 立場で責任を果たさなければなりません。 35





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