「神様、主体であられるその方が、永遠、不変、唯一なので、
その前に対象的な愛の立場に立つようになるときには、永生す
るのです。永生という理論がここから勃発するのです。生命か
ら始まるのではないのです。」(地上生活と霊界・上 69頁)
「では、神様がいちばん愛して、貴く考える物があるなら、そ
れを一日、あるいは10年や100年ぐらいともに過ごした後
に、放り投げるように創りましたか、永遠にともにいるように
創りましたか?永遠にともにいるように創られたのです。人も
同じです。人が生まれて死ねば終わりならいいですか、永生す
べきですか?永生すべきなのです。なぜか?絶対者の神様が、
絶対的な愛を中心として、喜ぶことができる対象であるためで
す。」(同 70頁)
「それなら、神様が、一人しかいないこの上なく貴い息子娘を
創るとき、100年ぐらい生きた後に滅びるように創られたで
しょうか?」(同 70頁)
「神様が永生される絶対者なら、その方が愛することができる
対象も永生しなければなりません。それで、人々は、昔から永
生するのを願うのです。」(同 71頁)
つまり、愛の親なる神様がおられるゆえ、霊界は100%ある
のです。神様の愛故に人は永遠に生きることができる!……こ
れはなんと素晴らしい福音でしょう!
次に、二つ目の証明が何かというと、文鮮明先生のみ言を再び
引用いたします。
「見なさい、昆虫も飛び、木の実にある木の種も、飛び回るす
べを知るのです、風が吹けば。皆さん、あのダンデリオン(タ
ンポポ)の種のことです。それは、自然に飛ぶようになってい
るのです。飛び回るようになっているのです。このように鳥も
飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのに、ああ、万物の霊長の
人が飛べませんか?皆さん、神様を見てじっとしていますか?
『神様、皆飛ぶのに、私はなぜ飛ぶようにできなかった神様よ
?』と言って抗議したくないですか?神様が、『おいおいおい
!ちょっと待て。おまえたちは、何十年か過ぎればそのように
なるから、待ちなさい』と言うとき、『ああ、そうですか。そ
れならそうでしょう』と言うのは大丈夫なのです。
人がなぜ鳥のように飛べないのか、私も疑問でした。地べたに
ひっついたまま信号で待っているとき、私が神様ならこんなふ
うにはしないのにと思ったことがあります。原理がよく分かれ
ば、人間は地上で愛の訓練をした後、愛の世界に行って愛の翼
をもって、愛するために光よりはるかに早く飛ぶようになるこ
とが分かるのです。
つまり、人間が現在飛べないと言うことは、次の本番の世界:
霊界があるということなのです。人間は、神様から創造性を賦
与された万物の主管主であるにもかかわらず、地球上で一動物
のようにしか生きていないのは、霊界に行って真の愛を中心と
した創造主の能力を発揮するための訓練をしているからです。
三つ目は、神の愛の「平等」という観点です。最近、「愛権」
そして「人権」というみ言を多く語られています。人権といっ
ても法務局で扱う人権と次元が違います。能力があろうとなか
ろうと、健康であろうがなかろうが、どんな子女でも親が、み
な等しく愛するように、神の愛はすべての人間に平等です。神
様の愛を神様の代わりに伝える立場の人が、えり好みすれば、
「愛の公金問題」になるのは当然です。「人権」が天法の第二
番目です。
しかし人生には実際、不平等なことがあまりにも多いのです。
たとえば、体のハンデチャップをもっておられる人、災難に遭
う人、美人・不美人……損得で考えると理解できないことがあ
まりにも多いのです。しかし……親なる神様の愛は平等である
ことを忘れてはなりません。ということは、正直者が馬鹿を見
るのではなく、徳が報われなければなりません。ハンデを持っ
て苦労した人が報われて幸せにならなければいけないのです。
地上生活が修練であることを宗教者はみな知っていますが、修
練が実る次の世界がなければならないのです。神様の愛が平等
であるという方程式を成立するためには、絶対に霊界が存在し
なければならないのです。霊界の存在が分かれば、神様の愛が
平等であることが、すーと分かるのです。