お前がいるだけで


 

神様がつくられた詩の中に、「お前がいるというだけで」とい
うところがある。

お前がいるというだけで私の胸は高鳴る
いいことをしなくても 尽くしてくれなくてもどうでもいいことだ
実にもったいない お前が存在していることは親孝行なのだよ
何もしなくていいよ いつまでも私の側にいてくれ

この神様のご心情は、神様と私の関係の根本の重要な内容だと
思う。私たちは、信仰を全うし愛を成長させ自ら完成する以外、
神様のみ前に出る道はないし、実績を捧げるしかみ旨の成就と
神様の解放はないと思っている。それは、間違いではない。私
たち人間の姿勢として正しい。しかし、親なる神様ご自身は、
「お前が何もしてくれなくてもいい。お前がいるだけで親孝行
なのだ。」と思っておられるのだ。

これは、何を意味するかと言えば、神様は本当の親なのだとい
うことである。“親の心情を持った神”ではなく、ただ“親”
なのである。“親”は神様の神性とか属性とかではないのだ。
神様が親であることは、聖書2000年前から分かっていたこ
とだけど、さて、どの程度まで“親”なのか……これは各自の
信仰観によって曖昧すぎるほど曖昧であり、確信の持てないと
ころであり、信仰をゆるがすような事なのである。

罪に苦しむ堕落人間にとって、本当にそうなら(親なら)どん
なに、心が解放されるだろう。でも本当にそうなのか?……葛
藤がある。

神様が罪を全て許すとおっしゃれば、この世界の人間は真っ白
にきれいになって、天国に直行できるようになるのか?原理で
明らかにされているように、答えは、NOである。神様のご心
情の奥底に刻み込まれた、悲しみの傷(恨)は、神様ご自身で
は治療できない。できるのなら、何万年も前にできていたはず
である。

これは丁度、次のような話に例えることが出きるだろう。心に
傷を負った老いた王が親の愛故にただひたすら、まだ罪を償っ
ていない息子を許し帰ってくることを願っている——しかし、
国の法がそれを許さない。

神様がお許しになっても、人間がその罪(原罪・遺伝罪・連帯
罪・自犯罪)を償わなければ、天法が許さない。(サタンが認
めない)それだけでない。人間には霊人体があるので、たとえ
神様が許し、天法も特赦が与えられるようなことがあったとし
ても、その霊人体が悪化したままの状態では、絶対に天国には
入れないのである。故に神様の悲しみは永遠に消えない。

結局、だめなのかと落胆するべきではない。神様がそのような
本当の親の愛の方だということがはっきり分かったのだから、
野山を駆けめぐって万歳を叫んでもまだ足りないと思うのだ。
神様が親である故、どんな人も必ずいつかは復帰され救われる
のだから。

天は我々を時に厳しくご指導されるのは、我々をして堕落性を
脱がしめ、罪を清算させ、霊人体を成長させて天国に入れて下
さるためなのだ。摂理上、責任と義務に押しつぶされそうにな
ることも多く、それは我々人間からすると天からの摂理的要求
と考えてしまいがちだが、神様からすると全くそうではない。
私たち人間に罪から解放させる条件を立てさせて天国に連れて
いきたい親の心があるだけなのだ。ゆえに、私たちはただ感謝
しかあり得ないし、不平などあるはずがない。

思えば、実績というのは何だろう。私たちからすれば実績とい
う名を付けるが、神様からすると、それは人間一人一人に与え
た、成長のための「恵み」という手段である。私たちの信仰路
程、いや、人生全てを振り返ってみよう。倒れそうなときには
恵みを与えて励まし、大丈夫なときには試練を与えて鍛えて下
さった、その繰り返しであったのだ。再臨のみ言に出会ったと
きは、「恵み」の最たる時だった。人生の終末という最大の試
練の直後だったからである。これは、天にとって一番重要で優
先するのが「実績」ではなく、一人一人の「成長」であるとい
うことを意味するのだ。つまり、「成長」こそ最大の実績なの
である。神様とは、そして世界摂理とは愛なのである。私たち
は早く成長して勝利して、神様の愛にお応えしなければならな
い。

一つ付け加えれば、実績を自分の力と錯覚することほど愚かな
ことはない。「成長」という内的実績を立てたひとの外的実績
を、本人ではなく、常に恵みを与えないと信仰路程を歩めない
人のために、天があげているというようなことも少なくないの
だ。実績の出ない人ほど、神様が信頼する人だということもあ
り得るのである。

さあ、子供を強く抱きしめてあげよう。普通のスキンシップで
は足りない。「お前がいるだけで幸せだよ」という気持ちがあ
ればそれは伝わるものだ。それさえ伝われば何も問題はない。
気持ちがないから、伝わっていないのだ。神様から授かったと
いう認識とその感謝が希薄だからだ。逆に、大人は自分のこと
だけを考えている!と見破られてしまう。そうなると、子供は
段々と心が離れていって、いろいろな問題が生じていく。これ
からは、神様の愛がそうであるように、私たちも同じ愛で親子
が、夫婦が、兄弟が愛し合おう。