神様の恵みの大きさを知ろう
信仰する者にとって、神様の恵みはすべての源泉である。そも
そも、信仰の道に来れたこと自体が神様の恵みそのものである
ことを私たちはよく知っている。
信仰を持って何年も経つと、神様の恵みに対する感謝が鈍感に
なることに気をつけたい。
私たちは、再臨主(真の父母)から祝福を受けて祝福家庭とな
った幸いなる者たちである。そこで、この祝福の恩恵の大きさ
を「地球」の大きさとして例えてみよう。それに対して、私た
ちの様々な願い事や心配事などは、例えて言えば、その地球上
のどこかの国のどこかの田舎道の一粒の砂のようにちいさなも
のなのだ。———信仰の世界・心情の世界は、感謝の大きさの
0の桁を無限大に増し加えることが可能である———だから、
神様はいろいろなことに思い煩っている人を御覧になって「お
まえには、地球ほどの恵みを与えたのに、地球の表面の砂粒の
ような小さなことになぜ固執しているのか???」とおっしゃ
られるだろう。
自分が受けた幸いなる恵みの大きさを忘れてしまい、ちょうど
微小の悪性細胞が増殖して大きくなってしまうように、現実の
小さなことがどんどん大きくなって見えてしまうのだ。これ以
上、何を望もうとしているのか?と自らに問うてみた方がいい。
1億円の宝くじに当たった人が、その日のうちに、スーパーの
1円安い商品を買いあさりに走るような感じだ。過分な欲望は
いい加減にしたほうがいい。それは不幸の源泉だ。
ああ!感謝、感謝、感謝の日々を積み重ねていこう!神様の恵
みの大きさを毎日発見して感謝を捧げていこう。自然の中に、
親子の会話の中に、夫婦のぬくもりの中に……大きな大きな神
様の恵みが毎日増殖しているのを気が付かないなんて、実にも
ったいない。神様の嘆息を喜びに変えるのは、社会を革命する
ことではなく、私の心が神様の恵みの大きさに気が付くことで
あり、喜びと感謝の心を中心として心身統一することである。
眉間にしわを寄せている人に語りかけよう。「この光の世界に
生まれたことだけでも大変な福です。」
生活が大変だと嘆いている人に語りかけよう。「子供を授けら
れたことだけでも大変な福です。」
誤解と迫害に苦しんでいる人に語りかけよう。「神様の心情に
近づけただけでも大変な福です。」