『天上天下の救世主−真の父母』抜粋無所不在、全知全能なる神様

無所不在、全知全能なる神様

 いくら人間の知性が発達して科学や文明が進歩しても、神様は決して人間の研究対象にはなりえない。それは天地万物の創造主が神様であり、すべての、科学や宗教や哲学の主人が神様であるからだ。そんな人間がどうやって神様を研究したり分析したりできようか。

 私は粛然とした謙虚な姿勢で「神様、私はもう降参です!」と告白したい。これが最も賢明な判断だと思う。これは私の率直な告白でもある。心をどんなに無にしてみても、私の心の片隅に消えずに残っているものがあった。それが他でもない神様の存在だった。私はそんな神様の姿を完全に明らかにしてみたかった。

 しかし、ここ霊界に来て神様の姿をさまざまな次元から見つめてみたところ、それが難しいということをさらに悟るようになった。
神様の姿は様々で、多様に膨大に現れるため、神様の分析をどこから始めたら正しく究明できるのか、その方法自体がまったく思い浮ばない。実際、人間の理性をもってしては究明できない方が神様なのである。それゆえ私は率直に告白する。「おお、わが神よ、あなたはやはり創造主であり、唯一無二なる神様であられます! そしてあなたは人間の分析の対象では決してありません」。
私はこのように確固として動かぬ結論を下した。そして、私は今や心に訳もなくわいてくる神様に関するすべての疑問を完全に捨てることに決めた。

 それは一種の時間の浪費に過ぎないし、また一方では神様の前に大変な親不孝になると思う。「私は唯一無二なる天の父の子女である」と確信をもって言えるならば、それこそ私の最大の幸福であり、私はその事実に対して心の底から感謝するばかりだ。
われわれは皆「神様の真の子女」であることを誇るべきである。そして、誰かが神様の前に何らかの形容詞をつけて神様を説明しようものなら、その者は自分の無知さを自ら立証する結果を招くことになるのである。

 最先端の科学と文明の前でも私ははっきりと明言できる。人間は自らの知性や知恵、その偉大な業績や学問、文化などといったものを神様の前に少しも誇ってはならない。もしも自慢する者があれば、父なる神は彼を上から見下ろしてにっこりと笑い、「苦労しているね。私が助けてあげよう」と言いながらかえって慰めてくれることであろう。
われわれ皆神様の前に、自らの心も体もすべて無にしなければならない。父なる神様の前に丁重にひざまづき、われわれ人間の騙慢性に対して手を合わせて謝罪するべきだ。

「神様! 私はここにいます。私の行く道を導いてください。私の人生のすべてを神様に委ねて正しい道を歩みます。神様の子女として私を受け入れてください」と言いながら、天の父に率直に懇願しなければならない。
いつかは誰もが例外なくこの霊界に来なければならない。こちらで神様の前に常に堂々たる姿で生活できる、真の子女の位相を身につけたかどうかを毎日毎日点検していこう。

 地上生活に終わりを告げる道は、人生の黄昏に迎えるものとは限らない。皆さんがまったく予期も準備もしない中で、こちらに突然来るという場合もあるのである。ここを避けて通れる人は一人もいない。天理原則をどうして避けていくことができようか。
若い全盛期の人生を好き勝手に生きながら、人生の黄昏を迎えてから霊界の生活を準備すればよい、と考えてはならない。私たちの父母である神様は、自らの子女を迎えるとき、必ずしもその人の黄昏の時期に召していかれるとは限らないのである。

 もしも父母を迎えたならば、すぐさま父母にお仕えすることがわれわれ子女の道理であり、規範ではなかろうか。私たちは皆神様が自らの父母であることを誇りに思い、これからは私たちの父母なる神様が少しも孤独を感じることがないようにお仕えしていこう!

 私たちは原理を通して復帰原理を学んだはずだ。私たちはそれを私たちの現実生活に適用して真の御父母様に侍り、常に喜びながら幸福な生を営んでいけるように精進していこう。

(1999年11月29日)