『天上天下の救世主−真の父母』抜粋
釈迦からの手紙(仏教界霊界圏代表)

釈迦からの手紙(仏教界霊界圏代表)

 真の御父母様、この間玉体無彊であられることと存じます。真に申し訳ありません。榮進様がこちらに来られたことを私たちは皆歓迎しましたが、父と子の別離は何ものによっても慰労できないということを悟りました。心より許しを乞うものでこざいます。
興進様と榮進様に関してお伝えしたい内容がたくさんあるのですが、朴鍾九先生が興進様と榮進様を補佐しておられるので、私は一つの事実だけお伝えいたします。

 お父様! 真の御父母様!

 私は地上生活で誰よりも多くの人生の苦海を経てきたと思っておりました。その過程で私が悟る内容があったがゆえに、今日の小さな仏教の真理が生まれたのではないかと考えます。
しかし、興進様と榮進様は地上で御父母様の血統にお生まれになり、常に栄光の立場で人間の苦難の峠を体験する間もなく、短い生涯を終えてこちらへ来られました。
それにもかかわらず、お二人はすべてにおいて慈愛に満ち、凛々しく処理なさいます。真に興進様と榮進様は、さながらすべてにおいて解脱なさった真如です。榮進様は多くを語られません。また榮進様は、興進兄様の難しい事情をすぐに理解されます。こちらでの様々な事情を見て胸が詰まり涙が出るときには、静かに目を閉じて天を仰ぎ、超然と堪えておられます。このお二人の姿の前に、至らぬ釈迦はどうして良いのかわかりません。

 お父様、真の御父母様! 私に何の条件があって祝福してくださったのでしょうか。私はいくら考えてみても祝福を受ける資格はみじんもあるようには思えません。人生の生と死のはざまであえぐ仏教徒たちを、どうすれば正しく立てることができましょうか。それは本当に困難です。
原理の内容を聞いて変化してゆくキリスト教徒の姿を、イエス様が報告なさいましたが、地上にいるときから仏教徒たちの生きる姿はキリスト教徒たちの生きる姿とは異なるので、仏教徒たちに原理教育をしても、彼らはキリスト教徒ほどには感動を受けません。このような原因は、私が彼らに人生というものを誤って教えたためだと考え、深く悔いています。

 お父様! 崔元福女史をあまりお叱りにならないで下さい。崔女史があの程度にまで気持を変えるまで、少なからぬ努力がありました。そして崔女史の生涯を誰よりもお父様がよくご存じであられます。私はかまいません。釈迦はひたすら恐縮なばかりです。

 こちらでの仏教界の変化は実に微々たるものです。私たちはグループ別に原理を指導しています。いろいろな次元でセミナーを催し、講義もしています。グループ別に伝道もして、日曜日には敬礼式もしながら絶えず努力しています。そうしても仏教徒の変化はキリスト教徒たちの変化のように活発ではありません。仏教徒たちは固陋な考えと思考で一生涯生きてきたがゆえに、その効果がよく現れないようです。

 しかし、私釈迦は率直に申し上げます。釈迦が生前にこのような原理と教理を知っていたとするならば、私の人生行路はあれほど辛いものとはならなかったことでしょう。
李相軒先生もその生涯においてお父様に出会って偉大な思想を悟り、地上で内科医をやめて思想家として活動し、こちらに来ても人類の真の父母を証しする、生きた証人になることができました。そして李相軒先生はマリアの話、イエス様の話、そして歴史の方向などを説明しながら子孫たちを訪ねていって救済することもできるようになりました。今日の李相軒先生があるのは、原理と思想、そしてお父様に出会ったからだと私は考えています。

 お父様、釈迦も懸命に努力しています。仏教徒たちを説得する良い方法があれば仰せ付け下さい。
私が再び地上人として生まれることさえできるならば、足の裏が磨り減るほど地の果てまでも歩き回って統一原理を伝えます。そして人類のための贖罪の道をひたすらに行きます。今、私は何をどうすればよいものか、もどかしいばかりです。
霊界中で火がついたかのように原理講義に努めているのに、私は仏教圏復帰のためにいくら努力してもまだその実績が現れていません。それでも私は興進様と榮進様、お二方によく侍り、指示も受けながらこの身が磨り減るほど努力いたします。

 真の御父母様、ぜひとも玉体を大切になさり、新千年、新年における傘寿(八十歳の誕生日)を心よりお祝い申し上げます。人類の王たる真の御父母様、大いなる宝座で永遠に栄光を享受なさいますことを。

釈迦拝(1999年12月30日)