進化論

聖書と創造世界



 神は最初にイスラエル人を選民(神様に選ばれた民族)として用いられました。そして2千年前にイエスがキリスト(救世主)として産まれるまでのユダヤの宗教を旧約聖書と呼びイエス様の使徒達(弟子)によって書かれた聖書を新約聖書と呼んでいます。旧約聖書はユダヤ人に与えられた神との契約の書で39巻からなり内容は律法、預言、歴史、詩歌などで、歴史が一番多く旧約の半分以上を占めています。 新約の方は27巻から成るイエスの生涯の物語や使徒達の歩み、彼らの手紙等で新旧合わせて66巻あります。旧約の一番最初の巻が創世記で第一章1節「はじめに神は天と地とを創造された....」3節「神は光りあれと言われた...光りを昼と名ずけ、闇を夜と名ずけた...」6節「...水の間に ...水と水とを分けよ... 大空と水を分け大空を天と名ずけられた...」。 この様に聖書の最初には神の創造が物語りの様に書かれており、また天地創造が6日かかって7日目に休まれたとありますが聖書には比喩や例え、類似、暗示などが多く文字どうり解釈すると間違った解釈をしてしまうのですが、7日ではなく7段階を通して宇宙と人類を創造されたと言う事です。そして最後の段階で、一章27節「神は自分のかたちに人を創造された、すなわち神のかたちに創造し、男と女に創造された」とあります。つまり神様は人間を神の子として造られたのです。それまでは喜びと期待に満ちて永い時を費やして天宙の創造が行こなわれたのです。

 現代の研究によると宇宙の創造はビックバン(大爆発)から始まって現在まで約180億〜200億年ほど経っていますが天地創造の過程は聖書に書かれている同じ6段階の順序で創造されたことが解っています。また宇宙の大きさは宇宙や万物(披造物)の創造は人間が地球で生活するため、満足するため、喜ぶため、楽しむため、...神様が用意して下さったのです。ちようど親が産まれてくる子供のために色々なものを準備しておくように... 。 宇宙の大きさを調べると私たちの住む銀河系だけでも直径10万光年、幅1万5千年光年、約2千億個の星の集まりです。光りの速さで銀河系を端から横切ると10万年かかると言うことです。 光りの速さは1秒に30万キロメートル、1年で9兆4500億キロ、太陽系の直径が冥王星まで約1億2千万キロで、この太陽系を光りの速さで横切ると約15時間かかるが銀河系は10万年もかかってしまうという事です。そして地球が太陽の回りを公転しているように、太陽も銀河系の中心の回りを廻っていて、1周するのに約2億5千万年かかります。それも毎秒250キロのスピードで中心を回転しているのです。このような銀河系がその他にも2千億個あると予測され、今も光りの速さで膨張を続けているので宇宙というものが、いかに大きいかということが解ります。そのことを考えるとなぜこのように想像を絶する創造が行われたか人間の頭では神の創造はとうてい計り知ることが出来ない程ですが、ガリレオ・ガリレイが“宇宙は神が数学を言葉として用いて創造された”と言ったように、すべてのものが数理と公式に基ずいて理路整然と創造されているのです。

 “神様とは”という神の定義はできないかも知れませんが要約すると「愛と生命と理想の根元で、永遠、唯一、絶対なる存在...」と言う事ができます。その永遠なる神が人間を自分の子供、神の子として創造され自分が永遠なら子供にも永遠なる生命を与えられたのです。 神様は目に見えない霊であるので、また物質世界も永遠には存在できないので人間は死後、霊として霊世界(霊界)において永遠に生活していくのです。そして宇宙は霊世界での遊び場に造られたのです。3次元にあっては光りが1番速いスピードですが4次元以上ではもっと速く移動できるそうです。最近、光りより速いタキオンという物質も見つかったと言うことですけど、霊界の話しは別の機会にしますが、とにかく人間が永遠に生活しても何不自由なく、飽きることなく永遠に楽しめるように時間をかけて、真心を込めて宇宙を創造して下ったのです。

 今回はどの様にして地上に生物が繁栄して来たかについて考えていきたいと思います。現在、地上には200万種を越える生物がいますが生命の起源と言われるものは今から約350億年前に地球の誕生から10億年後に発生したと考えられています。そして約6億年前、古生代の初期に海中に菌類やアメーバー、カンブリア期に軟体動物、藻類など原始的な生物体がいたと考えられ、その後一斉に高等植物、脊椎動物を除く動植物が現れてきました。そして古生代のシルル期末からデボン期初期は水中から陸上へと植物や続いて無脊椎下等動物が現れデボン期後期には両性類が現れました。中生代ジュラ期後期になるとそれまで空を飛んでいた昆虫に加え翼竜や最初の鳥類、始祖鳥が現れました。 現代地上で繁栄している哺乳類の先祖は中生代初期に現れていたがジュラ期から白亜期にかけて繁栄した恐竜も突然姿を消し、陸、海、空すべての空間(ニッチ)を埋めるように繁栄していきました。 類人猿が1500〜800万年前、700〜500万年前の猿人から300万年まえの原人(ジャワ、ペキン等)、旧人(ネアンデルタール等)、新人(クロマニヨン等)が現れ繁栄と絶滅をくり返しながら人間に一番近いホモサピエンスの中から最初の人間、人類の先祖(アダム、イブ)が産まれたのです。

 人間の自然観はアリストテレス(ギリシャ)に始まって「自然学)の中で自然界には無生物から、植物、動物、人間に至ると言う下等動物から始まって高等になっていく秩序を共なつた配列があると考え細かい系列というものを造った「自然の階層性」。しかし神の創造は宇宙が不変であるように生物も永遠不変であると考えていました。
18世紀に入りリンネ(スエーデン)はアリストテレスとキリスト教を土台に生物の分類学の基礎を作った。地上のすべての種を記載し分類した「自然の系列」。神が始めに創造しただけの種があるが、環境などによって異なるものが発生する、これを変種(雑種)と呼びました。また「ホモサピエンス」と言う学名は彼がつけたのです。

 この頃までは創造説が信じられていたのですが、啓蒙思想が台頭すると共に生物進化の思想が生まれました。18世紀後半、フランスの多くの学者、特にラマルクによって生物の進化論が明確に発表された「動物哲学」。彼は進化をもたらす要因は生物に内在する生命力であり、それによって生物は単純なものから複雑なものへと発展し多様性を生じ、生物には環境条件に応じて、それに適応した器官を生じる能力があると言い2つの法則を定めたのです。1. 用不用説  動物はある器官を頻繁に使用すればするほどその器官は発達し、使用の  期間に比例して力を得る。いつも使用しない器官は弱まり衰え、ついには消失する。 2. 獲得形質の遺伝  用不用説によって個体が獲得したり喪失したりしたもの全ては、その変化が雌雄に共通であれば、子供に遺伝によって伝えられる。 ラマルクによると、この2つの説によって生物は今日のように多様化したと説明しています。  チャールス・ダーウイン(イギリス)は種が変化する研究を続け人間が品種改良をするのに目をつけ、適当なものは残し、そうでないものは捨てていく、この「人為的淘汰」に注目しました。それとマルサス(フランス)の「人口論」“この世に戦争や病気、飢餓などがなかったら人類は地上に溢れ出ていただろう”と人間社会の闘争の状態を表していました。これにヒントを得てダーウインは「自然界における生存競争が種を選択している」と定義ずけたのです。生存競争の結果、個体変異のうち環境に適したものだけが生き残る説(自然淘汰)を説いたのが「種の起源」です。(1859年)
例としてキリンの首が長くなったのは高い所にある葉を食べているうちに首が長くなった。首の長い形質が子孫に遺伝し首の長いキリンになったと言っているのです。

 同じ頃メンデル(オーストリア)によってえんどう豆によるメンデルの遺伝法則を発見しました。1代は優性のものが現れる(優性の法則)、2代は優性と劣性の現れる比が3対1になる(分離の法則)、交雑で異なる形質を混ぜるとそれぞれの形質は独立に行動し遺伝していく(独立の法)。これらの形質を変える要素が生物体に内在していると考え、これを「エレメント」と呼んだ。その後、遺伝の法則の発見により遺伝学が生まれダーウインの進化論は遺伝学と結びつき説明されるようになったのです。
デンマークの植物学者ヨハンセンはダーウインが進化の要因と考えていた個体変異は環境とか習性の影響によって生じる遺伝しない変異である事を明らかにし「純粋説」(1903年)彼は形質の基になる要素を遺伝子(GENE)と命名しました。

 ド・フリースは(オランダ)は月見草の研究によって新しい変異種は中間の段階を経ずに突然に現れて安定性を獲得すると考え突然変異説を唱えた。彼は進化について新しい種は自然淘汰の作用で徐々に形成されるのではなく突如として起こる遺伝的な変化で形成されると発表しました。(1903年)

 突然変異をショウジョウバエを使って研究したのがモーガン(アメリカ)で個体の形質が遺伝するのは細胞の染色体に配列されている遺伝子によるものとする「遺伝説」を確立しました。(1926年) 1953年に米国の生物学者ワトソンと英国の物理学者クリックにより遺伝子はDNAと呼ばれる2重ラセン構造を持った分子(糖、リン酸、塩基)であることが明かにされた。そしてこれがまさに生物の遺伝を直接、司っている遺伝物質であったのです。
このDNAの発見以後、進化の問題はDNAの関係において論じられるようになりました。

 イギリスの統計学者や英米の遺伝学者たちによって突然変異は進化の第一要因ではなく進化の速度と方向は自然選択によって決定されると説いた。そしてダーウインの説とド・フリースの説を結びつけて説明する説、総合説が生まれた。これがネオダーウイニズムと呼ばれるものです。(1940年代)
このグループの多くの学者の中で代表される人物はジュリアン・ハスクリー(英国)で彼の説によれば進化とは次の2つに要約されると言いました。
1. 突然変異は進化の素材を与える。
2. 自然選択が進化の方向を決める。


 進化論は「種の起源」を発表すると世の中から猛烈な非難を浴びたが、徐々に科学的な理論であると一般に受け入れられ1940年代に総合説が説かれるとゆるぎない地位を確立しましたが今日ではネオダーウイズムは再び問題視されています。

進化論の問題点
 進化論は大きな突然変異は生物にとって有害であり致命的でもある。だから小さな突然変異が連続的に起こり自然選択によって生物は徐々に進化したと考えられています。しかし種から種への進化の過程の中間的な生物の化石は発見されていません。
このような中間生物が存在した証拠となる化石が見つからない事実を「失われた環」と呼んでおり、カンブリア期に栄えた無脊椎動物からシルル期の以前に現れた脊椎動物の最初の魚の間の1億年の間の中間移行の化石が全く見あたらないのです。

 派虫類から鳥類へと変わる途中の中間生物の化石の一例としてあげられる始祖鳥についても、最近では中間生物ではなく、その当時棲息していた奇妙な鳥の一種と考えられています。それと最近始祖鳥よりも7500万年古い1億5千万年前に生きていた鳥の化石が米国で発見されたと言う報告もあり始祖鳥が中間生物ではないと考えることが出来ます。
この中間生物の化石の不在が進化論にとって大きな問題点であるのです。

 熱力学の第2法則によると閉鎖系の中ではエントロピーは増大する。この意味は物理系は秩序が減少する方向へ不可逆的に進行すると言うことで、神の創造のエネルギーとか人間の干渉を考えず自然のまま放っておけば、より無秩序な方向へと進むと言うのがこの第2法則です。自然の方向性というのは放置しておけば酸化したり、腐敗したりして形がくずれて土に帰っていく。しかし進化論は自然の作用によって地上に生命が誕生し単純から複雑へと進化したと言っています。

 進化論者は生命の発生のプロセスを次のように述べています。「原始の大気に太陽からの紫外線や自然放電によってアミノ酸、糖、有機酸などが出き原始の海に流れ出て「有機物のスープ」を作った。スープの中でアミノ酸はつながってタンパク質となり核酸塩基は糖、リン酸とつながって核酸(RNA,DNA)となった。やがて原始細胞膜が出現し原始細胞が出来た。そして原核から真核細胞へと進化し細胞分裂を始め多細胞生物へと進化した。」
 有機物質アミノ酸を合成するのは単純なプロセスで、実験でも成功しているが有機物ができたと言う事だけで生命の発生には直接結びつかないのです。これらが生命の発生と結びつくためには核酸(DNA,RNA)と蛋白質(酵素)ができなければならず、こちらの方が問題なのです。有機物のスープから核酸とタンパク質が偶然に生じるかと言うと全くありえない事なのです。

続き


「進化論から新創造論へ」より引用抜粋
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