第三章 復帰の道


 聖書の不思議

 聖書は本の中の本といわれ、世界最大のベストセラーです。旧約聖書からユダヤ教が生まれ、キリスト教が生まれ、イスラム教も無縁ではありません。書かれた年代も違い、誰が書いたのかも明確ではなく、その内容も論理的に一貫してはいないのですが、人類はこの書物を大切にしてきました。
 「創世記」の謎については、第一部で詳しく見てきました。失楽園の物語は単なる寓話ではなく、そこに神の秘密が隠されていたのでした。アブラハム・イサク・ヤコブ三代の物語から、さらにはモーセの出エジプトの物語、そしてカナンに入ったイスラエル民族の歴史が記されています。それにつづく「詩篇」や「イザヤ書」のような預言書を見ても、ともすれば神から遠ざかろうとする人間を、復帰させようとされる神の悲痛なる心情を読み取ることができます。そして最後に、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」という神の宣託で旧約聖書は終わっています。
 新約聖書は四つの福音書と「使徒行伝」、そしてパウロを中心とする書簡で成っており、最後は預言書ともいうべき「ヨハネの黙示録」で終わっています。その最後の頁には「わたしはアルパであり、オメガである。初めであり、終わりである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都に入るために,自分の着物を洗う者は、さいわいである」と書かれています。人類始祖の堕落により、悪の血統が連綿とつづいているその歴史書が聖書です。「都にはいるため」とは天国にはいることであり、そのためには「汚れた着物」である堕落性を洗い落とさなければならないのです。
 同じ聖書を教典としているのに、プロテスタントが数多くの教派に分裂しているのは、聖書の解釈がそれだけ多様であるということです。にもかかわらず、聖書にはある一貫した流れがあるのです。

 ◎1960年2月14日
 聖書のみ言は暗号が多いのです。なぜ、暗号で語られるのか? 心情の神様であるからです。聖書は誰にも解けないのです。解けませんよ。新郎・新婦だけが解けるのです。心情を通じて侍る準備をした者だけが解けるのであって、そうでない人間には解けないのです。ここにある暗号の全体が何でしょう? 新郎が来ることができる門を開く秘訣であって、その秘訣が何か。心情なのです。父母の心情は幼子を抱え、乳を飲ませた時でも、その子が白髪をいただく時になっても同じなのです。その心情には、違いがないのです。
 ですから我々は聖書にひそむすべての心情の、根源を明らかにしなければならないのです。これを知るときには、博学者が必要ではなくなります。彼らがどんなに解釈しても、学説は過ぎ去り、終わったのです。心情は論理では支配できないのです。理論では体じゅつすることができません。体系によって方向をつかむことはできないのです。なぜ? 心情は天倫と共に、自然と共に流れているからです。
 聖書など勉強しなくても知ることができ、感じることができる心情の流れと感じをもって解釈するまでは、分からないのです。博学者が主張する現代の神学思潮も過ぎ去りました。しかし心情の世界は、過ぎ去る法がないのです。これがいわゆるアルパとオメガ、すなわち最初と最後、初めと終わりなのです。(「天は心情によって侍る者の場」から)

 神は愛する相対として、人間を創造されました。愛を成立させるためには、必ず相対的な基準を必要とするので、神はアダムとエバを神の体として創られたのです。彼らが男として、女として完成して、神から祝福を受けて夫婦となって、子女を繁殖したらその子女も神の息子・娘になったのです。その出発点は真の愛です。神の愛する心情からの出発であったのです。ところが出発の時期を、サタンが強奪してしまったのです。
 人間は堕落して神の僕にもなれない立場に落ちたのです。天使長は本来、神の僕の立場ですから、その天使長に主管されるようになった人間は、僕の僕の立場まで落ちたのです。しかし神は人間を創造された親としての責任があり、また堕落した人間をそのまま放置されるとしたら、神は無能な神になってしまいます。聖書66巻には、神が堕落した人間を復帰されようとされる、悲しい愛の心情が秘められているのです。

 蕩減が行く道

 ◎1967年6月4日
 広大無辺なる全天宙を創造された神は、人間始祖の堕落によって彼らを失ってしまったので、彼らを再び捜し求めなければ彼らが本然の基準に戻ることができないのです。彼らが本然の基準に戻ることがなければ、神の本来の心が発動されず、その本来の心の発動がなければ、神の本来の理想を成すことができないのです。ですから神は今まで、本然の基準にまで上がってくる一人の人間を、捜し求めてこられたのです。
 この人間がどれほど歩んできたのか、今まで聖書上に現れた歴史を見渡してみるとき、六千年という期間があったのです。しかし未だにこれを復帰させることができなかったのです。どれほど深く落ち込んだ人間でしょうか。能力ある神様が六千年も捜し求めても、未だにその一人を見出すことができないのです。
 それではなぜ、捜し求めることができないのか。能力がなくてそうだというのではありません。これまでの救援摂理歴史路程において、このように能力のある神様が、なぜ数多くの善なる人々を犠牲にして、神の為に精誠をつくした人々が蔑視と冷遇を受け、悔しく追いにおわれる場にあっても、彼らをそのまま押し立て、また死の道であっても行くという心情で感謝した彼らを、なぜ同情されなかったのか。そうするしかなかった神の内的な事由が何であったのか。これは蕩減条件という問題が懸かっているからなのです。この条件はサタンも公認し、神からも公認を受けなければならないのです。また人間も、堕落していない人間から公認を受けなければ、この条件を越えることができないのです。(「蕩減が行く道」から)

 本来の位置と状態に復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」という、と「原理講論」に記されています。そして必ず天地創造の原理法度によって、再び失った経路の反対の経路をたどって復帰する、これが蕩減復帰原則です。この蕩減復帰原則には、許しがないというのです。なぜでしょうか? 

 ◎1960年5月29日
 我々が公義の審判台の前に立てばサタンが讒訴します。法廷に一度行ってみなさい。この世の法廷にも判事がおり、検事がおり、弁護士がおり、囚人がいます。公義の審判台もこれと同じなのです。検事のようなサタンが皆さんを讒訴するのです。イエス様は皆さんの弁護士です。皆さんが過去にどんな事をしても、これを弁明してくださるために汗を流すのです。しかしもともと六千年の罪悪歴史をもつ人間ですから、弁明しようにも弁明のしようがないのです。たやすくできる事ではありません。恥ずべき罪状があまりに大きいのです。(「一つになろうとされるお父様」から)

 堕落した人間は囚人であり、その人間が救いを受けるには、検事のようなサタンが公認し、裁判官である神が公認しなければならないのです。つまりサタンも感動して涙を流し、屈伏するほどの条件を立てなければ、堕落人間が復帰することができないのです。囚人が検事を力ずくで屈伏させることは当然できません。何で屈伏させるかといえば、愛と犠牲と奉仕によって、自然屈伏させる意外にはないのです。このように考えれば、神が奇跡によって一挙に人間を救われると考えるのは間違いというものです。「奇跡を起こせば蕩減に穴があく」と文師は語ります。ではすべてが自力による救いかといえば、そうではないのです。95%は神による恩賜ですが、あとの5%が人間の責任分担であるというのです。
 宗教には自力信仰と、他力信仰の教えがありますが、原理はその二つが合わさって、神の復帰のみ旨が完成するとしています。神の復帰摂理がなぜ、延長しなければならなかったのか。5%の責任分担を、人間が100%果たすかどうかは、神も予定できないのです。人間の責任分担には神も干渉できないからです。もし人間がその責任分担を果たさなければ、神は摂理を延長せざるを得ないのです。
 神の復帰摂理は、アダムの家庭から始まりました。神とサタンの二人の主人を持ったアダムに、神は相対することができません。そこでサタンの長子であるカインと、より神に近い次子アベルとに分立するという摂理をされるのです。しかしカインは神の心情を悟ることができずに、アベルを打ち殺してしまいました。以後の人類歴史において、神に反逆する兄のカイン側は常に先行し、常に先に打って攻撃してくるのです。神の作戦は打たれて奪ってくるというものです。正しい者が先に打たれれば、損害賠償を要求してもサタンは讒訴できないからです。

 ◎1967年6月4日
 アベルは死んでも天の側であったのです。ですからアベルの血が訴えたのです。アベルは死んで蕩減したのです。神はある中心人物が死ぬなら、代身者を立ててこられました。このようにしてこそ、蕩減をしてカイン世界を押し分けられるのです。神はアベルを通した伝統によって、1600年下ってきて神のために、神を受け継ぐ世界が成ることを願われたのですが、サタンの血統を受け継ぐ人間ですから、そうはできなかったのです。このような人間に神が役事されるとき、すなわち季節でいえば、春の季節を通して摂理されて来られたのです。
 春の季節は一度しかありません。一つの時代がめぐる時には春の季節もあり、夏、秋、冬の季節もあるのです。人間も同じことです。神はこの四つの季節のうちで、春の季節のみを通して役事してこられるのです。これが神の責任なのです。それゆえ、神は昔アベルが精誠をこめたその心を中心として、ハラハラするような心情で代を継いで、ノアにまで至ったのです。ところがノアの時には世はすでに堕落におぼれ、地上において天情の因縁を結ぶことができない世界だったのです。それでノアが、神の前に出たのです。(「蕩減が行く道」から)

 ヤコブの勝利

 神が召命した中心人物がその責任を果たさなかったときには、神は次なる中心人物を召命して摂理されるのですが、そこにある期間があるのです。季節がめぐってその時が来なければならないのです。メシヤが来るのに、時があるということです。
 聖書から見て人類歴史を六千年とします。アダムからアブラハムまでが象徴的な神話の時代です。アブラハムからイエスまでのイスラエル民族の歴史は、その神話の形象的な同時性をもって展開しているのです。
 「統一原理」を初めて聞く人が非常に驚くことは、この二千年のイスラエル民族の歴史が、イエスから今日までのキリスト教を中心とするヨーロッパの歴史と、同時性をもって展開しているという事実です。これを見れば、人類歴史の背後で神が摂理されているということを悟るのです。「歴史は繰り返す」と言われますが、規模と範囲を拡大しながら、歴史はある帰結点に向かって進んでいるのです。
 さて、神が召命した中心人物の中で、最初に勝利した人物がヤコブです。ヤコブは年老いて目が不自由になった父イサクをだまして、双子の兄エサウが受けるばずの祝福を父から受けてしまうのです。兄エサウは怒ってヤコブを殺そうとします。それでヤコブは、故郷を捨てて叔父ラバンの下で、21年間も苦労するのです。ヤコブは知恵を使って多くの家畜や財を蓄え、やがて70人もの家族と共に、故郷のカナンに帰ってきます。

 ◎1958年2月9日
それではイサクの手を通して祝福された神、すべてのものを捨てて故郷に帰れと告げた神様は、どうしてヤコブを案内して行く道を平坦にしてやらず、またヤボク川の岸で夜を明かして天倫のみ旨を抱いて切ない心情で天の前に訴えるヤコブに、励ましの言葉をかけてあげるどころかむしろ、天使を送ってヤコブを打つという、そんな非情な環境においたのか。
 言うこともできない事情、人間が知るべくもない切ない曲折の心情がここにあったということを、我々は忘れてはなりません。このように神が許された故郷の山川を訪れたヤコブの道は、荒野の道であったのです。今日我々が歩んで行く路程にも、こんな曲折があるということを、ヤコブの路程を通して悟らなければなりません。
 それではどうして天は、このような環境におかれたのか。人間一人を選んで立てることも神の摂理のみ旨ですが、背後のサタンを押しのける足場を造ることが、さらに重要な摂理のみ旨なのです。人間が知らない神とサタンの見えざる世界の曲折の垣を、人間を通してつき崩さなければならないので、これを壊すことができる条件を立てるために、ヤコブに無理な行動を天はとらせたのです。
 ヤコブは祝福を受けたその日から、エサウがいる故郷の地に帰ってくる日まで、喜びの日がなかったのです。これは何を我々に見せてくださるのかと言えば、神のみ旨を代身して神の祝福を受けた者は、天地の前に一つの祭物の立場でこれに判決が下る時まで、憂愁の生涯の路程を経て行くべきことを、見せてくださるのです。(中略)
 
 「創世記」の32章24節に,ヤコブが天使とすもうを取るという話があります。ヤコブはもものつがいを外されても、その人を放しませんでした。それで天使が「あなたはイスラエルと言いなさい」と祝福します。イスラエルとは,勝利した者という意味です。これは何を意味する話でしょうか。アダムとエバが堕落したのは、天使長ルーシェルの誘惑に負けたからです。復帰は堕落の経路と反対の経路をたどるのですから、象徴的に天使に勝つという出来事が起るのです。このヤコブの十二子息から十二部族となり、イスラエル民族となるのです。
 やがてエジプトで奴隷にされたイスラエル民族をモーセが導き出し、紅海が割れて無事に出エジプトをするという「十戒」の物語につづきます。モーセはなぜか乳と蜜の流れるカナンの福地に入ることができなかったのですが、ヨシュアとカレブに導かれたイスラエル民族は、カナン七族を打ち負かし、サウル王を立て、ダビデ、ソロモン王の時代に至って全盛時代を迎えます。ところがソロモンの死後、王朝は南北に分裂します。カイン側の北朝が先に滅び、やがて南朝も滅んでバビロンに捕虜となり、ユダの子孫であるユダヤ民族のみが残るのです。このユダヤ民族から、イエス・キリストが誕生するのです。

 ヤボク川で徹夜していたヤコブに、神を代身した天使が現れなかったら、ヤコブはサタンの試練を受けるべき立場に立つのです。神はサタンが讒訴できないほどに信じることができ、そのみ言を中心に闘うことができる代表的な人物として現れるために,ヤコブに天使を送って夜通しすもうを取らせたのです。
 ヤコブはひとりの人間として、天使を問題なく退けるために死ぬ恨があっても、自分に与えられたこのみ旨を成すという心を抱いて闘ったのでした。このようなヤコブの前にサタンはあえて讒訴の条件を示すことができず、どんな弁明もできません。こんな勝利がヤボクの岸で得たので、天は第二の試練の対象であるエサウを感動させ、ヤコブの前に屈伏させることができたことを、皆さんは知らねばなりません。
 このようにヤコブによって立てられたイスラエルという名と、ヤコブによって立てられたイスラエルの基台は、一代だけの祝福の対象として成立したものではないのです。ヤコブを通して個人的なイスラエルが始まり、ヤコブを通して家庭的なイスラエルが始まり、民族、国家、世界的なイスラエルを形成するためのイスラエルの名であり、イスラエルの基台なのです。(「神の選民である選ばれたイスラエルになれ」から)
 
 兄エサウは400人の従者を雇ってヤコブを待ち構えていました。さてヤコブには二つの道がありました。一つはエサウと同じように兵を雇って一戦を交えることです。しかしヤコブはそうはしませんでした。たくさんの家畜をエサウに贈り、ヤコブの家族たちはエサウを拝して近づき、ヤコブ自身も七度エサウを拝したのでした。ここに至って二人の恨はとけ、兄弟は抱き合ったのでした。弟ヤコブは愛と万物によって兄エサウを自然屈伏させ、長子の権利を復帰したのです。
 この物語が何を意味するかといえば、神により近いアベルはサタン側のカインを、愛と万物によって自然屈伏させるべきことを、一つのモデルとして神が見せてくださったのです。このヤコブの路程を、規模と範囲を拡大しながら、モーセ、イエス、そして再臨主も歩まなければならないということです。ヤコブは家庭的に勝利したのですが、兄のカイン側は先行して、家庭的な範囲から先に民族的な基台を築いているのです。次に登場するのはイスラエル民族を、エジプトのパロ王から救い出す、民族的英雄モーセです。

 民族の救い主モーセ

 選民であるイスラエル民族が、なぜ400年間もエジプトの奴隷にされたのでしょうか。その遠因は昔アブラハムが鳩を裂かずに供え物としたためですが、その意味は原理を学ばないと分かりません。神は選民に蕩減条件を立てさせ、教育して鍛錬し、預言者を送って導き、時が至ればメシヤを送られるのです。

 ◎1958年2月9日
 ヤコブ一代で成った勝利的イスラエルの足場を、民族的な勝利の足場としてエジプトで立てるべきであったのです。すなわち、イスラエル民族はエジプトで疲れるだけ疲れて、ヤコブがヤボク川で天使と闘って勝利した足場を、怨讐の国において立てるべきであったのですが、立てられなかったのです。言い換えれば、イスラエル民族は団結して、民族的な天の試練と情を通過すべき立場であることを、忘れてしまったのです。
 こんな立場に立っていた民族を再び収拾するために、天はモーセを立て、民族を代表してパロ宮中で40年間の準備をさせ、ミデヤンの羊飼いの生活40年を経ていったのです。選民イスラエルの先祖であるヤコブが昔、ヤボク川の岸で成したその祝福を、エジプトのイスラエル民族が成すことができないので彼らを再収拾するために、モーセはヤコブのような民族的な路程を、荒野に行ったのでした。(中略)

 モーセはイスラエル人の子でしたが、訳あってパロ宮中で王子のような立場で成長します。やがて民族意識に目覚めたモーセは、エジプト人が奴隷をいじめているのを見て、怒ってエジプト人を殺してしまうのです。イスラエル民族がモーセを中心に団結したなら、出エジプトをする必要がなかったかも知れません。しかし彼らはモーセを誤解して、逆に敵と思ったのです。それでモーセはパロ宮中を去って、羊飼いの生活を40年間送ります。これがモーセ路程の第一幕です。

 どうしてモーセはこんな路程を歩まなければならなかったのか。それはヤコブが神の心情を代身して築いた、勝利の足場がなかったからです。そしてこの足場を、民族的に再び築かなければならない責任感を、誰よりも切実に感じたモーセだったのです。
 羊飼いとして、荒野で寂しい生活をする自身の事情がみじめであっても、自分のみじめさを忘れ、エジプトの地で怨讐にいじめられて苦労するイスラエル民族を見やり、同情の涙を流したモーセであることを、皆さんは知らねばなりません。こんなモーセの寂しい事情と心情が天に染みて、モーセが天のために案じ、選民のために代表的な兄として現れたので、神はモーセを再び呼んでパロ宮中へと送ったのです。これはちょうどヤコブがエサウを恐れて、21年の間ラバンの家で苦労した後、自分のすべての所有物を持って、エサウがいる所に訪ねて行った路程と同じことなのです。このようにモーセも、ヤコブと同じ難しい路程を歩んで行ったことを知らねばなりません。
 こうして三大奇跡を見せられ、み言を代身するアロンとミリアムを立て、天が行けといわれるパロ宮中を目指して行ったのです。
 ところでここに、またどんな事が起ったのでしょうか。モーセの行く道は神が後押しする立場ではなく、眠っているモーセを殺そうとされる事が起ったのです。これもやはりヤコブの路程と同じだったのです。ヤコブがヤボク川の岸で天使とすもうを取っている時、腰の骨が外れるのも知らないで闘った、その事情を通さなければならないモーセの立場だったので、モーセも神の前にそれと同じ立場に立たされたのです。(「神の選民である選ばれたイスラエルになれ」から)

 原理を学んでみると、ヤコブ路程とモーセ路程には共通の出来事や、同じ数字がいくつも出てきます。さらにそれはイエスの路程にも通じ、再臨主の路程にも通じるのです。このように考えると、摂理の中心人物の背後に、神がおられることを実感するのです。
 さて「十戒」という映画で見るように、60万ものイスラエル民族が出エジプトをするのですが、彼らは紅海が割れる奇跡を目の前にし、主が彼らの前に行かれて昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれたにもかかわらず、辛いことがあればすぐに不平不満を口にするのです。
 エジプトには肉もあった、パンもあった、あなたは我々をこの荒野で餓死させるのか、とモーセを責め、奴隷であったことも忘れてエジプトに帰ろうと叫ぶのです。エジプトはサタン世界を象徴し、カナンは神の王国の象徴です。堕落した人間はその中間に立って、常に揺れ動いているのです。人間は神も信じることができず、サタンも信じられない存在だというのです。
 荒野におけるイスラエル民族の姿は、史実というよりは堕落人間の姿を象徴するものと考えるべきです。こうしてイスラエルの一世たちは40年の荒野生活で、ほとんだが倒れ、モーセ自身もカナンに入ることができませんでした。その原因は、あまりに不信するイスラエルに、モーセがつい血気にかられて岩を杖で、二度打ったことにあるらしいのです。結局カナンに入ったのは、ヨシュアとカレブの二人だけでした。
 神は堕落してサタンの手に落ちた人類を、一挙に神側に復帰することはできません。そこでまず家庭的に勝利するヤコブの路程を見せられ、次に民族的に範囲を広げて、サタン世界から神側に復帰するモーセ路程を見せられたのです。
 神の願いは実体的に、人類を復帰することです。そのためにはイスラエル選民を立て、そこに神の独り子イエスを送って、選民を中心にして人類全体を復帰することです。
 神はメシヤを送る前に、まずエリヤを送ると宣告されました。ですからイスラエル民族は、エリヤの降臨を待ち焦がれていたのです。さて、エリヤとは誰でしょうか。

 イエスの使命

 ◎1964年3月15日
 神がイスラエル民族をカナンの地に呼び入れられたのは、カナンの地に天国を建設するための勝利的な民族基盤を完結して、一つの主権を立てたのち、将来メシヤを迎えるためであったのです。ですからイスラエル民族は、メシヤを自分たちの国を統治する主人公として侍り、メシヤを中心にしてサタン世界を打って、神の復帰摂理を終結させなければならないのです。こんな使命があったにもかかわらず、イスラエル民族とユダヤ教団はこれが分からなかったのです。
 その当時イスラエル民族は、救世主が来たならば自動的に世界を支配することができる民族になるとばかり思って、民族的な勝利と国家的な勝利の基台の上に、世界的な勝利の基台を築いて、復帰の歴史を終結させるということが分からなかったのです。
 今から二千年前のイエス様の当時を回顧してみるとき、イエス様はどんな使命を持って来られたのか。イエス様は神の独り子、皇太子なのです。こんなイエス様が来られて成すべき使命が何でしょうか。イスラエル民族とユダヤ教を収拾して、ローマと対決して、ローマを占領することでした。イエスが死んで400年後にローマを征服することではなく、生きてローマを占領しなければならないのです。そうすればその時、すでにイエスの理念は世界的な勝利を基盤を得たのです。
 またイエス様は天と地、神と人間が分けられているのを一つにして、サタンを審判してサタン世界にあるすべての人間を神の側に復帰して、サタン世界にある万物を神の側に復帰しなければならないのです。分けられている天と地を連結させ、天国理念を地上に実現しなければならないのです。これがイエス様の使命なのです。
 イエス死んだ後に再臨の一日を立て、千年王国を待ち焦がれることが、本来の神の摂理の目的ではないのです。イエス様が生きてこの地上に、天と地に天国、すなわち千年王国を建設しなければならなかったのです。神が所願とされた天宙的なカナンの天国理念を地上に実現することが、イエス様を送られた目的であったことを、我々は知らねばなりません。(「復帰の道」から)

 神がメシヤを送るのに時があるのです。イエス誕生の四,五百年前から、インドには釈迦が現れて仏教が興り、中国では孔子が現れて儒教が生まれ、またギリシャには偉大な哲学者たちが出現して、人類の知的水準は大きく向上していました。
 二千年前のイエス様当時は、ローマ帝国の全盛時代でした。世界はローマを中心に一つになっていたのです。イスラエルはローマの属国でした。イスラエル民族が待ち望んでいたメシヤとは、モーセのように奇跡的にローマをやっつけ、イスラエル民族を解放する英雄だったのです。しかし神がメシヤを送られた目的は、真の愛と理念によって人類を解放することです。
 ローマの元老院で堂々とみ言を語るイエス様を想像してみてください。彼らが涙を流して感動してイエス様のみ言を受け入れたなら、それはローマからギリシャ、インド、中国への道、すなわち当時の世界である東へと広まったのです。しかしイスラエル民族がイエスをメシヤとして受け入れずに、キリスト教はヨーロッパからアメリカへの、西の道をたどりました。
 ユダヤ人がイエスをメシヤとして受け入れなかった理由の一つに、エリヤの降臨という問題があります。エリヤとは火の馬車に乗って昇天したと伝えられる預言者です。ユダヤ人はエリヤが、再び火の馬車に乗って降臨するか、あるいはメシヤは雲に乗って来ると考えていたのです。ところがイエス様は馬小屋の飼葉桶の中で生まれました。メシヤが何でそんな所で生まれなければならないのか。これが彼らの疑問です。

 ◎1963年5月15日
 神の皇太子、神の独り子イエスが、天の宝座をおいて地上に生まれる時、どのように生まれましたか。口にも言えないみじめな場所で生まれたのです。馬小屋の飼葉桶がメシヤの寝る場所ですか。皆さんが生まれる時は、おむつや沐浴する所を準備するので大騒ぎだったのです。イエス様は皆さんよりはるかにみじめに生まれたのです。部屋が何でしたか。飼葉桶に寝かされたのです。そうじゃありませんか? 
 飼葉桶の中のイエスを誰が守ったのですか。誰が守ったでしょうか。神の息子ですから神が守られ、天使が守ったのです。また神に従う牧者たちがその場を守ったのでした。イエスは生まれるのはこのようにして生まれましたが、持ったその内容は、まさにすべてを持って生まれたのです。
 それではイエスは、なぜこのように生まれたのでしょうか? 最もどん底に落ちた世界を救うのですから、最も下から出発しなければならいのです。神が頂上なら、イエス様は最も底であったのです。そうしてこそ、この世界を救うことができるのです。この世界、すなわち理念世界という丸い世界です。円の世界です。ですから回らなければなりません。このように回る世界を創ったので、神がイエスを立てて役事しなければならないのです。回らない世界、滅んでしまう世界、堕落したこの世界を回すので、神は頂上で、イエスは最も底から役事しなければならなかったのです。このようにして回りまわって、神が地上に降りてこられ、イエスが神の場に上がれば成るのです。分かりますか?(「行かなければならない私」から)

 ヨセフの家庭とザカリヤの家庭

 マリヤの処女懐胎を信じるのは、イエスを神そのものと考えるからです。しかしイエスを人間と考えるなら、それは意味のないことです。イエスの神性を否定することにはなりません。創造原理からみて、神・人は一体であるからです。完成した人間イエスは、神そのものともいえるのです。
 マタイ伝の記者は、イエスの父ヨセフの系図を長々と記しています。そのヨセフとイエスは血の繋がりがないというのですから、これは何かの暗示と考えるべきです。この系図の中に五人の女性の名が記されていますが、共通していることはユダヤの常識からして普通の結婚をした女性たちではないということです。その中の一人、タマルのことを研究すれば原理が解ける、と文師は語られたことがあります。

 ◎1960年6月26日
 その後イエス様は良い暮らしをしたでしょうか。とんでもありません。イエス様は連れ子として育ったのです。ヨセフの連れ子として。ヨセフがイエス様に神の息子のように侍って暮らしたでしょうか。違います。イエス様はヨセフの連れ子として育ったのです。
 何か分からずに夢に天使が現れて、神の息子だというのでそう信じたのでが、生まれてからはみな忘れてしまったのです。過ぎてからは全部忘れて、普通に接する生活を毎日するようになったのです。ヨセフとマリヤの家庭生活に押し流されて生活した、イエス様であったのです。
 証しする時は一時ですが、証しが成る希望の時は、ある期間が過ぎてこそ来るのです。ところがイエス様を証した東方の博士たちもみな行ってしまい、牧者たちもみな行ってしまったのです。兄貴分になる洗礼ヨハネも、初めは証したのですが、しまいには反対したのです。
 天の理念を持って来られたイエス様を、ヨセフ家庭は嫌ったのです。彼の弟たち、妹たちがみな嫌ったのです。皆さん、イエス様が育ったときに争いでもして、そんなふうだったでしょうか? 言葉がなかったのです。黙々としていたのです。彼の目は他のことを見たく、彼の耳は他のことを聞きたく、口は他のことを言いたかったのです。感じることも他のことを感じようとされたのです。
 イエス様はヨセフの家庭で、みじめに育ったのです。すべてのものが合わなかったのです。どうしてまた12歳の時に、家を出たのでしょうか。エルサレムの神殿にひとり上って、祭司長たちと弁論される時、父母は捜さなかったのです。考えてみてください。勿論、み旨の使命があったのですが、人間的に見るとき、どうしてまた12歳の時に家を捨てて、出て行かれたのでしょうか。イエス様の心情がいかばかりであったでしょうか? 
 聖書にはこのようなことが記録されていないのです。名節がくれば、おいしい物も食べ、高価な着物も着たかったのです。しかし何も言われないイエス様だったのです。そんなイエス様にひどい扱いをしたのです。大工の義父のそばで、黙々と鉋かけをして暮らしたイエス様だったのです。(「道を失った羊とお父様」から)

 洗礼ヨハネの使命

 洗礼ヨハネはその出生の時の奇跡から、ユダヤの山里にまで知られて「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と言われるほどに有名であったのです。
 彼はらくだの毛ごろもを身にまとい、荒野でいなごと野蜜を食物とし「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか」と叫んでいました。ユダヤの人々はこの人こそメシヤその人ではないのか、とヨルダン川のほとりに続々と集まってきたのです。
 ヨルダン川にイエスがふらりと現れ、ヨハネから洗礼を受けるのです。ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の子羊、わたしが言ったのはこの人のことである」とイエスがメシヤであることを証します。ですから、洗礼ヨハネはイエスを証した偉大な人物とされてきました。それでは洗礼ヨハネは、その使命を本当に果たしたのでしょうか。

 ◎1971年8月15日
 洗礼ヨハネはどんな使命を持っている人間かというと、数多くの宗教圏において、神が世界的に選択された代表的な天使長型として、天使長の使命を完結しなければならない人間なのです。ですからイエス様を中心に、死ぬも生きるも一体にならなければならないのです。彼の使命は神のため、イエス・キリスト、すなわち神の息子のためにあったのです。言い換えれば、ヨハネはエデンにおける天使長がアダムのために、神のためにあったと同じ立場なのです。ですから洗礼ヨハネは、神とアダムを代身したイエス・キリストのために生まれ、神とイエスのために存在しなければならないのです。
 洗礼ヨハネとイエスを見れば、洗礼ヨハネはイエスよりも六か月先に生まれています。原理的な観点から見ると、この六か月は人間の六か月ではありません。これは六千年の六数を代表した期間なのです。神は人間を創られる前に万物を創り、万物を創る前に天使世界を創られました。そして六日目にアダムを創られたのです。ですから第一段階の基準で天使長の立場を代身する洗礼ヨハネは、イエスよりも先に生まれて、あらゆる準備をするようになっていたのです。
 洗礼ヨハネが生まれたザカリヤ家庭とは、どのな家庭か。その家庭とマリヤの家庭は姻戚関係でした。マリヤは洗礼ヨハネの叔母にあたり、イエスと洗礼ヨハネは従兄弟にあたる立場でした。家庭的にも切っても切れない関係です。ですからもしもヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになり、イエスと洗礼ヨハネが一つになれば、イエスは苦痛を受けなかったのです。(「祝福家庭の価値」から)

 兄カインの立場の洗礼ヨハネが、アベルの立場のイエスに従順に屈伏して二人が一体になればどうなったでしょうか。洗礼ヨハネはイエスの一番弟子になって、洗礼ヨハネに従っていたユダヤ教徒もイエスに従ったはずです。そうすればローマを征服するのに、400年が必要なかったのです。では洗礼ヨハネは、イエスの弟子になったでしょうか。ならなかったのです。洗礼ヨハネの弟子たちと、イエスの弟子たちとが、洗礼のことで争ったと聖書には記されています。彼はエリヤとして生まれた自らの使命を、自覚できなかったのです。その結果、神が四千年間準備したユダヤ教徒、祭司、律法学者、パリサイ人たちは、イエスと対立する立場に立ったのです。

 ◎1960年6月26日
 ですから、気の毒な立場に落ちたイエス様になったのです。知恵の浅い祭司長たち、彼らは誰ひとりイエス様に「あなたがメシヤですか?」と問うてはみなかったのです。聖書をごらんなさい。そうか、そうではないか。パリサイ人、また祭司長、律法学者の地位を得ている人間は、誰もイエスの十二弟子にならなかったのです。
 イスラエル民族の代表者たちに追われたイエス様であり、律法学者たちに追われたイエス様であり、祭司長たちに追われたイエス様だったのです。だからどこへ行かれたの? どこへ? 山が好きで、山に入って夜を明かして、祈祷されたのでしょうか? 
 皆さんは今まで信じてきたことを、みな覆さなければなりません。行く所がなくても、み旨は果たさなければならないイエス様だったのです。取るに足らない存在でも立て、格好だけでも得て、地の上にみ旨を成さなければならない使命感に燃え、そんな心情に染みて、どうしようもない漁夫を捜し立てたのです。(「道を失った羊とお父様」から)

 イエス様の宣教の第一声は「悔い改めよ、天国は近づいた」でした。天国とはどこの天国でしょうか。地上の天国であったはずです。しかし聖書を見れば、イエス様はまるで十字架にかかるために来たように見えます。十字架はキリスト教のシンボルです。神はイエスを十字架で死なせるために送られたのでしょうか。
 イスラエル人がモーセを誤解して、モーセがミデヤンの荒野に去ったモーセ路程の第一幕があったように、実は聖書に書かれていない隠れたイエス路程の第一幕があったのです。私たちが読んでいる福音書は、イエス路程の第二幕、十字架への道に他ならないのです。

 十字架の道

 ◎1957年10月27日
 皆さんは、神とイエスとサタンとの間の曲折を知らない不信の人間たちですから、彼らに語りたくても語ることができなかったイエス様の、切ない心情を知らねばなりません。
 こうして従順な祭物になり、歴史の祭物になり、犠牲と奉仕の祭物になり、サタンに対して「おまえはなぜ、神の摂理のみ旨に従わないのか」と叱りつけ、霊と肉とを合わせた実体としてサタンを屈伏させる天的な秘密を捜し求めなければ、イエスが霊的に勝利したサタンを、実体的に屈伏させることはできないのです。
 「わたしには、あなたがたに言うべくことがまだ多くあるが、あなたがたは今それに堪えられない」(ヨハネ16:12)
 「わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じなければ、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」(ヨハネ3:12)と言われ、語ることができなかったイエス・キリストの心情を、皆さんは解いてあげなければなりません。(「イエスの摂理的生涯とその勝利的目的」から)

 福音書にはまず洗礼ヨハネが登場し、主イエスを証したことを告げています。ところがイエスはすぐに荒野に導かれ、40日間の断食と、サタンの試みを受けるのです。モーセもシナイ山で40日間の断食の末に、十戒の石版を授かりました。だいたい40という数は地の数といい、人間が蕩減条件を立てるべき数です。神の子であるイエスが、なぜ蕩減条件を立てるのでしょう。そして神の子が、なぜサタンの試みを受けなければならないのでしょうか? 
 実はここに洗礼ヨハネが不信して、イエス路程の第一幕が失敗に終わった事実が抜けているのです。ですからイエス自身が、洗礼ヨハネを代身して蕩減条件を立てなければならなかったのです。つまり自分自身をメシヤとして証しするという苦難の路程、十字架の路程が始まるのです。イエスはサタンの試みを退け、サタンはひとまずは姿を消したのです。

 ◎1960年6月26日
 皆さん、イエス様が「ペテロよ、すべてのものを捨てて、わたしについて来なさい」と言う時、ペテロが「はい」と、へいこらついて来たでしょうか。とんでもない話です。イエス様が追われに追われることをすべて見て、みな知っていたペテロでした。聖書には「やあ、ペテロよ」と一度呼べば、神の息子の権能によって、ペテロがついて来たみたいでしょう? とんでもありません。イスラエルのすべての律法学者たちに冷たくあしらわれた漁夫たちだったのです。それで彼らには律法学者たちに対する、その時代を支配する指導者たちに対する、反感があったのです。
 公義の路程を立てるための正義の姿として、純粋に叫ぶイエス様の言葉と行動を見れば、間違いなく善なる人であるので、律法学者たちが憎んで追い立てた彼らは、イエス様のあとについて行くしかなかったのです。追われる人々が、イエス様のあとについて来たのです。
 皆さん、ごらんなさい。三年の間、無学無知な弟子たつを連れてイエス様が、どれほど苦労されたでしょうか。どんなに切なく水を汲んで、弟子たちの足を洗ったでしょうか。それを好んでされたことでしょうか。違います。分かってみれば、悲痛な事実なのだということです。(「道を失った羊とお父様」から)

 ユダヤ教の指導者たちは、ことごとくイエスに敵対したのです。イエスに従った人々は漁夫や取税人、病人や女たちでした。当時の社会から捨てられたような人々です。どうしてイエス様は彼らの友になったのでしょうか。今日のクリスチャンは、イエス様は悲しんでいる人々の同伴者、哀れな者の友と考えています。

 ◎1960年6月5日
 イエスは今日の人々が考えているような、仮想的で歴史型の人格者ではありません。聖書にも大食いでぶどう酒を楽しむ人、病人の友、罪人や取税人の友だとありますが、あり得ることでしょうか。なぜ、そうなのかというのです。これを考えるとき、皆さんは慟哭しなければなりません。イエスがどうして、罪人と取税人の親友になったのでしょうか。彼らの親友になりたかったイエスではありません。どうしようもなかったからです。
 イエス様は祭司長たちが自分の前に膝を屈して「あなたは万王の王であり、我々の指導者です」と頭を下げて敬礼することを、どんなに願ったことでしょうか。しかし彼らはむしろ後ろ指をさしたのです。モーセの律法を蹂躙し、神殿を汚す者と非難したのです。それで仕方なく罪人の友となり、取税人の友になったのです。四千年の間に成した祭壇が崩され、どうすることもできなくて、そうなったのです。(「イエス様はすべてのものを残して逝かれた」から)

 自分をメシヤとして証しする人を失ったイエスは、どうやって人々を集め、み言を語ったのでしょうか。病人を癒し、死者を生かすという奇跡で人々を集めたのです。多くの人々が御利益を求めてむらがりました。病気さえ治れば、十人のうち九人まではそのまま行ってしまうのです。イエス様は奇跡しか求めないのか、と心で嘆いたのです。
 一時は多くの群集が集まったのですが、奇跡がなければ人々は去るのです。群集も、そして弟子たちも、イエスのみ言が理解できなかったのです。
 「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」とイエスが語るとき、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」と呟いて、多くの弟子たちは去って行って、もはやイエスと行動を共にしなかった、と聖書に記されています。イエスはわずかな弟子たちを連れて、イスラエルを回ったのでした。文師がよく引用される聖句の一つが「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」というイエス様の嘆きの言葉なのです。

 ◎1957年10月25日
 神のみ旨を成してあげるための30余年の生涯、血と汗を流して忠誠をつくしても、イエス様のこのような事情を真に知ってくれる、そんな一人の人間もいなかったのです。ユダヤ教団から、あるいはイスラエルの民から追われ、退けられ、ついには留まる所がなく、この村、あの村、この山里、あの山里とさまよう他なかったイエス様の悲しい事情を、今日皆さんは感じてみなければなりません。
 それでは、イエス様の悲しみはどんな悲しみであったのか。神のみ旨の前に任された、まさにその使命を果たすことができない悲しみであり、無知な民衆の前に神のみ旨を悟らせることができない悲しみだったのです。それでイエス様は、自分に反対し、不信するユダヤ教に対し,イスラエル民族に対し、悲しまれたのでした。(「神の悲しみを知る者となろう」から)

 イエス様は自分がエルサレムに行き、多くの苦しみを受け、十字架にかけられ、三日目によみがえるべき事を,弟子たちに示しはじめます。するとペテロは「主よ、とんでもないことです」といさめます。イエスは振り向いて「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ」とペテロを叱りつけました。
 この事実からみて、イエス様は十字架につくために来られた、と多くのクリスチャンは考えるのですが、これはあくまでも二次的な目的なのです。もしもイエスが十字架の道を避けてどこかへ逃亡したとしたら、人類の救いの道はなかったでしょう。イエスは死を覚悟して、エルサレムに上るのです。

 ゴルゴダの道

最後の晩餐の後,イエス様はペテロ,ヤコブ,ヨハネの三弟子を伴って、ゲッセマネの園で夜を明かして祈るのです。
 「わが父よ、もしできることでしたどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ26:39)と三度、イエス様は神に祈るのです。

 ◎1958年1月26日
 ゲッセマネの園で,夜を明かして祈祷されたイエスの心情は,言葉にならないほど切ない心情であったのです。であったにもかかわらず、ついてきた三弟子たちは,イエス様と行動を一致することができず、各自それぞれに行動したのです。イエス様だけを通して行かねばならず、イエス様と同じ心情で訴えるべきであるのに、またイエス様は愛する弟子たちのために心から訴え,弟子たちを案じたにもかかわらず、彼らはイエス様の心情がどうかも知らずに、疲れて眠ってしまったのです。
 生死の決判をつける場,死ぬか生きるか、岐路に立っていたイエス様の心情は、天と地が溶けるとても言葉につくせぬ切ない心情であったのです。しかし三年の間,本当の息子のように育ててきた愛する三弟子は、イエスの心情を知らずに,居眠りしていたのです。それで火のように切ない心情で、三度まで弟子たちを目覚めさせたイエス様の痛々しい心情を、皆さんは感じなければなりません。(「イエス・キリストの心臓を持つ者となれ」から)

 ゲッセマネの園で祈祷するイエスの心情を,文師は限りないほどに語られています。この場面は「イエス様も死を前にして悩み苦しむ人間的な面があるところに、私たちは慰められるのです」と説教されるところですが、文師はそのように考えるのはイエス様に対する侮辱だと語るのです。イエス様が死ぬために来られたなら,喜んで平然と死を迎えたはずです。イエス様は最後の望みをかけて、血の汗を流して祈祷したのです。しかし三弟子は眠りこけ、ここにすべての基台を失って、イエス様は生きて地上に天国を成す道を絶たれたのです。

 ◎1957年10月25日
 十字架の死の直前に「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と祈る他ないイエス様の立場を見やる、神の切ない悲しい心情を、皆さんは察してみなければなりません。四千年の間、苦労してイエス様お一人を立て、ご自身の悲しみを解き、またこの地上に天国を建設されようとしたのですが、このようなすべてのみ旨が一時に挫折するとき、神の心情がどうであったでしょうか?
 この時の神の悲しい心情は、昔アダムとエバが堕落するときに感じた、それ以上の悲しみであったのです。イエス様が十字架につかれるときは、神様は四千年の間、血と汗と涙を積んだ精誠の塔が一時に壊され、もう一度再創造の歴史を始めなければならなかったので、神は堕落当時の悲しみに加重された言うに言えない悲しみを感じ、嘆息するしかなかったのです。(「イエスの摂理的生涯とその勝利的目的」から)

 堕落した人間はサタンの手のうちにあります。神はイエスを送って人間を神側に復帰しようとされたのですが、それが挫折するとき、イエスの肉身をサタンに渡すしかなかったのです。これが神の沈黙の理由です。ですから神は二重の悲しみを味わったのです。しかし蕩減の原則によって、神はイエスを霊的に復活させることができたのです。

 イエスの復活

 ◎1964年3月15日
 本来、キリスト教は十字架の教理ではなく,復活の教理なのです。イエス様が復活されることによって、救援が成立したのであって、死ぬことによって成立するでしょうか。キリスト教は復活の宗教なのです。今日、地球上の十字架をすべて焼き捨てなければなりません。誰がするのでしょうか? 
 見ていてごらんなさい。私の話が合っているか、間違っているか。とは言っても、十字架の道理,十字架の救援の道理を否定することではないのです。サタンに刺し通されたその十字架を、なぜ掛けておくのかというのです。
 逝かれて三日の後,復活されたイエス様は、その復活の権能によって我々が救いを受けるのです。復活されてのちの40日期間の基盤の上に、初めて新しい第二のイスラエル、すなわちユダヤ教を代身した、新しいキリスト教が出発したのでした。キリスト教は十字架の教理ではなく、復活の教理だというのです。信じられない人は祈祷してみてください。自信を持って語っているのです。(「復帰の道」から)

 キリスト教を世界に広めた功労者はパウロです。パウロは霊的にイエス様に出会い、その体験からイエス様は神であり、十字架にかけられたイエスを信じる者は救われる、という十字架贖罪の神学を立てたのです。ですから,十字架はキリスト教のシンボルになったのです。イエス様は霊的に復活され、霊的なカナン復帰において勝利されたのです。しかしそれはあくまで霊的な救いであって、肉的な救いは残されたままになっているのです。それゆえイエス様は、また来ると言われたのです。キリスト教には再臨の思想があります。

 ◎1961年1月1日
 皆さんは長く信仰生活をしていても、イエス様が誰なのか、聖霊が誰なのか知らなかったのです。イエスと聖霊は人類の真の父母です。私たちはこの真の父母の心情を通さなければ、神の心情の場まで行くことができません。(中略) 
 神様が終わりの日に約束された一日は、父母の日です。真の父母に侍ることができる日です。言い換えれば、堕落によって父母を失ったのでこの地上の数多くの人類が,神の祝福を成すことができる本然の父母を迎える日なのです。(「私たちはお父様の代身者となろう」から)

 イエス様は結婚しなければならなかった、とは文師の言葉です。それは母マリヤの責任だったのです。堕落とは関係のない本然のアダムとして来られたイエス様が、本然のエバを迎えて真の父母となり、接ぎ木の摂理によって本然の人類に生み換えることが、キリスト教でいう新生です。これがイエス様の肉を食べ、血を飲むということだったのです。家庭を持つことなく逝かれたイエス様を信じる修道者は、今日まで独身を通してきたのです。

 ◎1960年10月2日
 皆さんは再臨主が、雲に乗って来ると思うかも知れませんが、そうではありません。
 神の心情と本然のアダムの心情が、人類の心情に染みることができる道を開くための、歴史的使命を成すお方が現れなければならないのですが、このお方が仏教でいう弥勒様であり、儒教の真人であり、キリスト教でいう再臨のイエスなのです。これは名こそ違いますが、結局は一人の人間なのです。(「真に行きたい所」から)

 ◎1963年5月15日
 主は真の父母として来るのです。実体を持った人類の父として来るのであり、実体を持った新郎としてこの地上に来て,実体を持った新婦を捜し求め、母として立てるのです。それで初めて堕落しない真の父母になるのです。アダムとエバが堕落することによって、真の父母を失ったので、人間は父母は持っていても、堕落していない真の父母は持っていないのです。
 ですから復帰摂理を経て、実体を持った父母の使命を完結するために来られるお方が、再臨主なのです。歴史的な真理を持って来られる主は、イエス様が霊的な救援の基盤を築かれましたから、これを基盤として、霊肉とも完全な息子・娘を生みださなければならないのです。数億万人類が反対するゴルゴダを越え,死の道を行かれたイエス様は,復活の聖体として再び来るのです。死によってゴルゴダを越え、永遠に勝利したので、再び来るのです。来るときは行ったように来るのです。十字架を負って行ったので、十字架を負って来るのです。(「行かなければならない私」から)

                (第四章へ)

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