第二章 終末と再臨 


 メシヤとキリスト

 メシヤとは、油注がれた者のことです。預言者サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注いで、イスラエルの王としました。メシヤとは救い主のことであり、イスラエルの王を意味しているのです。これをギリシャ語に翻訳するときに、キリストになったのです。ですからメシヤとキリストは同義語ですが、ユダヤ教でいうメシヤと、キリスト教でいうキリストでは、その意味するところに違いが生じたのです。 
 「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」(使徒1:6)
 集まった弟子たちは、復活したイエスにこう問うています。彼らはまだイエス復活の本当の意味を、理解していなかったのです。ローマの圧政からイスラエルを解放する、モーセのようなメシヤ像を抱いていたのでした。
 イスラエルは四国ほどの小さな国で、常に大国に支配される歴史をたどってきました。サウル王から偉大なダビデ王の時代を経て、栄華をきわめたソロモン王の時代になって、初めて周囲を圧する国を築いたのですが、王の死後に王国は南北に分裂します。やがて北朝はアッシリヤによって滅ぼされ、南朝もバビロニヤのネブガデネザル王によって捕囚となります。その後、ペルシャのクロス王によって解放され、再びイスラエルに帰還して第二神殿を建設しますが、その後もギリシャに支配され、そしてイエス当時はローマ帝国の支配下におかれていました。
 イスラエル民族は悲惨な歴史をたどった民族ですが、しかし彼らは神に選ばれた民族であるという、選民意識を持ちつづけてきました。割礼をほどこし、モーセの律法をかたく守り、安息日を守り、ユダヤ人以外の者とは血縁を結ぶことなく、食卓も共にしないという徹底した選民意識です。彼らは聖書を編纂し、それを幼少より学んできました。そしてイスラエルを解放して王国とする、油注がれたメシヤが到来することを信じてきたのです。ですから、十字架にかけられて亡くなったイエスは、ユダヤ教ではメシヤではあり得ないのです。メシヤはまだ到来していないというのです。
 イエスは復活して、40日にわたってたびたび弟子たちに現れ、彼らを再び立ち上がらせました。弱き弟子たちは不屈の使徒になりました。そしてイエスはイスラエルを救うメシヤから、人類の救い主キリストになったのです。
 使徒行伝第八章には、イザヤ書を読んでいるエチオピア人の高官に、ピリポが手引きする場面があります。

  「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
  また、黙々として、
  毛を刈る者の前に立つ子羊のように、
  口を開かない。
  彼は、いやしめられて、
  そのさばきも行われなかった。
  だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
  彼の命が地上から取り去られているからには」
 
 このイザヤ書五三章に記された預言者に、弟子たちはイエスのイメージを重ねたのでした。彼が沈黙したまま十字架にかかり、何事も起こらずに逝ったのは、われらの罪の身代わりだったのだ、そう彼らは考えたのです。
 遅れたきた使徒パウロはその考えをさらに発展させ、神学にまで高めたのです。人類の罪の贖いとして、神はその独り子を世に送られ、十字架につけられ、その血の代償によって、十字架につけられたイエスを信じる者は救われるという教義です。
 イエスの死から約60年後に、ユダヤ戦争が起こりました。ユダヤ人は悲壮な覚悟で、最後まで戦ったのですが、イエスの予言どおりに神殿は完全に破壊され、戦い破れてイスラエルは滅亡したのです。ユダヤ人は国を奪われて世界に離散し、どこの国でも迫害され、ナチスには虐殺されましたが、二千年の歳月が過ぎた第二次世界大戦後に、再びイスラエルは建国されたのでした。
 ユダヤ戦争の頃、イエスの言行録を書き残しておく必要性から、まずマルコ伝が書かれたようです。それ以前に、Q資料と呼ばれるイエス言行録があったとされています。
 マタイはマルコ伝とイエス言行録をもとに、ある霊感を受けてマタイ伝を書きました。イエスの思想と教えを深めています。そして「聖書の預言が成就した」ことをしきりに強調しています。聖書はイエスがキリストであることを預言する、預言書であるとする解釈です。しかしマタイの引用はかなり強引であって、ユダヤ教の側からは受け入れがたい部分があるようです。
 ルカはさらに、イエスの譬え話を詳しくしています。その元になるものはあったとしても、ルカの創作が加わっているとも考えられます。
 最も遅く百年近くもたって、ヨハネ伝が書かれたようです。ここではすでにイエスは神の子、神そのものとされています。もはやイエスは人間ではなくなったのです。ですからヨハネ伝はイエスの伝記というより、キリスト教の信仰告白とされています。
 イエスの生涯について、それこそ星の数ほどの書物が書かれてきました。しかしその資料となるものは、聖書以外にはないようです。ですからどんなにヘブライ語を学び、ギリシャ語を学び、神学を学び、一字一句を分析研究したとしても、これ以上に知ることはできないようです。にもかかわらず、聖書とイエスについて書かれつづけているということは、彼の生涯が人類歴史に巨大な影を投げかけているからです。そして聖書が、それだけ謎にみちている書物だからでしょう。
 イエスから天国の鍵を預かったのが、ペテロでした。そのペテロが殉教したのが、ローマです。それでローマの教区長が法王になるのです。法王は天国に入る鍵を握っているのですから、法王を通じてでなければ天国に行けないことになります。しかし法王庁が腐敗堕落することによって、中世暗黒時代と呼ばれる時代が、約千年間もつづきました。
 1517年、ルターが宗教改革を起こしました。ここにキリスト教はカソリックとプロテスタントに分裂します。旧教と新教は激しく対立して、凄惨な戦争が30年間もつづき、ヨーロッパの人口が激減したほどでした。またプロテスタントは法王を通してではなく、各自が聖書を通して信仰するというものですから、次々に分派が生じて300から400にも教派が分かれてしまいました。こうして二千年の歳月が経過した今日、キリスト教の力は薄れつつあります。新しいキリスト教の復興運動が、興るべき時ではないでしょうか。

 再臨のキリスト

 「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上がって行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒1:11)

 御使が弟子たちに、こう告げたのでした。またマタイ伝には、こう書かれています。
 「そして大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に、御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」(マタイ24:30)
 ところがすぐその後では、盗賊がいつ来るか分からないように、人の子は思いがけない時に来るから、目を覚ましていなさい、と書かれています。鳴り物入りで華々しく、イエスが雲に乗って来るなら、誰でも目が覚めることでしょう。まるで反対のことが書かれています。ですから解釈の仕方によって、さまざまな教派が生まれるわけです。
 またパウロはその書簡に、こんなことを書いています。
 「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々がまず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ第一、4:16)
 これらの聖句を文字どおりに信じると、どうなるでしょうか。ぼんやりと空を見上げて、イエスの降臨を待ちわびることになります。なかには飛び上がる練習をしている信徒もいるということです。誰よりも早く、空中で主に出会いたいというわけです。
 いつの何時にイエスが降臨するという啓示を受けた教祖が、信徒を一堂に集めてその瞬間を待ち望むという事が何度かありましたが、未だにイエス降臨の事実はありません。
 人工衛星が宇宙を飛ぶ現代に、二千年前の信仰から一歩も出ないとするなら、キリスト教が力を失うのはむしろ当然の結果です。
 キリスト教はさまざまな脅威にさらされてきました。人間の理性が発達して科学が発達するにつれ、奇跡や神霊現象を否定する人がふえてきました。そしてついには、神を否定する思想が登場しました。マルクスによる唯物思想です。彼は宗教はアヘンであると言ったのです。そしてマルクス思想による共産主義革命が実現しました。しかし神を抜きにした思想、人間の手による地上天国の建設は、失敗に終わったのです。
 科学の発達は神と霊界を否定するかに見えたのですが、現代に至っては、最新の科学はむしろ神の存在を必要とするようになってきたのです。量子力学や遺伝子の研究が進むにつれて、創造主の存在が不可欠に見えてきたのです。
 再臨思想はキリスト教だけにあるのではありません。仏教では弥勒様が来るとされ、儒教では真人が来るとされています。クリスチャンは十字架で昇天したイエスが、再臨するという希望を抱いて二千年間、待ち望んできたのです。しかしキリストが天から来るのか地上に生まれるのか、どのような有様で、いつ、どこに来られるのか、それはただ、天の父だけが知っておられるというのです。
 聖書も文字どおりに信じるとすると、荒唐無稽で空想的な信仰に終わってしまうのです。もはやそのような宗教が、現代人の心を捉えることはできません。絵画に描かれたキリストの姿そのままに、イエスが雲に乗ってラッパの音とともにに天から下りてきて、彼は何をしようというのでしょうか。
 では、イエスの再臨はないのでしょうか。十字架につけられて死ぬことだけがイエスの目的であり、十字架につけられたイエスを信じる者はすでに救われているなら、再臨する必要がありません。イエスはすでに、信徒の心の中に来ているということになります。
 しかしながら二千年の歴史を振り返って見れば、飢えと戦争の歴史でした。物と土地を奪い合い、人を奪い、権力を争い、思想と宗教の違いから争ってきました。敵を愛せよと教えられたクリスチャン同士でさえ、争ってきました。死んで天国に行くなら、地上は地獄でもかまわないのでしょうか。そうではなかったはずです。
 もし神がいるなら、メシヤは再臨しなければなりません。でなければ神はいない、あるいはいても無能の神という結論になるのです。

 イエスは神か人か

 いつ、どこに、どのような姿で、キリストは再臨するのでしょうか。
 その前に、イエスは神か人か、という問題を考えてみなければなりません。なぜなら、十字架につけられたイエスが神そのもの、あるいは神の独り子、神の分身であるなら、それこそ昇天した姿のままで、天から雲に乗って下りて来るかも知れません。神は唯一絶対的な存在です。従ってイエスも唯一であるわけです。とすれば、人の子として地上に生まれたイエスとは姿形の違う別人が、ある日突然に再臨主であると名乗ったなら、これは偽キリストということになります。神の独り子が、二人いるわけがないからです。
 しかしイエスが、救世主としての使命をもって生まれた人間であるなら、ある歴史的な期間を経て、神がこの世にもうひとりの救世主を送られたとしても、有り得るということになります。聖書はどのように書かれているのでしょうか。
 最も古いとされるマルコ伝では、イエスは神そのものではないようです。マリヤの処女受胎も、イエスの復活もありません。ただイエスの遺体が消えたという事実だけが、不気味そうに書かれているだけです。イエスは多くの奇跡のわざを行いますが、奇跡を行う人は現代にも存在します。
 マタイとルカだけが、マリヤの処女受胎を記しています。しかしこれは、イザヤ書七章一四節の「おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」という文章をギリシャ語に翻訳するとき、おとめを処女と訳した誤訳からきている、というのが多くの学者の見解です。
 ヨハネ伝になりますと、イエスの神格化はさらに徹底して、信仰にまで高まります。ヨハネはパウロ神学の影響を受けたものと思われます。しかしヨハネは神の霊感を受けて書いたことも事実でしょう。それで聖書として永遠に残っているのです。
 ではイエスは人間でしょうか。聖書を見ると、洗礼ヨハネはイエスを指して「見よ、神の子羊」と表現しています。またイエス自身も神を父と呼び、わたしを知る者は父をも知っていたであろう、と言っています。また、アブラハムの生まれる前からわたしはいる、とも言っています。これらの聖句を見るなら、イエスは神そのもののように思えます。
 しかしまたイエスは、神をアバ、父と呼んで常に祈っています。アバとは子供が父を呼ぶときの、親しみを込めた言葉です。神が神に祈る、というのも妙です。しかしまた無形の神に,お父ちゃんと呼びかける人間も普通ではありません。
 祈りのために寂しい所に退くイエスの姿が、聖書にしばしば見られます。祈りは対話だとされています。イエスは「ただ父か教えて下さるままを話した」と語っています。イエスは常に神と対話していたのです。神と対話する人間が、イエスの他に聖書に見出せるでしょうか。それはエデンの園にまで、遡らなければなりません。
 禁断の実を食べて堕落する以前のアダムは、神と対話していたのでした。
 神はご自分に似た姿として、アダムを創造されたのです。アダムは神の姿であり,神ご自身とも言える存在です。完成したアダムとエバが,神から祝福されて夫婦となり,子女を生みふやし、「うめよ、ふえよ、すべての生き物を治めよ」と言われた神の三大祝福を成就したなら,エデンの園は地上の天国になっていたのでした。そして人間がその肉身を古くなった着物のように脱ぎ捨てて,永遠の霊界に行くなら、神と共に天国で永遠に喜び暮らすのでした。神は愛する対象として,肉身を持った人間を創造しなければならなかったのです。神と人間はまさに親子であり,アダムとエバは神の息子・娘であり、神の体でもあったのです。それが創造本然の、真の人間の姿でした。
 ところが人間は堕落して,エデンの園を追放されました。サタンはこの世の神,地上の支配者になったのです。人間は神の懐から落ちてしまったのです。神と人間の因縁が切れてしまったのです。ですから神と人間は,会話することができなくなったのです。
 しかし神は親として、人間を捨てておくことができないので、ある期間をおいて中心人物を召命して,復帰の摂理を成してこられたのです。
 ノア、アブラハム、イサク、ヤコブは,神に召命された中心人物たちです。彼らは神の言葉を聞いた人間でした。ヤコブとその70人家族を救ったのは、ラケルの子ヨセフでした。ヨセフは氏族のメシヤです。
 ヨセフ物語は小説家の創作意欲をそそるようです。なぜかというと、ヨセフ物語がすでに小説なのです。人間の物語であって,神が登場しません。ヨセフはメシヤの型ではあっても、中心人物ではないのです。ですから神はヤコブに顕現しても,その子らには登場しないのです。
 次なる中心人物は,民族の救世主モーセです。神は燃える柴となってモーセに顕現し、命令を与えます。モーセまでの旧約の中心人物たちは神の僕です。ですから神は一方的に命令するのです。旧約の神は厳格であり、ときに冷酷でもあります。主人と僕の関係だからです。人間は堕落して,万物以下に落ちたのです。神の摂理によって、人間は時代的な恵沢を受けて、僕の段階から養子、庶子、そして実子の段階に至るのです。
 神の実子として,初めてイエスが生まれたのです。イエスはサタンの堕落の血統から転換された、本然のアダム、堕落していない第二のアダムです。ですからイエスは神を親しくアバ,父と呼び、神と対話する人であったのです。イエスのみ言は神のみ言であり、神が語っているとも言えるのです。
 堕落して神との因縁が切れた人間は,神と通じることができません。ですから神と対話できる仲介者が必要です。「わたしは道であり、真理であり,命である。だれもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6)と言われた意味がそこにあります。
 イエスは堕落とは無縁の人です。しかしイエスは創造主そのものではありません。創造された完全な人間であって、それは神とも呼べる存在です。であるなら第三のアダム,神と対話し,神と人間の仲介者となる人間が、ある摂理的な期間を経たのちに、イエスと同様に地上に生まれることは、有り得るという結論になるのです。

 終末とはいつのことか

 終末思想はキリスト教にも、仏教にもあります。キリスト教では終わりの日といい、仏教では末世といいます。終末は混乱と悲しみの、大艱難の時とされています。その終わりの日に、キリストが再臨するというのです。
 聖書の言葉を、文字どおりに解釈する終末思想があります。
 「その時に起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう」(マタイ24:29)この聖句を文字どおりに解釈すると、天変地異が起こって地球は破壊され、人類は滅亡してしまうのです。その時にイエスが雲に乗って来て、天で支配し、イエスを信じる聖徒は生き返って永遠に喜び生きるというのです。
 ハルマゲドンの戦いという最終戦争が起こって、人類は破滅するという終末思想は、空想的でかつ危険な思想です。恐怖心をあおって信じこませる宗教は悪しき宗教であり、悪魔的な教えです。宗教は福音であり、救いでなければなりません。
 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時はだれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ天の父だけが知っておられる。人の子が現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう」(マタイ24:35)
 ノアの時とは、「世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた」時でした。しかし神は天地を全く滅ぼそうとされたのではなく、ノアとその家族と、一対の動物たちを箱舟にのせて洪水から救われたのです。つまりサタンが支配するこの世を滅ぼして、神が愛することのできる新しい天地を、再創造されようとしたのです。
 「わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。地のある限り、種まきの時も、刈り入れの時も、暑さも寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」(創8:22)と神は誓われたのです。
 終末の世とは文字どおりに天変地異が起こるということではなく、人間世界に悪がはびこる終末現象を、比喩的に語っているのです。物欲と情欲にふりまわされ、金と権力の奴隷になって争いあう地獄の世が、終末の世です。争いの果てに世界大戦が起きれば、本当に人類は滅亡するでしょう。その時に救世主が来るというのです。彼のもたらす理念によって、人間がその価値観を転換させ、新しい生き方をするなら、新天地が開けるのです。その時がいつかは、ただ天の父だけが知っておられる、とイエスは語るのです。
 歴史は繰り返す、と歴史家は言います。神はある摂理期間をおいて中心人物を送られ、人類を神に復帰させようとされたのです。ですからノアの時も、イエスの時も、終末であったのです。時代の転換点だったのです。人類歴史はその規模と範囲を拡大しながら、同時性をもって展開する、神の復帰摂理歴史であったのでした。
 聖書によれば、人類歴史は六千年です。アダムからアブラハムまでが二千年、これは象徴的な神話の時代です。アブラハムからイエスまでが二千年、これが形象的同時性の時代です。イエスから現代までの二千年が、実体的同時性の時代です。この歴史の同時性から見ても、現代が終末であるというのです。
 20世紀から21世紀は、世紀の変わり目というだけでなく、歴史が転換する時であると考えられます。20世紀は科学が飛躍的に発達した時代です。また人間の精神的な面においても、飛躍的に向上した時代です。自由、平等、博愛の精神はより浸透して、男女平等、人権の擁護が主張されてきました。歴史はらせん階段を上るように、時代と共に物質的にも、精神的にも、向上しているのです。
 総体的に生活環境は便利に、豊かになりました。交通、通信網の発達によって地球が狭くなった時代です。世界の事件や、アメリカ大統領の声明は、一瞬にして世界同時的に伝達されるのです。イエスの時代に、神のみ言を世界に伝播するには、非常に時間がかかりました。しかし再臨主の時代は「いなずまがひらめき渡るように」一瞬に伝播する時代です。
 20世紀はまた、戦争の世紀でした。恐るべき大量虐殺の時代、一面においては狂気の時代でもありました。世界に拡散している核がはじける時、人類は破滅するのです。
 また現代は既成の宗教、思想が力を失っている時代です。価値観の多様化というより、価値観の喪失の時代です。神を見失えば「殺すなかれ、姦淫するなかれ」という神の戒めは効力を失います。神がいなければ、何をやってもいいということになります。エデンの園で蒔かれた堕落の種が、悪の華を咲かせる時代が終末です。
 ローマ帝国末期のような、倫理道徳の頽廃が、世界的現象になっています。フリーセックスは確実に若者を蝕むのです。若者が無目的に生きれば、衝動的に銃を乱射するような事件が起きるのです。悪の世が滅びる終末の現象です。しかし必ずそういう時代に、新しい生き方を模索する群れが現れるのです。そのような群れの上に立って、イエスは再臨されるのです。それを「雲に乗って来る」と比喩的に表現しているのです。
 終末とは、悪の主権が滅び、善の主権が興る時であり、善と悪が交差する混乱の時をいうのです。日本の歴史でいえば幕末動乱の時代です。どちらが善か悪か、価値判断が混乱する時代です。それが世界的な現象となる時代が、終末の世です。終末は滅亡の時ではなくして、メシヤが降臨する希望の時と考えるべきなのです。

 イエスは何のために再臨するのか

 イエス再臨の目的を知るには、神がイエスを地上に送られた目的を知らなければなりません。神がイエスを十字架につけるためだけに、死ぬためにイエスを送ったなら、再臨してもう一度死ぬのでしょうか。
 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」(マルコ8:31)とイエスは弟子たちに語るのです。五つのパンを五千人に分けて食べさせ、あまったパンくずが12かごあったという、いわばイエスの生涯の絶頂期に、彼は十字架の死を預言しているのです。聖書は初めから、イエスが十字架にかかるために来たように書かれています。マタイによれば、旧約聖書はイエスの十字架の生涯を予告するもの、ということになるのです。
 エデンの園の謎を解いてみれば、人類始祖の堕落という問題があったのです。
 人類歴史は神の復帰摂理歴史でした。神は堕落した人間を復帰するために、中心人物を送って摂理されてきました。旧約聖書は神の復帰の心情を記す、暗号の書物だったのです。初めて勝利した神側の人物が、ヤコブです。ヤコブの路程が、勝利のための典型路程であったのです。
 イスラエル民族を導いて出エジプトをしたのが、民族的メシヤ、モーセです。モーセが神から預かった十戒を守って選民とされたのが、イスラエル民族です。なぜイスラエル民族が選民となったのでしょうか。サタンはこの世の神、地上の支配者になったのです。人類を復帰するためには、神が足を下ろすことのできる足場がなければなりません。神の戒めを絶対的に守る群れが必要です。そしてその群れに、サタンの血統とは無縁のメシヤを送り、神の血統のメシヤに接ぎ木して、野生のオリブの木から真のオリブの木の畑になるなら、本然のエデンの園に復帰することができるのです。選民とは神が接ぎ木することのできる畑なのです。こうして時が満ちて、神はその息子イエスをイスラエルに送られたのです。
 イエスが降臨した目的は、選民イスラエルを創造本然のエデンの園に復帰して、それをローマに広め、シルクロードにのって当時の世界であるインド、中国へと伝播することであったのです。イエスのみ言どおりに、つまり人類すべてがイエスのように生きるなら、間違いなく地上は天国になるのです。
 イエスがこの使命を完遂することは、不可能に近いほど困難であったことを知らなければなりません。その当時のイスラエルには、ユダヤ教の体制が確立していました。長老、祭司長、律法学者たちが、律法を神のみ言、神殿を神の宮として絶対的なものとして、その権威の上にあぐらをかいていたのです。
 大工の息子で、無学でみすぼらしい姿に見える青年が、ある日突然にイスラエルのメシヤだと名乗ったら、どうなるでしょうか。気違い扱いされるのがおちです。しかし神はその息子を送るのに、何の準備もされなかったでしょうか。神の摂理は、神の責任と、人間に任された責任分担が合わさって成就したときに、完成するのでした。
 イエス降臨の目的、イエスの生涯の第一幕は、何かが誤って幕が上がらないままになったのです。聖書に見るイエスの生涯は、第二幕、十字架の場であったのです。しかし悲劇で終わったのではなく、第三幕、復活の場の幕が上がったのでした。
 パウロがアジアに伝道しようとした時、「イエスの御霊がそれを許さなかった」「使徒16:7)のです。第三幕は霊的な路程であって、当時の実体世界であるインド、中国への道ではなく、まだ国家をなしていなかった西方への道、ヨーロッパからイギリス、そして新天地アメリカへ、キリスト教は逆の経路で伝播していったのです。
 イエス初臨の本来の目的は、失敗に終わったのです。選民イスラエルは時の訪れに無知であったがゆえ、かえって律法のとりこになって、メシヤを殺してしまったのです。
 しかし神はまた、イエスを十字架につけるために送られた、とも言えるのです。初臨のイエスが生きて地上天国を建設することは、限りなく不可能に近かったからです。武力によらず、神のみ言によって世界人類を統一するほど、時代が成熟していなかったのです。
 創造に蘇生・長生・完成の三段階があったように、復帰も三段階の原則によって成るのです。イエスは第二のアダムとして、長生期の立場です。二次目はアベルのように、いつも犠牲の道を行くのです。神はイエスを復活させて霊的な道を整えさせ、第三のアダム、再臨主を迎える準備をされてこられたのです。そのために、二千年の摂理的な期間が必要であったのです。
 選民イスラエルは失敗して、キリスト教が第二のイスラエル選民になりました。イエス再臨の時を迎えて、キリスト教徒が時の訪れに無知であったなら、再び選民イスラエルの過ちを犯すことになるでしょう。ガマリエルが警告したように、「まかり間違えば、神を敵にまわすことになるかも知れない」のです。

 東洋のイスラエル

 歴史は規模と範囲を拡大しながら、繰り返すのです。
 さて、イエスはイスラエルに降臨されるのでしょうか。しかし初臨のイエスをメシヤと認めなかったユダヤ人が、再臨のイエスをメシヤと認めるはずがありません。イエスは第二の選民であるキリスト教の基台の上に、再臨されるはずです。
 ヨハネ黙示録七章に「生ける神の印を持って、日の出る方から上がって来るのを見た」とあります。日の出る方とは、東方です。アジアからメシヤが現れるということです。
 カソリックの宣教師、フランシスコ・ザビエルが日本に上陸したのが1549年です。信長はキリスト教に寛大でしたが、秀吉、家康はキリスト教を迫害しました。一時はキリシタン大名まで現れたのですが、徹底的に迫害され、結局キリスト教は日本に根を下ろすことができませんでした。
 アジアでキリスト教宣教が最も成功したのが韓国です。それは東からのカソリックではなく、アメリカからのプロテスタントでした。そしてキリスト教信仰が浸透したのは、最も迫害が激しかった,日帝の支配下の時代でした。1905年に乙巳条約が結ばれ、4年後には韓国は完全に日本に支配されました。韓国が解放されたのは1945年、日本の敗戦によってでした。日帝迫害時代はちょうど40年間でした。
 日本の迫害が最も凄まじかったのが、クリスチャンに対してでした。教会に信者を集めて、火を放って殺すことまでやったのです。それはローマ帝国のイスラエル民族の支配以上に,過酷な圧政であったのです。しかし迫害はかえって信仰を深めるものです。彼らは決して抵抗をやめませんでした。そして自分たちの苦難に、エジプトで奴隷にされたイスラエル民族の苦役をだぶらせたのです。必ずやモーセのような民族の解放者が現れる、と彼らはメシヤの降臨を信じていたのでした。
 韓国は東洋のイスラエルといわれます。ローマ帝国に支配されていたイエス当時のイスラエルと、日帝の支配下にあった韓国は、よく似た状況にあったのです。韓国とイスラエルは共に長い歴史をもち,単一民族であり、小国であり、常に大国に侵略され,苦難の路程を歩んできました。しかし他国を侵略して支配したことがなく、独特の宗教と文化をもつ優秀な民族であり、そしてきわめて誇り高い民族です。
 神を崇拝し、先祖を敬い,血統と家系を大切にすることは他の民族に類を見ません。そして共に恨を抱く民族です。どこにもぶっつけようのない民族的な恨みが、じっと胸の底に積もりつもっているのが、恨というものです。神の恨みと悲しみに最も通じる民族が,イスラエルであり、韓国であるのです。
 韓国に仏教が入り、ついで儒教が入りました。儒教は天を敬い,先祖を敬い,父母を大切にし、家系を何よりも大切にします。キリスト教とは相容れないように見えるのですが、聖書は血統の書、家系の書でもあるのです。イエスも「父母を敬え」と教えています。
 旧約聖書にはイザヤ書、エレミヤ書、のような預言書があります。韓国の歴史にも多くの預言者が現れ、預言書を残しているのです。そのいずれにも、韓国に救世主が来ることを預言しているのです。
 韓国は霊的に清められた国です。霊感を受けて深山幽谷にこもり、虎を友として修行する仙人と呼ばれる人たちがいるのです。彼らは霊眼が開けて予言するのです。関東大震災が起こり、朝鮮人が虐殺されることも、日本の敗戦の日も知っていたというのです。そして韓国にメシヤが来ることを予言しているのです。
 日本のキリスト教は教養主義的なところがあるのですが、韓国のキリスト教はそうではありません。非常に霊的であり、切実な心情から涙で祈り求める信仰であるのです。日帝時代には天からの啓示を受け,予言をし、奇跡を行う霊的ないくつかの集団が生まれました。李龍道牧師は「イエス教会」を設立して,祖国の悲哀に泣き,独立を訴える火のような説教で信徒を集めましたが、過労のために33歳で亡くなりました。
 白南柱牧師はイスラエル修道院を興し、啓示で天倫の秘密を知らされたのでした。彼の弟子でその後継者になった金百文牧師は,摂理的に重要な人物であったのです。
 女性である金聖道は天から啓示を与えられ,再臨主は肉身をもって韓国に来られることを教えられたのです。そしてその後継者である許孝彬は、自らの腹からメシヤが生まれるという啓示を受け,「腹中教」という教団をつくりました。養父のもとで寂しく育ったイエス様の恨みを解くために、乳児から成長するまでのイエス様の衣服を、一針一針、精誠の限りをつくして縫いあげるのです。また、イエス様の三度の食事も備えたのです。こうして信徒は,再臨主が韓国に来られることを待ち望んでいたのでした。
 
 ガリヤラと定州

 戦前の平壌は東洋のエルサレムと呼ばれるほどでした。聖日には教会の鐘があちこちから鳴り響いて、うるさうほどだったそうです。朝鮮のキリスト教会は平壌から平安北道にかけて最も発展したのです。特に定州は,キリスト教の盛んなことで有名だったのです。
 イエスとその弟子たちは「ガリラヤ人」と呼ばれていました。草も木も生えない荒れ地と岩山の底によこたわる、魚もすめない塩の湖の死海とは違って、ガリラヤ湖は春のように穏やかで明るく、花が咲き乱れる美しい湖です。
 ガリラヤは征服した民族が住みついて,独自の異邦人の文化が開けた所です。異邦人のガリラヤとも呼ばれ、ガリラヤなまりがあったようです。ガリラヤ人は戦闘的で勇敢であり、自油と独立を愛し、気性が激しくて熱狂する性格があったようです。「熱心党」という反ローマの集団もガリラヤ人でした。ローマ帝国に対する抵抗運動の指導者は、ほとんどがガリラヤの出身であったのです。イエスはヤコブやヨハネを,雷の子と呼んでいます。
 定州はのどかな,美しい田園地帯です。昔から「山よく、水よく、人善い所」といわれて、有名であったそうです。そしてまた優秀な人材が多く出たところとしても有名です。韓国では「科挙」という官僚の採用試験があったのですが、文官として登用された者が、定州がいちばん多かったのです。彼らは政治,文化,教育の各分野で活躍しました。また抗日運動の先頭に立ったのも彼らであったのです。
 1919年3月1日,日帝時代に最大の民族独立運動が起こりました。これが「3・1独立運動です」韓国のジャンヌダルクと呼ばれた16歳の少女、ユ・ガンスンが独立運動の先頭に立ち,禁止された大極旗を振って「祖国独立万歳」と叫んだのです。彼女は捕らえられ,拷問にかけられて獄死しました。
 この独立運動が,韓国全土に波及していったのです。日本の憲兵はこれを捕らえ、また虐殺したのです。その最も凄まじい惨劇は定州であったということです。
 イエスが生まれ育ったのは、ガリラヤの山地のナザレという村でした。「ナザレから何のよき者が出ようか」と言われたほどの寒村です。
 ユ・ガンスンが「独立万歳」を叫んで立ち上がった1919年3月1日、それは一日だけの、韓国が日本から独立を勝ち取った日だったのです。それから十か月後の1920年、陰暦1月6日,定州は通称「文村」と呼ばれた寒村に、ひとりの男の子が生まれました。祖父がその子の母親の胎中に龍が入った夢を見たことから,その子は龍明と名づけられました。後の文鮮明その人です。ちなみに文師夫人,韓鶴子女子も1月6日の生まれです。
 イエスの聖誕日がいつか、誰も知らないのです。12月25日がクリスマスですが,その日は元々はローマの祭りであって、クリスチャンたちが迫害を逃れて,ひっそりとその日に祝ったようです。イエスは1月6日に生まれたという伝承があって、その日を聖誕日として祝う地方があるということです。

 イエスの顕現

 文村は戸数が15軒ほどの、のどかな農村でした。柿の木や栗の木がたくさんあって、村の子供たちは木の実を取り、小川の魚を捕まえ,鳥を捕らえて遊ぶのです。文少年は並外れたところがありました。誰にもできないことをやるのが趣味なのです。負けることが大嫌いで,弱い者いじめをする者がいれば、たとえ年上でも闘いをいどんで,相手が降参するまで絶対にやめません。体力,知力もひと一倍すぐれ、探究心が旺盛で,一度始めたら最後までやり抜く性格です。
 また幼い頃から度はずれた正義感と,同情心の持ち主でした。貧しい友だちの家で病人が出たときは,助けるのか助けないのかと親に談判したのです。それでもだめなら親に無断で一斗の米を背負い,三里の道を走ったというのです。その時の心臓の鼓動が今も忘れられない、と文師は語っておられます。
 文家の周囲では,奇妙な災難が続いて起きました。叔父さんの家では豚が井戸に落ちで死んだり,牛や馬が死んだり,赤ん坊が犬に耳を食いちぎられたり、煙突が倒れて犬が下敷きになったりしたのです。また文家でも姉が精神病になり、そして兄が精神異常になったのです。それを機会に文家は,儒教からキリスト教に改宗しました。
 少年は旺盛な知識欲から,偉大な学者になる夢を抱いていました。やがてキリスト教の長老教会に通うようになると、人生の根本問題にふれるようになりました。人は何のために生きるのか、人間の死後はどうなるのか、神はいるのかいないのか、神が実在するならどうして哀れな人間を救われないのか。文少年は牧師に問うてみました。
 「人間は努力すればイエス様のようになれるのですか」
 「イエス様は特別なお方であって,人がどんなに努力しても、イエス様のようにはなれません」と牧師は答えました。文少年は次々と聖書の疑問を牧師にぶつけてみました。聖書には「わたしはすべてを語っていない」と書かれています。
 「イエス様が本当に語りたかったことが何でしょうか」少年の疑問に,牧師は答えることができませんでした。
 時代は日帝統治下です。周囲に起こる不幸な出来事を見、また韓民族の悲惨な姿を見るにつけ、少年は思ったのです。たとえ偉大な博士になったとしても、それは個人的な名誉に過ぎない。祖国を解放し、そして人類を救うことこそ真に偉大な事業ではないか。少年は人類の救世主になるという,壮大な夢を抱くようになったのでした。
 生家から数キロのところに「猫頭山」という小山がありました。猫の頭に似た奇岩のあるところから、そう呼ばれていたのです。うっそうと樹木が茂り、人も来ない所でした。ゲッセマネの園で祈るイエスのように、文少年は必死に、神とイエスに談判祈祷したのでした。
 「なぜすべてを語ることができなかったのですか。何をイエス様は語りたかったのですか。主よ、あなたを信じますから、どうかすべてを語ってください」
 1935年4月17日、早朝のことでした。いつものように文少年は祈っていました。すると突然に霊眼が開け、イエスが顕現したのです。そして驚くべき深遠な内容を、イエス様は文少年に語ったのでした。イエスは何語で話したか、そんなことは問題ではありません。霊界では思うことが、そのまま通じるのです。
 イエスはその時,何を語られたのでしょうか。文師は今日まで、膨大なみ言を語ってこられました。イエスがその時に語った内容が、すべての原点になっているのです。それは長老教会で牧師から聞いていたこととは違う,驚くべき内容であったのです。
 文師に反対する人たちの中には、その時に顕現したイエスはサタンに違いないと言うのです。「サタンも光の天使に擬装する」と聖書に書いてあるからです。それほど既成教会で信じられている内容とは異なるのです。ですから、にわかには信じがたいのです。
 「苦しんでいる人類をご覧になって、神様は悲しんでおられます。自分が果たせなかった地上での神からの使命を、あなたがどうか成就してください」とその時イエス様は、数え年16歳の文少年に懇願されたというのです。
 イエス様が神から与えられた使命とは,生きて地上に天国を建設することでした。文少年の夢も,地上に天国を建設して人類を解放することです。それは自分だけが思っていた私的な夢に過ぎません。しかしイエス様と約束するなら,それは天地に誓って公的な立場に立つということです。16歳の少年にとって、それはあまりに重大で,深刻な責任を担うことです。文少年は何度も辞退しました。しかしイエス様は重ねて,懇願されたということです。
 「この使命を担うのは、あなたしかいないのです」
 こうしてついに文少年は,イエス様が果たせなかったという使命を担うことを,イエス様に約束したのでした。神の悲しみと人類の悲しみを解放して、地上に天国を建設する使命を果たすことを決意したのでした。
 その時以来,文少年は非常に無口になったそうです。そして人のいない所で,常に祈っておられたのです。文師の心中の闘いを知る人はいませんでした。凄まじいサタンとの霊的な格闘があったというのです。
 日本留学時代の文師の机の上には,韓国語,日本語,英語の聖書が置かれていて、赤い線がびっしり引かれていたそうです。文師は霊界を経めぐり,預言者たちと議論をし、洗礼ヨハネやイエス様とも語り合い、天倫の秘密を解明されたのです。初めは霊界の先知先烈たちが否定し、神様までが否定されたそうです。しかしながら、これしかないと文師が談判した時、神が「そうだ」と言われ、サタンも頭を下げたということです。 
 こうして1945年、祖国解放と同時に「原理」の解明は終わったのです。イエス様の顕現から、9年の歳月が経過していました。時に文師は25歳の青年でした。
 「イエスの生涯」については、すでに多くの書物に書かれています。これから語る「イエスの生涯」は、それらの書物の内容とは異なるでしょう。聖書のどこにそんなことが書いてあるのか、と反問される読者もあるでしょう。聖書にもどんな文献にも書いてない内容です。しかし想像で書くのではありません。すべて文師がこれまでに語られた内容を元にしているのです。では、文師はどうしてそれを知ったのか。
 「知っているのですよ・・・」文師は笑って答えるのです。それを信じるか信じないかは、マルコが文中に挿入したように{読者よ悟れ}というしかありません。祈ってみるしかありません。
 文鮮明師は奇跡を行う人ではありません。イエスが語りえなかった天倫の秘密を語り、神と人類を解放する、天宙的な理念をもって来られるお方です。そしてただ語る人ではなく、すべて実践してから語っている、と文師は言われます。その出発から今日まで、文師のみ言の本質は変わりません。時と場所と相手は変わっても、「原理」は不変だからです。
 文師のみ言に真摯に耳を傾け,師の今日までの一直線の路程の先に目を向けるなら、本然のエデンの園が見えるはずです。それこそ二千年前のイエス様が果たすことができなかった,地上の天国なのです。

                    (第三章へ)

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