第四章 洗礼ヨハネとイエス


 主の道を備える者

 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に共通して登場するのが、洗礼ヨハネです。マルコでは前置きなしにいきなりヨハネが登場して、イエスに洗礼を与えます。そしてすぐにイエスは御霊に追いやられて、荒野で40日間のサタンの試みを受けるのです。
 イエスは神の独り子、キリストとして降臨したのです。その神の子イエスがどうしてサタンの試みを受けなければならないのでしょうか。また40日の断食をしますが、40という数は、人間が悔い改める蕩減期間であったのです。罪なきイエスに、どうして蕩減条件が必要なのでしょうか。実はマルコ一章十一節と、十二節との間に,幕が開くことがなかったイエス路程の第一幕が秘められていたのです。
 キリストは天から雲に乗って、降臨するのではありません。イエスは地上に生まれ、マリヤの子として成長します。そのイエスがある日突然、メシヤであると宣言したとして、誰が信じるでしょうか。ですから「エリヤの霊と力をもって,整えられた民を主に備える」中心人物がいなければならないのです。
 ヨハネは名門祭司の息子であり、その誕生の奇跡が伝説となって、人々の記憶に残っていました。成長したヨハネはユダヤ人の期待にたがわず、腰に皮の帯びをしめ、いなご豆と野花の蜜を食物とし、荒野で厳しい修道の生活を送ったのでした。
 復帰摂理の中心人物は,堕落人間の代表として、神から召命されるのです。彼が中心人物になるには、そのための蕩減条件が必要です。それがモーセの40日の断食であり、40年の荒野流浪であったのです。洗礼ヨハネが40日の断食をしたという記述は聖書にありませんが、荒野の修道生活がその条件であり、また旧約時代の最後の預言者マラキからヨハネまで,空白の400年といわれる期間がその条件になったのです。
 死海に至る荒野は一木一草もない禿山が連なり、荒涼とした風景です。そんな荒野の修道生活がどんなに厳しいものでしょうか。その条件だけでもイスラエル民族の尊敬を集めたのです。ヨハネは針金のような痩身に肩まで髪をたらし、顔は髭に覆われ,眼光は射るように鋭く、そしてその教えは峻厳そのものでした。
 「まむしの子らよ」と彼は、イスラエルの人々に呼びかけるのです。
 「悔い改めよ,天国は近づいた。迫ってきている神の怒りから,逃れられると誰が教えたのか。斧は根元におかれている。良い実を結ばない木は、ことごとく火の中に投げ込まれるのだ」
 ユダヤ全土から、ぞくぞくと人々がヨルダン川に集まってきました。そして自分の罪を告白して、ヨハネがら洗礼を受けたのです。この人こそ、エリヤではないのか、あるいはメシヤその人ではないのか、と彼はイスラエル民族の期待を一身に集めたのでした。
 「わたしは水でバプテスマを授けるが、わたしのあとから来る人は,聖霊と火によってバプテスマを授けるであろう。わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない」と彼は公言していました。
 彼はユダヤで最も有名な預言者でした。ユダヤ人は彼を信じて従ったのです。つまりイスラエル民族を導くアベルの立場にあったのが洗礼ヨハネです。彼こそ「整えられた民を主に備える」エリヤでした。しかし彼は,自らの立場を自覚していたでしょうか。
 祭司たちはヨハネに問いました。
 「あなたはどなたですか」(ヨハネ1:19)
 「わたしはキリストではない」
 「それでは、どなたなのですか。あなたはエリヤですか」
 「いや、そうではない」
 「では、あの預言者ですか。エルサレムに戻って、何と答えたらいいのですか」
 「主の道をまっすぐにせよ、と荒野で呼ばわる者の声である」とヨハネは答えました。
 エルサレムから来た祭司たちが、ヘロデ王のスパイであったかも知れません。しかし彼が、「わたしはエリヤであり、わたしのあとから来る人がキリストである」と明言していたらどうでしょうか。さらに多くの弟子が集まり、ヨハネ教団は強力になり、反対者たちも容易に手を出すことはできなかったはずです。そしてヨハネとその教団が、イエスをメシヤとして迎えたなら、イエスはただ独りで、十字架の道を歩むことはなかったはずです。
 洗礼ヨハネは自分がエリヤであることを、否定しました。とすれば、メシヤとしてのイエスの立場がどうなるでしょうか。自らが自らをメシヤとして証しする、自称メシヤの立場です。しかしエリヤが来なければ、メシヤは来るはすがない、とユダヤ人は考えていたのです。とすれば、イエスは偽メシヤということになってしまうのです。

 ヨハネとイエスの再会
 
 イエスがガリラヤを出て、ふらりとヨルダン川に現れたのは、家を出てからほぼ十年ぶりのことでした。イエスは30歳、ヨハネはそれより六か月の年長です。マリヤが挨拶した時、母エリサベツの胎内のヨハネは喜び、おどったのでした。二人は従兄弟同士として、顔を見知っていたはずです。ヨハネは少年イエスが祭司たちと問答を交わした噂を聞いていたのです。イエスはまた、荒野の預言者ヨハネの噂を聞いていたのです。
 洗礼を受けるための順番を待つ群れの中に,ヨハネがイエスを見出したとき、イエスの衣服はほつれて痛んでいたことでしょう。しかし彼がいかなる人物か、ヨハネは一瞬にして見抜いたのです。のちの画家たちが描いたように、イエスのオーラは金色に輝いていたかも知れません。洗礼を受けようとするイエスを制して、ヨハネは言いました。
 「お待ちください。わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずなのに、あなたがわたしのところにお出でになるのですか」
 「今は、受けさせてもらいたい」イエスは言いました。旧約時代から新約時代へ、神の僕の時代から神の息子の時代へ、厳罰の神から福音の時代ヘ、バトンタッチの瞬間であったのです。
 イエスの言葉どおりに、ヨハネは洗礼を与えました。カインとアベルが霊的に一体になったのです。イエスが水から上がると、天が開かれて神の御霊が白い鳩のように下ってくるのが見えました。そして二人は天からの声を聞いたのでした。
 「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
 ヨハネは天から一つの啓示を受けていました。それは「ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」という啓示でした。イエスに洗礼を与えた瞬間、ヨハネは御霊がイエスの頭上に下るのを見たのです。自分がそのくつのひもをとく値うちもあいほど偉大な方、自分のあとから来るメシヤが、イエスであったことを、ヨハネは神の啓示によって知らされたのです。
 イエスをキリストとして証した最初の人として、洗礼ヨハネは英雄的な人物とされてきました。確かにヨハネはイエスを、メシヤとして証しはしましたが、天使が父ザカリヤに告げたように、「主のみまえに先立って行き、その道を備える」エリヤの使命を、洗礼ヨハネは果たしたのでしょうか。
 ただ一度の神の啓示を、ノアは120年間も守りつづけました。しかし洗礼ヨハネは一瞬の啓示ののちに、人間的な思いに返ったとき、イエスをキリストとして信じきって、彼に従うことができなかったのです。

 不信と対立

 聖書はヨハネの不信と、彼の弟子たちとイエスの弟子たちとの間に,対立があったことを、はっきりと記しています。
 二人が再会した翌日のことです。イエスが歩いているのを見て、ヨハネは二人の弟子に「見よ、神の子羊」と言ったのです。するとその二人の弟子は、イエスについて行きました。(ヨハネ1:37)そのひとりはペテロの兄弟アンデレであり、次いでペテロとピリポが弟子になり、ピリポがナタナエルに「モーセのような預言者、ナザレのイエスにいま出会った」とメシヤの到来を告げたのです。
 「ナザレから、なんのよいものが出ようか」とナタナエルは言うのですが、たちまちイエスの弟子になってしまうのです。それが翌日の午後4時頃のことである、と時間まで記されていますが、それほど簡単に伝道されるとも思えません。おそらくイエスはヨハネの下にかなりの期間、数か月は留まっておられたのではないでしょうか。
 洗礼ヨハネはすでに有名な人物であり、弟子たちを抱えて一つの教団を形成していました。確かにヨハネは御霊が鳩のようにイエスの頭上に下るのを見たのですが、彼は年下で、大工の息子で、身なりはみすぼらしく、学問があるようには見えません。ヨハネが憶えてるのは、突然に自分の妹と結婚したいと言いだしたあの騒動です。それからのイエスを、ヨハネは知りません。ふらりと現れたイエスを弟子にはするとしても、自分が彼の弟子になるなどとはヨハネには考えられないことだったのです。
 弟子たちが自分から離れて、イエスを師として従うようになるのを見て、ヨハネの心は穏やかではなかったのです。ヨハネは人間的な自尊心と嫉妬心から、神の啓示を不信するようになったのです。
 いつしかヨハネ教団と、イエス教団が分裂、対立するようになった様子が見えるのです。たとえばヨハネの弟子が、イエスにこう言うのです。
 「わたしたちパリサイ人は断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」(マタイ9:14)
 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」という有名な聖句は、この時のイエスの返答です。それはヨハネとその弟子たちが、新しい時の訪れに無知であることに対する、イエスの嘆きの言葉であったのです。
 またヨハネの弟子たちと、イエスの弟子たちとの間に、「きよめのことで論争が起こった」(ヨハネ3:25)のでした。弟子たちはヨハネに訴えるのです。
 「先生、ごらんください。ヨルダン川の向こうで、あなたと一緒にいたことがあり、あなたが証しをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところに出かけています」
 「彼は必ず栄え、わたしは衰える」これがヨハネの答えでした。二人が一体になるなら、運命共同体です。イエスが栄え、ヨハネが衰えるはずはありません。ヨハネが教団を率いてイエスに従えば、ユダヤ人はイエスについてきたのです。しかし洗礼ヨハネは、神の摂理に背いてしまったのです。
 イエスの弟子が、ヨハネの弟子よりも多くなったとき、(ヨハネ4:1)イエスはヨハネの下を去って、ガリラヤに行く他なかったのです。

 ヨハネの死とイエスの嘆き

 「悔い改めよ、天国は近づいた」
 荒野におけるヨハネの宣教の第一声は、神の国が近づいたという宣言でした。それはまたユダヤ人が待ち焦がれている、メシヤの到来を告げる声でもあったのです。そして彼こそが、主に先立ってその道を整えるエリヤだったのです。主が来られたら当然、主に従い、主と共に、神の国を建設する先兵となるべきが洗礼ヨハネの使命でした。しかし神の摂理から外れたヨハネの運命は、悲惨な末路をたどるのです。
 ヘロデ王は弟の妻ヘロデアを妻にしていました。ヘロデヤの連れ子が、あの妖艶な娘のサロメです。洗礼ヨハネはヘロデ王の不倫をなじり、城下に立って叫んでいたのです。ヘロデとその妻ヘロデアにとって、耳の痛いことです。それでヨハネを捕らえ、獄に閉じ込めておいたのです。しかしこの有名な預言者を、殺すことはしませんでした。
 宮殿の広間で、サロメが踊ります。それがよほど気に入ったのか、ヘロデ王は満面に笑みを浮かべ、ほうびに何でもあげよう、と満座の前でサロメに約束したのです。
 「ヨハネの首を」とサロメは、恐ろしいほうびをねだります。オペラではサロメが洗礼ヨハネに恋をして、応じないヨハネの首をはねさせ、その生首に接吻するという退廃的な美の極致の場面になるのですが、実際はヘロデアの入れ知恵でした。ヘロデは預言者を殺すことに躊躇したのですが、満座の前で約束した手前、仕方なくヨハネの首をはねさせたのです。
 ヨハネが獄中にあったとき、彼はイエスの噂を聞き、弟子をつかわしてイエスに問うたのです。
 「『きたるべきかた』はあなたですか、それとも、ほかに誰かを待つべきでしょうか」(マタイ11:2)
 イエスはその質問には直接答えず、「あなたがたが見聞きしていることを報告しなさい」と奇跡のわざを行う自分が、暗にメシヤであることを示されたのです。そして洗礼ヨハネこそ、エリヤであったことを群集に告げたのでした。
 「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。しかし天国では最も小さい者も、彼よりは大きい」(マタイ11:11)
 エリヤの使命をもって主の道を整える者こそ、最も偉大な人間です。しかしながら、神の啓示を受けながら、それを不信したヨハネは、天国では最低の人間であるのです。天国で最も小さい者とは、明らかに非難の言葉です。「いましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国では最も小さい者と呼ばれる」(マタイ5:19)とはイエスの言葉です。
 「わたしにつまづかない者はさいわいである」とはいたわりの言葉であって、イエスは「ヨハネよ、あなたはつまづいてしまったのだ」と言いたかったのです。
 天が備えたヨハネ教団は、ヨハネの不信によって、逆にイエス教団と対立するようになったのです。ユダヤの知識階級である祭司、律法学者、パリサイ人たちがイエスに従う道を、ヨハネ教団がむしろ妨害する結果になってしまったのです。
 「天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ11:12)とイエスは語るのです。無学な漁師や、人に嫌われる取税人がイエスの弟子になり、天国で聖人の列に加えられたのでした。本来ならヨハネがイエスの一番弟子になり、ヨハネ教団がそれにつづき、律法学者やパリサイ人が従うべきであったのです。
 洗礼ヨハネを失ったことは、イエスにとって痛恨の出来事でした。神の摂理の中心人物を、失ってしまったのです。ヨハネに代わる中心人物はいないのです。
 「わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってはくれなかった」とは、イエスの嘆きの言葉であったのです。
 イエスを守るべき氏族の無理解と、イエスを迎えるべきヨハネ教団の不従順によって、イエスがメシヤとして立つ基台が、ここにすべて崩れてしまったのでした。

 40日の断食とサタンの試練

 中心人物を失ったイエスは、洗礼ヨハネの代身として、自らが堕落人間の立場で、中心人物としての条件を立てなければならないのです。それで「御霊がイエスを荒野に追いやった」のです。40日の断食がその条件でした。
 40日の断食が終わったとき、イエスの前にサタンが現れます。
 神の存在は観念的には信じても、サタンの存在は信じられないという人が多いのです。しかし真摯に修道生活をした人は、サタンの存在を実感として知るのです。神に反逆した天使長が、地に投げ落とされてサタンになったのです。サタンは地上の支配者、この世の神になったのです。しかし霊的な存在であるサタンは、直接的に地上の人間に作用するのではなく、霊界の悪霊人を通じて人間に働きかけるのです。
 新約聖書はイエスを中心とする、神とサタンの闘争の記録でもあるのです。イエスの奇跡のほとんどは、悪霊を追い出すことだったのです。人間が悪に心を向けたとき、それを条件にサタンが侵入するのです。「イスカリオテのユダにサタンが入った」とあるのがそれです。
 また人間が善なる神に心を向けたとき、それを条件にサタンが退くのです。サタンの血統とは無縁のイエスを信じたとき、それが条件となって悪霊が退散するのです。「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉の意味がそこにあります。
 サタンがイエスの前に出現した、悪なる条件とは何でしょうか。遠くはモーセが岩を打ったことです。不運に遭遇した人が「神も仏もあるものか」と叫ぶように、モーセはあまりの民の不信に、一瞬の怒りから岩を打ったのです。岩は神の象徴です。それは神を打つことであったので、神は「カナンに入ることはできない」とモーセに告げられたのです。
 そして直接の原因は、洗礼ヨハネの不信です。洗礼ヨハネが中心人物の立場から後退したとき、イエスが堕落人間の代表である洗礼ヨハネを代身して断食の条件を立て、次いでサタンの試練を受けなければならなかったのです。
 「もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである」(ヨハネ5:46)とイエスは語りました。
 モーセはイスラエル民族を、エジプトから導き救う民族のメシヤです。そしてイエスは人類を、サタン世界から導き救う人類のメシヤです。イエスの路程は、モーセ路程を拡大、反復する路程であったのです。そして再臨のメシヤは、その路程を世界的に拡大して,実体的に歩まれるのです。
 モーセがエジプトの宮殿を出て、ミデヤンの荒野で40年の羊飼いの生活を送っていたとき、神は燃えるしばの炎の中に現れて「民をエジプトから導き出しなさい」と命じられました。しかしモーセは自信がもてませんでした。
 神はモーセが手にした杖を「地に投げなさい」と命じました。モーセが投げると、それはへびになったのです。エジプトの魔術師も杖を投げると、へびになりました。しかしモーセのへびは、魔術師のへびを飲み込んでしまったのです。これはどういう意味でしょうか。魔術師の杖はサタンの象徴です。モーセが手にした杖はイエスの象徴です。モーセのへびが魔術師のへびを飲み込むのは、イエスがサタンを飲み込むであろうことを,神が示されたのです。
 「手をふところに入れなさい」と神は、次にモーセに命じました。モーセが手をふところに入れると、それはらい病にかかって白くなったのです。もう一度手をふところに入れると、それは回復して元に戻っていました。
 エバがサタンのふところに抱かれて堕落したことは,不治の病にかかったことです。もう一度ふところに手を入れるとは、神のふところに戻るということです。イエスと聖霊によって生み変えられ、新生するであろうことを、神は示されたのです。
 さて、断食ののちに空腹であったイエスに、サタンが現れて三つの試みをします。
 「もし、あなたが神の子であるなら,この石をパンに変えよ」これが第一の試練です。
 サタンは地上の支配者です。地上は物質世界であり,人間はまず肉体を養わなければなりません。パンを握る者が地上の支配者になることは,歴史が示すとおりです。独裁者はまずパンを握り,飢えた民衆を支配するのです。しかしイエスは,サタンの誘惑を退けました。
 「人はパンのみによって生きるのではなく、神のみ言によって生きる」
 人間は霊と肉とによって創造されました。神は霊に宿り,サタンは肉を支配しているのです。霊が主体であり,肉体は霊に従うべき対象の立場です。しかし地上の堕落人間は,肉体的な欲望が精神を支配しているのです。パンは必要ですが、パンだけでは人間は生きられないのです。石は神の象徴です。神のみ言を失えば,サタンが支配するのです。イエスは「申命記」の聖句を引用して,サタンを拒絶したのでした。
 次にサタンはイエスを聖なる都に連れて行き,宮の頂上に立たせて言います。
 「もし、あなたが神の子なら、下に飛びおりてごらんなさい。天使が支えるでしょう」
 宮の頂上に立たせるとは,神殿の主人公として、神の息子とサタンが認めることです。そこから飛びおりても、天使が支えるから怪我はしません、とサタンはイエスを誘惑するのです。これが第二の試練です。
 「主なる神を試みてはならない」とイエスは,サタンの誘惑を退けました。天使の立場は神の僕です。僕が主人を試みることは、あってはならないことです。
 最後に,サタンはイエスを高い山に連れて行き、この世の栄華をことごとく見せました。そしてイエスに、こう言いました。これが第三の試練です。
 「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげよう」
 天使は本来が万物です。人間に仕えるべき天使が,人間を主管するようになったのが堕落です。人間は万物に主管されて、万物以下に落ちたのです。この世の物質世界はサタンが握っています。物質世界の栄華をすべて自分のものにしたとしても、サタンにひれ伏すなら、万物以下の存在です。神の国を建設すべき使命を担うイエスは、サタンの申し出を敢然と拒んだのです。
 「主なる神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」
 イエスはサタンの三大試練に勝利しました。それはまた、神がアダムに与えた三大祝福の,蕩減復帰でもありました。こうしてサタンは,イエスから離れたのです。
 ルカは,サタンが「一時イエスを離れた」と書いています。サタンが侵入できる条件さえあれば,再びイエスの前に現れるという意味です。
 サタンの実在を信じない人は,イエスを試みる誘惑者は,反ローマの過激派ではないかと考える人もいるようです。しかしその奥に,神とサタンの熾烈な闘いがあることを知らなければなりません。サタンは物質世界を握り、神を否定して、神に向かう人間の心を妨げます。唯物論の主張がそれです。イエスは神の子として、堕落した地の偽オリブの畑に、真のオリブの木を植えなければなりません。真のオリブの木が根を張れば、偽オリブの木は枯れて消えるのです。これを拒むサタンと、イエスの熾烈なる闘いの路程が、十字架への道となったのです。

 幕が開かなかった第一幕

 新約聖書を読めば、イエスは最初から十字架の道を行かれたように読み取れるのです。そしてパウロの神学によって、罪なきイエスが人類の罪を背負い、十字架で贖罪の血を流されることによって、イエスを信じる者は救われる、というキリスト教の教義ができあがったのです。これが正統的なキリスト教とされてきました。この教義に反するものは、異端と決めつけられるのです。しかしここに幕の開くことがなかった、イエス路程の第一幕が秘められていたのです。私たちが読んでいた新約聖書のイエスの物語は、実は第二幕、十字架の場であったのです。
 それでは、イエス路程の模擬的な路程である、モーセの場合はどうでしょうか。
 エジプトの宰相となったヨセフを頼って、エジプトに下ったヤコブの子孫は生みふえてイスラエル12部族となりました。
 ヨセフが死に、彼を知らない新しい王が立つと、王はイスラエル民族に重い苦役を課して苦しめたのです。こうして神がアブラハムに予告されたように、イスラエル民族は400年間のエジプト苦役生活を送ったのです。
 イスラエル民族を恐れた王は、二歳以下の男子を皆殺しにせよと命じます。レビの娘が麗しい男の子を産み、赤子をパピルスのかごに入れてナイル川に流しました。それがモーセです。パロの娘がモーセを水からあげるのを見届けて、母親はパロ宮中で乳母としてモーセを育てるのです。
 エジプトの王子のような立場で、モーセは40年間のパロ宮中生活を送ります。この40年の期間が、モーセがイスラエル民族の中心人物となる条件期間となるのでした。
 ある日のこと、モーセはエジプト人が同胞のヘブル人を打つのを見たのです。彼はどうしたかというと、左右を見回して人のいないのを見て、エジプト人を打ち殺して砂の中に隠したのです。選民イスラエルの中心人物となるべきモーセが、どうしてエジプト人を殺すのでしょうか。
 その翌日のことです。二人のヘブル人が互いに争っていました。モーセが仲裁に入ろうとすると、悪いほうの男がモーセに言ったのです。
 「誰があなたを裁判人にしたのか。エジプト人を殺したように、わたしも殺そうというのか」
 モーセが恐れたように、パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとしました。それでモーセはパロ宮中を出て、ミデヤンの荒野に逃れ、羊飼いの生活を40年間送ったのでした。
 「主エジプト記」(2:12以下)のこの話に、モーセ路程の第一幕が秘められていたのです。モーセがイスラエル民族を導いてエジプトを出発するためには、彼が民族の中心人物となるべき何かの出来事が必要です。モーセがエジプト人を打ち殺した事件は、出発のための神の摂理であったのです。
 ではどうしてモーセの殺人が、神の摂理なのでしょうか。カインはアベルを打ち殺して出発しました。その逆に、モーセがエジプト人を打って出発しても、蕩減原則としてサタンは讒訴できないのです。またモーセの優雅な、宮中生活を捨てさせるためでもあったのです。
 エジプトの王子のような立場のモーセが、ヘブル人を助けて、エジプト人を打ち殺すのを見たなら、イスラエルの人々はモーセこそ民族を救うメシヤだと信じるべきだったのです。モーセをメシヤとして信じて、彼に絶対的に従ったなら、イスラエル民族は荒野流浪40年の生活を送り、ついにははげたかの餌食になることはなかったのです。あるいはエジプトを出ることなく、モーセを中心にパロを倒して、エジプトにイスラエルの国を立てる道もあったでしょう。これが神が予定された、モーセ路程の第一幕であったのです。
 一人のヘブル人の不信によって、モーセ路程の第一幕は開くことがなかったのです。モーセは荒野の羊飼いとなり、イスラエル民族はさらに40年の苦役の生活をつづけました。
 神は民のうめき苦しむ声を聞かれ、モーセを召命します。モーセは再びエジプトに向かい、神の奇跡によってパロを倒す「十戒」の物語は、モーセ路程の第二幕だったのです。

 北へ行く道

 復活祭の早朝、神の召命を受けた文鮮明師は、9年間の苦闘の末に「原理」を解明され、人類解放の使命をもってみ旨の道を出発されました。日本の敗戦によって40年間の日帝統治時代が終わり、祖国韓国が光復節を迎えた年でした。
 一人の青年が再臨主であると自称するなら、その人は狂った人と言われるでしょう。しかるべき証し人、洗礼ヨハネ的な人物がいなければなりません。その摂理の中心人物となるべき人が、イスラエル修道院を主宰す、金百文牧師であったのです。
 1945年10月、文師はイスラエル修道院に入りました。「文青年はソロモン王のような人物である」という霊界からの啓示を、金牧師は受けたのです。その年のクリスマスの夜、金牧師は天の啓示を弟子たちに伝えたのでした。
 金牧師の弟子たちにも啓示が下りました。「文青年に従え」という啓示です。文師は黙々と奉仕の仕事をされ、自分からみ言を伝えることはしなかったのです。ひたすら金牧師が洗礼ヨハネの使命を果たすことを祈っておられたのです。
 金牧師は「文青年はソロモン王のような人物」という証しはしたのですが、弟子たちが文師についてゆくようになると驚き、動揺してその道を妨げるようになったのです。そして天の啓示に不信を抱き、文師を敬遠するようになったのでした。
 イスラエル修道院に入って6か月が過ぎた頃、文師はそこではみ旨を果たすことができないことを悟ったのです。米を買いに出た時のことでした。突然に、神の啓示が下りました。
 「北へ行け」という神の命令です。文師はそのまま北へ向かいました。北はすでに金日成の支配下にありました。宗教を否定する共産主義の国に行くことは、十字架への道を歩むことです。しかし文師は神の命令に従ったのです。文師の行く手を、虹が導いたのでした。しかしその先にあるものは、地獄のような興南刑務所であったのです。それからの血と汗と涙の40年間が、再臨主の荒野路程40年であったのです。
 再臨主の路程の第一幕は、神が予定された摂理の中心人物の不信によって、ついに開くことがなかったのです。そしてイエスの恨を蕩減するために、文師は十字架の道を行かれ、死の牢獄のどん底に下りて、イエスが失った12弟子を復帰して戻るのです。
 洗礼ヨハネ的な人物が文師を受け入れたなら、韓国のキリスト教界が文師を受け入れ、クリスチャンであった韓国大統領が受け入れ、イエス当時のローマのようなアメリカが受け入れ、世界が再臨主を迎える基台が7年間でできた、と文師は語るのです。これが神が予定された、開かなかった再臨主の路程の、第一幕だったのです。

                (第五章へ)

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