悪魔の仕業か神の警鐘か

 二〇〇一年九月十一日の朝、ニュ−ヨ−クで起こった同時多発テロは、世界の人々に衝撃を与えました。
 日本では夜の十時過ぎでした。私はついうとうとしていて、テレビの画面を見ると、映画のワンシ−ンのような光景が写っています。航空機が巨大ビルに激突した映像です。さらに数分後、もう一棟のビルにハイジャックされた航空機が激突しました。
 そして十数分後、アメリカ資本主義の象徴のような二棟の世界貿易センタ−ビルは、相次いで崩壊していったのでした。三千人余りの人命が、ビルの崩壊と共に失われました。吹きあがる黒煙の中に、デビルの顔が浮かび上がったとか・・・。
 ブッシュ大統領は直ちに、テロリストとその集団に報復を宣言しました。彼らをかくまうイスラム原理主義のタリバンを悪と決めつけ、「二十一世紀の十字軍戦争」と思わずも口に出してしまったのです。
 十字軍戦争とは中世以来の、キリスト教徒とイスラム教徒の戦いです。エルサレムはもともとユダヤ教の聖地でした。そのユダヤ教からイエス・キリストが生まれ、十字架に架けられたのがエルサレムのゴルゴダの丘ですから、キリスト教の聖地になりました。さらに中世にはモスクが建設され、エルサレムはイスラム教徒の聖地になりました。
 聖地奪還を目指してキリスト教徒が遠征し、イスラム教徒との争いが十字軍戦争です。キリスト教徒から見れば正義の戦いでしょうが、イスラム教徒から見れば聖地防衛の戦いです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共に旧約聖書を教典とする兄弟宗教です。親なる神は同一の神様ではないのでしょうか。神様はどちらに味方されたのでしょうか。
 キリスト教徒が必ずしも勝利しなかったのです。彼らキリスト教徒はイエスの教えのように、敵をも愛する博愛主義者ではなかったのです。彼らは略奪を繰り返し、むしろイスラム教徒よりも残酷であったと伝えられています。十字軍戦争の失敗は、キリスト教徒に対する神の警告ではなかったのでしょうか。
 同時多発テロの直後、手を挙げて大喜びするパレスチナの人々の姿が、テレビで報道されていました。テロは悪魔的な行為です。そのテロリストを英雄視するパレスチナの人々の姿が、私には何とも不気味に見えました。
 ソ連邦が崩壊して以来、アメリカが世界の覇者になりました。二千年前のロ−マ帝国のように、今やアメリカに対抗する国はありません。イギリスも日本も、ロシアやパキスタンまでがアメリカに協力することを誓いました。しかしながらアメリカの力による支配に反感を抱いている人々が、世界には少なくないのです。大国の国家エゴに振りまわされた人々の怨恨は根強いのです。
 東西冷戦の時代に、アフガニスタンは進攻してきたソ連軍に頑強に抵抗しました。そしてアメリカはそのアフガニスタンを援助したのです。武器を与え、物資を与えました。ところがソ連が崩壊してしまうと、アメリカは援助もやめてしまったのです。アフガニスタンに残ったのは荒廃した国土と、武器と怨恨でした。もしもアメリカがアフガニスタンに病院と学校を建て、経済援助をしていたなら、タリバンが政権を握ることもなかったでしょうし、アルカイダも生まれなかったのではないでしょうか。しかしそうはならなかったのです。
 アメリカはテロリストを抹殺するために、巨大な軍事力を投入してアフガニスタンを爆撃しました。そして罪もない人々を巻き添えにしました。なぜアメリカ軍が爆撃するのか、アフガンの民衆には不条理です。理解できないことでしょう。怨恨だけが残ったのです。テロリストたちは世界に拡散しました。そしていつまた、恐るべきテロが起こるか分かりません。
 力による支配には限界があります。報復は報復を呼んで終わることがありません。真の平和が、お金や武器でもたらされることはありません。ソ連共産主義は崩壊しましたが、アメリカ資本主義が本当に勝利したのでしょうか。アメリカが国家エゴによって世界を支配しようとするなら、世界が大混乱になってしまうでしょう。
 二十世紀は戦争の世紀でした。国家エゴがぶつかりあって、植民地を奪い合った時代が帝国主義の時代であり、思想の対立が東西冷戦の時代でした。今は経済的なエゴとエゴがぶつかり合っています。どこかでこれを転換しない限り、二十一世紀の人類に未来はないのではないでしょうか。
 ニュ−ヨ−クで起こったテロは悪魔の行為です。しかしまた人間のエゴに対する、神の警告とも受け取れるのです。

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