三本の十字架


 人類歴史が二十一世紀を迎えたということは、イエス・キリストが十字架に架けられてから二千年が経過したということです。この二千年間、人類は何らかの意味でイエス・キリストの影響の下に生きてきました。すなわち、西欧キリスト教文明の影響下にあったのです。
 二千年前、ゴルゴダの丘に三本の十字架が立ちました。真ん中にイエス、そして右側と左側に二人の強盗が架けられていました。強盗とはいえ、ロ−マに反逆した殺人犯です。実はイエスもロ−マに反逆する政治犯ということになっていたのです。ユダヤには十字架という刑罰はありませんでした。
 左の強盗は「神の子なら自分を救い、我々も救ってみよ」とイエスに毒づきました。しかし右の強盗はイエスを弁護して言いました。
 「おまえは神を恐れないのか。イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思いだしてください」
 「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」とイエスは右の強盗に言われたのでした。最後のときにイエスを神の子と信じたのは、イエスの弟子たちではなく、見知らぬ強盗であったのです。
 三日の後にイエスは復活して、ここからキリスト教が始まりました。より神に近いほうを右翼といい、神から遠のき、神に反逆する者を左翼というのです。
 キリスト教徒はロ−マ帝国の迫害に耐え、四百年の後にはついにロ−マ帝国の国教になりました。イエスから天国に入る鍵を預かったのがペテロです。そのペテロが殉教したのがロ−マですから、ロ−マ教区長が後のロ−マ法王となり、法王を通してでなければ誰も天国に入ることができない、とされてきたのです。ですから法王の権威は地上の王様よりも強大でした。しかしながら法王も人間です。権力をめぐる争いは法王庁といえども例外ではなかったのです。
 法王が絶対的な権威をもって支配したのが中世暗黒時代でした。法王の名の下に、人間性が抑圧されてきたのでした。芸術を通じて自由な人間性を回復しようとする運動が、イタリアに起こったルネッサンスです。そして腐敗堕落した法王庁を通じてではなく、聖書を通じて自由な信仰を求めたのが、マルチン・ルタ−の宗教改革運動です。
 ヨ−ロッパでは実に三十年間にも渡り、旧教と新教が熾烈な争いをしました。そのようなヨ−ロッパのキリスト教社会において、迫害されつづけたのがユダヤ教徒です。マルクスもその一人でした。
 マルクスの父親はユダヤ人の弁護士でしたが、ユダヤ教徒は弁護士の職につけないことになり、やむなく彼はキリスト教に改宗したのでした。しかしながらユダヤ社会からは裏切り者扱いにされ、キリスト教社会からは白眼視されるという不幸を味わったのです。
 マルクスは宗教というものに不信の念を抱き、さらには神をさえ呪うようになったのです。折からイギリス、ヨ−ロッパには産業革命が起こり、資本主義が勃興しました。ここに資本家と労働者という図式が出来上がったのです。
 カルビンの予定論というものがあります。すべてがあらかじめ神によって予定されているというキリスト教神学です。富める者は神によって予定され、祝福された者であるというわけです。こうして資本家はますます富み、労働者は搾取されつづけるという貧富の格差が生まれました。
 マルクスの唯物論思想はその出発の動機に、神に対する怨恨がありました。左側の強盗と同じです。神を否定し、宗教はアヘンであるというのです。物質的な、この世だけがすべてであり、人間は死ねば丸太と同じだというのです。資本家を打倒し、労働者が平等に物質を分け合うという結論がまずあって、そこから唯物論の哲学が構築されました。
 レ−ニンによってロシア革命が成され、壮大な歴史の実験が試みられたことは周知の事実です。しかしヨ−ロッパのキリスト教社会の土壌の中から生まれたこの実験は、イエス以後の二千年の終わり近くになって、失敗であったことが明らかになりました。
 一方、自由な信仰を求めたイギリスの清教徒たちは、迫害を逃れて新大陸アメリカに渡りました。彼らはまず教会を建て、それから学校を建て、最後に自分たちの家を建てたのです。キリスト教精神によって、アメリカは建国されたのでした。神の祝福がアメリカにあったがゆえに、アメリカは建国わずか二百年で世界一の大国になりました。
 イエスを中心に、左右の十字架に架けられたのは、共に罪人です。左側は神を否定して、人間の手によって地上の天国をつくろうとしましたが、うまくいきませんでした。右側は神を信じてきたのですが、やはり罪人には違いありません。次第に自己中心になり、神を忘れるようになりました。それが今のアメリカ資本主義の社会です。
 ところで、もう一人の強盗がいました。イエスの身代わりに放逐されたバラバです。彼もやはり、ロ−マに反逆する暗殺者でした。
 イエス以後二千年にして、彼の影響力は薄れてきたのです。互いに愛し合いなさい、というイエスの教えは薄れてきました。人々は物欲と肉欲に走り、エゴをむきだしにして争っています。アメリカが現代のロ−マ帝国とするなら、ビン・ラディンは現代のバラバではないでしょうか。

↑ PAGE TOP