日本の場合

日本の封建時代の身分制度は士農工商の順でした。お金儲けを第一とする商人は、農民や職人よりも下におかれたのです。日本人にはお金は卑しいもの、という意識がありました。金はなくても武士にはプライドがありました。
 明治維新から武士は軍人になり、藩への忠誠は国家と天皇への忠誠となりましたが、善悪はともかく、国家のためという全体意識が強かったのです。日本人は個人主義でも、拝金主義でもなかったのです。
 戦後、日本人の価値観は一変しました。日本は天皇を中心とする日本教ともいうべき一種の宗教国家であったのですが、終戦によってそれが一挙に崩壊しました。日本国憲法は占領軍の政策により、宗教心を排除した唯物論的なものに定められたのです。学校教育からは宗教や道徳、倫理教育が排除されました。心の教育がなくなり、技術的な知識教育のみとなりました。唯物論的な教育です。江戸時代の教育が読み書き算盤と、あとは儒教教育、すなわち精神教育であったことを思えば、まったく逆の教育です。
 全体意識が喪失すれば、残るのは個人意識だけです。つまり自分だけです。加えて戦後の日本は貧窮のどん底です。物資は欠乏して、国民は飢えに苦しみました。まずは食物の確保であり、着る物であり、住むところです。さらに豊かさを求めて、もっともっと、欲望は限りなくふくらみます。
 日本にキリスト教は根づきませんでした。創造主、絶対者、唯一神が存在しないのです。神道は八百万の神であり、仏教には創造主がありません。庶民は難解な仏教哲学よりも、その御利益のみを求めました。新興宗教もその多くが御利益宗教でした。日本人の心にキリスト教的な博愛の精神は芽生えなかったのです。神との縦的な関係がなければ、あとは横的な関係、つまり他人の目だけです。恥の文化といわれる所以です。
 戦後の日本人は戦前の精神主義の反動からか、物質中心、お金がすべてという拝金主義になりました。他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、悪事も見つからなければ罪ではない、うまくだし抜いた者が勝ちです。
 人間は本質的に自己中心です。日本人は豊かさを求めて懸命に働き、企業は熾烈な競争を展開しました。企業の目的は利益の追求です。企業エゴは手段を選ばず、外国に進出して経済戦争にまで発展しました。エノコミックアニマルと非難されながら、日本は経済大国になりました。しかしやがて成長はにぶり、バブルははじけて消えました。
 戦争は最大の不幸を人間にもたらします。経済戦争も例外ではありません。個人商店は近くに大手ス−パ−が出店すれば、売上は減少して生活は脅かされます。常に競争で、体と心は休まることがありません。下請けの中小企業も倒産の危機に瀕しています。大企業は利益優先のために安い労働力を海外に求めて、工場を移転しているからです。産業の空洞化は深刻です。
 大企業とて、安閑としてはいられません。伝統と実績のある大会社が、ある日突然に不祥事にみまわれて、倒産してしまうのが現代社会です。
 日本経済はバブルがはじけて以来、未曾有の不況にみまわれています。企業は生き残りをかけてリストラをし、職を失ったエリ−トサラリ−マンが、ホ−ムレスにもなる現状があります。会社に残った人も過酷の仕事を強いられています。一方では職を失って路頭に迷い、一方では過労死するほど働いているのです。
 自殺者が年間、三万人を越えました。その多くが中高年者だそうです。リストラ、倒産による生活苦からです。生存競争に破れた敗者といえばそれまでですが、そんな社会が良い社会であるはずがありません。勝者が幸せかといえば、常に不安を抱えているのです。銀行預金に〇がふえても、実は幸福とはあまり関係がないのです。広大な邸宅に住んだとしても、人間の存在する場所は畳一枚です。美酒、美食の果てには健康を損ないます。糖尿病になって食べたい物も食べられない人は、貧しい人より何倍も苦しむのです。
 資本主義は人間のエゴを存分に発揮できる社会です。自己の能力を最大限に働かせて、自由に富を得ることができます。しかし敗者となるリスクも当然あります。
 資本主義社会から博愛の精神が失われれば、物と物を奪い合う闘争社会になってしまいます。しかし物には限界があります。資本主義は常に成長していないと機能しない社会です。しかし成長の限界を迎えた時、恐慌が起きるのです。現代はグロ−バル化によって、恐慌も世界同時的に起こるのです。
 日本人は勤勉であり、忠誠心の厚い国民です。戦後の日本人は懸命に働き、企業にも忠誠をつくしてきました。しかしバブルがはじけて、お金や物だけでは幸福になれないことに気がついてきました。価値観がゆらいできたのです。しかしそれに変わる人生の目標を見出せないまま、若者たちは彷徨しています。人生の目標を見失えば、肉的な欲望だけが先行します。若者たちはフリ−セックスに走り、刹那的な快楽に溺れ、家庭は崩壊してゆきます。精神の尊厳が失われれば、自己を軽視し、他人を軽視し、生命そのものを軽視するのです。肉親に多額の保健金を掛けて殺害したり、些細なことで人を殺す事件が続発しています。
 統計によれば、「自分はだめな人間だと思うことがある」と答えた高校生は七十三%に上ります。「自分を誇りに思えることがない」と答えた割合は五十二%です。「自分が他人に劣らず価値のある人間」と答えたのはわずかに三十七%です。中国が九十六%、米国が八十九%に上るのとは対照的です。高校生の勉強時間は二十年前に比べて半減し、毎日メ−ルのやりとりに時間を費やしています。
 少子高齢化が進み、若者に希望がないとすれば、日本の国運は衰えざるをえません。日本国債の評価は後進国なみに下落しています。

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