資本主義の矛盾

ある教祖様の本を読んでいましたら、人生の目的は働くことにある、と書いてありました。なるほど働くということは、何らかの意味で世のため人のためになっているから、その報酬としてお金を得ることができるわけです。泥棒や詐欺は仕事とは認められません。また人間の悪なる欲望を満たすための「仕事」も、職業とは認められません。売春や麻薬の売人、ギャンブラ−なども「仕事」とは認められません。
 しかし現代社会の最先端ともいうべき経済エリ−トたちの「仕事」は、果たして世のため人のためになっているのでしょうか。むしろ資本という怪物を操る彼らの「仕事」は、一国の経済をも破綻させてしまうような、恐るべき害悪を与えているのです。資本主義の矛盾が、末期症状的に噴出してきたのが現代社会です。
 衣食住を満たす、ということが人間の仕事の基本です。原始時代は自給自足の生活でした。狩猟時代からやがて田畑を耕して定住するようになりました。さらに家を造り、道具や日用品をつくることを専門とする職人が生まれました。
 製品ができればそれを売る商人が生まれます。やがて個人では限界がありますから、資金を集め、グル−プで仕事をするようになります。
 日本最初のカンパニ−をつくったのは坂本龍馬だそうです。藩主から資金を調達して船を造り、「海援隊」を組織しました。武器が欲しい長州藩には薩摩から武器を運び、米が欲しい薩摩藩には長州から米を運びました。安いところで仕入れ、高いところで売るのが商売です。どこも同じ値段では商売になりません。資本主義にはムラが必要なのです。
 封建時代には物を大切することが美徳とされました。しかし産業革命以後、大量生産がなされるようになると、大量に消費してもらわなければ困るわけです。しかし貧しい人々にも平等に分配しようという発想は、資本主義にはありません。
 ホテルやレストランでは毎日、大量の食物が捨てられています。一方で飢えて死ぬ人が地球には何万人といます。しかしそれらの貧しい人々に食物をあげるということはしないのです。
 有望な企業に投資することから、株式が生まれました。優良企業の株は人気を集めて高くなります。やがて株そのものが投機の対象になりました。
 かってオランダで、チュ−リップ暴落というものがありました。赤や黄色のチュ−リップの花が咲きそろう風景はオランダの名物です。人間には花を美しいと感じる本然の心があります。美を求める人間の心と、花本来の美しさが合致したところで、花の価値すなわち値段が決定されるわけです。そこに利益を得たいという人間のエゴが加わると、どうなるでしょうか。
 チュ−リップの珍しい球根が投機の対象になったのです。本来の花の美とはかけ離れて、球根の値段が高騰したのです。しかしそれは実質的な価値ではありませんから、やがて売り手ばかりで買い手がいなくなったとき、チュ−リップの球根の値は暴落しました。
 日本のバブル経済も同じ原理です。真面目にコツコツ働くよりも、株や土地を転がしたほうが儲けが大きいとなったら、「仕事」の意味が分からなくなってしまいます。しかしやがてバブルははじけるのです。銀行は不良債権を抱え、国の援助を仰ぐ始末です。
 日本のバブルがはじけてからも、アメリカ経済は繁栄をつづけました。空前の株高となって、巨万の富を手にする人が続出したのです。格差のあるところにはビジネスチャンスが生まれます。もはや買う物がなくなると、お金がお金を買うのです。アメリカの巨大資本が、アジアの小国の経済を危機に陥れました。通貨危機はロシアにも飛火しました。
 為替ディラ−は「うそつきポ−カ−」のギャンブラ−と同じだというのです。うそとはったりと、駆け引きで勝負が決まるのです。しかもそれは個人のギャンブルではありません。企業の命運をかけるような、あるいは国家の経済をも左右するようなギャンブルなのです。しかし勝ちつづけるギャンブラ−はいないのです。
 全米第七位、従業員三万人の優良企業とされていた「エンロン」が破綻しました。「エンロン」とは電力の取引をする企業だというのですが、その実体は複雑怪奇であって、専門の証券アナリストもだまされたのです。「エンロン」は電力から天候まで、およそ格差のあるものは何でも「商品」にしてしまったのです。デリバティブと呼ばれる金融派生商品です。その数およそ二千二百。物をつくるのでも売るのでもない虚業です。政治家にはお金をばらまき、決算はごまかして「成長神話」をつづけました。しかしやがて株は暴落して、「エンロン」は破綻してしまいました。
 問題は「エンロン」という一企業だけではないということです。資本主義そのものが、矛盾性をはらんだ制度なのです。人間が自己中心であり、物質中心の欲望を自由に発揮するなら、必然的に競争社会、闘争社会になり、あらゆる欺瞞とかけ引きと足の引っぱり合いになるのです。敗者は地獄の苦しみを味わい、勝者は敗者の怨恨に脅かされるのです。資本主義社会では、誰もが本当の幸せになれないのです。いや、社会のせいにすべきでありません。結局は人間のエゴが、自らを苦しめているのです。
 貧富の格差が広がり、社会のひずみが極限に達したとき、革命が起きるのが歴史の通例です。ニュ−ヨ−クの同時多発テロ以来、繁栄を謳歌していたアメリカ経済も、おかしくなってきました。資本主義は末期的な症状を呈しているのです。歴史は繰り返しても、後戻りすることはありません。共産主義が崩壊し、資本主義も破綻するなら、世界はどこへ行くのでしょうか。

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