村長のいない地球村

 二〇〇二年六月、世界サッカ−大会「ワ−ルドカップ」が、韓国・日本の共催で開催されました。その開会式において、金大中大統領は「地球村のみなさん」と全世界に向かって呼びかけました。「ワ−ルドカップ」は世界を一つにする素晴らしいスポ−ツエベントです。しかし世界はまだ、一つの村のようにはなっていません。
 この地球村には慈父のような村長がいません。恐ろしくまとまりの悪い村です。村というより、任義なき抗争を繰り返している裏社会のようなものです。二度にわたって、村が二つに分かれて争いました。それからソ連一家と米国一家が睨みあう、冷戦の時代がつづきました。そしてついにソ連一家が解散して、米国一家の独り天下になったのです。しかし米国一家の人望はいまひとつです。村人が従っているのは、力の前には従うしか生きる道がないからです。
 アメリカとは違う宗教をもち、違う価値観をもった人々がいます。イスラム圏の人々です。彼らはアラ−の神を絶対的に信じ、神への服従を誓っています。酒は飲まず、淫行を最大の罪とし、女性は裸を見せるどころか顔も見せません。利息を取って金を貸してはならず、商売のために嬉しくもないのに笑ったりはしません。彼らの神は神聖であり、これを冒涜する者はいかなる者も許されないのです。彼らの神のために戦うことは聖戦であり、聖戦において命を捧げた者は英雄とされ、天国に行くと信じられているのです。
 ユダヤの人々はまた、神に選ばれた選民と自負する誇り高い人々です。ユダヤ人とアラブ人は、元をたどれば兄弟だったのですが、近親憎悪というのでしょうか、自爆テロと報復を繰り返して果てしがありません。
 牛は聖なる生き物であって食べてはならないというヒンズ−教徒と、豚は不浄な生き物であって食べないというイスラム教徒が、一つの国に混在していました。イスラムの人々がインドから独立してパキスタンとなったのですが、カシミ−ル地方をめぐって争っています。両者は互いに核兵器を持って対峙して、今や一触即発の危険な状態にあります。
 神を信じる右側と、神に楯突く左側が最後に対立している一線が、韓半島に引かれた三十八度線です。北の人々は飢えに苦しんで国境を越え、命がけで逃げだしています。
 この地球村の家主たちは自分の家が第一であり、権利と利益を主張して譲りません。国境という高い塀をめぐらし、武器を手にした兵士が立ち、勝手に入ることも通ることも許しません。無断でその土地に進入すれば、何をされても文句は言えない無法地帯のような村です。
 しかしどこの家の人も、平和を願っていることは事実です。それぞれの家を隔てている塀を取り壊し、自由に出入りができ、飢えている人に食べさせ、病気の人を救い、困っている人を助けてあげたいと思っているのです。しかしなぜかイエスが教えたように、隣り人と仲良くできないのです。
 世界を一つの平和な村のようにしようという試みは、歴史を通じて成されてきました。第一次大戦の後には国際連盟が創設されましたが、言いだしたアメリカ自身がこれに加入しなかったのです。第二次大戦の後には国際連合が創設されましたが、地球村の理想とはほど遠いものです。それを阻んでいるのは、大国の国家エゴです。国家元首は自国を越えて、世界的な立場に立つことができないのです。
 慈父のような村長が現れ、真実の平和が訪れることを、この地球村の人々は願っているのです。

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