失敗に終わった平等思想

人間社会は原始共産社会から出発しました。小さな村社会です。しかしやがて人間は争い合うようになりました。人間は本質的に自己中心です。人間に物欲があり、権力欲があり、嫉妬心がある以上、必ず争いが起こるのです。やがて力ある者が村の権力者となり、他の村を征服して勢力を拡大してゆき、争いは次第に規模と範囲を拡大して大きな戦争となりました。
 敗者は勝者の奴隷となり、ここに身分の格差が生じました。権力者は自己の地位の保身と、社会の騒乱を防ぐために身分制度を固定しました。それが封建社会です。一握りの王侯貴族が富と権力を握っていたのです。
 やがて人間社会の不公平に目覚めた民衆が革命を起こしました。自由に自己の能力を発揮して、能力に相応した富を得たいという欲望を満たす社会が、折からの産業革命と共に勃興したのが資本主義社会です。しかし今度は資本、すなわちお金が人間を支配するという現象が起こりました。資本家はますます豊かになり、労働者は資本家に搾取されるという社会の不均衡が生じました。
 マルクスは階級を打破し、資本家を打倒して労働者による労働者のための社会を建設しようという夢を「資本論」に託しました。そしてロシアのレ−ニンがそれを実現して、ソ連共産主義社会が実現しました。ロシアは自由よりも、平等を選んだのです。
 能力に応じて働き、必要に応じて平等に分配しようという思想は、理想的に思えます。あらん限りの贅沢をしている人がいる一方で、飢えに苦しんでいる人がいる社会が良い社会であるはずがありません。すべての人が平等に、豊かに暮らす社会が理想社会です。
 共産主義による理想社会実現の歴史の実験は、多大な犠牲を払ったにもかかわらず、七十年で終わりました。失敗だったのです。ロシアの民衆がそれを認め、共産主義を捨てたのです。
 唯物論は心よりも物質が先です。人間の本心は、どこかで神仏に通じているのです。神仏や霊的なものを否定するなら、人間の本心も否定するのです。それに変わる価値基準は唯物論思想です。マルクス、レ−ニン、さらにはスタ−リンの思想に反する思想や行為、芸術までも抹殺されることになります。それに反する者は粛清されるか、収容所送りです。かくてソ連は「収容所列島」になりました。
 選挙とは名ばかりであり、独裁者による恐怖政治となりました。そして共産党による新しい階級制度ができて、社会は硬直してゆきました。独裁者スタ−リンは自己保身のために、ライバルを次々に粛清してゆきました。彼自身も、氷のような玉座に座っていたのです。激務と疑心暗鬼で、健康を損なっていました。
 スタ−リンは脳溢血で倒れてしまいました。しかし四人の側近たちは医者を呼ばず、病人を一晩放置しておいたというのです。見殺しにしたのです。
 物質を平等に分け合い、豊かに暮らすという理想は実現されたでしょうか。平等に貧しくなってしまったのです。なぜでしょうか。
 人間の本質は自己中心です。もらう物が同じなら、なるべく働かないというのが人間の本質です。みなが平等に怠けるのです。彼らを働かせるには、ムチが必要です。五人が働いていれば、三人がそれを見張っているという刑務所のようになってしまいました。
 若くて優秀な指導者であったゴルバチョフは、硬直した共産主義社会に自由の風を吹き入れ、改革をしようとしたのですが、自由の扉をほんの少し開いた途端、あっという間にソ連邦は崩壊してしまいました。

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