真の人生の勝利者

神様が与えた三つの祝福

「創世記」の第一章には、天地創造の由来が記されています。神様は五日の間に天地万物を創造され、六日目に神に似た姿としての人間、アダムとエバを創造されたのでした。神は彼らを祝福して言われました。
 「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」
 これが原理でいう神の「三大祝福」です。全知全能の神も、単独では喜びを得ることはできません。喜びとは、対象を愛することによってのみ生まれるのです。神の心情とは、「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」です。
 神は天地を創造され、植物を創造され、海の魚、空の鳥、地の獣と家畜を創造され、そして最後に人間を創造されて、「はなはだ良かった」と喜ばれたのでした。
 「生めよ」とは、生育せよという意味です。男として、女として、完成しなさいという神の願いがこめられた予約祝福です。人間は蘇生・長成・完成の三段階で完成します。すなわち七年間づつの、幼年期、少年期、青年期を経て完成するのです。人間も長成期を過ぎれば、すなわち十五歳を過ぎれば生殖能力があります。動物はそのまま親として完成するように遺伝子にインプットされていますが、人間にのみ「取って食べてはならない」という戒めが与えられました。
 青年期の七年間は「取って食べてはならない」ことが神の至上命令です。それがアダムとエバに課せられた責任であり、万物の主管主となるための条件であったのです。
 完成したアダムとエバが神に祝福されて夫婦となり、子女を繁殖すればここに、神を中心とした「家庭的四位基台」が完成します。
 完成した人間が神の立場に立って、神の愛の心情で万物を主管するならば、被造世界は自動的に地上天国になります。これが神の創造目的であり、また被造物の存在目的でもあったのです。
 しかしながらアダムとエバは、長成期の完成級で堕落してしまいました。ここに三大祝福を復帰するという、再創造の摂理がなければなりません。その経緯がどれほど複雑で、難しいかは「統一原理」がよく教えるところです。
 真の人生の目的とは、神の「三大祝福」を地上に成就することです。第一の目的は、神を中心として、心と体が一体となった個性を完成することです。第二の目的は、人格を完成した男女が祝福されて夫婦となり、子女を繁殖して理想の家庭を築くことです。第三の目的は、神の創造理想のとおりに、人間が神の愛の心情で万物を主管することです。ここに創造本然の地上天国が実現します。これが人間の普遍的な、生きる目的です。
 「統一原理」によって初めて真理が明らかになり、人生の目的が体系的に構築されました。四大聖人をはじめとする賢哲たちが発見した真理は、部分的な真理であったのです。思想や哲学体系も、唯一なる神様を中心とした絶対的な真理ではありませんでした。「統一原理」によってすべてが統合、統一されたのです。
 人間による主義、思想は相対的であり、善悪も相対的であって常に相剋と闘争を繰り返してきました。しかし神による主義、思想は絶対的であり、善悪も絶対的です。ここにおいて闘争の歴史は終結して、絶対的な平和が人類に訪れるのです。
 八十歳を越えられた文鮮明先生は、今日まで膨大な真理のみ言を語ってこられました。それらの内容は「文鮮明先生み言選集」として、三五〇巻の書物となっています。日本語に翻訳された書物も多数が出版されています。その内容を一口で言えば「真の愛によるため生きる生活をせよ」ということです。それがそのまま、永遠の霊界での生き方につながるのです。
 原理は羅針盤のようなものです。人間の生きるべき道、真の人生の目的を教えてくれます。人格教育は家庭で行われるべきです。その教科書は文鮮明先生のみ言です。各家庭で毎朝「み言訓読会」がなされなければなりません。
 原理を体恤すれば、価値観が一変するのです。限られた地上の生活から、永遠の人生へと思考のパラダイムが変わるのです。それは神と霊界を信じられない人々にとっては理解し難く、ときには不気味にも思えるでしょう。地上界と霊界が分離したように、越え難い溝があるともいえるでしょう。しかしこれまでの価値観や人生観では、人類の将来に希望がもてない時に至っているのも事実です。
 「三大祝福」の詳細については「統一原理」を学んでいただくとして、ここでは一般的な考え方と対比しながら、述べてみたいと思います。越え難い溝に、橋を架けることができればと考えるのです。

↑ PAGE TOP