真の人生の勝利者

夫婦の愛

人間は神様の最高傑作です。その人体の器官の中でも、神様が最も苦心された部分が、男女の生殖器であったというのです。人間の構造は男として女として、個体で生きていくようになっていません。男は女のために、女は男のために、構造自体が相対のために生きるようになっているのです。
 神に祝福された男女が夫婦となって、霊肉ともに結ばれて一体となった瞬間が、人間の最高の喜びであり、また神様の喜びの瞬間でもあるというのです。神の創造の神秘の境地に入る瞬間であり、そこに血統が連結されて子女を繁殖する瞬間です。ですから生殖器は最高に尊い至聖所です。男女の生殖器が一体となることによって、神の傑作品が完成するのです。それぞれが単独のままでは未完成です。
 独身主義者は神様の失敗作です。霊界では恥ずかしい姿だというのです。ホモやレズも失敗です。神の第二祝福「家庭的四位基台」が完成できないからです。
 男性と女性はあらゆる点で、対象的につくられています。男性は陽的であり、女性は陰的です。動的と静的、力強さと柔らかさ、体も心も対象的です。男は外で働き、女は家を守るようにつくられています。人間としての権利は同じであっても、その役割分担が違うのです。男性は子女を産むことはできません。また女性だけでもだめです。
 夫婦は横的な関係ですが、主体と対象の関係でもあります。主体は対象を愛し、対象は主体に美を返すのです。愛と美の授受作用において、ここに回転運動が起こります。回転すれば、どちらが上とか下ということはありません。愛にも美が内包され、美にも愛が内包されるからです。
 古い家族制度では、女性は忍従の生活を強いられました。妻は夫に従い、老いては子に従えといわれてきました。戦後は女性解放運動が盛んになり、妻の立場が強くなりました。主体と対象の逆転現象が、家庭でも起こってきたのです。しかし決して良い結果は生まれませんでした。離婚がふえ、家庭の崩壊が始まったのです。
 プラスとプラスがぶつかれば、回転は止まってしまいます。夫婦が互いに自分を主張すれば、家庭はうまくいきません。賢い妻は夫を立てることを知っています。それでこそ夫婦はうまくいき、夫も社会にでて頑張るのです。
 夫はすべての男性の代表であり、妻は女性の代表です。夫は妻のために生き、妻は夫のために生きることによって、夫婦は一体になるのです。一体になれば主体も対象もなく、男尊女卑という言葉もなくなるのです。
 本然の愛を完成した夫婦が霊界にいくと、どのような姿になるのでしょうか。二性性相が一体になった姿は、二人ではなく一人のように見えるというのです。
 地上で新郎・新婦が美しいドレスを着て結婚式場に入っていくように、夫婦は霊界にいくのです。美しいメロデ−の中できらびやかな光を受け、神様の前に進んでいき、敬礼を捧げます。そして燦爛たる光の光彩のなかで、夫婦が愛し合うのです。その姿は光の世界と一つになり、まぶしいほどに美しいのです。その光の中で神様は、一筋の光のような愛で包まれ、喜ばれるのです。
 李相軒先生の場合は、先に霊界にいっておられた奥様が夫を迎えて、神様の前にでていかれたのでした。「エデンの園で成したかった神様の本然の愛がこれだったな」と先生は思われたのでした。

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