真の人生の勝利者

真の人生の勝利者は愛の勝利者

人間はいくら善良に生きたとしても、また外的には美しい顔をした人であっても、汚れた堕落の血が流れている限り、体の中には罪の根が残っているのです。どんなに葉を刈り枝を切っても、根が残っていればまた芽がでてくるのです。霊界では堕落の生臭い臭いがして、そばにいると悪臭がしていられないのです。そのままの姿では、決して神様の前に行くこともできないし、天国という所にいることもできないのです。
 真の御父母様の「祝福」によって、堕落の血統から神の血統に転換され、神様の前に行くことができる関門が開かれたのです。
 霊界から見る祝福式典は、それこそ陶酔するほどの美しさだそうです。霊眼で見る真のお父様の姿は、まるで火柱のようなものすごい光を発しているのです。美しい歌や旋律が流れる式場に、まばゆい光の中を歩んでくる祝福カップルの姿は、うっとりするほどに美しいのです。肉身を脱いだ善霊たちのほうが、はるかに美しい光景を経験することができる幸福の瞬間なのである、と李相軒先生は伝えています。そして祝福を受けた後の彼らは、美しい香りと光を発散する姿に変化しているのです。祝福の恩恵はこのように美しく、高貴なものであるというのです。
 さて、祝福家庭では毎日「家庭盟誓」を唱和しています。その三番目は次のような誓いの言葉です。
 「私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」
 四大心情圏とは家庭において、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛を体恤することでした。三大王権の「王」とは、家長を意味します。一家の家長は父母ですから、父母には王の権限があるのです。国王は権力によって支配しますが、家庭の王である父母は愛によって子女を主管するのです。一家の柱である父親には、権威と威厳がなければなりません。また母親にも厳しさが必要です。溺愛ではだめなのです。
 三大王権とは、三代にわたる父母を意味します。祖父母、父母、子女の三代です。父母が現代の王であるなら、祖父母は過去を代表する王です。祖父母がやがて霊界に行けば、霊界を代表し、先祖を代表し、そればかりか神を代表する立場でもあるのです。
 子女は未来の王です。息子・娘は王子・王女の立場にあるのです。そしてまた、すべての後孫を代表している王の立場にあるのです。子女にも子女としての権限があります。わが子は自分のものではなく、神様の子女でもあります。子女を疎略に扱うことはできないのです。
 皇族圏とはどういうことでしょうか。皇族といえば最高に高貴な方です。しかし祝福を受けたなら神の血統圏に入るのです。私たちは先祖が武士であったり、貴族の家系であったりすれば誇りに思うのです。それ以上に尊いのが神の血統です。神の息子・娘としての自覚と、矜持を持たなければなりません。
 本来、神と人間は親子です。親は子供が成長して、親のようになることを願います。さらに子が親以上になれば、親はわが子を自慢するのです。神様も人間が完成することを願うのです。そのように考えれば、人間の価値は神様に等しいのです。完成した人間は、神様と同等です。神・人一体が、理想であるのです。
 子女は神様の王子・王女であり、夫は王であり、妻は王妃です。そして祖父母は神の位置に立つのです。家族は自分を尊く思い、互いに尊く思わなければなりません。皇族のような心情で生活をするというのです。
 皇族においては血統が重要です。祝福家庭においても、血統が汚されてはなりません。子女は「祝福」を受けるまでは、絶対に純潔を守らなければなりません。また神の子女であることを自覚するなら、純潔を汚す行為は決してできないのです。
 「祝福家庭」にあっては不倫は許されません。知らずに過ちを犯すならまだしも、知っていて罪を犯せば許されないのです。再堕落には救いの道がないというのです。夫婦が真の愛によって結ばれるなら、横的な愛によって脱線するはずもないのです。
 家庭が拡大されたものが氏族であり、社会、国家です。「祝福家庭」には氏族のメシヤとしての使命と、権限が与えられています。皇族圏を氏族にまで拡大しなければなりません。さらには社会、国家、世界にまで拡大されたとき、人類は心霊的に一段階アップするでしょう。人間がエゴを克服して互いのために生きるようになれば、人類は地球家族の理想を地上に実現することができるのです。
 真の人生の勝利者とは、愛の勝利者です。四大心情圏を体恤して、三大王権と皇族圏を完成して霊界にゆくなら、愛の勝利者として神様のそば近くに行って、天国で永生することができるのです。
 地上における地位、名誉、財産は何ほどのこともありませんでした。地上で豪邸を建てても、霊界では何もないのです。霊界で永生する家は、地上にいるうちに建てなければならないのです。それは建築物ではなく、真の家庭です。天国は独りで行く所ではありません。夫婦、家族で入るのであり、氏族と共に行くのです。つまり地上に天国ができなければ、天上にも天国はできないという結論になるのです。

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