神様は人類の真の父母

万物は誰のものか

アメリカのお金持ちは巨木を運んできて、広大な自宅の庭に移植して楽しむのだそうです。巨木が富の象徴なのでしょうか。彼らは自然さえも、自分の所有物にしないと気がすまないのです。しかし公園に足をのばせば、巨木もあれば花もあります。ハイキングに行けば森林浴も思いのままです。自然はすべての人の共同財産です。見方を変えれば、自然のすべてが自分のものです。そのように考えれば、気宇壮大ではありませんか。
 万物は誰のものでしょうか。万物の創造主は神様です。とすれば、万物の所有権は神様にあります。神様は万物を創造されて、人間に「すべての万物を治めよ」と言われました。万物の主管権を人間に与えられたのです。これが神の第三祝福「万物主管」です。
 万物の所有権は神様にあり、人間はその管理を任されたに過ぎません。人間は神の創造目的を成就するために、神の立場に立って万物を主管しなければなりません。神の愛によって万物を治め、万物を大切に扱うのが善の行為です。
 人間は万物の所有権を、主張することができるものでしょうか。たとえば土地というものを、自分の所有物とすることが許されるものでしょうか。その土地に埋蔵されている石油や地下資源を、自分の所有物であると主張することができるものでしょうか。
 人間は有史以来、土地や地下資源の所有権をめぐって争ってきました。原始共産社会では、土地や物はグル−プの共同所有でした。しかしやがてその所有権をめぐって分裂闘争が起き、より力ある者、権力を握った者が土地と物を支配し、人間を支配するようになりました。
 人類歴史は原始共同体から封建時代となり、やがて王朝時代となりました。ルイ王朝時代には、フランスの富の大半を王侯貴族が独占しました。ここに民衆の不満が爆発して、フランス革命が起き、さらにマルクスの唯物論思想によるロシヤ革命が起きました。
 共産主義社会においては、物質の所有権は国家にあるとされました。物質を人民に平等に分配するとしたのですが、やがて階級の格差が生じました。そして勤労意欲が薄れていったのです。分配されるものが同じなら、なるべく働かないというのが人間のエゴです。かくて平等に豊かになるはずが、平等に貧しくなってしまいました。
 何が欠けていたのでしょうか。愛という要素が欠けていたのです。神の愛によって物質を主管すべきが、人間のエゴによって主管したのです。愛がなければ、「ために生きる」生き方はできません。人々を働かせるにはムチが必要です。共産主義国家は管理する者と管理される者との、牢獄のような社会になってしまいました。
 資本主義社会では、物質の所有権が個人に与えられました。より能力があり、より努力した者が、より多くの富を自由に所有することができる社会です。ところが資本が資本を吸収し、富がさらに富を生むという現象が起きるようになりました。資本主義の矛盾が露呈されてきたのです。万物を主管すべき人間が、万物に振りまわされ、万物に主管されるという悲しい社会になってしまったのです。
 人間が有限である物質の所有権を主張するなら、闘争の終わるときがありません。物質をめぐって個人が争い、企業が争い、国家が争ってきたのです。人間はお金のために争い、お金のために頭を下げ、ときには土下座さえするのです。お金のために他人を蹴落とし、裏切り裏切られるのが資本主義の社会です。それは決して人間を幸福にする社会ではありません。
 何が欠けているのでしょうか。共産主義と同様に、愛という要素が欠けているのです。人間のエゴを基調とする資本主義社会は「ために生きる」ようにはできていないのです。資本主義社会では力の弱い者、失敗した者は惨めな敗者です。勝者は莫大な財産や広大な土地を自己の所有物としても、弱者や敗者に同情もしません。豪邸に住むことを自慢はしても、感謝したり、申し訳ないと思う心はないのです。神の義という観点からすれば、彼らはみな天道に反した生活をしているのです。
 現代の世界情勢は一触即発の危機にあります。あの同時多発テロ以来、アメリカはアフガニスタンを攻撃してタリバン政権は崩壊しましたが、アルカイダの残党は世界に拡散しています。イラクのフセイン大統領は、あのテロ行為を賛美した人物です。イラクの大量破壊兵器が、テロリストの手に渡るのではないかというブッシュ大統領の危惧は、当然ともいえます。しかし戦争によっては、絶対に平和はもたらされません。
 アメリカとイラクの対立は、キリスト教とイスラム教の対立だけではありません。石油の利権がからんでいます。イラクのクウエ−ト侵攻も、石油の利権にありました。フランスやドイツがイラク攻撃に消極的であるのは、イラクの石油施設に投資しているという事情があるからでもあります。
 地球資源の所有権を個人や国家が主張できるものでしょうか。繰り返しますが、万物の所有権は神様にあります。人間はその主管権を与えられたに過ぎません。万物は神のものであると同時に、人類共通のものです。私のものでもあり、隣人のものでもあります。
 「共生社会」にあっては、万物の所有権は神様に返還されなければなりません。所有権の返還です。国境を撤廃するということは、国家の所有権を返還するということです。地球資源は人類の共同の財産として、神の創造目的にそって、愛によって主管されなければなりません。では具体的に、万物はどのように主管され、どのように配分されるのでしょうか。
 「共生社会」の経済体制が、貨幣経済とは異なる仕組みになるのかどうか、明確には示されていないようです。ですからこれから述べることは、私の夢のようなユ−トピア構想です。そのモデルとなる社会は、誰もがやがて行って永生するという、霊界の楽園の人々の生活に求めることができるでしょう。

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