神様は人類の真の父母

楽園の人々の生活

パラダイスといえば、平和でいつも心楽しく、まさしく楽園と思われています。しかし李相軒先生によれば、楽園は神様が創造された所ではないというのです。神様はすべての人が、神と共に住むことを願われました。それが天国です。しかし時代や文化的な背景の違いによって、それぞれの人生の姿が異なるように、神の前に直接出ることができなくなった霊人が現れました。そのような霊人たちが神の前に出ていくための、ある一定期間待機する待合室のような所が楽園なのです。
 天国とは自然と万物が人間を大歓迎する所でしたが、天国に入った人はほとんどいません。李相軒先生が石に腰を下ろすと、人間を待ちわびていた石までが、話しかけてきたのでした。イエス様でさえ、楽園という待合室で天国入りの時を待っているのでした。
 地上にはいろいろな種類のグル−プがあり、職場があり、また家族同士の集いや、信徒同士の集いがあります。それが善男善女の集いであり、平和で何の争い事も心配もない所なら、楽園のようだと人は言うのです。
 霊界の楽園においても、自分たちの適性や趣味に合わせて、グル−プ同士で働く職場があちこちにあり、家族単位で共同体を形成して暮らしているそうです。地上と異なる点が何かというと、楽園にとどまっている大部分の霊人たちは、自分たちが霊人体だけで生活している事実を知っており、いつか神様のおられる天国に行くという希望を持っていることです。彼らはひたすら、神のために生きるという目的だけを持っているのです。楽園の人々は互いに親しく付き合い、互いに友となって暮らしているのです。
 楽園では職場を探す困難はありません。いくらかの困難があるとしても、地上のように就職難でさまようことはないのです。互いに協力し合いながら、職場を紹介し、ある職場が自分に合わなければ他に移ることも容易なのです。
 地上の人間が生きてゆくためには、常に衣食住の問題がついてまわります。人間は一生、衣食住の奴隷となって生きているともいえます。
 楽園でも衣食住のために、若干の活動が必要だそうです。しかし地上のような困難はないのです。ではどのように解決するのか、地上の人間にも参考になるところです。
 霊界では自分の職場の人同士で、互いに物々交換をして暮らしているそうです。服や食料や、自分たちの家までも互いに分かち合って、交換しながら住んでいるのです。
 ではそのような物質を作りだす所が、どこにあるのでしょうか。たとえば服を作る工場では、職人(霊人)たちは常に余裕のある笑みを浮かべて、対話しながら働いているそうです。実に平和でおだやかな雰囲気なのです。
 ではその服の生地を織る材料は、どこにあるのでしょうか。これがふしぎなことに、常に山のように積まれていて、減ることも腐ることもないというのです。ここが地上と違うところです。楽園の世界に入っただけでも、希望があり、活気に満ちていて、神様に対する慕わしい思いが自然に湧いてくるそうです。
 地上では物質を手に入れるために、常に競争があり、闘争があり、心配や不安や挫折がつきまといます。しかし霊界では自分に必要な物は、どこでも常に手に入れることができて、地上のように時間に追われながら、疲れるほどに働いて生きる必要は全くないというのです。
 霊界では地上のように、お金が必要ではないそうです。では労働の代価はどのように支払われ、どのように暮らしているのでしょうか。日付や時間に関係なく、自分が必要な物はどんな物でも、それが置いてある場所に行って、思いどおりに持っていったり、互いに必要でない物があれば、交換して使ったりもするのです。
 楽園の世界全体が各自の家庭のように、こじんまりとしていて豊かなのです。彼らに必要な物はいくらでもあるので、物質をめぐって互いに争うということがないのです。
 「皆さん、考えてみるがよい。楽園もこのように豊かで平和なのに、神がおられる天国はどれほど素晴らしいだろうか。なつかしき我が家、永遠なる安息所は、神がおられる平和なエデンの園であるので、そこに向かって熱心に生きていこうではないか!」このように李相軒先生は結んでいます。
 楽園では欲しい物は何でも手に入るのに、彼らはみだりに物を消費したりしないで、不必要な物があれば互いに交換したり、家までも共同で住んでいるのです。パラダイスといえば素晴らしい家に住んで、豪華絢爛とした生活を思い浮かべますが、そうではないようです。
 有限な物質世界であるこの地上界では、人間はどのような生き方をすべきでしょうか。大量生産、大量消費、大量廃棄の資本主義社会が、ベストな社会ではないことは言うまでもありません。やがて地球資源は枯渇して、また地球環境を汚染して、人間が住めない地球になってしまうのです。人間は足ることを知らなければなりません。人生の目的を、物質生活におくべきではありません。
 ポスト資本主義は「共生主義」社会です。では現代社会において、共生主義の社会はどのようにして実現してゆくのでしょうか。その可能性はどこにあるのでしょうか。

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