謎とき『創世記』

第八章 ヤコブとエサウ


 エサウの祝福を奪うヤコブ

 双子は成長して,エサウは巧みな狩猟者になり、野を駆けまわる人でしたが、ヤコブは穏やかな人で,天幕に住んでいました。イサクは鹿の肉が好きだという理由だけで,エサウを愛しましたが,リベカはヤコブを愛していました。神はヤコブを愛し,兄は弟に仕えると言われたからです。ある日、ヤコブがレンズ豆を煮ていると,エサウが野から帰ってきました。
 「ヤコブよお願いだ。その赤いもの,赤いものをわたしに食べさせてくれ。腹がへってたまらないのだ」エサウは飢え疲れていて、その赤いものの名さえ忘れていたのです。食える物なら何でもよかったのです。ヤコブは言いました。
 「まず、あなたの長子の特権をわたしに売りなさい」
 「長子の特権など何になるものか。とにかく腹がへって死にそうだ」
 「では、まずわたしに誓ってください」ヤコブはひどく冷静で,計算だかいのです。
 エサウは誓って長子の権利を売ったので、ヤコブはパンとレンズ豆をエサウに与えました。こうして双子の兄弟は,彼らの間では兄と弟が逆転したのです。エサウは食欲のためには、長子の権利を軽んじるほど粗野な男だったのです。
 エサウは40歳の時、ヘテびとの娘をめとり、彼女はイサクとリベカの心の痛みになったのです。サラもリベカもハランから来ました。祝福を受ける者は、妻をハランから迎えなければならないなのです。エデンの園を追われたエバを,サタン世界から復帰する路程を歩むことが,中心人物として立つ条件となるのです。その意味でエサウはすでに、祝福を受ける条件を失っていたのです。
 イサクは年老い,目がかすんで見えなくなりました。目が見えないとは,霊的にも盲目の意味があるようです。イサクは双子の兄弟を,見分けることができません。父は兄エサウを呼んで言いました。
 「死ぬ前に長子の祝福をしてあげよう。その前に,好きな鹿の肉の料理が食べたい。作って持ってきて,食べさせておくれ」エサウは獲物を求めて、野に出ました。
 リベカはそれを聞いていました。彼女はヤコブを呼んで言いました。
 「子よ、わたしの言うとおりにするのです。やぎの子の良いものを、二頭取ってくるのです。わたしがお父さんのために料理を作ります。それをあなたは持っていって、父に食べさせなさい。父は死ぬ前に、あなたを祝福するでしょう」
 「兄は毛深いのに、わたしはなめらかです。お父さんはわたしに触ってみるでしょう。そうしたら父を欺く者として、祝福を受けるどころか、のろいを受けるでしょう」
 「子よ、あなたが受けるのろいはわたしが受けます。わたしの言うとおりにしなさい」
 ヤコブを思うリベカの覚悟は、凄いものがあります。それからヤコブはハランに去り、母と子が再会したとは書かれていません。リベカは二度とヤコブに会わなかったかもしれないのです。エサウはヤコブを憎み、母をのろったことでしょう。母リベカの協助なしには、ヤコブは父の祝福を受けられなかったのです。
 鹿の肉料理ができると、ヤコブは父のところに行き、エサウの真似をして言いました。
 「長子エサウです。どうぞ起きて、座って鹿の肉の料理を食べて、わたしを祝福してください」
 あまりに早く料理ができたのでイサクは不審に思い、声の主を近寄らせてエサウかどうか触ってみるのでした。ヤコブはリベカに言われたとおりに、エサウの晴れ着を着て、また子やぎの皮で手を被っていました。
 「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。おまえは確かにエサウか」
 「はい。そうです」ヤコブは答えました。
 「わが子の鹿の肉を食べて、わたし自ら祝福しよう」
 イサクは肉を食べ、ぶどう酒を飲み、またエサウの晴れ着であるヤコブの着物のかおりをかいで、それからヤコブを祝福したのです。
   「ああ、わが子のかおりは
   主が祝福された野のかおりのようだ。
   どうか神が、天の露と、
   地の肥えたところと、多くの穀物と、
   新しいぶどう酒とをあなたに賜るように。
   もろもろの民はあなたに仕え、
   もろもろの国はあなたに身をかがめる。
   あなたは兄弟たちの主になり、
   あなたの母の子らは、
   あなたに身をかがめるであろう。
   あなたをのろう者はのろわれ、
   あなたを祝福する者は祝福される」(27:27)
 
 神の祝福を受けるヤコブ

 弟ヤコブが父の祝福を奪ったことを知ったエサウは、激怒したしま。
 「よくもヤコブと名づけたものだ。彼は二度までもわたしの祝福を奪った。父よ、あなたの祝福はただ一つだけなのですか。わたしも、わたしも祝福してください」エサウは大声で叫び、悔しさに声をあげて泣きました。イサクは激しくふるえて言いました。
 「ヤコブが偽って、おまえの祝福を奪ってしまったのだ。わが子よ、今となっては何ができようか。あなたは弟に仕えるだろう。しかしあなたが勇み立つ時、首から、そのくびきを振り落とすであろう」
 エサウは弟ヤコブを憎み、殺してやろうと思ったのです。しかし父が悲しむのは見たくありません。父の喪の日も遠くはないだろう。その時、弟ヤコブを殺そう、と彼は心に誓ったのです。
 リベカはそれを察して、ヤコブを呼んで言いました。
 「エサウはあなたを殺そうと思っています。わたしの言うとおりにしなさい。あなたはハランにいる、わたしの兄ラバンの所に行くのです。エサウの怒りが解けたら、あなたを迎えましょう。一日に兄弟二人を失ってよいでしょうか。あなたがエサウのようにヘテびとの娘をめとるなら、わたしは生きているかいがありません」
 ヤコブはこうして家を出て、ハランに向かいました。やがて日が暮れて、ヤコブはそこで一夜を過ごし、石を枕に寝たのです。彼は夢を見ました。はしごが地の上に立っていて、それがどこまでも高く,天にまで昇っているのです。そして神の使いたちが、はしごを昇り降りしているのでした。すると主が、彼のそはばに立って言われました。
 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神,主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫に与えよう。あなたの子孫は地のちりのように多くなり,西,東、北、南にひろがり、地の諸部族はあなたと子孫によって祝福を浮けるであろう」
 「これは何という恐るべき所だろう。これは神の家だ。これは天の門だ」ヤコブは目が覚めると、枕にしていた石を取り、それを立てて柱とし、油を注いでその所をベテルと名づけました。そしてヤコブは心に誓ったのです。
 「神がわたしを守ってくださるなら、主をわたしの神とし、この石を神の家としましょう。そしてあなたがくださる物の、十分の一をあなたに捧げます」
 ヤコブとは狡猾な、という意味があるそうです。エバをだましたへびが狡猾であったように、ヤコブにも狡猾なところがあるのです。兄と父をだまして祝福を奪い、またラバンおじさんをだますようなこともするのです。ヤコブは聖人君子でも、自分を犠牲にして誰かを救う義人でもありません。しかしヤコブは神に祝福された、「創世記」の主人公に違いないのです。
 神はヤコブに、「生めよ、ふえよ」の祝福を与えられました。宗家の宗孫の祝福です。のちに神はモーセに、「アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と三代の神であると名のられるのです。アブラハム・イサク・ヤコブは三代ですが、神のみ旨から見るなら三代は一体であるのです。ですから神は必ず、三人の連名で呼ばれるのです。
 ハランはサタン側の世界であり、ラバンおじさんはサタン的な人物なのです。そのサタン世界のハランから、エバを代身する妻を復帰して、万物を象徴する家畜や財産、そして人類を象徴する大家族を連れてカナンに帰るのが、摂理の中心人物として立つべきヤコブの路程なのです。
 ヤコブは兄をだまして長子の権利を奪い、母リベカの協助を得て、父イサクをだまして長子の祝福を奪ったのです。しかしエサウはヤコブが帰ってきたら、今度こそは弟を殺してやろうと待ち構えているのです。アベルの立場のヤコブと、カインの立場のエサウは、どのようにして和解したのでしょうか。

 レアとラケル

 ヤコブは東への旅をつづけました。野のはるか彼方に、一つの井戸が見えました。羊の群れに、人々が水を飲ませています。ヤコブは近寄って、その人々に声をかけました。
 「兄弟たちよ、あなた方はどこから来たのですか」
 「ハランからです」
 「あなた方はナホルの子、ラバンを知っていますか」
 「知っていますとも。御覧なさい、彼の娘のラケルが今、羊と一緒にここに来ます」
 ヤコブがなおも人々と語りあっていると、娘が羊と共に来ました。ヤコブは進み寄って、母の兄ラバンの羊に水を飲ませました。ヤコブはラケルに口づけして、声をあげて泣いたのです。自分がラケルの父のおいであり、リベカの子であることを告げると、彼女は父のもとに走って行きました。
 ヤコブとラケルの出会いの場面です。これはまるで、アブラハムの僕がイサクの嫁を探しにハランに行った時に、リベカに出会う場面と同じです。ただしハランに来たのは僕ではなくヤコブ自身です。そして家畜に水を飲ませたのは、娘ではなくヤコブのほうです。立場が逆になっているのです。イサクとリベカの逆の経路です。
 ラバンはヤコブが来たことを知ると、走って彼を迎えました。
 「あなたはほんとうにわたしの骨肉です」ラバンはヤコブを抱いて、口づけしました。
 ヤコブはラバンのもとで働きました。一か月が過ぎた頃、ラバンは言いました。
 「わたしのおいだからとて、ただで働くことはあるまい。どんな報酬を望みますか」
 さて、ラバンには、二人の娘がいました。姉の名はレアで、妹の名はラケルです。レアは目がくぼんでいましたが、ラケルは美しく愛らしかったのです。ヤコブはラケルを愛していたので、ラケルのために七年働くことを、ラバンに申し出たのです。
 こうしてヤコブは七年の間ラケルのために働いたのですが、彼女に夢中だったので数日のようでした。
 やがて期日が満ちて、ヤコブの結婚式の日がきました。ラバンは近隣の人々を集めて、式は盛大に行われました。さて初夜が明けて、ヤコブが花嫁の顔を見ると、なんとそれは姉のレアではありませんか。ヤコブは驚き、ラバンに欺かれたことを知って怒りました。
 「わたしはラケルのために七年働いたではありませんか。どうしてこんな事をされたのですか」ヤコブは義父に抗議しました。
 「ここでは妹を姉より先に嫁がせる事はないのです。まずレアのために一週間過ごしなさい。それからさらに七年、わたしのために仕えなければなりません」
 ヤコブは二人の妻を持つ男になったのです。しかしレアよりも妹のラケルを愛して、さらに七年ラバンに仕えたのです。ヤコブに愛されない姉レアを神は哀れみ、その胎を開かれたので、レアは子を産みました。しかしラケルは子を産まないのでした。
 レアはヤコブに愛されようと、次々に子をはらむのです。ラケルは自分の身代わりに、はしためをヤコブに与えたので、はしためのビルハは子を産みました。レアも負けじと自分のはしためをヤコブに与えるのです。まるで姉妹の出産競争のようです。
 こうしてヤコブは、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アセル、イッサカル、ゼブルンの、十人の息子の父になりました。レアが最後に産んだのは女で、娘の名をデナと名づけました。
 神はラケルの願いを聞かれ、彼女はみごもって男の子を産みました。愛するラケルが初めて産んだ子ヨセフを、ヤコブは溺愛したのでした。
 ヤコブの家庭は大家族になりました。レアとラケルの姉妹はまた、アベル・カインの関係です。レアが産んだ十人の兄たちと、ラケルが産んだ弟ヨセフがまた、アベル・カインの関係になるのです。
 復帰の摂理は時の経過と共に複雑になり、規模と範囲が家庭から氏族に拡大されて、同じような事が反復して起こるのです。復帰の摂理を担う中心人物は、規模と範囲が拡大するにつれて、その責任は加重されて大きくなり、物語は複雑に展開するのです。

 ヤコブの報酬

 ヤコブはラケルがヨセフを産んだ時、ラバンに妻子を連れて故郷に帰ることを願いでます。義父は言いました。
 「もし心にかなうなら、留まってください。主はあなたを祝福されたので、わたしも恵みを受けているのです。あなたの報酬を申し出てなさい。わたしは報酬を払います」
 ヤコブの働きによって、ラバンの家畜は非常に増えたのでした。ヤコブは答えました。
 「何もくださるには及びません。もう一つの事をしてくださるなら、わたしはもう一度あなたの群れの世話をしましょう」ヤコブをラバンに、奇妙な提案をしました。
 家畜の中で黒い子羊、ぶちとまだらのものがいたら、これを報酬としてくださいというのです。そんな家畜は滅多にいませんから、欲の深いラバンも承知しました。
 ヤコブは家畜の水のみ場に、皮をはいで白い筋をつけた木を並べて置いたのです。すると家畜は水のみ場のまだらになった枝の前ではらみ、ぶちのもの、まだらのものを産んだのです。またヤコブは群れのしまのあるもの、黒いものを向かい合わせに、群れの強いものを、水のみ場ではらませました。こうして弱いものはラバンのもの、強いものはヤコブのものになりました。
 ヤコブの家畜はとても多くなりました。ラバンの子らはヤコブを非難して言いました。
 「ヤコブは父のものをことごとく奪い、父のものであの富を築いたのだ」
 ラバンもヤコブにしてやられてことを知って、面白くありません。ヤコブに辛く当たるようになったのです。ヤコブはハランを去る時がきたことを悟り、二人の妻たちに言いました。
 「わたしの父の神は、わたしと共におられます。わたしは力の限り、あなたの父に仕えてきましたが、義父はわたしを欺いて、わたしの報酬を十度も変えました。しかしわたしに害を加えることだけは、神はお許しになりませんでした」
 ヤコブは妻たちに、神が自分を祝福されたので、ぶちやしまの家畜があのように増えたことを語りました。そして神の使いが夢に現れ、「今こそ故郷に帰る時がきた」と告げたことを話したのです。レアとラケルは言いました。
「わたしたちは父に他人のように思われています。父はわたしたちを売って、そのお金さえ使い果たしたのです。わたしたちが受ける分があるでしょうか。だから何事も、神がお告げになったようにしてください」女たちのカイン・アベルは、一体になったのです。
 ヤコブは子らと妻たちと、すべての家畜と財産を携えて、カナンに向かって出発しました。ラバンはその時、羊の毛を切りに出ていました。ヤコブはラバンを欺いて、彼に黙ってハランを出たのです。その時ラケルは、父の神である偶像を持ち出したのでした。
 三日目になって、ラバンはヤコブが逃げ去ったことを知って、一族を率いて後を追い、七日目に追いついたのです。ヤコブの新しい出発にも、三日という期間があったのです。しかし神は夢でラバンに現れ、ヤコブに危害を加えてはならないと言われました。ラバンはヤコブに言いました。
 「あなたは父の家が恋しくなったのでしょう。それはいいとしても、なぜわたしの神を盗み出したのか」
 ヤコブはラケルがやった事を知らなかったのです。ラバンは天幕を探しまわりました。しかし偶像は見つかりません。ラケルは偶像をらくだのくらの下にして、その上に座っていたのです。ラケルは父に言いました。
 「わたしは女の常のことがあって、立ち上がることができません。どうか主がお怒りになりませんように」ラバンも仕方なく、その場を去るしかありません。
 ラバンは偶像を見つけることができず、ヤコブに責められて引き下がりました。
 ヤコブとラバンは誓いのしるしに石塚を立てました。ヤコブはラバンの一族を招いて共に食事をして、彼らと和解したのでした。あくる朝ラバンは早く起きて、孫と娘たちに口づけして彼らを祝福し、家に帰ってゆきました。

 天使長と闘うヤコブ

 ヤコブはサタン世界のハランから、妻と子らと奴隷たちと、多くの家畜を連れ、ラバンの偶像まで待ち出してカナンに帰ってくるのです。レアのために七年、ラケルのために七年、財産を得るためと旅の期間とで七年,あわせてヤコブは故郷かを出てから21年目に、カナンに帰還するのです。しかしエサウは,彼らを歓迎してはいません。ヤコブはエサウに使者を送って言わせました。
 「あなたのしもべヤコブは、ラバンのもとに寄留して今までいました。わたしは牛、ろば,羊、男女の奴隷を持っています。あなたの前に恵みを得たいのです」
 使者の報告は、ヤコブを恐れさせました。エサウは400人の従者を集めて、ヤコブを迎え撃とうと身構えていたのです。ヤコブは苦しみ悩みました。彼には二つの選択肢がありました。一つはエサウがしたように人を雇い、戦いの準備をすることです。力で兄を屈服させる道です。しかしヤコブはその道はとりませんでした。彼は多くの家畜を、二つの組に分けました。一つが撃たれても、一つが残ると考えたのです。
 その夜、ヤコブは神に祈りました。「必ずおまえを恵み、おまえの子孫を浜辺の砂の数ほど多くすると言われた神よ、どうか兄エサウの手からわたしを救い、母と子らをお守りください」ヤコブは必死に、神に祈ったのです。
 翌朝ヤコブは,家畜の群れをいくつにも分けました。群れと群れとの間に間隔をおき、先導する僕に言いつけました。
 「もし兄エサウが、誰の僕でどこへ行くのか、これらの群れは誰のものかと聞いたなら、あなたの僕ヤコブのもので、わが主エサウに送る贈り物です。彼もわたしたちの後ろにおります、と言いなさい」
 贈り物の群れは彼に先だって、川を渡りました。その夜ヤコブは起きて、妻とつかえめと子供たちと、持ち物を渡らせました。ヤコブひとりが、ヤボク川の岸に残ったのです。
 深夜、ヤコブは何者かに襲われました。ヤコブは闘っているうちに、その人が普通の人ではないことを悟ったのです。それは神の人です。ヤコブは力の限り闘いました。天使は勝てないとみて、もものつがいに触ったので、彼のもものつがいは外れました。それでもヤコブはその人を離しませんでした。
 「夜が明けるから、わたしを去らせてください」天使は言いました。
 「わたしを祝福してください。でなければ、あなたを去らせません」
 「あなたは名を何と言いますか」
 「ヤコブです」
 「ではもはや名をヤコブとは言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力で勝ったからです」神の人はヤコブを祝福して去りました。
 「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たが、なお生きている」
 イスラエルとは、神と争って勝った者という意味です。今日の国名の由来となったのです。それでイスラエルの人々は、腰の肉を食べないそうです。
 天使は何のためにヤコブと闘ったのでしょう。モーセが神の召命を受けてエジプトに向かう途中にも、同じような出来事が起こるのです。
 「モーセが途中で宿っている時、主は彼に会って彼を殺そうとされた」(出エジプト記4:24)とあるのがそれです。その時は妻のチッポラが男の子の前の皮を切り、それをモーセの足につけたので,主はモーセを許されたのです。神が中心人物として立てた者を、なぜ神が殺そうとするのか。その理由は何でしょう。
 復帰は堕落の経路と,反対の経路をたどって復帰するのです。アダムは天使長の試練に負けて,堕落して天使長に主管されたのです。その反対に天使と闘って勝利して,天使から主管性を取り戻すのです。中心人物として立つ条件が、試練に勝利するということです。ヤコブはもものつがいを外されても闘いつづけ、神の試練に勝利したのでした。

 ヤコブとエサウの和解

 エサウは見たこともないほど多くの,家畜の群れに出会いました。それは次から次に、果てしないほど続くのです。エサウは家畜を先導する僕に尋ねました。
 「これは誰のもので,どこへ行くのか」
 「あなたの僕ヤコブのもので、わが主エサウに送る贈り物です」先導者は答えました。
 次の群れの先導者の答えも同じです。すべてが弟ヤコブのもので、そのすべてを兄の自分に贈るというのです。
 21年前,兄の自分を欺き,父をだまして祝福を奪って逃げた憎い弟ヤコブでしたが、次々と現れる家畜の群れに、エサウの恨みはだんだん解けていったのです。それはやがて弟を懐かしむ心に、次第に変わっていったのです。
 ヤコブは目を上げ、エサウが400人の従者を従えて来るのを見ました。ヤコブは子供たちを分けて、つかえめとその子供立ちを先に、レアその子供たちを次に、ラケルとヨセフを最後において,自ら彼らの前に進みでて、七たび地に身をかがめて近寄りました。
 エサウは走ってきてヤコブを迎え,彼の首を抱いて口づけしたのです。双子の兄弟は共に抱きあって泣きました。積年の恨みはここに解け,兄弟は和解したのです。やがてエサウは目を上げて、女や子供たちを見て言いました。
 「あの者たちは誰ですか」
 「わたしの子供たちです」つかえめとその子供たちも、近寄ってお辞儀しました。レアとその子供たちもお辞儀しました。ヨセフとラケルも、エサウにお辞儀しました。
 「わたしが出会ったあの家畜の群れは、どうしたのですか」
 「わが主の前に恵みを得るための,贈り物です」
 「弟よ、わたしは充分に持っている。あなたのものは、あなたのものにしなさい」
 「いいえ、どうかわたしの贈り物を受け取ってください。あなたが喜んでわたしを迎えてくださるなら、あなたの顔を見るのは神の顔を見るようです」
 七たびの礼拝は神にするものです。ヤコブは最大の敬意を表してエサウに近寄り、そして多大な贈り物をしました。ヤコブが選んだ道は武器を取ってエサウを打ち負かすことではなく、愛と万物によってエサウの恨みを解くことでした。こうしてヤコブは無事にカナンの地、シケムの町に着いて宿営したのでした。
 カインはアベル撃ち殺しました。父の祝福を奪われたエサウも、ヤコブを殺そうと思ったのです。弟が帰ってきたら殺そうと思ったエサウでしたが,愛と万物によって自然に恨みは解け,兄弟は和解したのでした。ここに初めて、アベル側がカイン側に勝利したのです。悪も善に従順に屈服すれば,ここにメシヤを迎える基台ができるのです。
 アブラハム、イサク、ヤコブの三代の家庭においてサタンを分立して、ここにメシヤを迎えて、ヤコブの家庭は神に復帰したのでしょうか。
 兄弟は和解したのですが、エサウはヤコブに従順に屈服して,共に暮らしたのではありません。二人はここで別れるのです。エサウは「創世記」の舞台から姿を消してしまいます。エサウとはエドムのことで、エドムはのちにダビデ王に敵対する部族です。
 ヤコブは弟の立場から長子権を復帰して,中心人物として立つ条件を立てたのです。アブラハムの失敗を,三段階完成の原則によってヤコブが償い,中心人物として立つ摂理が、エサウとヤコブの物語だったのです。
 物語はまだ終わっていません。善のアベル側に、悪のカイン側が従順に屈服する善悪分立の摂理は,実はヤコブの子供たち、レアの子の兄たちと、ラケルの子ヨセフとの間で展開されるのです。

 ヤコブの子たちの争い

 ヤコブの家庭に不幸な事件が起きました。レアが産んだヤコブの娘デナが、その地のヒビびとハモルの子、シケムに犯されるという事件です。しかしシケムはデナを深く慕っていて、デナを妻にしたいと願っていました。ヤコブは娘がシケムに犯されたことを聞いたのですが、子供たちが野から帰るまで黙っていました。シケムの父ハモルは、この事でヤコブと話し合おうと、ヤコブの所にやって来ました。
 ヤコブの子らは野から帰ってきて、この事を聞いて悲しみ,非常に怒ったのです。シケムの父はデナを,息子の嫁にすることをヤコブに申しでました。また兄弟たちにも充分な結納金と贈り物を,求めるままに贈ると誓ったのです。ヤコブの子らはシケムの父に言いました。
 「割礼を受けない者に妹をやることはできません。だからあなた方の男子のすべてが割礼を受けるなら,妹をあなた方に与え,またあなた方の娘をめとりましょう。しかし割礼を受けないなら,妹を連れて帰ります」
 若者はデナを愛していたので、ためらわずにその事をしました。そして町の人々を説得したので、すべての男子が割礼を受けたのでした。
 三日目になって,彼らが痛みを覚えて弱っている時、デナの兄弟シメオンとレビは,不意に町を襲って男子のことごとくを殺し、またハモルとシケムを殺し、デナを連れ出したのでした。ヤコブの子らは殺した人々を剥ぎ、町を略奪したのです。家畜、野にあるものすべての財産を奪い、また女子供までも捕らえ、ことごとく奪ったのです。
 ヤコブはこの事を知って悩みました。カナンびと、ペリシテびとを敵にまわすことになるからです。
 「困った事をしてくれたものだ。彼らが集まって攻撃すれば、わたしも家族も滅ぼされるだろう」とヤコブは子らに言いました。
 「妹を遊女のように扱われてもよいのですか」子らは父に言い返したのです。
 その時,神がヤコブに言われました。
 「あなたはベテルに上り、あなたが昔エサウから逃れる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」
 ヤコブは家族と,共に住むすべての者に告げて言いました。
 「あなた方のうちにある異なる神々をすべて捨て,身を清めて着物を着替えなさい。ベテルに上り、苦難の日にわたしと共におられた神に,祭壇を築くのです」
 彼らは持っていた異なる神々の偶像や,耳につけている耳輪をことごとくヤコブに与えました。ヤコブはこれらの物を、シケムのほとりのテレビンの木の下に埋めたのでした。恐ろしい事が周囲の町々に起こって噂になったので、誰もヤコブの一族を追う者はありませんでした。ヤコブが帰ってきた時、再び神はヤコブに現れ,彼を祝福されました。
 「もはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」神はまた言われました。
 「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ」
 ヤコブの子らの行為はひどく残酷です。シケムの父が誠意をもって事にあたっているのに、これをだまして割礼を受けさせ,皆殺しにして略奪の限りをつくすのです。妹を汚されたとはいえ、やり過ぎのようにも思えます。ヤコブの態度もあいまいです。娘が犯されたのに「黙っていた」のです。
 アブラハム、イサクの時もそうでしたが、条件を立てた後で,サタン世界の族長たちとの間で争いが起こり、それが解決した時に神の祝福があるのです。つまり中心人物としての条件を立てて,次にサタン世界に勝つという実績をあげた時、神が祝福されるのです。そしてアブラハムもそうでしたが、サタン世界の物には糸一本でも,これに手をつけないのです。サウル王はそれを自分のものにして、神を落胆させたのでした。
 ヤコブは長子権を復帰して,中心人物としての条件を立てました。今度は彼自身ではなくその息子たちが、サタン世界の人々と争い、これをことごとく滅ぼしてしまったのです。彼らの行為は残酷非道ですが,摂理的に見るならサタンを滅ぼしつくすということです。
 ヤコブは神に祈った末に、子らが奪ってきたサタン世界の物をことごとく木の下に埋めました。サタンの血に汚れたものを、すべて土に埋めたのです。すると神はあの「生めよ、ふえよ」の祝福を与えられるのです。ヤコブを宗家の宗孫とするという、神の祝福です。
 さて、ヤコブが愛するラケルは旅の途中で産気づき,難産の末に男の子を産みました。その子がヨセフの弟ベニヤミンです。しかしラケルは、そこで死にました。
 ヤコブの父、イサクも死にました。彼の年は180歳でした。

           (第九章へ)

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