霊界の巨人たち
神を否定する共産主義者たちは、霊界でどのように暮らしているのでしょうか。
マルクスがいた所は、多くの戦争捕虜たちが収容されているような、古い穴蔵の家でした。そこにいる人々は、まさに敗残兵そのものです。疲れ切って、もの悲しい姿です。
「同士たちよ! 力を出そう。ここで私たちは負けることはできない。もう一度、力を出して戦おう。勝利は我々のものだ」
高い所から大声で叫んでいる一人のリ−ダ−がいました。それがカ−ル・マルクスだったのです。彼は自分の理論に陶酔し、勝利すると叫びつづけていました。ようやく彼の講演が終わると、李相軒先生は自己紹介しました。むろん初対面です。彼は大変な理論家であり、自分の理論を主張しつづけました。ようやく話の区切りがつくと、今度は李相軒先生の番です。
「あなたの理論は大変な理論です。しかし神様に対して全く論じられていません」と語り始めました。マルクスの理論に陶酔したその結果が、あの敗残兵の姿です。私が暮らしている所に行きましょう、と先生はマルクスを天国へ誘ったのです。
マルクスは天国の様子に、目を丸くしたのです。自分が住んでいる所とは、まさに天国と地獄です。「ここは神様を敬う者たちだけが来ることのできる所です」と先生が言うと、マルクスは「神様の所に行こう」と言いました。
こうしてマルクスは李相軒先生から、原理講義と勝共理論を聞くようになったのです。彼だけではありません。彼の回りにいた同志たちも同席しました。マルクスは顔を真っ赤にして、多くの聴衆の中で頭を垂れて泣き始めました。彼は失意に陥ったのです。
レ−ニンに対しては「神様の使者の使命をもって来た」と李相軒は告げました。しかし監視が厳しく、面倒な手続きがありました。ようやく会うことができると、李相軒先生は「直接会って先生の理論と思想を学びたい」と告げました。そしてレ−ニンをわが家に招待したのです。
ところが翌日、レ−ニンはいなくなってしまいました。彼は危険を察知して、逃げたのでした。先生はレ−ニンを探しました。狭い家が並んだ、貧しい所です。レ−ニンとその同志たちは、小川のほとりに集まっていました。
「自分たちの正体が分かれば危険なので、危険でない小さな所へ移動しよう」とレ−ニンは言いました。彼らは周囲から監視されていて、家では互いに探り合うので用心して深い対話ができないのでした。偉大な共産主義の指導者とされたレ−ニンは、霊界では住む所もない哀れな末路であったのです。
スタ−リンは神のように君臨した権力者でした。彼は群衆集会をよく開いていました。その場の雰囲気は索漠として、互いに警戒し合う恐ろしい冷気がただよっていました。
スタ−リンは隠れ家に住んでいました。そこでは「同族の血なまぐさいにおいには、もう耐えられない」という恨みの声が聞こえていました。若い者たちは李相軒先生をつかまえて「二度と来るな」と脅したのです。
しかし先生はスタ−リンに、ひそかに会うことができました。彼は隠遁生活をしているので、自分の理論を話せばここから追放されると言うのでした。
李相軒先生は今だとばかりに彼を天国に案内して、その美しい様子を隅々まで見せたのです。そして彼も、統一思想を聞くようになったのでした。
一九九八年五月の段階では、彼はまだ自分の理論の誤りを悟れずにいました。彼が神に祈祷を捧げるまでには、もう少し時間がかかったようです。
金日成の場合は会うのがもっと大変でした。神様に伺っても、答えられないのです。さらに暗い霊界へ、これぞ地獄と感じられる所へ降りて行ったのです。銃と剣で傷だらけになった巨人が、門に寄りかかったまま、凄惨な姿でしゃがみ込んでいました。それが金日成だったのです。
門の内側は、監獄のような広場でした。金日成は囚人の仲間にも入れてもらえない立場だったのです。李相軒先生は涙ながらに神様が愛の主人公であることを説明し、原理の内容を講義しました。互いに愛し合い、ため生きなければなりませんと訴えたのでした。それでようやくその場の雰囲気が、もの静かになったのでした。
「誰がこの事実を知るだろうか。地上人たちは現実の中で見える物にだけ執着して暮らしているではないか。この地獄の刑罰、地獄の凄惨な姿で生きていくしかない人生、本当に哀れな人間の歴史であったな!」
もっと凄まじい刑罰を受けているのが、ヒトラ−です。ムッソリ−ニや東条英機の姿も哀れです。しかし彼らもやがて、解怨される日が来るのです。