神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

暗い霊界

天国や楽園は光が充満した世界です。すべてが白日の下にさらされている世界です。そのような霊界に入るためには自らが、白金色に輝く発光体となる霊人体を完成させなくてはなりません。暗い影や、しみや、疵があってはならないのです。
 私たちはこの地上生活において、たとい犯罪者とはならなくても、他人を恨み、妬み、嫉妬し、あるいは殺したいほど憎んだり怒ったりして生きています。夫婦や親子の関係にあっても常に愛し合って、楽しく毎日を暮らしているわけではありません。喧嘩したり、嘆いたり悲しんだり、不安や心配ごとがなくいなることがないのです。
 仏教的にいえば八苦の娑婆です。生老病死の人生です。そのような人生を歩んだ人間の行く霊界が、間違いなく中間霊界から下の霊界です。その世界はこの世の中が多種多様であるように、さらに広大無辺であるのです。
 万物世界も上流霊界とは様相が違って、この世と同じように見えるのです。霊界の人の暮らしも、この世と同じように忙しく熱心に働いているのです。厨房で働く人、御飯を炊く人、器を洗う人、食べ物を用意する人がいて、共に苦労して、苦労した程度の代価をもらっている所だというのです。
 地上では善良に生き、それなりの功績があった人でも、神様や信仰には関心がなかった人は中間霊界にとどまるのです。そこでは伝道も難しいようです。李相軒先生が「統一思想」の講義をしたところ、「人ごとにもっている思想が統一されれば、個性的な特性というものがなくなって、全く同じ人だけが暮らす世の中になりませんか」という間抜けな質問をしたそうです。地上世界とよく似た世界です。
 犯罪者が世間に隠れて住むように、罪を犯した人はさらに下へ、暗い霊界へと行くのです。人を殺した人、自殺した人はさらに下へ、地獄という所に行って暮らすのです。

↑ PAGE TOP