神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

イエスとマリヤ

イエスのように殉教すれば、イエスと共に天国に行く、そう信じて殉教の道を行ったキリスト教徒は数多いのです。彼らはイエスと共に、本当に天国にいるのでしょうか。
 イエスは「天上天下唯我独尊」的な暮らしをされているというのです。つまりお寂しい姿です。イエスの回りにはキリスト教徒がたくさんいるのですが、主は寂しく同情される立場におられるというのです。そこは天国ではなく、天国入りを待つ待合室のような、楽園という所なのです。
 「主よ! あなたと共に行きましょう」天国の門を眺めながら、多くのキリスト教徒が懇請するのですが、イエスはこう答えるのでした。
 「私イエスは、主の資格でここにいるのではなく、神様の息子の資格でここにいるのであり、私はここでも幸福です」
 イエスは地上で、その使命をすべて完遂することができなかったのです。霊界ではそれが分かるのです。ではいつまで待つのでしょうか。真の御父母様が霊界に来られて、霊界を整理なさる時まで待たなければならないというのです。
 イエスは神の恵沢を受けられないのではありません。李相軒先生はイエスが神様と共にお出かけになる姿を、何度か見たそうです。しかし周囲のキリスト教徒には、それがよく分からないのです。そこが天国と楽園の違いです。
 マリヤは、イエスの母親として親しまれています。特にカトリックでは、聖母マリヤとして崇められています。しかし霊界では、修道女ではない修道女の姿で、一人で暮らしているのです。いつも下を向いて歩く、寂しげな姿だというのです。
 母マリヤは地上で、キリストの母親としての責任を果たすことができなかったのです。それで顔を上げることができないのです。しかし母と子は恨むのではなく、互いに注意しながら暮らす複雑な関係にあるのです。
 マリヤの夫ヨセフはどうでしょうか。同じ楽園で暮らしてはいるのですが、まるで他人のように、別れて暮らしているのです。ヨセフはイエス様に対して、申し訳ないという贖罪の心情をもっているのです。

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