神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

聖人たちの霊界セミナ−

李相軒先生が霊界に行って聖人たちに出会ったとき、イエスも釈迦も孔子も、寂しげな姿でした。また彼らが互いに交流するということもなく、霊界の宗教界にも高い障壁があったのでした。
 ソクラテスのような哲人はどうでしょうか。彼は李相軒先生の話を聞こうともしませんでした。時間をかけてゆっくりと話すと、少し壁に穴があいたようでした。しかし彼は、「私の考えを変えようとする心で来られるなら、あまり歓迎しない」と自己の思想に固執していたのでした。
 「統一思想」はどんな哲人の思想よりも、次元の高い思想です。哲人も真理には屈伏せざるをえませんでした。彼は後にこう述べています。
 「この真理によって実に驚くほど変わっていく自身の姿に、自ら自尊心が大変傷ついたりもした。幾度も首を横に振って、この真理を否定したかった。それが真理でないことを願った。この途方もない真理がどこから出たのか知って、幾度か心の葛藤が起きた。知性人としての威信と体面が根こそぎ吹っ飛んでしまうソクラテス自身が、とても恥ずかしくもあった。しかし、これは間違いない真理なので、どうするか?」
 こうして彼は、知性も自尊心もみな捨てたのでした。霊界の上流層であれば、神の実在を実感するのです。哲人も地上にあるときは、神と人間の関係を正しく知ることができませんでした。人類の父母である神の愛を知らず、神の痛みを知らなかったことを、彼は悔いて悲しく思ったのでした。
 こうして霊界の聖人、賢哲たちは原理セミナ−に参加して天の秘密を知り、地上人の救いについて深く討論を交わすようになったのです。そこには常にあの「神の光彩」が共にあったのです。神様は愛そのものであり、人類の真の父母であることを知るのでした。そして「統一原理」が、彼らを一つに結びつけたのです。
 講義は劉孝元先生と、李相軒先生がかわるがわるされたようです。劉孝元先生は口を開けば原理を語り、「原理先生」と呼ばれていました。講義は「摂理的同時性の時代」におよび、講師は聖人たちに問いかけました。「人間を新しく救うことができる、そのお方は誰であるか?」
 聖人たちの間に深刻な、重苦しい雰囲気がかもしだされました。やがてイエス様が沈黙を破って、おもむろに口を開きました。
 「そのお方はまさに、文鮮明先生しかいらっしゃいません。そのお方は人類のメシヤであり、救世主です」
 劉先生は涙ながらに、彼が空腹であったときに文先生をも空腹にさせ、彼が困難であったときに文先生も共に困難にさせたことが、胸が痛いと告白するのでした。
 また李相軒先生は、文鮮明先生に親不孝をした事実を、どのように地上人に知らせてあげるべきか、悩んでいますと語るのでした。
 「文鮮明先生があれほど強調なさった霊界の実相を、地上の人は夢の世界のように考えていました。今やそれが実現化している事実に、驚きを禁じえません。聖人たちは私を受け入れてくださいますか。天地父母様に親不孝をして、心情を蹂躪した息子でしたが、この体が取るに足りない境地になっても、こちらで孝の道を歩みたいのです。私を助けてください」
 聖人たちの心に重い沈黙が流れ、李先生は長いこと泣きながら祈祷していました。このような場面が、聖人たちの心の琴線に触れたのでした。講義よりも、文先生の弟子たちの心情と生活が多くの感動と教訓を与えた、と孔子は述べています。
 霊界の修練会では、敬礼式も行われるようになりました。孔子はあまりにも動作がのろく、他の人が合わせるのに苦労するほどでした。釈迦は両手を大きく広げるので、隣の人にぶつかるのでした。アイゼンハワ−やニクソンのような西洋人は、足がしびれて引っくり返るユ−モラスな姿もあります。
 イエスが仏教徒に語りかけ、釈迦がキリスト教徒にあいさつをする姿があります。霊界では宗教人たちの対立は完全に解消されました。しかし人類の創造主は唯一、神様だけという究極的な真理が明らかにされるまでには、李相軒先生たちの活躍と、それなりの時間を要したのでした。
 聖人たちは幾度かの原理教育と修練会を経て、霊界のセミナ−に集い、統一原理を分析して検討し、議論するのでした。こうして宗派的な偏見による葛藤は消え、一つの家族のようになったのでした。地上でも、すべての宗教の障壁が崩れてこそ、人類の平和が実現します。聖人たちは神を中心とした一つの世界が成就できるように、霊界で祈祷しているのです。
 セミナ−が進行するたびに、神様は美しい光彩で聖人たちを包み、彼らの和気あいあいとした姿を見られて、喜びながら悠々と去ってゆかれるのでした。

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