神の姿
神様は霊界で厳然と実存する、と李相軒先生は述べています。そのお方は文字どおり唯一の「主」であるが、触れることも把握すこともできず、ある限定された空間だけに現れるお方でもなく、無所不在であり全知全能であるために、一言で表現することができないというのです。
李相軒先生は分析し、研究して体系化することの好きな学者です。しかし霊界はあまりに膨大であり、先生の知性と理論をもってしても、判断することも理解することもできないというのです。また最も分析しにくい実体が、神様だというのです。分析することもできないし、分析されるようなお方でもないというのです。
「あちらこちらの様々な様子を十分に研究せよ」という神の命令を受けた先生は、霊界の自然現象と実体を注意深く調べてみました。先生はそのあまりの美しさに驚嘆されたのです。するとその瞬間に、神は炎の姿で現れて呼ばれたのです。
「相軒よ! そんなにうれしいか?」
神様はきらびやかな光彩として現れるのですが、あるときは威厳のある厳格な実体として現れ、また全身が溶けてしまうような愛として現れ、あるいは柔らかい声の主人公として現れ、あるいはひっそりとした明かりとして静かに顕現するというのです。
他の人を呼ばれるときはまた違うようでもあり、同じ場所で同じ声で呼んだとしても、みな同様に聞こえるというわけでもない。かといって先生一人だけが聞くのでもないのです。
もし神様が空間に一定の体重を持つ方であるなら、分析するために科学者たちがもぎ取っていくでしょう。もし神様を知性で分析できる人がいたなら、その人は神様になるはずです。神様のきらびやかな光彩はどんな容器に入れることもできないし、もしカラメに収めようとするなら、神の光はあっという間に消えてしまうのです。
また神様は個人個人に、同じ姿で顕現するのではないということです。ある人には暖かく、ある人には温和に、優しく、情愛深く、ある人には華麗に、また静かな明かりの中に威厳を漂わせてその人に入り込み、悔い改めさせるというのです。
「私はそれを正しく認識するパラダイムを持ち合わせていない。こんなにも膨大な神様の姿を正しく表現する方法が、私には先天的に与えられていない」と李相軒先生も、両手を挙げて降参し、白旗を振ってしまわれました。
では、聖アウグスティヌスの出会った神様はどのような姿でしょうか。
ある日、彼は祈祷しているときにふと、「神様はどんな姿をしているのだろう」と思ったのです。すると突然、雷が四方八方に轟いて、彼は恐ろしくなってぶるぶる震えたのでした。以下、彼は次のように表現しています。
「すると雷がたちまち消えて、春の日の遙かな野原の陽炎のような、きらきらと輝く宝石のごとき明かりが、暖かく射してきた。その明かりはあまりにも美しく神秘的で、触ってみたくなるほどであった。ところが、きらきらと輝くその明かりは、巻き貝状にくるくると回って、瞬く間に消えてしまった。そして消えたかと思うと、また再び現れ始め、また消えたかと思うと・・・。このような現象が何度も何度も続いた後、それは五色のきらびやかな色合いに変化して、竜巻のようにぐるぐると回りはじめた。その隣にはきらびやかな花火が空一面に上がりつづけ、その隣には華やかな虹が美しく輝いていた。全天地は、きらびやかな光彩で満ちあふれていた。またその一方では、きれいな綿雲の間から、一筋の光のような光彩がひそやかに咲いていた・・・。実際、神様のこのような姿を、何らかのかたちで表現しようとすること自体、不可能なことであるということを、私はよく知っている」
アウグスティヌスが呆然としていると、「頭を下げなさい!」という大きな声が聞こえてきて、彼は地にひれ伏したのです。
「我が姿を見たか? 主なる神はそのように頭を上げて見つめることのできる方ではない」という声がまたしても聞こえてきました。
「神様、申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした」彼は自分の姿をたどりはじめ、自分というもの、自分のエゴが色濃く残っていることを悔い改めたのでした。
すると彼はかって経験したことのないような、恍惚とした平和な心の境地を初めて経験したのでした。そしていかなる困難も、いかなる問題も解決できるという自信を持ったのです。恍惚とした幸福感と自信感は言葉で表現することもできない体験でした。
神の光彩の中で、彼は過ぎし日の過ちや、悲しみ、憎悪、挫折、不信、そしていかなる苦痛や喜びも、溶けていくような感じがしたのです。神様の愛はすべてを溶かす「溶鉱炉」のようであるというのです。
霊界の神様は地上のようにヤハウエであったり、アッラ−であったりするのではありません。多彩な光として顕現されるのですが、唯一の、愛の実体であることは確かです。
神様を人体にたとえれば、人間はその細胞の一つ一つかもしれません。一個の細胞は人体のすべてを相続していますが、細胞自体が人体を見通すことはできません。