神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

使徒パウロの手紙

李相軒先生の霊界からのメッセ−ジ、第十巻は「霊界から来た・使徒パウロの手紙」です。パウロは今日のキリスト教の基礎を築いた人物です。パウロがいなければ、キリスト教は世界の宗教とはならなかったでしょう。そして彼の生前の十三の手紙は新約聖書に収められ、キリスト教神学の基となったのです。
 パウロは名をサウロといい、ガマリエル門下の厳格なユダヤ教徒でした。彼は十字架で処刑されたイエスを信じるキリスト教徒を迫害していました。そしてダマスコに下る途中「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」というイエスの声を聞いたのでした。
 ただ一度聞いたイエスの声が、サウロを回心させたことは「使徒行伝」に詳しく書かれています。サウロは名をパウロと改め、いかなる迫害にも、困難にも屈することなく、主イエスを証するために全生涯を捧げました。
 「わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがの間では何も知るまい、と決心した」とパウロは「コリント人への第一の手紙」に書いています。神の子イエスが人間の罪の贖いのために、十字架上で血を流された、とパウロは考えたのです。人は行いによるのではなく、主イエスを信じることによってのみ救われる、これがパウロの神学です。そして十字架はキリスト教のシンボルになりました。
 ところでスエ−デンボルグは「霊界日記」で、パウロは地獄にいると記しています。そしてパウロの手紙には一文の値打ちもない、とパウロ神学を否定しているのです。しかしキリスト教徒には受け入れ難いことでした。果たしてパウロは地獄にいるのか、それとも使徒パウロとして天国にいるのでしょうか。
 李相軒先生はその序文に、「神様はパウロ先生をとても大切にし、また愛されて、霊界の隅々までみんな見せ、教えられました。私、李相軒は、神様がパウロ先生と共にいらっしゃる姿を何度も目撃しました。先生の信仰と人格は、本当に尊敬するに値しました」と書いています。
 「霊界から来た・使徒パウロの手紙」は、キリスト教会から十字架を引き下ろすような衝撃を与えることでしょう。キリスト教徒はこの書物を精読して、祈ってみるべきではないでしょうか。
 さてパウロは、堂々と胸を張って、自信満々で霊界に向かったのでした。
 パウロは風船に乗ったように体が空中に浮かび上がるかと思うや、きらびやかな光が降り注ぐ花畑に着陸したのでした。言葉にもならないほどに美しい花々が、「いらっしゃい、パウロ様。いらっしゃい」とにこにこと笑う姿であいさつするのです。ところが人間が誰も見えません。主イエスの声も聞こえません。パウロはイエスを探し求めて必死にさまよいました。
 「パウロよ、ここを見なさい」という声が聞こえました。そこには血がどくどくと流れ、苦痛の中でもがく主の十字架の姿があったのです。
 「パウロよ、あなたが迫害したイエスを見たか。今や使徒となったパウロは、十字架を思いながら、私のためにここで生きられるか」
 「主よ、主よ、そのようにいたします」とパウロは号泣しました。
 「主なる神を崇めなさい。ここは、あなたが迫害したイエスがいる所ではなく、主なる神の家である。主を崇めながら、主を迫害した者たちを求めてさまよいなさい」そう言うと、消えてしまいました。それきりイエスは現れませんでした。
 パウロは地上で開拓地で伝道に向かったように、主イエスを求めて伝道の道に出発したのでした。しかし何の反応も実績もありませんでした。
 すると再び、パウロはすっぽりと光に包まれたのでした。
 「パウロよ! どこへ行くのか」という神の声を聞こえてきました。
 「はい、迫害したイエス様に謝罪するつもりで伝道の道を行っています」
 「イエス様に会うことはできないだろう。来た道を戻りなさい」と神は言われると、光は消えてしまいました。パウロはうつ伏せになって泣き、祈祷しました。すると再び、神の声を聞いたのです。
 「パウロよ! 恐れてはならない。主なる神を崇め、主なる神のために生きなさい。そうすれば、イエスも共にあるでしょう。恐れてはならない」
 パウロの心は混乱していました。主なる神の家とは何であり、なぜ主イエスはおられないのか。主イエスを死ぬほど崇めてきたのに、「主なる神を崇めなさい」とはどういうことか、パウロは自信を失い、寂しく悲しい思いをしたのでした。すると華麗な身なりの女性が現れました。
 「どこへ行けば主なる神に会うことができるのか。主、イエスはどこにいらっしゃるのか」とパウロが尋ねると、その女性の華麗な身なりが一変して、素朴な身なりに変わり、表情も沈鬱になったのでした。
 「主なる神は孤独です。主なる神は貧しいのです。主なる神には子女がいません。すべて捨ててください。主イエスに会おうという希望も捨ててください。そうすれば、主なる神はパウロ様に会ってくださるはずです」
 パウロは「主なる神のみ意にかなう者になるにはどうしたいいのでしょうか」と切実に祈祷しました。すると突然に一筋の光が現れ、パウロは火の中に立っているような気がしたのでした。
 「主なる神は人類すべての父であるので、心を尽くして崇めなさい。あなたは主なる神を畏敬して、口が渇くほどに主なる神を知らせるべきである」
 パウロは霊界に来て初めて、主なる神に出会ったのでした。それはダマスコで主、イエスに出会った時とは比較もできない大きな愛の塊であり、愛自体であられたのでした。
 「主イエスの背後に、主なる神の愛が共にあることを知りませんでした。本当に分かりませんでした。主なる神の愛によって、主イエスはパウロを許され、お守りになったことも知りませんでした」とパウロは手紙に書いています。使徒の名で呼ばれるよりも、「罪人パウロです」というほうが、気持ちが楽に思えたのでした。
 パウロは何日、何カ月か知らず、涙で祈祷し、悔い改めの日々を送りました。するとある日、神の声が聞こえてきました。
 「パウロよ! パウロが使徒になったことを、主なる神は認める。今から主なる神の家で、主なる神を畏敬し、口が渇くほどに神を伝えなさい」

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