神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

霊界とはどんなところか

さあ、いよいよ霊界入門です。誰もが行くところです。あなたがもし外国に永住するとしたら、きっとその国のことを調べるでしょう。何の予備知識もなしに行くと、カルチャ−ショックを受けるのです。霊界はないと思っていた人は、ひどくとまどうことになるのです。
 孔子の場合を見てみましょう。
 孔子は自分が生きているのか死んでいるのかも分からず、とてもうろたえたのです。すると華麗できらびややかな身なりをした人が現れて、「あちらへ行きなさい。こちらへ行きなさい」と命令するのです。彼らは水車が回るように自在に動くのです。不思議なことに、行けというところに扉が自動的にさっと開いて、容易に通過するのです。
 ある高台に立つと、そこでは数多くの人々が自分たちの仕事をしていました。何か大きな綿の塊のようなものに触ろうとすると、それはさっと舞い上がって、辺りがまるで霧に包まれたかのように変わってしまい、孔子は呆然としてしまいました。
 孔子は七十を過ぎて死んだものと記憶しているのに、なぜここにいるのか、ここはどこで、どこの国か、彼は道行く人に聞いてみるのですが、誰も答えてくれません。次第に精神が朦朧として、混迷状態に陥ってしまいました。
 何日かたって、孔子はじっくりと考えてみました。「もしかして、ここは死んで再び暮らすというところではないか」
 再び華麗な身なりの人物が現れました。孔子は「ここは地上か、それとも死んだ者が来る所か」と聞いてみました。
 「あなたは生きていますか、死んでいますか」とその人物が聞きました。
 「よく分からない」と答えると、自分について来い、と彼は言いました。
 そこは実に神秘的な所でした。様々な人々が食堂にぎっしりと座っていて、豪華な食べ物が並んでいました。座ろうとすると、椅子がさっと現れ、サジを考えるとサジがさっと現れるのです。まるで妖術のように異常で、孔子は環境に適応するのに何日もかかったのでした。
 「地上の皆さんは、皆さんの来世が明らかにあることを肝に銘じて、永遠なるこの無形世界で、孔子のようにさまようことがないことを願う」と孔子は結んでいます。
 孔子の行った霊界は、非常に高い霊界と思われます。しかしたとえ大統領であった人でも、警備員の一人もなく霊界に行き、自分の人生の基準の前に立つようになるのです。
 四十日間、地上と霊界を往復しながら、自分の居る所を定めるのです。誰も審判するのではありません。先祖たちも一〇〇%協助することはできないそうです。自分の居る所は自分で探していくのです。落ち着けば、自然と引導者が現れて導くそうです。
 霊界では大統領だとか、一番下だというような階級的な差が、霊的な基準を左右するのではないそうです。いかに正しく生きたかという道徳的基準が、その人の価値を評価する所なのです。
 高い霊界では、思いと行動が一つになる所だというのです。「きょう、何か食べたい」と思えば、考えたと同時に豪華な御馳走が準備されているのです。誰かと一緒にどこかに行くと考えれば、既にそこに行っているというのです。
 「服を着ないで、人が裸になって歩けばどうなるか」と思った瞬間、自分が素っ裸になっているのを見て、李相軒先生はひとしきり笑ってしまったそうです。
 霊界は想念の世界ですから、思っていることがそのまま相手に伝わる世界です。ですから特別な言語の表現というものは不必要だそうです。イエスと釈迦が、自由に会話をすることができるのです。
 地上界の人間は肉身でおおわれていますから、互いの心がすべて見通しということはありません。人は見かけによらない、という場合もあるのです。しかし霊界では、その人の心霊基準がそのまま霊人体として互いに見えるのです。心の中を隠すということができません。すべて白日の下にさらされているのです。
 霊界は自分の活動範囲が無限で、考えると同時になされるので時間がかかりません。自分の思いや考えが、同時に相手に伝達されるのです。自由ですばらしい世界であると同時に、恐ろしい世界です。
 たとえば「祝福家庭」は霊界では高い位置にあるのですが、地上にいるときに女性問題や公金問題に引っ掛かった家庭は、その姿がみなに見えるというのです。原理講義をしていても、「豚」とか「姦淫」という名札がぶら下がって見えるというのです。それはまさに地獄の苦しみに違いありません。結局は自ら、暗い所に退くしかないのです。
 「愛は霊界の空気のようなもの」という表現が霊界からのメッセ−ジによくあります。この世では職場で嫌な人に会っても、「お早うございます」とにこやかに挨拶するの礼儀です。これがなくては社会生活がぎくしゃくして成り立ちません。ところが霊界では、礼儀という心の衣服がないのです。「嫌なやつ」という思いがそのまま相手に伝わって、その思いがそのまま顔に表れわけですから、とても明るい所にはいられません。やがて互いによく見えないような、暗闇の世界へと退いて行くのです。それが地獄です。
 「互いに愛し合いなさい」というイエスの教えは、霊界の天国と地獄を見てきた人の実感ではないのでしょうか。

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