神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

この世とあの世の関係

「霊界通信」はすでに部分的にいくつか、新聞紙上などで公表されています。しかしそれだけを読んだ人が素直に信じられるかというと、疑問です。あまりにも唐突で、常識では考えられないことであるからです。ですからこれまでの「霊界通信」の流れを紹介することも意味のあることと考えるのですが、さてどのように紹介したものか、悩ましいところです。結論を言えば、これは地上人への霊界からの警告であり、また地上に天国をもたらす真理の教えでもあり、やがては万人必読の書となるでしょうが、今のところは一般書店に並ぶこともなく、一部の人にしか読まれていないのが実情です。
 十二巻の「霊界通信」が本当に真実かどうか、それは各自が熟読して判定してもらうしかありません。私はこれを書くにあたって、精読して分析してみました。その結果、これはすべて真実であるという結論に達したのです。もし真実でないとするなら、李相軒先生以外の地上の誰かが書いたことになります。そのようなことが可能かどうかといえば、不可能というしかありません。
 「霊界の実相と地上生活」では、霊界から見た原理の深い内容が語られています。これは原理に精通した人で、かつ霊界にある人でないと書けない内容です。また第二巻の「人類の犯罪者・ル−シェル」では、悪霊現象による病気について詳しく語られていますが、これは医師であった先生にしか書けない内容であり、医学に精通していない人には浮かばない発想です。
 また、イエスの悲しみ、釈迦や孔子の嘆き、聖アウグスティヌスの無念の思いは、どんなに優れた作家でも創作できるものではありません。さらに後半になりますと、「原理セミナ−」で原理講義を聴講した霊人たちの感想文という形で送られてくるのですが、その数は一八〇人近くに上ります。あらゆる宗派の宗教人、共産主義者、歴代のアメリカ大統領から、近頃では最近亡くなった有名ジャ−ナリストまで登場しています。
 これらの多彩な人々の感想文にはそれぞれの人柄や、人生や思想がにじみ出ています。短い文章でその人物の特徴を創作するということは、至難の業というべきでしょう。
 「霊界の五大宗教代表の決意文採択と宣布式」なるものが新聞紙上等で公表されました。それだけ見ればいかにも奇異な印象を与えますが、李相軒先生と原理講師たちの情熱的な伝道によって、霊界における五大宗教界が統一されてきたという経緯があるのです。
 「超宗教超国家一四四〇〇〇組聖職者祝福式」が、二〇〇二年四月二七日、ワシントンにおいて挙行されました。霊界と地上界が連動しているという事実の証明ではないでしょうか。
 霊界と地上界はどのような関係にあるかといえば、「針と糸のような関係にある」と李相軒先生は語っています。心と体の関係と同じです。本来は地上の肉身生活の間に霊人体を完成して、霊界で永生するべきであったのです。ところが人間の堕落によって、霊界と地上界が分離してしまったのです。すべて片側だけの世界になってしまったのです。地上界の価値観が、本来の価値観と食い違ってしまったのです。
 お金、地位、名誉、財産、学歴や知識がこの世の価値となるのでしょうが、霊界ではほとんど無意味であるというのです。たとえば家を建てるということが人生の一つの目標になるでしょうが、地上でどんなに立派な家を建てたとしても、それをそのまま霊界に持ってゆくことは当然ながらできません。
 霊界では思いのままに何でも即座に実現するという、夢のような世界だと考える人もいるでしょうが、それは上流の霊界であって、ほとんどの人は中間霊界以下の霊界に行くというのです。霊界は農夫が農作業の結実を収穫するように、人生の実りを持ってゆくところです。その人の道徳的基準によって、霊界の位置が決定するというのです。そして特別な恩恵がない限り、千年過ぎてもその位置で暮らすのです。霊界では大目に見ることも、値引きもありません。原理原則そのままです。
 もし天国行きの列車のチケットと、地獄行きの列車のチケットがあるなら、あなたはどちらを買うでしょうか。誰もが天国行きのチケットを求めるでしょう。ところがほとんどの人が、地獄行き列車のチケット売り場の行列に並んで順番を待っているのです。
 地獄では金も権力も意味がありません。食べる物、着る物、住まいもないというのです。霊界の家は、実は地上で建設するのです。「家」とは建物の意味ではありません。夫婦の愛、家族の絆、氏族の結びつきを意味するのです。それは霊界に行ってからでは遅いというのです。
 霊界では蕩減がありません。罪を償うということができないのです。では霊人に救いはないのでしょうか。霊人は肉体のある地上人を通じてでなければ現在の位置から解放され、苦痛を免れることはできないのです。多くはその後孫を訪ねて、信号を送るわけです。気づかせるために病気にさせたり、事故や災難を起こしたりするのです。それによって地上人が悔い改めて善行をして、祈祷や献金をすることによって霊人も復活するのです。

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