神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

聖人たちのメッセ−ジ

霊界の聖人たちは「統一原理」を学ぶことにより、宗派の障壁は取り払われて、互いに議論して交流しているのでした。そして彼らはリポ−タ−の婦人を通じて、数多くのメッセ−ジを送っています。共通している点は、彼らが原理を通じて、神様が人類の真の父母であることを知ったということです。そして彼らが解明した真理は、決して間違いではないが、真理の一部分であったということです。「統一原理」によって明らかにされた大きな真理の、一部分であったのです。ですから仏教が「統一原理」に接ぎ木され、儒教が「統一原理」に接ぎ木されることが、聖人たちの願いであるのです。
 孔子のメッセ−ジを、簡単に紹介しようと思います。ある日、神は孔子に質問されました。
 「孔子は地上で肉身をまとって生きたとき、神に真に父母様として仕えて生きたか。神が孔子なら、聖人という呼称は辞退したであろう」
 孔子は神様の前に「本当に恥ずかしかった」と述べています。孔子は人間社会における規範だけに重きを置いていたのでした。宇宙の原因者である神については、あいまいにしか教えなかったのでした。神は人間の父母であるがゆえに、人間は神に仕えて侍って生きるという原理を、教えることができなかったのです。
 孔子は人間を小さな規範の中に閉じ込め、縛りつけてしまったという反省があるのです。儒教ばかりではなく、多くの宗教団体の中をのぞいて見ると、あれをしてはならない、これをしてはならない、という戒律でぎっしり詰まっています。このような戒律の中で人間が生き残るためにもがく過程で、人間の本性が蹂躪されたのではないか、と孔子は述べています。
 「神は恐ろしい垣根や囲いのような、戒律で人間を縛っておかなかった。それは、神が何よりも愛の存在であるからである。言い換えれば、人間は、規範的な存在である前に、愛の存在であるからである」
 聖人たちは毎日セミナ−を開き、「原理講論」を精読し、ときには多読、音読、速読などして、研究しているそうです。そして途方もない天の秘密を勉強して感嘆しながら、この真理を明かしてくださった文鮮明先生に感謝していると、孔子は語っています。
 「儒教徒の皆さん! 統一原理を精読してみなさい。儒者が容易に受け入れられない部分があれば、家にこもって研究してみなさい。文鮮明先生とは誰か?」
 イスラム教の教祖マホメットも、原理セミナ−に参加して心を開いたのでした。地上ではイスラム教徒とキリスト教徒、あるいはユダヤ教徒が対立して抗争していますが、イスラム教の教理の根本を突っ込んでみると、すべてが一つであるというのです。
 各宗教の教理には「愛し合いなさい」という教えが内包され、すべてが善を指向しています。それは神が人類の父母様であり、絶対善と絶対愛の本体であられるからです。宗教の統一なくして人類平和の実現は遠いのです。神は地上に文鮮明先生を遣わし、「統一原理」を通して宗教を統一することを願っておられるのです。これはマホメット自身のメッセ−ジです。
 「イスラム教徒よ! あなた方も神の子女として生まれたから、今や一つの思想に統一することを願う。その理由は、大いなる神が一つに統一することを切に願われるためである。マホメットの時代の神と、この時代の神は、不変なる私たちの神であり、私たちの父母様である。今や全人類が一つの兄弟愛を享受し、平和世界を具現すべき時代である。神は常にそれを願われる」
 最後に、イエス様のメッセ−ジの一部を伝えておきます。
 「新約時代にメシヤの使命を抱いて来たイエスを、当時の人々は十字架に付けてしまった。それで、地上には、神が成就すべきみ旨が残され、そのため再臨のメシヤが必要だったのである。新約時代のメシヤは、霊的な救いしか残せなかったために、歴史が流れてきた。それゆえ、恨多き歴史の裏通りで、数多くの悲しみと苦痛を味わいながら、神は再びメシヤを地上に送るため待ってこられた。文鮮明先生の血統を分別して聖別し、メシヤとして送るまでの神は超緊張の歳月を送った。(中略)
 この時代に地上に顕現された文鮮明先生は、皆さんが待ちわびた再臨のメシヤである。文鮮明先生は、十六歳の時、イエスのメシヤの使命を引き継がれた。キリスト教徒たちよ! いまだに雲を見つめながら、雲の中に現れる再臨の主を待っているのか? 文鮮明先生は、数万回、雲の中をかき分けて世界を巡回し、人類平和の具現のため渾身の力を尽くしておられる。今日もその方は、八十歳を越えた高齢で、人類の救いの最前線で苦闘しておられる」

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