私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

死と復活

 高校は卒業しましたが、会社には就職しませんでした。父は肉屋をやめ、郊外に家を建てて学生相手の下宿屋を始めました。私の仕事は同年輩の学生たちの、朝晩のめし炊きです。しかし夢がありました。小説家になることでした。
 暇な時は本を読んでいました。ト−マス・マンの「魔の山」に熱中した五日間は、青春の思い出に残る時間でした。舞台は下界から隔絶された、スイスの結核療養所です。主人公ハンス・カストルプを始め、登場人物は人生レ−スをリタイアせざるを得なくなり、いわば人生の目標を取り上げられた患者たちです。いとこのヨ−アヒムだけは軍人になるという目標のために山を降りるのですが、ために病気は悪化して命を失います。
 食べるために働く必要がなく、人生の目標を見失い、人生の目的も分からない人々は、あり余る時間を「魔の山」でどのように過ごすのでしょうか。作者マンの視線は非常に高く、天から哀れみの目で、この人間喜劇を見下ろしているようです。
 やがて大学が移転して、学生たちは去りました。下宿屋はアパ−トになり、私は古本屋の店員などをしていました。古本屋の午前中は暇です。掃除をすませると、一杯のお茶をたてます。ガスの設備がないので石油ランプに小さいアルミのやかんをのせ、一杯の湯を沸かすのに十分もかかります。湯をさますのに三分、茶の葉に注いでさらに三分、それからゆっくりとお茶を飲み、菓子の一つもあれば最高です。
 優雅な一時を過ごしていると、変わった人たちが来ました。その一人が初老のくず屋さんでした。ただのくず屋ではなく、水墨画家なのです。わざと和紙が破けていたりして、古風な味のある絵でしたが、絵が売れるということはなかったようです。二人で茶をすすりながら、芸術談義に華を咲かせるのでした。
 ある時から、急に耳鳴りがするようになりました。医者に見せても原因不明です。原因は心にありました。私は自分に小説家になる才能がまるでないことに、突然に気がついたのです。くず屋の絵描きさんのようになるのは嫌でした。遅ればせながら私は、人生レ−スに参加する決意をしました。
 食堂を始めたのです。職人を雇って、三か月で仕事を覚えました。それから妻を迎え、以来二十年間、食堂の主人として働き、食べて飲んで寝るという生活をしていました。
 やがて父が死に、母が死に、夫婦二人になりました。子供はいませんでした。
 妻が体調を崩して入院しました。子宮筋腫という病名でしたが、手術前の検査でがんと判明しました。子宮がんは治ると聞いていたのですが、手術後の医師の話は絶望的なものでした。肉腫という病気で、完治した例がないというのです。
 私は仕事をつづける意欲を失ってしまいました。残された時間を妻と一緒にいてやりたいという思いもあり、アパ−トの収入で生活は何とかなりそうでした。
 妻は手術の傷が癒えると退院して、父の残した盆栽の手入れに余念がありませんでした。妻にとっては生涯で唯一の、趣味に生きる平安な日々だったでしょうか。一年近くが何事もなく過ぎました。しかし妻のがんは、確実に進行していたのでした。
 夏も過ぎた頃、妻は重い風邪を引きました。風邪と同時に、がんは一気に広がったようでした。何かが癒着したという名目で手術が行われましたが、それは病状を確認しただけのことでした。手術後の妻は、日に日に衰弱していきました。
 今日か明日かというとき、近所の奥さんが見舞いに見えました。私は廊下に出て、小声でそのことを告げました。するとその奥さんは驚いて、えっと声をあげました。
 妻はその声を聞いたのでした。そして自分の運命を悟ったのです。その時の妻の顔を、私は忘れることができません。絶望した人間の顔とは、あのような表情をいうのでしょう。妻はその夜、正確には明け方に亡くなりました。
 私は一人きりになりました。午前中は本を読んだり何か書いたりしていましたが、どうなるものでもありません。午後は碁会所で碁など打ち、夜になれば酒場で歌など歌っていました。気まま気楽な暮らしですが、目的も目標もなく、ただ生きているだけです。
 イエスは父親の葬式をすませてから行きたいという弟子に、「その死人を葬ることは死人に任せておくがよい」と言いました。葬式を出す親類縁者を、イエスは死人と呼んだのです。魂が死んでいるという意味です。私の魂も死んでいました。無意味地獄に落ちていたのでした。
 妻が大切に手入れをしていた鉢植えのさつきが咲きました。私には盆栽の趣味もなく、手入れもできませんので、いく鉢かの盆栽を姉の家に持って行きました。姉の家では一晩、盆栽を洋間に並べて飾って置いたそうです。隣りの部屋では、娘と孫が寝ていました。洋間と和室を隔てる襖は、がっしりとした木製の戸です。これはその娘と孫の言うことなのですが、その晩夜中に重い戸が、がたがたと鳴りだしたというのです。半信半疑でいると、がたがた鳴る戸をお母さんと抑えたのだ、と七才になる孫が真顔で言うのです。
 そんなことがあってからしばらくして、二人連れの若い女性が訪れました。何かの訪問販売のようですが要領を得ません。しかし清潔そうな感じで、目が輝いているのです。それが私にはとても新鮮に見え、結局は習字の手習い帳のようなものを買わされました。
 それがまた一つの、私の人生の転機になりました。あるいはそのために、妻が犠牲になったと言えるかもしれません。私は彼女たちに導かれるようにして、真の人生の目的について学び始めるようになったのです。それが「統一原理」であることを知ったのは、ずっと後のことです。

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