私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

時のたつのを忘れるような

もしもあなたが隠者のように、草深い草庵に独りで暮らすとしたら、時間の重さに耐えられるでしょうか。その孤独に耐えられるとしたら、あなたの内面生活はとても豊かであるといえるでしょう。
 時間というものは、実は重荷でもあるのです。辛い仕事に追われる人は、次の日曜日のことを思って耐え、嫌なことがあれば何もかも忘れて眠りたいと思い、退屈で空虚な時間であれば時のたつのを忘れるような、何か面白いことを探すのです。
 人は昔から、さまざまな娯楽を考案してきました。子供たちの遊びを見れば、ほとんどが勝ち負けを争うものです。ギャンブルは人間を夢中にさせる魔力があるようです。損をすると分かっていながら、パチンコがやめられないパチンコ依存症の人がいます。マ−ジャンに熱中していたある友人は、「マ−ジャンには人生のすべてが詰まっている」と言っていました。人生の運不運や栄光と悲惨が、マ−ジャンには凝縮されているというわけです。でもそれはゲ−ムであって、本当の人生ではありません。
 今の子供たちの遊びはテレビゲ−ムでしょうか。テレビという架空の世界に、血湧き肉踊るような物語がいっぱい詰まっていて、しかもその主役にもなれるのですから、子供たちが夢中になるのも無理はありません。架空の世界では英雄にもなれ、敵を殺すことも簡単です。しかしその架空の世界が現実の世界に飛びだしてきたら、とんでもない猟奇事件を起こしてしまうのです。
 かつて映画は娯楽の王様でした。自分の人生はたった一度ですが、映画ではあらゆる人生を体験することができるのですから、素晴らしいことです。しかしそれは銀幕に映しだされた影に過ぎないのです。
 今はテレビが娯楽の王様でしょうか。どこの家庭にもテレビがあり、テレビのついていない静寂な時間がほとんどないほどです。テレビは時間の重荷から解放してくれる魔法の箱です。退屈ということを忘れさせてくれますが、しかしやはりそれは本物ではありません。人生の実体験にはなり得ないのです。
 テレビの次にはパソコンが普及して、私たちの生活に欠かせないものになりました。インタ−ネットは社会の仕組みを変えるほどの革命的なツ−ルです。世界中の情報を瞬時に得ることができ、同時に自分から発信することもできるのです。囲碁や将棋の好きな人なら、いつでも好きな時間に一番やることができます。しかしやはり盤の前に好敵手がいないという物足りなさはあります。影を相手に戦っているようなものです。
 出会い系サイトが問題になっています。仮面舞踏会のように、名前も身分も分からない人とネット上で交際するわけですから、第二の自分が架空の世界で勝手に行動するようなものです。映画は他者の人生ですが、ネット上では自分の人生です。しかしそれはバ−チャルな人生であって、むろん本当の人生ではありません。ネット上から現実の世界に飛びだしたりすると、人生を誤ることにもなりかねません。
 近頃は会社で机を並べている人とも、メ−ルで会話をするそうです。携帯やパソコンは便利なツ−ルですが、人間を孤独にしてはいないでしょうか。生身の人間は汗くさいし、気にさわることも言えば喧嘩もするでしょうが、それが人生です。個室でパソコンと付き合うのが人生だとしたら、一夜の夢のようにはかなく過ぎてしまうでしょう。
 世の中には時のたつのを忘れさせ、夢中にさせてくれるものが、人それぞれにいろいろあります。趣味に生きがいを見いだす人です。他人が見れば奇妙なことであっても、本人は時間を忘れて熱中するのです。しかし生きていることを忘れることが、人生の目的ではないはずです。
 韓日ワ−ルドカップは世界の人々を熱狂させました。日本が勝って狂気乱舞して、川に飛び込む人までいました。スポ−ツの観戦もそこに自己の感情を移入するから夢中になれるのです。選手の活躍に自分を投影して、わがことのように喜ぶわけです。負けては嘆き悲しみ、うさ晴らしに暴れる人もいます。しかしむろんそれは、自分の人生ではありません。過ぎ去れば虚しさが残ります。
 ロックバンドに熱狂する少女たち、芸能人を追っかける女性ファン、彼女たちは自分の夢をスタ−にだぶらせ、そこに生きる意味を求めているのです。
 わが子に夢を託す教育ママも、自分の人生をわが子にだぶらせているのです。多くの場合、夫への愛情が満たされずにわが子に向かうのです。子供には迷惑なことです。子供が自立して巣立った時、母親は虚脱感に襲われるのです。子供には子供の人生があるのであって、母親の人生ではないからです。

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