私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

人生はマラソンだ

人生はマラソンにたとえることもできましょう。ほぼ同じスタ−トラインから、ゆるやかに出発します。しかし小学校に上がるか上がらないうちから、人生レ−スの開始です。一流中学の入学を目指して、競争、競争です。レ−スにアクシデントは付きものです。早くも遅れてしまう者もいれば、いじめという妨害にあって登校拒否して、レ−スをリタイアしてしまう子もいます。
 母親という伴走者と一緒に走ってきた子が、中学生ともなれば反抗的になったり、家庭内暴力を振るうようになることもあります。人生レ−スは自力で走るしかないからです。学校を卒業してそれぞれの道を選択してからが、本当の人生勝負でしょうか。団子状態からトップグル−プ、第二グル−プ、第三グル−プというふうに分けられるでしょう。このあたりでレ−スを拒否する人もいます。ひきこもりというアクシデントです。
 肉体的な怪我や病気は別にして、レ−スを拒否する人は心に問題があるとされます。いわゆる精神病ではないとしても、ノイロ−ゼとか、うつ病とか、弱い性格のためということにされます。彼らはマラソンレ−スを走る勇気、持久力、忍耐力を失ってしまったのです。そのような人に言ってはならない言葉があるそうです。「頑張れ」という言葉です。彼らはなぜ頑張るのか、その意味が分からなくなったのです。何のために競争するのか、その目的とゴ−ルが見えなくなっているのです。
 しっかりとゴ−ルを見据え、トップグル−プを走る人々にもさまざまな障害があります。マラソンコ−スには不況という厳しい坂道もあれば、暑い時、寒い時、風雨の時もあるでしょう。企業と企業の生き残りをかけた熾烈な競争があります。そして社内では同僚との出世争いがあります。敗れれば地方に飛ばされたり、窓際に押しやられたり、さらにはリストラによる失業、レ−スをリタイアせざるをえなくなる人もいます。
 サラリ−マンのゴ−ルは定年でしょうか。それまで懸命に走ってきたのが、もう走らなくていいといわれて茫然としてしまう人もいます。会社の仕事以外には趣味も生きがいもなかった人です。人間は何かの目標や、人生の目的がなくては生きることができないのです。
 自ら企業を起こした経営者の人生レ−スは、もっと過酷かもしれません。だし抜いたりだし抜かれたり、なりふりかまわない命がけのレ−スです。倒産ともなればすべてを失うのです。年間の自殺者が三万人を越えました。人生レ−スに破れた人たちです。まるで戦争のようです。どうしてそのように競争しなければ、生きていけないのでしょうか。
 マラソンで最後までトップグル−プに残るのは、ほんの一握りの人たちです。巨万の財産を築いた人、大いなる権力を手にした人、社会における地位と名誉を得た人たちです。いわば人生の勝利者であり、功なり名をとげた人たちです。彼らは本当の幸福を手にしたでしょうか。
 今、カウンセラ−という職種が注目されています。人生の悩みを抱えた人の相談相手になるという仕事です。それだけ悩んでいる人が多いということです。カウンセラ−の草分け的な人が、精神科医であったユングという人です。ユングのところには世界中から、有名人が相談に訪れたそうです。そのような人たちは立派な家に住み、御馳走は不自由なく食べられ、奥さんも子供たちもいます。何でも手に入れることができた人たちです。でも何か充たされな思いがあるわけです。そのような人にユングはこう言ったそうです。
 「何もかもできるということが、あなたの苦しみの種なんだから、これはもう常識的に考えても答えは出てこない。常識を飛びこえて、いったい、自分は何のために生きているのか、ということを一緒に考えるより仕方がない」(河合隼雄著「こころと人生」から)その答えは、自分で探すよりほかはないのです。

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