私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

宇宙自然界の調和

朝日を一杯に受けた野菜畑の道を、私はなおも歩いて行きました。キャベツ畑がこれほど新鮮に見えたことはありません。みな生きているのです。地上は生命にあふれています。そして私という人間が生きているということ、いや生かされているということは、どれほどに感謝でしょうか。
 子犬を連れた老人に出会いました。見知らぬ人に声などかけたことのない私でしたが、朝の挨拶をしました。老人はにこやかに答え、子犬は尻尾をふって通り過ぎました。人も犬も不思議なほどに懐かしく、いとおしく思えるのでした。
 天を見上げればいつの間にか雲は切れ、青空に太陽が輝いています。この地球や太陽系はどのようにして誕生したのか、思いは天宙にまで広がるのでした。
 「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」と聖書は書きだされています。百五十億年も前にビッグバンが起こり、多くの星と太陽系が誕生した、と科学者は説明しています。宇宙は広がりつづけ、今も膨張しているのだそうです。しかし宇宙は寸分の狂いもなく、精巧に運行しています。星の引力と膨張する遠心力が、絶妙なバランスを保って回転しているのです。
 月は地球の回転に従い、地球は自転しながら太陽の回りを公転しています。そして太陽系自体も、ある宇宙の中心を回っているのです。すべてが主体と対象の関係を結んで、授受作用しながら回転運動をしているのです。それぞれが自転しながら公転することによって、宇宙は壮大な球形を成しているのです。
 この地球には人間を始め、万物が生きています。宇宙に生物が生息できる条件がこれほど揃った星は、地球星の外にはありません。たとえば地球と太陽の距離がもっと近かったり、あるいは遠かったらどうでしょうか。
 そして地球の基軸がわずかに傾いていることによって四季が生まれ、自然は万華鏡のように豊かな色彩の変化を見せるのです。創造主に心を向けさえすれば、自然は素晴らしく美しく、自然はこの上なく調和しているのです。
 神はデザイナ−であり、色彩画家であり、また数学者であり、科学者です。発明や発見は人間がそれを見つけたに過ぎません。画家や詩人は自然の美を表現しようと努力してきましたが、野の花の一つにも及ばないのです。
 植物にも動物にも、神の創造目的があります。神自体内の二性性相が授受作用することによって創造の力が生まれ、動物ならオスとメス、植物ならオシベとメシベの二性に分立されます。そしてそれぞれに付与された本能によって、オスとメス、オシベとメシベの二性が合性体となることによって、植物や動物は繁殖してゆきます。
 神を正とすれば、「正−分−合」の三段階です。神を中心として、主体と対象の二性に分立され、再び合性体となる四つの形を「四位基台」と呼びます。神中心の「四位基台」が、神の創造目的であったのです。
 ヘ−ゲル哲学の「正−反−合」による、分裂、闘争によって発展するという唯物論思想は、明らかに間違いです。万物も人間も分裂、闘争によって発展するのではありません。分裂するのではなく分立であり、闘争ではなく授受作用することによって調和、発展するのです。自然界はすべてが調和しています。
 人間界が常に分裂、闘争しているのは、自然の摂理に反しているからです。自然界は弱肉強食のように見えて、実は調和しているのです。羊は草を食べ、ライオンは羊を食べます。羊がかわいそうだとライオンを除去したらどうなるでしょう。羊はふえて草はなくなり、やがて羊も死んですべてが無になります。むしろ人間が手を貸せば、自然の調和は壊れるのです。
 原子、分子から人間に至るまで、なぜすべてが二性性相で存在しているのでしょうか。存在するためには存在のための力が必要であり、力は単独では生じないのが原則です。また永続するためには回転が必要です。そのためには主体と対象が授受作用しなければなりません。ゆえにすべてが主体と対象の、二性性相で存在しているのです。

↑ PAGE TOP