私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

人間の価値

 進化論からいえば人間は猿が進化したものであって、生き物の一種に過ぎません。しかし人間は万物の霊長ともいわれ、人間の生命は地球より重いともいわれます。人間は生き物の一種に過ぎないのか、それとも人間は特別な存在なのでしょうか。
 人間よりも大きい動物、力の強い動物、早く走る動物、敏捷な動物、嗅覚や視覚のきく動物はたくさんいます。人間は鳥のように空を飛ぶことも、魚のように水の中で暮らすこともできません。しかし動物の運動能力を満遍なく備えているのは人間だけです。オリンピック競技で見るように、人間はあらゆる動物の身体能力を総合した存在です。
 また体操競技やフィギュアスケ−トで見るように、人間の肉体はいかなる動物よりも美しいのです。男性には男性の美があり、女性にはさらに優美な美しさがあります。男性はすべて動物の主体となるものの総合実体相であり、女性はすべての対象となるものの、総合実体相でなければならないのです。
 人間と動物の決定的な違いは、人間には魂とか精神というものがあるということです。動物には肉体と本能しかありません。動物はその種にしたがって、遺伝子にすべてがインプットされています。犬は犬として猫は猫として、本能に従って成長して完成します。犬が芸を憶えるのは条件反射によるものであって、犬が自分で工夫したり努力して憶えるのではありません。犬には創意、工夫という自由は与えられていないのです。
 人間は成長すれば自動的に、大人として完成するのではありません。人間が人間になるには人間としての教育を受け、自ら努力して大人として完成するのです。さらに人間には創造する能力があります。創造とは教えられた知識の上に、自ら造りだす能力です。それが人間にのみ与えられた、自由であるのです。
 また美しいものを美しいと感じるのは、人間だけです。犬や猫が花の美しさをめでるということはありません。それに色の見分けもおぼつかないようです。闘牛が赤い色に反応するのは、それが動くからだそうです。
 自然や花鳥の美を感じとるのは人間だけです。芸術家はさらに自然万物に秘められた美を発見し、それを作品として創造するのです。芸術作品の創造とは、神の創造の業に似る行為です。ですから芸術には、宗教と共通する部分があります。音楽や絵画も、教会や寺院と共に発展してきた歴史があります。
 神は美しい花や、きれいな蝶や小鳥を創造されましたが、それ自体が神の創造の業に酔うということはありません。犬や猫が神に手を合わせて拝むということはありません。人間だけが、神と通じ合うことができるのです。人間を通じてのみ、この被造世界は神を中心に共鳴し合い、和動するのです。とすれば人間は天宙の和動の中心であり、被造世界の主管主であるということができるのです。
 しかし人間が神を知らないというなら、天宙は鳴らない鐘のようなものです。それが神の悲しみであり、万物の悲しみでもあるのです。

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