私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

主体的天上世界

主体的天上世界とは、性相の世界であり心の世界であり、無形の神がおられる霊的な世界です。平たくいえば霊界です。霊界があるのかないのか、この問題を解決しなければなりません。
 民族や地域を問わず、人間は古来から素朴に死後の生のあることを信じてきました。また経験的にも、霊的な体験をした人が数多くいます。霊能者という特別に霊的な人もいて、テレビなどにもよく登場します。信じない人は信じないのですが、信じる人には感じられるのです。
 臨死体験をしたという人が、私たちのまわりにもいます。アメリカではすでに学問として研究が進んでいます。明らかに夢とは違うものであって、また共通した体験をするのです。いわば霊界の入口まで行ったという体験です。しかし信じない人に言わせれば、それは入口であって、霊界まで行って帰ってきた人はいないのです。
 スエ−デンボルグは生きたままで霊界を見聞するという体験をしたのですが、やはり信じない人は信じないのです。
 では原理的な観点からはどうでしょうか。すべてが二性性相で形成されるという観点からすれば、物質化されたこの地上は形状の世界であり、対象的な世界です。その主体的な性相の世界、主体的天上世界がなければならないはずです。
 人間は心と体、性相と形状によって存在していますが、体も心もやはり二性性相になっているのです。動物は肉身と本能(これを「肉心」といいます)しかありませんが、人間には肉身と肉心と共に、精神(これを「生心」といいます)と霊人体があるのです。人間は本能である肉心と同時に、より崇高な方向に向かう精神(生心)があります。肉心と生心を合わせてものが人間の心です。霊人体はオ−ラとなり、成長するにつれて明るくなり、発光体となるのです。仏陀やキリスト像に描かれた、金色に輝く環がそれです。
 肉身は物質で形成されていますから、やがては古びて消滅します。しかし霊人体は物質ではありませんから、消滅することはないのです。人間の死とは、肉身と霊人体が分離することです。肉身は土と同じ要素でできていますから土に帰るのです。しかし霊人体は霊界に行き、そこで永生するというのです。
 三段階完成の法則から見ても、霊界はなければなりません。
 生物が海に生まれ、陸に上がり、空を飛ぶようになったように、人間も三段階を経るのです。母の胎中での十月十日間は、水中の生活です。この世に誕生するということは、水中生活の死でもあります。しかし新たな、空気を呼吸する生活が出発するのです。
 呼吸が停止して心臓が停止するのが肉身の死です。死ぬ時にはチクとした痛みがありますが、それがすべての終わりではありません。死は霊人体が霊界に行く出発の時です。
 地上の生活は八十年か、百年に過ぎません。しかし霊界で永生するとすれば、まさに人生の本番の始まりです。これが蘇生・長成・完成の、三段階の人生です。
 この世は長成期の期間であり、いわば霊界に行くための準備の期間であり、修行の期間です。この世限りの人生というなら太く短く、面白おかしく過ごしてもいいでしょうが、この期間が霊人体を完成させる修行の期間と考えるなら、人生が楽しいことばかりではないのが当然です。むしろ苦しいから修行になるのです。
 さて神は永遠に自存されるお方です。その愛の対象として創造された人間の生命が、有限であってはならないはずです。地上で肉身を脱ぎ捨てた後は、霊人体は霊界で神と共に永生するのです。神はより多くの子供たちと授受作用して、万華鏡のように千変万化する豊かな愛の世界を望まれたのです。そのためには、繁殖しなければなりません。繁殖するためには、肉体がなければなりません。それが霊と肉として創造された人間の、神の創造目的であったのです。人生の目的もそこにあります。
 霊界は極楽や天国と共に、地獄があるらしいのですが、神の創造目的に地獄があるはずもありません。そこに人間の「堕落」という問題を抜きにすることはできません。
 霊界の実相を知ることによって、真の人生の目的が明らかになり、価値観や生き方が転換するはずです。ではどうしたら、霊界の実相を知ることができるでしょうか。
 ここに奇蹟的な、ある事実があります。霊界に行ったある人物から、地上の霊能力のある婦人に、霊界通信が送られてくるようになったのです。それも古い話ではありません。それは一九九七年三月に始まり、今現在も継続しているのです。

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