私はどこへ行くのか・天宙を貫く大法則

そこに山があるから

 肉体的な快楽や安楽には目もくれず、ある目標に向かって挑戦する人たちがいます。南極の極点を目指して徒歩で向かったり、太平洋をヨットで独り航海したり、前人未到の地を目指す冒険家たちです。高い山に登って絶景を見渡すのは気分のいいものでしょうが、エベレストのような山になると想像を絶する困難が伴います。そして常に死の危険にさらされるのです。
 英国の登山家ジョ−ジ・マロリ−氏は「なぜ山に登るのか」ときかれて、「そこに山があるからだ」と答えました。苦しみや困難を避けたいのが人間ですが、むしろ困難を克服することに生きる意味を見出す人もいます。自己の可能性への挑戦です。百メ−トルを何秒で走れるか、二百メ−トルの平泳ぎではどうか。オリンピック選手は新記録を目指して青春を犠牲にするのです。勝利の栄冠を手にするのはたった一人です。百人のうち九十九人の夢は挫折するのですが、彼らは再び挑戦することでしょう。
 目標は達成するよりも、目標に向かって努力すること自体に人生の意味がある、と考える人もいます。なぜなら、目標は達成すればそれで終わりだからです。達成の喜びは一瞬であって、後には虚しさが残るのです。さらなる充実を求めるためには、また新たな目標に向かって挑戦しなければなりません。
 バルセロナオリンピックで、金メダルを獲得した岩崎恭子選手は、「今まで生きてきた中でいちばん幸せ」と語りました。彼女はわずか十四歳で目標を達成して、人生の絶頂を迎えてしまったのです。その後の彼女はとても悩んだそうです。そして記録を目指す生き方を捨て、普通の女子大生に戻ったのでした。
 ボクシングは過酷なスポ−ツです。ハ−ドな練習に加え、減量という試練が待っています。そして試合になれば生きるか死ぬかの勝負です。敗者は惨めです。しかし生き残った勝者には満足感よりも、虚脱感が襲ってくるのです。さらなる試練に挑戦する勇気を失って、チャンピョンのまま引退を決意した人もいます。
 五月病という症状があります。大学入学という目標を目指して頑張ってきたのに、いざ入学してみると虚しいのです。目標を失って茫然としているのが五月病です。大学入学は人生の目的に向かう一つの手段に過ぎません。目的と目標を取り違えてしまったために起こるのが五月病です。
 人間には人より目立ちたい、有名になりたい、名声を得たいという欲望があります。しかし名声とは自分の回りに立ちこめる煙幕のようなものです。人気者は衆人監視の中で生きているようなものであって、不自由で孤独です。そして嫉妬と妬みの対象にされ、常にマスコミにねらわれるのです。
 名声や人気はうつろいやすいものです。未来の名声を夢見る貧しい生活は耐えられるとしても、過去の名声を引きずりながら生きる生活は惨めでしょう。名声と幸せは結びつかないのです。
 人生の目的とは普遍的であり、永遠でなければなりません。そのような真の人生の目的が、どこにあるのでしょうか。

↑ PAGE TOP