神の実在と霊界の実相・霊界の聖人たち

天倫の秘密

無形の主体である神は愛する対象として、神に似た姿としての人間を創造されました。神はまた人間のために万物世界を創造され、人間を万物の主管主とされたのでした。
 人間は地上で肉身を成長させると同時に、霊人体を成長させ、霊肉ともに完成して夫婦となり、子女を繁殖するのです。そして肉身が老いれば古びた着物のように脱ぎ捨てて、霊人体は霊界に行き、神と共に永遠に天国で喜び生きる、これが神の創造目的であり、人間の生きる目的でもあったのです。
 ところが地上の世界は争い合い、奪い合う闘争の地獄の歴史になってしまいました。そして肉身を脱いだ霊人体は、天国ならぬ地獄に直行するというのです。天国はがらがらなのに、地獄行き列車のチケット売り場には行列ができているのです。
 無形の神は光彩として顕現なさることを見てきました。しかし神が自由に顕現なさる所は、霊界の上流層に限られているのでした。下流に下るに従って霊界は厚い雲に被われ、地獄は雷雲のような黒い雲で被われ、神の光彩も届かない所だったのです。神を知らないという霊人には神の光彩は見えず、神の声も聞こえず、風景は荒涼として夜のように暗く、常に悪臭がただよっているのでした。これが地獄の心象風景です。
 しかしながら私たちは、しばしば地獄を訪れる神の姿を知りました。そして一筋二筋、ぽろぽろと落ちる銀色の神の涙を見ました。地獄で苦しむ人間たちも、同じ神の子女に違いありません。神は地獄の子女たちにも会いたいのでした。
 神の子女たちが、どうして地獄に直行しなければならないのか。それは地上世界が地獄になったからです。なぜ地獄になったのか。それは人間の心に、自己中心というエゴが発生したからです。なぜエゴが発生するようになったのか。それは人間始祖が堕落したからです。神がなぜ人間始祖の堕落行為を、防止することができなかったのか。神が全知全能であるなら、地上と霊界の地獄を一挙に撤廃することはできないのか。ここに天の事情と、天の秘密があったのです。
 宗教には罪の意識というものがあります。キリスト教ではこれを原罪といい、神が取って食べたら死ぬであろうと言われた木の実を、アダムとエバが食べたことが、罪の根になったというのです。
 仏教では煩悩といいます。人間が生きるということは、他の生命を食することによって肉身を維持しているのです。存在すること自体が、罪であると考えるのです。ですから小乗仏教では、虫も殺してはいけないというのです。
 ユダヤ教や神道の宗教儀式は清めの儀式です。人間は汚れているとう意識の表れです。宗教には人間の堕落という、共通の認識があるのです。しかし人間堕落の動機と経路は、明白ではありません。
 旧約聖書の「創世記」には人間始祖の堕落の動機と経路が、天の秘密として暗号で記されているのです。その「七つの封印がされた巻物」を開き、天の秘密の暗号を解かれたお方が、文鮮明先生です。
 「先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と交霊なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである」と「原理講論」の総序に記されています。
 エデンの園の中央にある「命の木」と「善悪を知る木」とは何でしょうか。そして神が取って食べたら死ぬであろうと言われた、見るに美しく食べるに良い「善悪を知る木の実」とは、本当に果物だったのでしょうか。そしてエバに食べるように唆した蛇とは、地を這う蛇のことを指していたのでしょうか。
 その詳細は「堕落論」にゆずるとして、霊界にいるエバは李相軒先生に、その事情を告白しているのでした。

↑ PAGE TOP